2014年06月30日

紫陽花の抽象画 (抽象画がわかりやすい紫陽花の写真からの加工の変化)


紫陽花の抽象画

(抽象画がわかりやすい紫陽花の写真からの加工の変化)

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これは大きくしないとはっきりしません

紫陽花は七色に変化するから写真を色にパソコンのソフトで分解するとわかりやすい。
淡い色でありパソコンにその色が出やすい、色の特徴が出やすいということである。

ただこれまた自分ながらこんなことに変化するのは常に驚きだった。
新しいものはやはりそこに驚きがある。
紫陽花を見ていれば別に驚かない、いつものように咲いているなと感じるだけである。
でもパソコンで加工変化させたとき抽象画にしたとき、これも紫陽花なのだなという驚きがある。
それがいくつも変化するパリエーションがあるからだ。


だから抽象画はパソコンで新しい分野を作った。
具象画から劣るにしてもやはり新しい芸術をパソコンは作り出したのである。
パソコンと抽象画は相性が一番良かったのである。
俳句をパソコンを作ったりできないがこの抽象画の分野はパソコンが一番得意とするものであことがわかったのである。


ただパソコンで抽象画にしてもそれを見るのは人間の眼であり鑑賞眼である。
だから紫陽花というものの美を見ないものはやはり抽象画ても見えないだろう。
それなんなのとなる。これは芸術一般がそうである。
ただ具象画が一般人でもわかるが抽象画はわかりにくいのである。


人間の世界は常に新しいものの創造である。
紫陽花でも新しい品種が作られているように新しいものを作り出さない限り停滞する
それはあらゆる分野でそうであり農業でも変わらないと思っているが変わっている


絵画でも印象画が生れた時は驚きであった、それも絵の具が新しく作られたことで
新しい画風が生れたのである。だから技術の革新は社会全般に及ぶ
実用の世界にも芸術の世界にもそうだしだからパソコンの発明は最大の発明だったことがわかる。

紫陽花の季節(紫陽花変化-抽象画へ)


紫陽花の季節(紫陽花変化-抽象画へ)

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紫陽花や夕べ穏やかな流れかな

紫陽花や外に出られず雨しとと時の移りに色の変わりぬ


紫陽花の季節である。今日も雨がふった。
この句を作ったのはちょうどテレビで流れの辺りに咲いている紫陽花を移していて見て
即興で作った。テレビで見て俳句を作ることや写真で見て作るのはまれである。
俳句が写生だという時、その場の雰囲気はなかなか感じ取れない
動画だと水が流れているな、ああ、穏やかに流れている水だなと思った
というよりは何かあまりにも穏やかな日がなかったので
穏やかであったらなとと常々ずっと思うことがありああ、穏やかな流れだなと思って作った。

それとこの季節は外にでにくい、だから家にこもることが多いが紫陽花は色を変わることを楽しむことができる。そこが紫陽花の不思議である。

それで今回は紫陽花の写真からまた万華鏡で変化させたら不思議な変化をした。
抽象画はやはり新しい芸術なのである。新しいものとは驚きをもたらすものである。
芸術の一つの革命でありこれはパソコンから生れたのであり
別に特別の絵の才能から生れたのではない、天才から生れたものでもない
パソコンの技術が生み出したものでありこういうことがあるものだと感心する


人間社会とは常に新しいものが生れこと想像することなのである。
それは実用的にも植物工場とか津波の跡に農業の新たな試みだとかされている。
何かを発明して創造しない限り社会は停滞するのである。
だから今世紀最大の発明はコンピュターだったのである。
それは社会の広範囲な分野に広がり芸術の分野までは広がったからである。


新種の小さい紫陽花もまた品種改良で作ったものでありこれも一つの新しい価値の発見、創造なのである。
こういう新種を作るとやはり売れるのである。
花の世界でも野菜でも米でも農業の世界でも常に同じではない、やはり創造が要求されているのである。そうでいなと世界から遅れてしまうのである。


新しいものがどこから生まれのか?
それはやはり新しい技術から生れることが多い。
印象派が絵の具を新しく作ったということでもわかる。
つまりどこの世界でも技術の開発が必要なのである。
一見文学とかは関係ないようでも必ずこうした技術の影響が受けるのである。
パソコンで書いているのと原稿に書くのはあまりにも違っているからである。

