2014年07月02日

富岡製糸工場の世界遺産の意義 (大正生まれの10年糸取りで働いた母ー富国強兵の国造りの基に養蚕あり)


富岡製糸工場の世界遺産の意義

(大正生まれの10年糸取りで働いた母ー富国強兵の国造りの基に養蚕あり)

10年を原町紡績に糸取りに働く母の歴史の重み

とる糸のけふのさかえをはじめにて引き出すらし国の富岡

原町紡績は有名である。この辺では原紡と言っていた。そこには鉄道の引き込み線まであったから大きな工場だったのである。
製糸工場というと例えば今なら工場とかなると農業とは関係ないように見える。

電子部品とか車の部品を作ることは農業とは関係ない、でもこの繭から糸をとりだし
生糸を作ることは農業と深く関係していた。
そのことがわかるのは今でもその繭を飼っていた家が結構残っていることなのだ。
繭を飼うのには二階であり蚕は湿気に弱いので風通しを良くするために二階でした。
その蚕を飼う兜造りの家が今でも残っている。
阿武隈山地とかでも相当に残っている。
蚕を飼うには大量の桑の葉が必要でありいたるところが桑畑だった。

だから自分の子供の頃も後ろは桑畑であり麦畑でもあった。麦畑も普通にあり麦飯だった。そういう風景が全くなくなったことを今ふりかえると大きな変化だっ。

農業は土地に根ざすものだから変わらないと思っているが変わる。
津波で田んぼが原野に変わってしまった。これも驚きだった。
ただ日本中が繭を飼う農家だったとき、それが消失したことも実は大きな社会の変化だったのである。

明治維新からの国造りは欧米列強に対抗するための富国強兵が第一になった。
だから国家主導の国造りになった。それを支えたのが蚕による生糸を作り外国に輸出することだったのである。
日本では輸出するものが生糸くらいであり富国強兵にするためにそこに力を注がれた。
日清、日露戦争も明治時代にあったから対外的に富国強兵が要求されたのである。
その国の礎ともなったのが蚕を飼って繭から生糸を生産することだったのである。


徳川家康の籏布に新田義貞(徳川家の祖先といわれる)の旗揚げの由来で縁起の良い桐生絹が使われました。その数は2,410疋、これを1日で織ったというので、2,410台の織機があったという証になるという説もあります。ご存知のとおり徳川家康が大勝を果たし、江戸時代になると、その吉例から桐生の機屋は幕府に請願する文書に必ず「東照神君御在世之砌、御籏絹献上之御吉例御由緒之地」と前書きしたそうです。
http://www.kiryuorimono.or.jp/htm/gaiyou2.htm


日本の歴史でもこういうことがあったから富国は日本になったが地域を豊かにするのに絹織物があった。


製糸工場女工の労働から働く価値観の変化を歴史的考察
http://musubu.jp/jijimondai40.html#seishi

さてこの度国の為にその方を富岡製糸場へ遣わすについては、よく身を慎み、国の名家の名を落さぬように心を用うるよう・・・・・・
(富岡日記・・)


明治維新から太平洋戦争までは国家主義の時代だった。個人より国家が優先された。それは欧米列強に追いつくことが最大の課題だったからである。それが太平洋戦争で集結した戦前までの価値観は国家が優先され国家のために生きることが義務づけられていたのだ。ただ別に当時の紡績工場で農業で繭を飼っていた人たちは国家というものを意識しなくてもそれが金になる新しい産業だからみんな繭を飼ったといこともある。
日本には新しい産業が明治維新になってなくどうしても起こす必要があった。
絹織物はもともと日本でも作っていたし繭を飼うことは個々の農家でしていた。
それが富岡製糸工場のように工場生産になったことが近代化の象徴となったのである。

左からはそれは戦争のための資金源とされその労働は犠牲とされたという批判もある。
ただそれだけではないそもそもそれは新しい産業であり国だけではなく民衆も豊かにするものだった。まずその時女性の働く場所がないから新しい働く場所を女性に提供したのである。だから母も給料もらって米を何俵を買って親に喜ばれたとかあったし女中のときも金をもらえたから良かったと言っている。現金収入になるものがあったことが女性としてはいい時代だったのである。
その時代で価値観は変わってくる。奴隷さえ戦争でみな殺しになるより進歩したものだということもあった。
国家優先の価値観もそれは近代化する日本の一過程として必然的に要求された価値観だったのである。
戦後の価値観は国家を極力前面に出さない価値観に黒から白のように変わってしまったのである。

workmeaning[1].jpg


この図のように国意識や藩意識とか村意識が優先されていたがそうした意識はまるでなくなり家族意識は残ってもその他は個の意識に変わった。家族意識すら核家族単位になり分解された。そこでのモラルは金を得るということが最優先されることになった。
だから今の時代、国のために働くという戦前の価値観は全くない。
だからこういう歴史をふりかえると国家意識にもどすようなことはできないだろう。
国家のために戦争で死ぬということはできないだろう。

