野馬追いー北郷の部(南相馬鹿島区)
(撮影ポイントで撮った写真)ー草原と馬)
北郷(鹿島)副大将の家

クリック拡大
きれいに見るにはクリック拡大してください
北海老村で見た旗がここに出ていた
夏菊や馬上凛々しく女武者
草原に藪萱草や馬の行く
馬馳せる兵(つわもの)どもが草いきれ
夏草や人馬奮闘相馬武士
草原に風のそよぎて馬の行くその旗鮮やか夏の日映えぬ
忘れらる馬も家臣や着飾りて練り歩くかないななきひびく
大将の真紅の母衣(ほろ)の夏日さし一段と赤く迫りすぎゆく
真夏日の黄金の兜にさし光り前へ前へと進む行列
家々の旗印映えて夏空に御神旗あがり馬いななきぬ
北郷の副大将の家に宇多郷(相馬市)が合流して明日は雲雀が原に相馬藩の武者が集結するそこからいい写真を撮ろうとして待っていた。あそで知っている人は写真をとるために待っていた。野馬追いは街中を通るのでなかなか絵になりにくい。
田んぼの中を先祖伝来の旗をなびたせて出る時、何か昔がよみがえる。
野馬追いは街中から出るのはごくわずかである。ほとんど農家からでる。
それは相馬藩は郷士であり農民だったからである。
そして500騎出るとすると多いように思えるが相馬藩の人口からすれば一パーセントにも満たないともなる。だから意外と地元でも野馬追いに出る人を知る人が少ないのである。
野馬追いは行列の前に家に旗がたったときからはじまっている。今回は北海老で旗がたったのを見た。その同じ旗印が行列にも出たし明日の雲雀が原の神旗争奪戦の予備演習の旗取りにも二つの同じ旗が出ていた。するとあれは北海老から出たものだということがわかる。馬はどこの村から出るのかわかりにくい、ほとんど旗見ただけではわからない。
今回は北海老で見たからわかった。ただ行列だけに参加したり旗取りには出ない家もあるからどこの村の旗なのかわかりにくいのだ。
今回は北海老で見たからわかった。ただ行列だけに参加したり旗取りには出ない家もあるからどこの村の旗なのかわかりにくいのだ。
撮影ポイントでとったがあそこは田んぼだったが原発事故で田畑を作らないので草原化したのである。何度も書いているようにこの辺は田畑が草原化してしまったのである。
ただその風景が野馬追いとか馬にはあっているのだ。
もともと原っぱで馬は放牧されていたからである。雲雀が原はそういう広大な馬の放牧場だったのである。十倍以上も広い放牧場だったのである。
だからこうした草原が原っぱに馬は放たれていたのである。
だから草原から吹いてくる風が涼しく馬も気持いいとかなる。
モンゴルの草原や平原に馬はあっているのだ。
今年は女武者が多かったみたいだ。夏菊が咲いて絵になっていた。
野馬追いはやはり馬の時代がよみがえるということがある。
馬がいなないたり糞でも汚れたりする。
野馬追いはやはり馬の時代がよみがえるということがある。
馬がいなないたり糞でも汚れたりする。
今は一時的に競馬馬を借りるのが多いがそれでも馬がこの時用があり馬が人間と一体化してあった時代がよみがえる。馬は機械とは違うから人間と同じであり家臣にもなっていたそれは昨今のペントブームと同じである。動物も人間に飼われれば人間化するのでてある
ともかく野馬追いは意外といい写真がとれない、それは動いているし一年で一回したシャッターチャンスがないためだった。いくらいい写真を撮ろうとしてもそのチャンスが瞬時だからいい写真がとれないのである。
今回はねらいをつけてとったからいいのがとれた。
あそこで待っていればいいのがとれる。あういう場所は今はなかなかない。
今回はねらいをつけてとったからいいのがとれた。
あそこで待っていればいいのがとれる。あういう場所は今はなかなかない。
明日は雲雀が原だけとここになると混んでいるしさらにいい写真をとるのがむずかしくなる。でもプログに出すとなると行かざるをえない、原町になるとどこでどう撮るかがわからなくなる。そして絶えず動いていて一回限りだからいい写真がとれないのである。
今回は撮影ポイントで待っていたらかとれたが原町ではうまくいかない。
デジカメだから数をとればいいのがとれるということはある。
ただやはりいい場所でねらっていることがいい写真をとるには必要である。
ともかく野馬追いの写真撮影は意外とむずかしいのだ。