連続してここを見てください
http://musubu.sblo.jp/?1404129808

補償金で分断された原発事故周辺 (金ですべては解決できない、金以外の価値が問われる)


補償金で分断された原発事故周辺

(金ですべては解決できない、金以外の価値が問われる)

●補償金で分断された南相馬市


宮城県とか岩手県では補償金がそもそももらえないのだからそれでもめているという話しは聞かない、でもあれだけの被害だからその後どうするのだろうと外から見る。
補償金がいなとしたらどうするのだろうと見る。
その点原発事故周辺は補償金をもらっているからいいと外から見られる
ところが補償金というともらっているのは双葉と南相馬と富岡とかであり
郡山市とか二本松市とか福島市ではもらっていない
そこには避難してきた人たちが大勢いる。飯館村も入っている。
補償金で福島県内でも分断されるようになった。
原町の人が福島市で車を傷つけられたというのはそういうことがあるから本当なのかもしれない。


南相馬市内でも補償金で合併する前の三つに分断された。
小高は避難区域になるから一番もらっている。原町はまちまちでも一人十万二年分とか
30キロ圏外になった鹿島区とは違ってもらっている。
ただ原町は広いので本当のことはわからない。
鹿島ではもらっても少ないので一番不満が大きい。

今の世の中金の社会だという時、金でもめる、。金で争う、日々金である。
そういう社会が極端なものとして原発事故周辺で現れたのである。

自分もここ6年間とかは金でもめてきた。
遠い親戚でも「おばちゃんは金あるんだから金でめんどうみてもらへ」と血相変えてどなり散らして去って行った。
これは極端にしろ現代の典型的な人間なのである。
どこでもそういう人間が普通になっているのが現代の社会である。

だから原発事故周辺でもそういうことが極端な現象として起きているのだ。
確かに補償金をもらうのだから楽である。

ところが金があるだけで問題が解決するかとなるとそうではない
金があることで責められる、それは原発事故周辺でなくてもそうだった。
特に原発事故周辺では同じ被害者なのに差別があるのかとなる。
一時は鹿島区に市の方で調整金として鹿島区に一所帯百万を出すことを
ものすごく反対していた人が原町区の人にいたのである。
でも今になると原町区は別に補償金を鹿島区より倍以上もらっているみたいなのである。この辺は最初から補償金でもめていたのである。


そしてこの辺では補償金で遊んでいると毎日バチンコだと今もそうなっている。
そのことも批判される、イワキの方では飲み屋で札びらを切っているとかも批判された。この辺でも俺は金あるんだと小高の人がみせびらかしているとかもある
つまり一部であっても補償金が入って原発事故で得したと思っている人もいるのである。だから今は避難民に仮設に住んでいる人に同情している人はいないだろう。
ただあいつらはただ毎日補償金で遊び暮らせるからいいとか思っている。
それでボランティアと地元の人が喧嘩したことがあったというのもわかる。
ボランティアにすれば遊んで暮らしているのに助けるのは馬鹿らしいと思うのは当然だからである。
そのボランティアももう泊まるところがなくなったので来ない


原発事故周辺はただ金のこと補償金のことしか頭にない
何か具体的に復興事業にたずさわり仕事しているという感じが見えない
宮城県では植物工場を作り新しい農業をはじめるとか
若い人がかえって農業をする人が増えたというのも驚きである。
何もなくなったので新しものをはじめるにはいいと言っていた。
原発事故周辺ではそういうことは一部にあっても何か積極的ではない
放射能汚染の影響が大きいからだ。


●「金でめんどうみてもらへ」最後は現代ではなる


結局避難区域になればどれだけ補償金をもらかということが最大課題になる。
何か復興するということより補償金をいくらもらうかにエネルギーが費やされる
そして浪江とか避難区域ではすでに帰らない人には土地とか家の補償をしてくれると決めた。だから若い人はその金で一億円とかもらえれば他で暮らそうと決めた人も多いだろうつまりもう避難区域には帰らないと決意する人が多くなるのだ。

小高でももう還りたくない人や高齢化の影響で農業を継がない人が40パーセントかとであり若い人も流出するから帰りたくないというと言う人が多い。

ただ小高の人は中途半端になったのである。
帰らないとすると土地とか家を補償してもらう必要があるが警戒区域解除されたからできないのである。そこに小高区の問題があった。
「小高の人は小高に帰れ」というとき家がないから土地がほしいというとき、小高に家も土地もあるではないかと言われる。
でも実際は帰りたくないとなれば土地とか家の補償してもらい別に家を建てたいとなる。
では金があるからと言ってすべて問題が解決するのかとなるとならない

