南相馬市が賠償金で分断されたのはなぜか?
(南相馬市民としての一体感を計る政治的配慮が必要だった)

なぜ南相馬市は賠償金で分断されたのか?
それは合併前の小高町、原町市、鹿島町の三つの区域に東電で賠償金の額が決められた。鹿島区は30キロ圏外であり一番安くされた。
小高と原町は賠償金に不満はない、鹿島区だけが割りを食ったのである。
小高は警戒区域になって住めなくなったのだからそれなりの賠償金をもらえることは当然だとなる。
原町にすればここも一時避難命令が出たから避難した人も多いから鹿島区より多くもらってもいいとなる。
鹿島区は30キロ圏外であり屋内退避地域だから一番少なくなった。
そして南相馬市では小高と原町では賠償金について不満はない
原町でも二年分とかで一人十万もらっているとかこれはわからないにしても多いと思った鹿島区は一人十万で七カ月分である。原町と鹿島は相当に差があるのだ。
だから小高と原町は不満はなく鹿島だけが無視された結果になった。
最初は市の調整金から鹿島区に一所帯百万を出すというとき、原町の人がかなり厳しく反対したのである。
その時はまだ東電からの賠償金がどういうふうにもらえるのか未定であった。
その金は一時的に市の調整金から出したのであり仮払い補償金だった。
あとで本賠償で東電から支払われたのである。
だから市の財政の負担になったことはないだろう。
何がここで問題になったかというと南相馬市が合併する前のそれぞれの事情で元の市町村に分断されてしまったのである。
南相馬市に合併したなら南相馬市として一致して市政にあたらねばならない。
それが賠償金の額で分断されたのである。
ただ小高と原町は多数になったから少数派の鹿島区は無視され犠牲にされた。
民主主義は多数決の原理だから少数派は無視されというのもしかたないともなるのか?
でも南相馬市として共同性を保つには何か政治的配慮が必要だった。
鹿島区選出の議員もこのことで何か市議会で訴えるのも聞かない
これは南相馬市の政治的問題だったのである。
この賠償金問題は他ではどこも原発事故の被害を受けた町でも村でも分断されていない。大熊町でも双葉町でも浪江町でも飯館村でも一つになって賠償金を東電や政府に要求している。その町や村で差別はないのであてる。
南相馬市だけが賠償金で分断された。特に鹿島区だけか割りを食ったのである。
小高にしても本当は小高町となって一つとなって賠償を要求した方がわかりやすかった。そうすればもっと賠償金も交渉はしやすかったのである。
ところが南相馬市になったとき、小高町としては要求できない、南相馬市の一部としてあるのだから要求できない、すると南相馬市として要求するのだがそれも東電や政府によって決められたことに問題があった。
政府や東電は南相馬市のこうした事情を考慮しないで賠償金を分断して決めた。
そのことについて国会議員も動いていない、福島県選出の議員が東北の復興担当になっているのにこうした南相馬市の事情を考慮していない
南相馬市はまず南相馬市として一致して東電に賠償を請求するべきだった。
南相馬市に賠償金を払うのであり小高とか原町とか鹿島とかに分けるべきではなかった。確かに放射線量とか被害の大小があったが放射線量は山側をのぞいてそんなに変わらなかったからである。
政府も東電も南相馬市と交渉して南相馬市と一括して賠償金を払うべきだった。
なぜなら南相馬市は一体であり別々に払ったら南相馬市ではないとなる
南相馬市の市民として一体としてこの問題にあたるべきであり
そうでなければ南相馬市として合併した意義もなにもないのである。
南相馬市に合併したのは日が浅いから一体感もないし南相馬市民という感覚も育っていない、
でもこういう危機の際には一体感を作るチャンスでもあった。
日本には市民という感覚はないし相馬藩という歴史はあっても市民という感覚は薄い、
だからどこの市に属していてもその市と一体化する歴史感覚がない
ヨーロッパでは市が国であり市に市壁を巡らして生死を共にしてきた歴史がある。
だから市で一番立派なのは市庁舎でありそれも古いのである。
それは三百年とか五百年の歴史がある。市と市が戦争していたのがヨーロッパだった。
日本では市にあたるものがなく藩が市の代わりになっていたのであり
藩より村が一体感をもつものとしてあった。
そういう歴史の違いがあり日本では市民意識が薄いのである。
パスポートでもどこのcitizen(市民)なのかと書かねばならない、どこの市民に所属するのが大事なのかとなる。ヨーロッパは市が一つの国のような役割を果たしていたから
そうなる。
つくづく今回の津波や原発事故は様々なことがテーマとなった。だからいろいろなことを考えるようになった。そもそも故郷はなにかなど当たり前にあるものだし考える必要もなかったのである。それが故郷を離れ故郷に住めなくなり故郷失う流民のようになることなど想像もできなかったろう。
