2014年07月27日

雲雀が原に集結した相馬野馬追いの戦国絵巻? (相馬野馬追いのいろいろな話)


雲雀が原に集結した相馬野馬追いの戦国絵巻?

(相馬野馬追いのいろいろな話)

ノウゼンや祭り男の燃えるかな

本陣をめがけて風に伝来の旗をなびかせ駆け上るかも
りりしくも本陣めがけ駆けのぼる兜の映えて旗印かな

nagatryanaaa123.jpg


shirasagiiii123.jpg
白鷺が先導しているようで格好いい
kashimahataaa1.jpg
これは鹿島(北郷)だけどこれも白鷺なんだろう(同系統なのか)

ggggggggg123.jpg

北郷勢の行列

shikaku2345.jpg
北海老の旗

kitagooozeiii123.jpg

□の旗に注意

kitaebihata123.jpg


hatttt234.jpg

inazima1111.jpg

同系統の旗

inoshisho345.jpg

イノシシを先頭にした行列

mocoshiii123.jpg
中村神社の神輿が本陣を目指し登る

tonosamaaa12333.jpg

tonosamaaa12355.jpg

hanareunaaa123.jpg

放れ馬 が疾走する

keibaaaa11.jpg

hatatoriiii123.jpg

banaziiii123.jpg

クリック拡大するとはっきり見えます


最初浪江の大堀で相馬焼を露天で売っていた人がいた。その人に聞いたら白河で相馬焼をの窯をはじめているという。三軒ではじめたという。もう帰れないと言っていたから
その三軒は白河でこれから生活するようになる。浪江の大堀辺りは放射線量が高いから
帰らないと決めたし他の人も帰らないとなると浪江の大堀の相馬焼は消える。
あそこは高瀬川渓谷もあり景勝の地だったから残念である。
それでも相馬流山の民謡の踊りをしたのは今年は標葉(しねは)郷の婦人部であり浪江の人たちだった。浪江の人は避難してばらばらになっているのだけど何か一つになり練習して晴れの舞台で勢ぞろいして踊りを疲労した。相馬流山は軍歌である。

弟が甲冑競馬に出てきるという人が今年は危ない落馬するかもしれないと言って見守っていた。というのは馬を借りて今回は出場したからだという。
馬というのはやはり人馬一体となるまではなれるのには相当時間かかる。
馬は生き物でありその生き物と通じ合うにはやはり人間と同じように合わせる必要が出てくるから時間がかかるのである。馬は家臣と同じなのである。

今日出会った人で一番興味深かったのが旗をたてて走る甲冑競馬は旗が風で走りにくいだろうと言ったらそうではないかえって走りやすいのだという。
ええ、そうなのと不思議だったが理由を聞くと風を受けて人間も浮くようになるので馬は軽くなり走れるという。馬にとっては風で騎馬武者も浮き上がるので走るのに楽だというその人は若い時甲冑競馬に出ていたから経験で知っていたのである。
それは自転車でも追い風になると早く軽く走れる。また板をもっていたとき風であおられた経験がある。その時浮き上がるほどの風は力を持つ、それは船の帆の働きとにているのだ。ただみんな走りにくいと見ているだろう。
こういうことも馬のことが良くわからなくなっているからなのだ。
馬に乗るということをもう経験している人はまれだからそうなる。
今回も落馬した人が三人ほどいた。
救急車も三回くらい出動した。馬は結構危険であり乗る人も近寄る人も危険である。
馬はかなり野馬追いでは興奮している。だから放れ馬になり乗り手がいない馬が疾走していた。

今回は帰りに南相馬市博物館によったが北海道の伊達市で見つかった屏風図は興味深い。あれだけのものが今頃発見されたというのも不思議である。伊達市は亘理から北海道に移住したので伊達市になった。その伊達市から野馬追いの屏風絵が発見されるというのも不思議である。北海道に武士の末裔は多く移住した。伊達市はそれだけ一団となって移住したから伊達市になった。もともと相馬藩と伊達藩は争ったといっても戦国時代が終わるとかえって親交が深くなった。地理的にも隣り合っているのだから不思議ではない。
この屏風絵などが残っているのは江戸時代中期に描かれたとありその頃から野馬追いは知られていて伊達藩の人が通って描いたのである。

ボランティアで説明する人がいて野馬追いは軍事訓練とか戦いのためにあるのではなく、野馬をまさに追う神事だったという。それが今回の屏風絵でわかり説明していた。
野馬を追うために戦陣のように陣容をたてて放牧した馬を追いこんでいる。
その馬を転がして焼き印を押して神社に奉納するのである。
それを見ている人がいるが柵の隙間からであり神事だから全部を見せなかったという説明があった。


