2014年07月20日

ラベンダーの香りは一番神秘的(詩) (田舎はその地形や自然の多様性があって田舎)



ラベンダーの香りは一番神秘的(詩)

(田舎はその地形や自然の多様性があって田舎)

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ひぐらしや屋形の方にひびくかな

ラベンダーの香りのよしもこの道に夕べ我がまた来たりて去りぬ

 この香りは、殺菌、消炎、
 鎮静効果のある「酢酸リナリル」
 などを含んでいる。
 線香の香りつけにも使われる。

花言葉は「繊細、優美」

ここの三行詩は面白い、短歌にするとめんどうになるけど
簡単に日常の口語で気楽に書くのも現代的である。
インターネットの面白さは簡単に何でも発表できることである
詩は簡単に出せないし読まれないからそうした才能も埋もれていたのである
まず賞でもとらないかぎり誰も注目しないからである。
ここでもラベンダーは夕暮れを詩にしている
詩でも何か一つくらいはいい詩が書いているのも不思議である。
そういう詩は今までは見つけられなかったのである。
ここには女性的な感性があり岩の詩がありこれも一つの女性側からの見方だった


ラベンダーの香り

ラベンダーのその薄紫色
それは夏の夕暮れの色
そのほのかな匂いは
そこはかとなく流れる
ここを知りそれゆえにまた来る
田舎にとりだてて見るものはいない
その花は道の辺の畑に植えられた花
かぼちゃの花にラベンダーの花
それも田舎では調和している
ラベンダーは夕暮れの色
ラベンダーは憂愁の貴婦人の花や
何かひかえめに奥にすまい
古い調度品のようにある



鎮静効果のある「酢酸リナリル」などを含んでいる。

ラベンダーの香りは一番花では不思議である。香りのある花だったら確かに他にも沈丁花とかある。でもこの花の香りは何か神秘的である。その薄紫の色にもにあい夕暮れにあう花である。花はたいがい見て楽しむものである。香りで印象に残るのはまれである。
薔薇にはいろいろな香りがあるから香水がヨーロッバでは発達した。
ただ花の世界も今はグローバルになったから全部を知ることはできない。
鎮静効果があるというのは本当である。香りが体や心にも影響する
香りに日本人は鈍感である。ラベンダーは何かの病に使えるとかいことである。

確かにラベンダーは富良野とか美瑛で有名である。一面に咲いているから観光客がおしよせる。でもラベンダーは別にどこにでもあり楽しむことができるものである。
詩とか芸術は遠くに行けばあるというものではない、近くに田舎だったらどこにでもあるただ結局その人が発見していないだけなのである。
相馬藩内だけでもいかに地形が複雑であり多様な自然があったかを今ふりかえる。
海から山へと複雑な地形の中に暮らしがあった。
だからこうした多様な中で生きることは実際はあきることがない
田舎などつまらない、東京がいいとか言うのがわからない。
もちろん田舎の悪い点をあげればきりがないしそうした田園風景があっても姑息な人間関係で苦しんでいるのが田舎である。

ただ限界集落のことが問題になっているけど現代だとそうした集落を維持するにはイフンラでも街の中心部より180倍ものコストがかかるとかそういうために限界集落はいらないとなったのである。別に自給自足している昔の村だったらそんなことは言われないのである。そしてそうした多様な自然の中に溶け込んで暮らしていた村がなくなるとき、また多様な人間の営みも消える。
その時コンパクトシティだとか言っても一様に画一化した都会の生活になるだろう。
そうなると田舎の個性は失われる。
インターネットでは田舎からの発信が容易になった。だから郷土史関係が面白い。
そこには発見されない田舎の多様な暮らしが語れるようになった。
インターネットで田舎の魅力が再発見される時代にもなっているのだ。

ただどうしても田舎が田畑がなくなりソーラバネルとか風力発電とか会社や工場だけになったらそこが田舎なのかという疑問がでてくる。そういうものが必要でも基本的にはそのべースとなるものは田畑であり自然と密接に関係している生活があって田舎なのである。
ともかく田舎を近くでも語ればきりがなくなる。そういうことをプログで発信してきた。インターネットでいいのは「ラベンダー」というキーワードからその世界が広がってゆくことである。普通だったら富良野とか美瑛で終わっている。
でもラベンダーの世界は別にそこだけにあるのではないのだ。
屋形の方にひぐらしがかなり多くなきはじめた。屋形の辺りは丘があり森がありそれが街からも近い、それで北海老のニコニコ堂という納屋を改造した喫茶店は不思議だと感じた。隠された秘密の喫茶店のようになっていたのである。

相馬でも原町市とか鹿島と相馬市でもそれぞれ違った個性があり飯館村だと山の村になり一つの別な世界になっていた。丸森もまた阿武隈川があるから違った自然の中に個性があった。その住む場所が個性を作りだしていたのである。
だから栃窪に住む人、屋形に住む人、街内に住む人と鹿島区内ですら何か違った感覚をもつようになる。だから田舎はどこでも多様になる。都会だったら一様化画一化するのは
ただビルだけで土地の個性がないからである。
だから都会はかえってつまらない、なぜなら自然の中に美の鑑賞を深め思想を深めてゆくのが人間だからである。
東京では毎日ビルをながめて暮らすほかない、毎日がビジネスだとなる。
だからなぜ東京にあれだけ人が集中するのかわからない、仙台とか地方都市ならわかる。そこにはまだ自然はある。東京からまず文化など生れない、そのベースとなる自然がないからだ。もちろん文化など関係ないという人もあるからそうなっているのだろう。

だからこれもしかられるのだが津波の跡でも原発事故で原野化してもそこが自然でありやはり自然だから美がある。草原化した風景も気持いいなと正直思ってしまったのである。草原はモンゴルの風景であり燕とか夏雲雀とか鳴いているのに広々としてあっていたのである。そしてここは北海道になったのかと原野化した自然を日々ながめてプログに出したのである。
ただ飯館村のように避難区域になったところはまた別である。そこは草茫々になっているからそこが自然に還っていいなどとはならない。荒廃してしまった感じだった。

ともかく季節は日々変化している。花も次々に咲くから夏は初夏から盛夏と花を楽しむには一番いい、自分は花を追求してきたことは確かである。だから相当に花の詩を書いたがプログでも三つをやるのは介護とか家事でできない、だから詩集の部は更新していないのである。
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