もはや戦前の価値観にもどることはありえない、庶民レベルでもそうでありいくら中国が脅威だからといって戦争して死ぬということは簡単にはできない
もちろん中国に蹂躙されたら自衛しなければならないことは必要である。
国意識から会社意識に変わった時、個々の利益追求が最優先する時代を生きている時、
国のために自己を犠牲にするということはありえないだろう。

ただ昨今の阿部首相の集団的自衛権のように右傾化する日本があることは確かである。
そういうあまりにも国家を無視した個々の利益追求社会に対して国家をもちだすのは反動として起きてくる。

グローバル社会になったとき、どこの国でも国家意識は衰退している。自分の利益の方だ大事だとなり自分の利益の延長に会社があり国家がある。その逆戻りはありえない。
それはグローバル社会になったとき庶民レベルでもそうなっている。
国家とか天皇でも戦前とはまるで違ったものとして見ているからだ。
自衛隊はただお前らは税金で雇っているんだから自衛隊員は国家のために死ぬことも戦争することも義務であるかというが国民が国家のために死ぬ犠牲になるとかありえないだろう。そういう思想も起こり得ない、ネットウヨといっても口だけでありいざ自分が戦争にかり出された死ぬのは嫌だとかなる。


もちろん国家の危機では日本は変わる、大和心もまた変わったものとして起きてくる。
だから危機になったらどう働くかはわからない、でも日頃の生活を見ていれば若者でもそんな戦争とか簡単にできる体質にはない、ただ戦後60年たって明らかに津波や原発事故や対外的にも国際情勢も中国の脅威とか変わってきたから集団的自衛権が問題になる。
確かに局地的ないざこざもめごとはあってもそれが世界大戦になるようなことはできない時代になっている。互いに牽制あうし独走も許されない世界になっている。
核兵器でもただ脅しであり使えない、使ったら自分の国すら滅亡するからである。
だから国家主義は時代にあわない、戦後はすべてこの国家優先の国家主義の否定の上に成り立ってきたのである。それを上からでも国家主義にもどすことはできないのである。

グローバル社会では経済活動が制限されるし相互のかかわりが密接になっているから
戦争してもたがいに損する方が大きいのである。

「心に青雲」でそもそも富岡製糸工場なと過去のものであり世界遺産にも残すことはないというのも納得いかないのである。なぜなら日本兵のことを賛美しているけどその日本兵のロジステックを兵糧を供給していたのは明治から兵隊を養えたのは若い女性だったのである。それを無視して日本兵の強さばかり賛美していることは納得いかないのである。

ただ世界遺産というとき、それがどういう価値づけでしているかわかりにくい、日本の歴史遺産ならわかるが世界遺産となるとその世界的価値を認めることになるからむずかしくなる。科学的発見などは世界に貢献するからノーベル賞などがありわかりやすいのである。
いづれにしろ明治とか大正でも戦争経験者でも日本の歴史の重みを背負っていたことは確かである。団塊の世代が高度成長を作った、歴史を作ったといってもそれは幸運に恵まれた結果であり団塊の世代の功績ではないし何か特別苦労したこともないから次代のものから認められないのである。

明治生れも消えたけどもう大正生れも消えていなくなる。
戦前生まれはまだまだ残るが戦争経験者は死んでいなくなる
すると戦争というものがわからなくなり戦争を安易に格好いいとか見る若者をもでてくるただ今の若者であれ日本人はとても太平洋戦争のような犠牲を払うようなことをできないだろう。ネットウヨは言葉だけである、ただ「心の青雲」の主催者は空手をしているからそうではないことはわかる。


ともかく戦後60年は変わり目だった。これから暗黒時代に突入するからもしれないし津波原発事故はその変わり目に起きたのである。だから高度成長時代は日本の黄金時代だったのでありもうそうした時代は来ない、暗黒時代にもなるからニートであれ若者は厳しい時代になる。戦後60年は自分の一身上でもそうだが対外的にも特別恵まれた時代だったのである。それが津波原発事故を境に変わってしまったのである。

posted by 老鶯 at 15:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層