2014年08月09日

猫は人間で管理するほか生きられない (野良猫は害になるからかわいそうだけでは解決しない)


猫は人間で管理するほか生きられない


(野良猫は害になるからかわいそうだけでは解決しない)




猫の外飼い(放し飼い、出入り自由)は間違いなく身勝手なペット虐待行為
完全室内飼いの猫の平均寿命が15年超えているのと比較して、野良猫は3〜5年
出入り自由の飼い猫ですら12〜3年程度と完全室内飼い猫より有意に短命となる

日本における飼い猫の屋外および屋外原因での死の最大の理由は交通事故
大雑把な推定で年間数十万頭あるいはそれ以上、保健所での殺処分より遥かに多い
次いで野良猫を中心とする他個体との接触・喧嘩による致死性伝染病の感染・蔓延
この2つが双璧で、完全室内飼いを徹底できていれば確実に避けられる落命の仕方
さらに(これは野良猫特有だが)夏〜秋生まれの子猫を中心とした冬季の凍死・衰弱死
餌獲得競争に敗れ狩りも下手な弱い個体や老猫の餓死・衰弱死、烏やアライグマや
イタチ科動物を中心とした天敵による捕食が寿命を引き下げる

また各種猫害(糞尿・発情や喧嘩の鳴き声・住居侵入・動植物を殺され荒らされる等)の
被害者による合法的駆除・殺処分や、果ては異常者による虐待・殺戮に至るまで
猫があらゆる形で非業の最期を遂げる危険性を徒に激増させるのが外飼いという行為




猫をたまたま飼ったから猫も世界的な問題になっていることがわかった。猫を飼わなかったら猫のことについても無関心だった。猫の一番の問題は野良猫が多いことである。
それがわかったのは猫を飼って餌をやっていたら野良猫が必ずよってくる。
オスだとメスがよってくる。観察のために見逃していたら家の中まで入ってきて荒している。
野良猫は餌がないのだから餌をとるために必死なのである。そろそろと自分の顔をうかがい警戒して餌を食べる。でもゆっくりは食べていられない、いつも追われているから常に逃げる用意をして食べている。ゆっくり食事もできないのもあわれである。
たまたま飼った猫は未だに腹がへると狼のように襲いかかるように獰猛になる。
それはペットととは全然違った野生の姿である。
ただこの猫は飼われていた猫なので人間に近寄ってきたのである。

猫の問題は野良猫が多すぎることなのだ。猫は自由に家を出入りしているのも違っている自分の猫は夜はいないし家にいる時間は短い、家にいる時は寝ている時か餌をねだるときである。あとは外に出ているの猫なのである。だから外で喧嘩して傷つけられたりした。そして問題なのは最近メスの猫がきて余った餌を食べにくることである。
そのメスとは外ではいつもつきまとっている。自分が与える餌を奪い合いするというのではなく結構食べさせているのも不思議である。
メスであり共同意識があるのかもしれないので分けてやるということもあるのかもしれない。

ただ今日はせっかく遠くから買ってきた大きな食パンをただまわりを食いあらされて一斤が食べられなくなった。これには頭に来た。その猫は食べるために必死だからパンまで食べた。家にいる猫はパンなど食べない、猫はパンを食べないが腹をふかせば何でも食べるということがある。だから猫はそうして餌をやっていたりすると家の中に入り荒すようになる。
ここで自分の人間側の問題として猫を飼うでもない飼わないでもないというあいまいな状態においたことである。これは他でも問題になっている。野良猫に餌をやって野良猫が増えて近所に迷惑をかける。野良猫はどうしても餌をやる人がいるから生きている。
それでも野良猫は生きるのは厳しすぎる。野生でもないから餌がないのだから家の中に入ってでも餌を得ようとする。猫も生きるために必死だからそうなる。飼い猫は他人の家を荒したりはしない。

