2014年08月29日

少子高齢化で津波原発被災地は小高などでも復興は困難 (日本の人口は歴史的に増えすぎていた)



少子高齢化で津波原発被災地は小高などでも復興は困難

 
(日本の人口は歴史的に増えすぎていた)


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常磐線は小高に通じていない(すでに3年過ぎた)

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プレバブとホテルが増えた
ここには2、3百人くらいいるのか?

●老人と若い人の考え方は違いすぎる

バスの運転手が事故を起こすのは競争が激しくなり勤務時間が長くなり過労のためだった若い人が入らず補充できないので五〇代以上の人が過労になった。その人たちは病気持ちであっても無理していた。
つまり若い人が少なくなり需要があっても補充できない状態がいたるところに起きているのが日本である。
津波とか原発被災地では特に顕著なのである。

郵便局で小高の年配の女性が話ししていたけどなんか家をリホームしたいが若い人が帰らないでしないという、三百万とかかかるしもう年寄りは先がないから家のことに金かけたくないと言っていた。壊すのにも金がかかるからそのままにしておくとか言っていた。
つまり若い人と老人の考え方は相当と違うものになるのだ。
小高でも若い人が帰らないということは家をリホームしてもあとどのくらい住むからわからないから無駄だと思う。
自分でも風呂場は壊れたし台所は旧式で食事する場が離れているから不便なのである。
でもリホームしてもあとどれくらい生きるのかと計算するのが老人である。
実家のたたみかたとか放送していたけどどうしら終わるのかとか考える老人ばかり
帰っても街は復興しない。
街自体が老人ホームになってしまうだろう。
その老人ホームだって誰かが若い人がいなければ成り立たないのである。

若い人が帰らないということはやはり致命的になるだろう。
後がない実家のたたみかたとか墓をどうするかとかそんなことばかり考える老人と
これから子供をもって暮らそうとする若い人の考え方は根本的に違う。
特に原発事故の避難区域は放射能汚染を恐れる若い人が多い。
内部被爆で例え二〇年後であれ影響があれば怖いから住まないとなる。
ところが老人は放射能に関してはあまり気にしない、地元の野菜でも果物でも食べている、自分も食べている。二〇年後はどっちにしろ病気になりやすいのである。
ガンになったとしても放射能汚染の食物を食べても食べなくてもなりやすいのである。

今のところはこの辺は外部から人がまだ多く入っている。
この辺ではまずプレバブの宿泊所と新しいホテルが鹿島でも原町でも建った。
原町の高見町にも新しいホテルが建っていた。
それだけ外部から入る人が多いのである。
ただこれも三年後五年後とかなるとどうなるかわからない。
外部の人が去ると相当にさびれるかもしれない。
地元の若い人は流出して老人ばかり増えるとその負担も大きくなる。
つまりバスの運転手のように年配の人にそのしわよせがきて過労で事故につながる。
原発事故周辺では外部からの人で経済がかなり回っていることは確かである。
それがいなくなってゆくとき衰退している市を目の当たりにするかもしれない。

未来を描くとなると老人では無理である。老人はこの世を去ろうとしている人である。
そういう人たちの関心は苦労はしない、のんびり楽したいということしかないのである。もちろん肉体労働だってできなくなっている。
だから農業でも職人でも重労働はしたくないなとなりやはり人手不足なにるのである。
これは全国的問題でありただの辺が顕著になっている。

まず家一軒でも庭でも一人で維持管理することが苦労になる。
津波で被害があった近くの人は床上浸水でも家は残った。農協の保険では五〇〇万もらったという。ずいぶん多いなと思った。
自分も農協で一年五万払っても三〇万ほどしかもらえなかった。
実際は屋根のグシを直したので七〇万とられた。
三〇万は安かったと思うが一方で津波で被害で家は全部残っているのに五〇〇万もらったのは多いと思った。ただその被害は目に見えて違っている。
保険は一五〇〇万のにかければそれしかもらえないとなると津波で流され全壊した家でも保険料は少ないとなるだろう。でも保険はこういう時かなり助かる。
結局保険は自分は被害が少ない分被害の大きい所に金が回っていたことになる。
相互扶助が保険の役割だったのである。
こうして家にはいろいろと金がかかるから本当にある程度資産がないと維持できない。
だからかえって家はめんどうだなと先がない老人は考えるのである。
風呂だって一人で入るとかえって損だし他でも食事でも一人分だと野菜を買っても半分が早い新鮮なうち食べないから腐っていたとかなる。

ともかく少子高齢化で小高などでも確かに放射線量は低いにしても復興は困難になる。
若い人が流出しているし帰らないとなると老人だけが残される
老人は先が短いとめんどうなことに苦労することにかかわりたくないということがある。先をみこしてやるということもできなくなる。
実家のたたみかたとか故郷のたたみかたとなってしまうだろう。
墓すらすでに避難した人たちは新しい生活の場に移すということも起きているだろう。
だから津波原発事故周辺地区は復興することは困難になっているのだ。

