2014年08月12日

南相馬市鹿島区の街内にできる復興団地の違和感(2) (墓地があり霊園として整備する場所だった)


南相馬市鹿島区の街内にできる復興団地の違和感(2)

(墓地があり霊園として整備する場所だった)

●都市計画なき復興団地

津波や原発事故で問題になったのはどういう街作り地域作りをするかということが大きな問題としてクローズアップされた。それは津波の跡は何もなくなってしまったからではそこを何にするのだとなる。ゼロから一からはじめるのにはいい状態になる。
それでは何にすればいいのかとなるとその解答も簡単には出てこない
まだそれぞれの所有者がいて公園にするといってもなかなかできない。
津波の被害の大きい地域は一体どういう街作りを地域作りをしたらいいのかとなる。
その前に住むのをあきらめている人もあり他に移った人たちも多い
するとすでにそこは何もない原野のままになってしまうのかとなる。

墓地の前に復興団地ができたのは土地がないということで幼稚園とかがあり市の所有だったので半分は私有でも買い上げてあれだけの土地を確保して復興団地にした。
それは津波などで家を失った人が多いのだから早めに建てる必要があった。
そもそも土地が不足していて土地があれば建てればいいという考え方であり
とても街作りのプランを多方面から検討する余裕もなかったのである。

でも自分の家の墓もあそこにありあの団地が何か違和感を感じたのはそこが墓地だったからなのである。墓地があったところに団地が建ったから何か変だなと感じた。
そもそもそこは最初は鹿島御子神社の領域であり次ぎに寺が建ち神宮寺になった。
それで宝永の大きな石碑が建っている。それは仏教関係の碑であり天保の寺子屋だった記念の碑もあった。
それがいつし墓地になった。明治時代以降に墓地が拡大して墓地だけになった。
今では墓が増えて窮屈なのである。もともと狭い所であり窮屈だった。
南相馬市の原町区の実家の墓がある場所は広々として気持いい。広い一画一画を分譲したからそうなっている。だから街中にあっても広々として気持いいのである。
そこは街中の霊園として市で整備したのである。
市で計画して整備して作ったからそうなっている。

ところが鹿島区内の街内の墓地は歴史的に発展して墓地になった。一般的に田舎の墓地は江戸時代の継続である。必ず江戸時代の墓があり新しい墓が建てられている。
橋本町の霊園は全く新しく作られたものである。一部は寺だから古い墓もあったにしても全体的には新しく作られた霊園なのである。
つまり市で霊園地区として計画して広い場所を確保したのである。

●本当は霊園として整備するべきだった

今回の復興団地ができた所は墓地であり本当は霊園として整備した方がいいということがあった。ただ土地がないし津波などの異常事態でやむなく復興団地が建てられることになった。だからじっくり計画して街作りする余裕がないからやむをえないとなった。
でも今建ったのを見ると何かそぐわないなとつくづく思ってしまう。
団地ということもあるからかもしれない、相馬市の長屋風の住宅などであればさほど気にしなかったかもしれない、突然三階建ての団地が建ったことが違和感をもたらしたのである。
本当は原町のように霊園は霊園地区として整備するのがいい、原町区はたいがいそうなっていようだ。墓地は霊園地区として整備されているのが多いだろう。
そこには一つの都市計画がありそうしたのである。
鹿島区内の街内でもそこを余裕があれば霊園地区として公園化することもありえた。
ただあまり墓地を小さな街で作るのはそぐわないということもある。
墓地はもともと郊外の方が向いているということもある。
それより墓地より何かもっと現代の生活に役に立つのに予算を注ぎ込んだ方がいいということもありそこにはいろいろな意見がありそうしたことを検討するなかで新しい街作りがありうる。

今日の河北新報で神戸でも巨大開発をしても商店街を作っても客が集まらなかったとかの反省がある。そこ住んでいる人たちの要望の上に作られるのではなくただ建物だけを作ればいいという発想がありそれでそうした建物でも利用されずに終わるということもある。金をかけても活きてこないという問題があった。
鹿島区の厚寿園でも立派な建物はできても介護士などが集まらなくて他から寄せ集めてかろうじて運営していることでもわかる。
建物というハードを整備してもそれを利用するソフトと人々の要望するものと生活するものと合わないと失敗する。
確かに一回を一人暮らしの老人が住み集会所もありとそこに工夫をしたのは良かった。
でもみなん住みたくないから空き部屋になるとかいう人もいる。
やはり田舎だと土地さえあれば一軒家を建てたいという要望があるからだ。

●土地や家の愛着を賃貸住宅ではもてない

あういう団地には何かなじめないという人も田舎では多いだろう。
故郷という時家がり土地があり田畑があり墓があり先祖がありとそういう人は故郷に愛着を覚える度合いが強いだろう。
でも田舎の安い住宅とかアパートに住んでいたら何か故郷とか土地への愛着度合いは低いように思える。
これは自分の家だとか自分の土地であり田畑だという感覚ないと愛着の度合い薄れる。

郊外の農家≫土地と家の所有者≫賃貸住宅

街の外の農家を見ると屋敷林に囲まれた農家ありあいいう家は何かより土着的であり愛着があるだろう。その家が一つの我が城みたくなっているからまた街内の密集した家とも違っているのである。そこは生産とも一体化していたときがあったから余計にそうなる。
農業だけで暮らしていた時代がありその時はその家は単なる会社につとめて休養する場所とも違っていたのである。そこには別な家の重みがあったのである。

朝の蝉なきひびきつつ屋敷林残れる家や津波の後かな

津波の後に残った家を残谷とか地名が残った。屋敷林があり蝉がなきびびいていた。
ああ、この家はつぐつぐ津波にも残ったのだなと感慨深かった。
つまり屋敷林があると相当に蝉が集まり鳴くのである。
屋敷林自体が一つの自然を作り出しているのである。
こういう家に住んでいる人と街中の狭い地域に住んでいる人と賃貸住宅とかに住んでいる人の感覚は相当違っている。だからあういう復興団地には入りたくないという人も多いだろう。もともと津波で家を流されたような人たちは広い宅地に住んでいた人が多いからである。
もともと市営の住宅に住んでいるような人だったらかえってそういう団地に住みたいともなる。そこにはもともと狭い場所に住んでいたから違和感がないとういこともある。

いづれにしろ市営の住宅や賃貸アパートなどに住んでいる人は一つの家に住んだことがないのだからそもそもがそういう一つの家に住むことがどういうことかわからないのであるだから近くの人が俺は若い時苦労して土地を買い庭を造りこの家を建てたから移りたくないという気持がわからないのである。
家を借りてばかり住んでいる人は家への愛着が理解できないのである。
自分の家のことも語ったが家には必ずそれぞれの歴史がある。
市営の住宅に住んでいる人はまず家に対する愛着がない、ただ一時いるというだけだから一つの家に住むということを知らないである。
だから仮設とにたような状況にあり仮に住んでいるだけだとなる。
いつでも他に移っても変わりないという感覚なのである。
posted by 老鶯 at 17:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連