明らかに避難区域などは流民化したのである。流民という現象は世界では国と国が争い起きていることである。日本国内で流民化するということは考えられなかったのである。
だから双葉町なら双葉町、浪江町なら浪江町、飯館村なら飯館村とその町や村の一員であることを否応なく強く意識させられる結果になったのである。
ただ南相馬市はそういう一体意識がなく分断された。特に鹿島区は除外されたようになってしまった。
南相馬市の一体感を作るには保つには政治的配慮が必要だった。
南相馬市として政府や東電に議員を通じて政治的にはたらきかけ運動する必要もあった。一方的に政府や東電から決められことが南相馬市の場合はよくなかったのである。
この原発事故問題は福島県民としての問題でもあった。会津などは遠いから関係ないと思ったがそれなり放射性物質もとんで山菜などに影響したし観光にも影響した、そして浜通りから避難民が仮設に住んでいる。だから福島県全体を意識させられる問題でもあった。ところが浜通りと会津は風土も違っていて一体感がないのである。
だから浜通りに原発が建っても関心がなかったろう。中通りさえそうだった。
それが福島市や郡山市の方が実際は放射線量が南相馬市の海側より高かったのである。
だからそこは賠償金をもらえないから避難した人たちに不満をもっている。
原町の人が福島市で車を傷つけられたというときそんなことあるのかと思ったがやはり福島市は放射線量が南相馬市より高いのに賠償金がもらえいな不満があってそうした。
福島県内も分断されたのである。福島県知事選挙など関心がなかった。
でも原発事故は福島県全体に影響していたから福島県の政治もこうなると直接影響するのだと現実の問題として自覚したのである。
ところが原発はどうして建てられるかというとその建てる地権者と漁業権とあとは県知事の許可で決まっていたのである。そんな狭い範囲で決められるものではなかった。
その影響は福島県全土に及びさらに東京までも及ぶものだった。
だからすでに原発は一国家の問題でもあり地球環境破壊するから世界の問題でもあった。そういう認識はなくその狭い地権者とか漁業権者と知事の許可で決められていたのである
ともかく津波や原発事故は様々な問題を浮き彫りにした。そこに様々なテーマが生れた。それは人間社会全般に及ぶものであり単に科学だけの問題ではないのである。
フクシマの再生なくして日本の再生がないというときここがそれだけ現代の様々な問題の象徴的場所になってしまったからである。
citizen(市民)の歴史的意義 「市民」は、城壁と秩序の「内」にあり、それ(≒社会)を支える資格*1と気概*2をもつ人のことを言う。それをとくに「公民」と訳す場合がある。なので、「市民」とは「〜であるもの」ではなく、基本的に「〜になるもの」だ。つまり、自覚的・能動的存在であり、この点で「民衆、庶民(people)」とは異なる。そして、とくに civil の用法に注目して分類すると、少し面白いことが分かる。
•(外政に対して)内政の; 国内の,国家の
•(聖職者に対して)俗(人)の.
•(軍人・国家に対して)一般(市民)の、民間の
古代(ほかの都市≒国家)中世(聖職界)近代(官僚機構・常備軍)といった、各時代における「個人的自由を抑圧するもの(≒権力)」との対比として使われているのが分かる
http://daruyanagi.jp/entry/2012/12/15/142304
ここの説明は興味深い、
各時代における「個人的自由を抑圧するもの(≒権力)」との対比として使われているのが分かる
市民は外政に対して内政だから自治市民としの自由を行使するものである。
だから原発は国家権力で強制された面があったからこれを阻止するのは権力に対抗する
市民である。
聖職者に対して俗人というとき、ヨーロッパではカトリックが政治支配したからそれに対する抵抗として市民があった・・つまり権力に対抗するものとして市民があったということは大事である。
なぜなら原発はそうした権力に対抗する市民がいないかぎり阻止できないものだったからである。
国家権力によっておしつけられてまうのである。
そういう市民意識でも県民意識でも発達していれば原発は権力側の思うままにはならなかったのである。
権力に対抗するものとしての市民の歴史的意義を見直すことが必要である。
集団的自衛権問題でも創価公明党という政治と化した権力と国家権力が一体化して進められる
それに対抗できるものは何なのか?
自由なる真の市民の力の養成が必要なのである。
ヨーロッパには歴史的にあったが日本にはないからこれから作る必要があるのだ。
日本の歴史はそういう点でまだまだヨーロッパに技術では追いついていてもその他の全体的社会構成においては追いついていないのである。