つまり猫は犬のように登録制になっていないことが問題なのだ。昔は野良犬が普通にいた今でもアジアでは野良犬はいっぱいいる。それは危険でもある。
野良猫も実際はいろいろと危険らしい。生態系的にも野良猫に殺される小動物が膨大になっているという。猫は狩りをするからスズメなどをとってくる。食べなくても本能でしている。そして他にも猫は外で何をしているのかわかりにくいが何かを虫なども食べているらしい。それが生態系にも影響しているという。それだけ猫は世界的にも多いのである。
猫は未だに飼い猫と野良猫がいて生きている。野良猫化しても生きていることが違っている。ねその数も相当多いのだ。近くで三匹の子猫を空家で隠れて育てているのを見た。
猫は繁殖力も旺盛なのだろう。ただ野良猫は生きてゆくのが本当に厳しい。
だから早死にするというのがわかる。だいいち飼っている猫でも腹がへると鳴いてうるさい、それも一日三回くらいなきつく、猫は胃腸が小さく何度も餌を食べるという、そしたらこの猫は野良猫の時どうして餌を取っていたのだろうとなる。
飼われてもそれだけ餌をとるために鳴きつくからどうしていたのだろうとなる。
腹がすくと動物は獰猛になり何でもするようになり害を与えることも平気でする。
猫側から見れば生きるために必死でそしているだけなのである。
でも人間側からすれば家の中が荒され貴重な食べ物が食われたりすると頭にくる
今回はそうだったし前にもあった。人間は被害にあってみないと関心がないのである。

それで猿やイノシシに荒される畑を作っている農民などの気持もわかる。せっかく苦労して作ったものが猿やイノシシや鹿に荒されたとき怒りとなるのは当然である。
でも人間は動物でも常にかわいそうだから殺したりするなよとかなる。
ところが被害にあった人たちはそういう感情がわかず怒りとなり殺したいとなる。
人間は自分が被害にあわないかぎり何でも傍観しているだけであり無責任なのである。
こういうことはすでに古代から起きていたのである。
動物を家畜化したときは人間と動物の共存を計った。その歴史も古いのである。
人間と動物がどうして共存してゆくかは古代からすでにあった。
だから野良猫でもみんな殺処分してしまいということもなかなかできない。
やはり猫でもそこは人間と通じるものとして動物をみるからである。
だからかわいそうだという感情がわく、ただそのかわいそうだということが無責任さも生んでいるのだ。

結局猫を責任をもって飼うのか、それともあいまいにして野良猫に餌をやったりして地域に迷惑をかけるのかとなり地域で猫を見守るという方法もとっている所がある。
猫は登録制ではないし野良猫の数は多すぎることが問題なのである。
何らか人間で管理する他ないのが猫なのである。それができていないから問題になる。
猫側にしても野良猫として生きることは厳しすぎるから三年くらいで死ぬとかなる。
そういうふうに生きることを強いられるのも厳しいとなる。
飼い猫と野良猫の差が大きすぎる。それは人間社会の格差とは比べようがない。
野良猫は毎日今日餌にありつくかつかないかと必死である。
飼い猫は一日のんびりと寝て腹がへったら餌が与えられるからその差が大きすぎるのである。

自分の猫は外にいる時間が長い,だから喧嘩してかなりの傷を負った。田舎だから交通事故にはあいにくいかもしれないが交通事故でも猫は相当死んでいる。それで猫を山に埋めてやったというばあちゃんがいた。ただ猫は一匹だと何か淋しいとなるかもしれない。
メスを求めることもありそのメスは外で会うことになるからだ。
家にばかりいたらそうした猫の仲間での暮らしがなくなる。猫はあまり群れないにしても何か外では仲間がいてメスがいてそれが猫らしく生きるとなる。
ともかくもともと動物と人間のかかわりはいろいろむずかしいものがあった。
だからインドでは動物を神のごとくして大事にした。それがヒンズー教となり仏教にも発展した。インドでは今でも牛が街中を歩いていたり猿を大事にしたり生き物を動物を大事にしているのだ。牛を食べたりもしないのである。
何でも食べる中国とはまた違った文化をもっていた国なのである。
だから動物と人間のかかわりはそれだけ古い歴史があり簡単には処理できないものなのである。つまり動物でもそれを人間のようにみるからそうなるのである。

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この家は広くていいな、のんびりできるな、餌もねだればもらえるしな
この家は俺様の家ということなんだよ
餌の心配はないことが一番だよ
野良になったときは生きた心地しなかったからな・・・・・・

背中の傷はかなりの傷だった、他にも頭にも傷があった。
外での生活はやはり危険がともなっている
でも家の中にばかりいると猫もつまらないだろう。
外が歩く時生き生きしてくのも猫なんだよ

 
posted by 老鶯 at 14:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層