●老人すら三〇年後には極端に減る

不思議なのは戦後の焼け野原になったとき、自分などをふくめ団塊の世代が生れた。
その時子供が雨後の竹の子のように生れた。
だから焼け野原になっても何も食べるものすらないのになぜそんなに子供を生んだのが不思議である。
今なら食べ物などいくらでもあるし便利なものもいくらでもある。
だから子供を生んでもいくらでも食べさせることはできるのである。
でも子供はどんどん減ってゆき日本は滅亡するとまでいわれる。
その原因は何なのかというとわかりにくいのだ。
あらゆるところで人手不足になり仕事も維持できなくなり限界集落で祭りも維持できなくなり跡継ぎのいない家が全国で放置される、空家が八〇〇万軒があることは異常である。だからこういう社会の変化に即応した対応が望まれているのだかそれがわからない。
特に津波原発事故周辺はその少子高齢化が極端な形で現れている。

老人が増えてこまるというけど三〇年後くらいになるとその老人すらいなくなり人口が極端に減ってくる。そうすると介護でも病院でも成り立たなくなる。
病院も今や老人ホーム化しているからである。ほとんど高齢者しかいないのである。
だからそういう高齢者もいなくなるとのきなみ病院もつぶれてゆく。
医者も過剰になり看護師不足もなくなるのである。
それがいいことであるがまた地方にとっては働く場所もなくなるということになる。
少子高齢化は三〇年後とかなると高齢者も極端に減って日本の人口がもう半分くらいになるという縮小してゆくのでしなる。
例え六千万になってもそれは一九二五年代くらいにもどるだけなのである。
それほど明治以降人口が増えたのだからその反動が出てきたのは人口動態から見れば正常だともなる。
日本人の人口はピークになったからそこからまた下がるというのは自然の理だともなる。ただ一億二千万の経済規模と六千万の経済規模が全く違ったものとなる。
その衝撃は余りにも大きいものとなるのだ。
人口が増える時は経済でも活発化するがこれだけ減るとその衰退は極端になる。
すでに駅前のシャッター通りとか町の半分がゴーストタウンになる衝撃がある。
だから小高などでも復興自体がもともとの経済状態の悪化で困難になっているのである。

●日本の人口を歴史からふりかえる

奈良期で200〜250万人。
平安期で250〜400万人ほど(期間が400年間)
鎌倉期で500万人。

室町時代〜戦国時代(安土桃山期を含む)は270年間ですが、1600年の時点で人口は約1500万人と云われています。
この270年間で水田の規模も整備されて、国土の人口扶養力が約3倍となった時期です。
江戸期も265年間続きましたが、江戸期前期が1500〜1600万人であり、新田開発で人口扶養力は幕末時点では約3,300万人です。
(正確な人口は明治政府が発表した明治5年での人口3,480万6千人があります。
明治10年で3,587万人の人口となっているので、5年間の増加を100万人として、幕末を3,300万人としました)
明治期は、5年度が3,480万6千人であり、明治45年が5,057万7千人となっています。
(45年間に1,600万人の増加です)
ちなみに、大正末期で5,973万7千人。
人口が1億を越えたのが、昭和42年(1967)の1億19万6千人です。

大正時代で六千万だったつまり今の人口が半減するとき、大正時代にもどるのであり
江戸時代にもどるわけではない、例えば現代から六千万の人口だとどんな状態だったか想像もできなくなっている。大正はすでに百年前にもなる。
六千万だとずいぶん人間も少ないからゆったりしていだろうとかなる。
空間だったそれだけ広くとれるからである。
それから信じられないの奈良時代が二百万とかなるとこれは想像を絶する世界である。
人が本当に住んでいたのかとなる。
でも不思議なのは奈良の大仏とかいろいろな大きな寺院などがありそんなふうにはまるで見えないのである。
繁華に人がいてあういう神社仏閣もありうると思うからである。
過去は常にこうした大きな錯覚を生んでいるのである。

文化というのは二百万人規模でも一億二千万の現代より豊かにありうるということもある大仏にしてもあの当時この人口の規模であれだけのものを作ったということは逆に民の負担も大きかったなと想像する。
それでも文化的に日本人は豊かだったなと万葉集などを残しているのでイメージする。
人口がこんなに少なくても文化的に残すものは大きなものがあった不思議がある。
鎌倉時代でも五〇〇万だからその少なさは意外である。
だからこそ鎌倉時代辺りまで広い牧が日本全国にあったことが当たり前だとなる。
原野が広々としてあって自由に使えていたからいたるところで馬が放牧されていたのである。

結局人口が減っても日本だったら六千万規模でも十分に豊かに文化的にも何か作り残すことができる。そのくらいの規模が狭い日本では暮らしやすいとなる。
だからそう悲観することはないのかもしれない。
文化的な面から見れは人口の減少はあまり影響しないということにもなる。
むしろ日本は明治以降人口がふえすぎたからその反動でゆりもどしがきているのだという考え方もできるのである。


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posted by 老鶯 at 15:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連