2014年07月29日

野馬追いー俳句十句 (野馬追いの感想ー祭りには日本人の血が騒ぐ)


野馬追いー俳句十句

(野馬追いの感想ー祭りには日本人の血が騒ぐ)

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若衆の家紋鮮やか陣羽織
夏菊や馬上凛々しく女武者
草原に藪萱草や馬の行く
旗指し物二頭そろいて風を切る
大将や真夏日さして赤き母衣(ほろ)
馬馳せる兵(つわもの)どもが草いきれ
夏草や人馬奮闘相馬武士
鬼百合や兜の角に引き締まる
ノウゼンや男祭りに燃えるかな
ノウゼンや後続の絶えぬ旗の列

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この句になった写真や絵を出したからどれかにあてはまる。

野馬追いではやはり伝統を意識する。今は侍など別に特別なものとして扱われないし侍の家の出がどうのこうのも話題にならない。ただ野馬追いの時は話題になる。
家紋つきの陣羽織を若い者が着れば家を意識する。野馬追いは何らかで家を意識する。
旗指物でも侍だった家に受け継がれたものだからである。
だからどこの家に野馬追いの旗がたち行列に参加していまか気になる。
今回は北海老に旗がたったのを見た。その旗をたどってゆくと鹿島区の行列に参加して
予備演習の神旗争奪戦にもでていた。それが今度は雲雀が原の神旗争奪戦にも出ていたのである。あそこでは屋形とか海老の人が集まり訓練していたみたいだ。

今回は写真でも田んぼではない草原をバックにしてとれた。そもそも野馬追いは雲雀が原の十倍の広さで放牧した野馬を追う行事なのだから草原にあっていたのである。
草原を疾走する野馬がいたのである。今はそうした放牧された馬となる北海道の競走馬を育てる所くらいしかないだろう。北海道には草原があるからそれが見れる。
馬が活躍するのはモンゴルのような草原であった。
ただ不思議なのはなぜ中世にはこうした牧が日本でも全国的にあったのかということである。その後、そうした牧の原は田畑に変えられたからである。中世の農家、鎌倉時代ではそうして広い牧に馬を飼っていたのである。それは農耕馬ではない、戦闘用の馬なのである。日本全国にそうした広い原で馬が飼われていた。
それが江戸時代になりほとんど田畑化してなくなった。
おそらく人口が増えてゆくと田畑の方が必要になり戦闘用の馬はいらなくなったのだろう人間は戦争ばかりしていないからである。

戦闘用の馬は農耕馬になっていった。農家には必ず馬を飼っていて農耕馬としてあった。戦闘用の馬は江戸時代は平和な時代から必要ないのである。
ただ相馬野馬追いは中世からの野馬追いの儀式が継続されていたのである。
それは今盛んに戦国絵巻の再現だとか出陣の法螺貝だとか言ってまるで戦争ふるような感覚になるが実際は違っていた。
法螺貝だって馬を追うために鳴らしていたかのかもしれない、野馬追い行列は戦争に出陣する儀式のようになっている。
それは結局観光化した結果、戦国絵巻ということを宣伝して人集めする羅うになったからである。
野馬追いは江戸時代でも神事であり地味なところもあった。
だから一般の人は柵の間からこっそりと見せられていたのである。
そもそも江戸時代は300年戦争がない平和な時代なのだからそんなに対外的に軍隊を見せる必要がないのだ。伊達氏と戦うわけでもない、だから出陣式とも違うのである。
示威行進とも違っていた。戦国時代なら示威行進があった。それも終わったらそんな示威行進をする必要もないのである。

いづれにしろ勇壮な戦国絵巻だというのは明治以降に作られた見せ物と化した結果、ドラマのように見せるようになったのである。
歴史の真実は本当にわからない、ドラマや小説を歴史の真実だと思うようになったのは現代である。映画化すると映画が歴史の事実だと思って見ている。
虚飾が虚構でも歴史の真実はわかりにくいから事実だと思ってしまうのである。
坂本竜馬が有名になったのは司馬遼太郎の小説だったのである。それも真実はわからないのである。

野馬追いに参加したのは城勤めの人が中心であり郷士などは自由に雲雀が原に集まってきたという。中心は殿様がいる中村城下の侍が中心だった。そのことも変わったことである今は中村城下から街から野馬追いに出る人はほとんどいない、城勤めの侍は明治時代になるといなくなったからである。その代わりに農家の郷士だった人たちが主役になっていった。その変化も大きい、なぜなら中心となるべきものがいなくなり周辺に残った郷士の祭りになったということである。
今では殿様自体が地元に住んでいないし野馬追いの時だけ呼んでくるのである。
野馬追い祭りがあるからまだ殿様として残されているともなる。
他はほとんど殿様は消えたからである。

いづれにしろ祭りは何でもそうだが男が燃えるということがある。祭りに命をかけるということも実際に他で起きている。それだけ熱くするものがあるのが日本の祭りなのである野馬追いに出る人は限られていてもなぜ金をかけても出るのかとなると理屈ではない、侍の血が騒ぐとかなる。普通はそんなことを感じなくても祭りには感じるとなる。
祭りの時にだけ感じる特別な感情があるということである。

ただ時代が変わったのでそれも消失してゆくことがある。例えば中村神社の神輿を担いで本陣山に上るのは祭りのハイライトでるある。でもその神輿をかつぐのは氏子でもはないどこかの会社か工場の人たちだったのである。会社の人に頼まない限り神輿をすらかつげないのである。なぜならあれをかついで上るのはそれなりの体力のある若い人が必要になるからであ。そういう人が氏子として集められなくなっているからである。
だから過疎化で祭りが絶えるという時、祭りは若者が受け継ぐものでありその若者がいなくなれば絶えるということになるからだ。
現代はそれだけ地域のつながりも希薄化しているからそうなる。

野馬追いの祭りは真夏にふさわしいのだろう。祭りというとやはり夏なのだろう。
あの大将の赤い母衣が日がさして一段と赤くなっていたのである。
あの母衣は戦闘の時は中心にあり目立つ必要があった。だから赤がふさわしかった。
ただ紫のもある。大将の目印としては赤が目立つから赤にした。
真夏の光にひるがえる旗や映える兜がにあう。今夏は夏の雲入道雲は出なかった。
いつでも入道雲が出る頃に野馬追い祭りがある。梅雨明けを宣言する祭りでもある。
野馬追いは何か写真でも絵になりやすい。生きている絵巻物だとは言える。


 
posted by 老鶯 at 13:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

野馬追いの写真の絵画化


野馬追いの写真の絵画化

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posted by 老鶯 at 10:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)