ただし日本には去勢技術は渡来しなかったため、自然増殖のままではオスウマが増加しすぎ、発情期のオス同士の
闘争が激化して群れが不安定となる。こうした牧の管理上の便宜より、野馬追いで若いオスを
捕獲し、これを軍馬に充てるというシステムが採用されていた(福田 1995:119-120)。
http://ir.kagoshima-u.ac.jp/bitstream/10232/13038/1/AN00041730_v59_p15-28.pdf

つまり野馬追いは神事であり今のように見せ物として行われていたものではないのだ。
だから旗を見せるなどということもない、戦争の訓練というものでもない、放牧した馬を追い込み焼き印を押して神に献げるのが目的だったのである。
なんか戦国時代の絵巻物として盛んに相馬武士の勇壮な姿を宣伝するがそれも違っていたそれは見せ物となったときそういうふうに特別誇張して宣伝されるようになったのである自分も戦国時代があり戦争のための訓練として野馬追いがあると思ったのである。


京都市登録無形民俗文化財にも登録されている賀茂競馬(かもくらべうま)は、天下泰平と五穀豊穣(ほうじょう)を祈願する行事。平安時代、宮中武徳殿で5月5日の節会に催されていたものが起源で、その様子は『徒然草』などにも記されている。
 現在では左方右方に分かれた2頭ずつで6番の競馬が行われ、2頭の馬が古式に則り、境内の馬場で速さを競い合う。左方の勝ち数が多い年は豊作とされている。


くらべうまであるというときもこれは馬に乗るにしても流派がありその流派の披露だったという説を言っている。2頭の馬が古式にのっとりとはそういうふうな乗馬の姿を披露していたのかもしれない。
ともかく歴史には本当に誤解が多い。そんなに戦争ばかりなかったけど面白いから戦争に注目する。人間はそんなに殺し合うことなどしたくない。でも歴史でも何でも自分に火の粉がふりかからない限り殺し合いでも面白いとなるのが人間である。
他人の不孝がテレビでドラマのように見ているのもそのためである。
相馬野馬追いとなると戦国絵巻の再現だとしきりに地元でも宣伝しているがそれは現代になると観光化してドラルのように見せるからそうなるのである。
実際は伊達と相馬は大規模な戦争はしていないのである。
自分自身にしても戦国時代の軍事訓練だとばかり洗脳されてきた。
伊達と戦うためだと詩にもしたがそれもそうした現代になりかえって誇張されたものが真実だと思うようになっているからなのだ。

ただ放牧された馬を戦陣を組んで追うこと自体が戦争の訓練にも通じていたのである。
モンゴルなどは別に戦争しなくても遊牧民でありその生活そのものが戦争になっても別に訓練しなくてもそのまま移動すれば戦争することができたのである。
遊牧民は馬でも羊でもそうした動物を集団でかいならし移動させる。それは何かその生活自体が戦争の準備だという側面があり戦争に強い集団が自ずと形成されていたのである。
野馬追いで気になるのはやはり旗印である。今回はどういうわけか鯰の旗印が気になったどうして鯰の旗印があるのだろうとなる。野馬追いには旗印が本当に謎になるのだ。
なぜあんなにいろいろな旗印があるのだろうかとなる。
その解明はほとんど不可能である。由来がわかる旗印自体が極めてまれなのである。


鯰の旗印は二つあり帰り馬で見たがデジカメの電池が切れてとれなかった。
どこの村の旗印なのかわからない、どうして鯰になったのかも不思議だとなる。
いづれにしろやはり野馬追いで雲雀が原に人が集まると地元の人も集まりそこで情報が集まる。あれが弟だとか自分も前は甲冑競馬にでていたとか生々しい話しが直接聞けたりする。そこに祭りの意義がある。なぜ祭りに魅了されるのか?
祭りに血が湧くのが日本人である。祭りには何か歴史でも文化でも何かを血肉化したものがあり理屈ではなくて日本人の血が沸かせるものがある。それでフランス人が日本の祭りを見て歩いたというのは正解だった。祭りに日本人の何かが結実しているのである。
だから祭りで死ぬ人がいてもでる。金がかかってもでる。今日も落馬した人を三人見た。野馬追いも一面危険なのである。救急車が三回くらい出動した。


それでも祭りには何かそういう理屈とか危険を越えても参加したいものが働くのである。
見る方にしても祭りは血が踊るということがある。見るだけでなくプログでも伝えようとして見るのはただ見ているのとは違う。伝えようとする時、明らかに祭りに参加しているのである。野馬追いは写真好きな人が相当来ていた。雲雀が原内に入れる許可を個人でとっていたひと150人とかいたし報道陣をあわせると300人以上いる
この許可証は5月ころにとるものでなかなかとれないという。
それだけ写真をとるのに熱心な人がいるのが野馬追いなのである。

posted by 老鶯 at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)