2014年08月07日

夏の雲、ダリヤ、菊(原町の牛越城へ)



夏の雲、ダリヤ、菊(原町の牛越城へ)

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暗雲に遠稲妻や牛越城
湧き騰がる夏雲に映ゆ牛越城
ひぐらしのここにひびけり牛越城

日に映えてダリヤの色や揚羽かな
夕月や五色に列なす菊畑

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牛越城は相馬氏が小高から移った城だけど何か短い間でも風雲の城だった。
ここで何かかなりのいざこざや内部の争いがあった。
なぜ相馬氏が中村城に移ったのかかとりざたされるけど村上城にしろ
それは小高い丘であり中世の館(たち)山城の感覚であり中村城になり
平城になり江戸時代に入ったのである。
館(たち、たて)が38もあったしこれは全国でいかに館が多かったかも物語っている。
中世の館(たち)が支配の拠点でありそれが統一されて藩が生れ江戸時代になったのである牛越城はイオンに行く時いつも見ている、見えるのである。
ただ一回もあそこに上ったことがないのである。
何か木が密生していて上りにくい感じがするからだろう。
今度は上ってみる必要がある。

現代は写真の時代である。揚羽とか動いているものをとるのはむずかしい。
揚羽がダリヤの上を飛んでいるのをとりたかったができなかった。
写真は絵であり絵に加工するとまた違って見える。

今日は午後からは涼しかった、涼しいと楽である。自転車は暑いとまともに日をあずるから辛くなる。日に焼けるのも困るのである。皮膚が弱いから自分の場合はあまり暑いと遠出したくない。
今日は自転車でも楽だった。
そろそろお盆であり墓参りとかの用意がある。
おりしも月がでて菊畑があったから秋の気配もでてきているのである。

タグ:ダリヤ

厚寿苑でのショートスティ終わる (人間は最後まで自分の意志を伝えることが大事) 厚寿苑でのショートスティ終わる (人間は最後まで自分の意志を伝えることが大事)


厚寿苑でのショートスティ終わる

(人間は最後まで自分の意志を伝えることが大事)


昨日同室のおばあちゃんは明らかに認知症である。今日は自分の母親が99歳だといって百才になると言ったら一千万もらえるよとか言っていた。一万しかもらえないというとそんなことないよ一千万もらえるよ、今はもらえるんだよと言っていたからこの辺は理解していない。
ただ今日もはたかれたと何度も言っていた。大学もでているのにそんなことするかなどとも言っていた。近づくなと言ってもよってくるんだよとか言っていた。
来たくないんだけど一人でいるのもよくないから家族に行ってみなと言うから来るんだよとも言っていた。たいがい施設でもショートスティでも行きたくない帰りたいとみんな言っている。
おそらくその原因が気兼ねすることであり他人だからありがとうとかここで言う人が多いからかもしれない、世話になることが気がひけるのである。
それでも食事ができない、食べられない人に無理やり食べさせている。
「せっかく作ってくれた人がいるんだから食べてね」
こういうふうに言う世話する方の心理はわかる。自分も世話しているからその気持が理解できる。世話する方になるといろいろ大変になるからである。
ただ無理して食べさせられる方は苦しいと思う。
自分の母親も人の言うことを聞かねばならないと思う人だから無理して食べろとか飲めとか言われて吐いてしまったことでもわかる。

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自分の99歳の母親がここまで書いていたのかと驚いた。ほとんど耳が聞こえないし書くこともできないと思っていた。自分の意志を伝えることができないと思っていたからだ。
99歳でもここまで自分で書けることは自分の意志を伝えたことなのだ。
ただこのノートに書いたのを介護する人は見ていない、これも問題なのである。
いくら伝えようとしても介護する方で見ていなかったらその意志をも伝えられないのである。

はたかれたというおばあちゃんは本当はどうなのかわからない、男の人に連れられてニコニコして食堂に来ていたからだ。それから女の人にもはたかれたと今日は言っていた。
だからこのおばあちゃんのことを本当だと思う人はいないだろう。
これは全く無視されるだろう。
つまりもう認知症になると自分の意志が伝えられなくなることが最大の弱者となる。
財産をもっていてもわからないから勝手に処理される。
その他でも嫌なことでももうその人の意志とは関係なく処理されるのである。

だから人間とはつくづく何か伝えることがいかに大事かわかる。それは個人的なことでも何かを伝えることは生きることなのである。その伝えることができなくなる時、人は死ぬもう人間として生きることはできなくなる。だから病院でも施設でもロボットのようにされて人間扱いされず処理される。病院とか施設は大きな権力をもっているから正常でも一個人の意志を無視できる。医療ミスでもいくらでも隠蔽できる権力をもっている。
だから正常でも個々人で意志を伝えることはむずかしいのだからもう認知症のようになったらその人のことなど全く無視して勝手にされるのである。そしてもはや何されようが抵抗できないのである。

こういうことは歴史上だって常にあった。最近ずっと相馬藩でなぜ慶長の津波で700人溺死としか記録されなかったかということである。もしその時津波の被害にあった人が生き残り文字を書くことと伝えることができれば後の世に貴重な記録を残したことになった。でもその時自らのことを書き記し残すことができない、庶民にはそれだけの記録を残す力がなかった。文字を書くこともできない,何に残すかと言っても残せない、相馬藩政記には戦争のことや跡継ぎ問題などは詳しく書きし記されて残っても庶民のそうした災害の記録は残らなかった。それが後の災いになったのである。

書くということは一つの力をもつことであった。伝えるということもそうである。
人間は書くことができても伝えることはできない、伝えることは権力をもたないとできない、今までは伝えることはマスメデアを通じてしかできないとなるとマスメデアが力をもったのである。出版もそうである。
だからこそ原発事故などでも内部の真実は伝えられなかった。伝える力をもつことができなかったことが事故につながったのである。
何かを知らせる伝えるにしても権力がないとできないのである。
記者クラブがあってそこからしか情報が得られない、すると記者クラブに入れないものは情報すら得られないから伝えようがない、すると記者クラブは馴れ合いとなり金も宣伝費でもらえたりして真実は伝えられなくなるのである。
だから2ちゃんねるとかユーチューブとかプログとかでも庶民が伝える力をある程度もったことはやはり大きな進歩である。
大きな権力しかもてないものしか伝えられないとしたら原発事故のようなものがまた起きる。

厚寿苑ではたかれたとかはたかれないとかはわからない、でもそういう場所で認知症であれ老人であれ弱者になると書き記してもみてもらえい、伝えようとしても伝えられないということが起きてくる。
最近のニュースで精神病院に隔離されて20代の時から40年をいたという人がいたのには驚いた。まるで岩窟王だった。精神病院が一生だったという悲劇である。
そういうことも弱者になると普通に起きてくるのだ。
それは認知症の人でも老人になるとそうなりやすいのである。
弱者化するから嫌なことで従い何も言うことができなくなる。
それは家族内でもありうるし施設などではさらにありえる。
インターネットはそうして権力がないものが訴える伝える力を持ったことは言える。
それは民主主義には不可欠なものとして生れたともいえる。
ただまだ成熟したものとならないから問題が多い。
でもかなり普及したからそれなりに個人から発信したものでも影響する場合もでてきているのである。