いくら金があってもここで他より働く人が集まらない
医者も看護師も介護士もそうであり建築関係でも人が集まらず復興住宅建設も遅れている家を建てるにも土地がない、土地は簡単には売らない、すると金があっても有効に働かないとなる。
そして何度もいうけど「金でめんどうみてもらへ」と言われるのである。
浪江の会社経営の人はお前らは補償金をもらっているから仕事をくれと頼んでも断れるというのもわかる。
おそらく頼んだ人は今まで仕事していた仲間だったとしてもそうなる。
「金でめんどうみてもらへ」となるとき何か現代を象徴しているのだ。
金があれば困らないと見られてしまうのである。

結局金がかえって互いに協力できないものに働いているのだ。
金で反目し合い金で分断されたのが原発事故周辺なのである。

でももしこれが世界で起きている避難民のようになったらどうなったか?
その怒りは大きくテロにもなる。
事故を起こした東電や政府に対しての怒りは大きくなり抗議も激しくなる
補償金でかえって内部で分断されて怒りの矛先が政府や東電に向かないのである。
だから東電の社長や幹部は海外でのうのうと今も暮らすことができるのである。
検察だって全く何もしないのである。
ただ原発事故被害地域は補償金でいがみあい分断されているだけだとなる。

南相馬市に関しては地域が三つに分断され複雑化したことである。
南相馬市として一つとして対処できなくなったことがある。
でも何か南相馬市として一体感を保つ一つとなる政策が必要だったのである。
小高だけが手厚くされたりするのはかえって良くなかったのだ。
もちろんそれは政府とか東電に決められたということもある。
でも何らか市の方でも対策して市として一つとしてまとまることを考えねばならなかった

確かに小高は補償金をもらっていいように見える。
でもこれからお前たちは金をたんまりもらっただから「金でめんどうみてもらへ」と
極端だがそうなる。
要するに金によって協力できなくなったのがこの辺なのである。
それは別にこの辺だけではない社会そのものがそうなっていたのである。
「お前らは金があるんだから金でめんどうみてもらへ」
それが現代の社会だった。本人が死にそうでもそうなる、あとは福祉でめんをとみてもらへとなる。
そのことは自分がここ6年間で嫌というほど経験したことである。

こういうことは別に普通の社会でも今までもあった。そういうふうな暮らしになった。
ただそれがこの辺では極端なものとして露骨に現れたのである。
金というものは否定できないものであり金がいらないとかにはならない
ただ金以外の金にならない価値がかえって問われることにもなった。
これはここだけの問題では世界中にあてはまる問題になったのだ。


●広域社会は金が頼りでありコミニュティは簡単に崩壊しやすい


例えば


「一億円やるから自分の住んでいる故郷からでも離れて住みますか」


こう問われたとき、これ幸いともうここには住まない、貧乏暮らしは嫌だとか田舎は
嫌だとか姑と一緒にいるのは嫌だとかマイナス面ばかりを感じて生きていた人は
一億円もらえば出るということがある。
一億円の方がそういう場所に暮らすより価値があるとなるのだ。
この辺では放射能汚染で帰れないにしてもそうである。

一方で金に替えられない価値というのも同時に問われる。
それはそれぞれに違うにしろ農家だったら代々生きてきた土地とのつながり仲間とのつながりとかある。
かえってそういう金には替えられない価値も浮き彫りにするのである。
自分の場合は自然の愛着であり石への愛着だったりする。
それは別に金にはならないけど自然とアイディンティ化することに価値があった。


一般的に金で計られるとき、そこでは金の切れ目が縁の切れ目となる。
兄弟でも遺産相続で骨肉の争いとなったときすでに兄弟もなにもなくなる。
何か子供のときからあったつながりも御破算になり憎しみだけになる
親子の間でも親を財産をもらうものとしてだけ見る人も多い。
その時は親子でも金だけの関係になっているから金の切れ目が縁の切れ目となる。

ましてや他人になるとほとんど他人はその人の財産のみに眼をつける。
それが一番わかりやすいからである。
現実に自分が病気になったとき、死ねば財産がどうなるのかとかそれだけを眼をつけていた人とは切れた。
そういう関係は必ず切れる。

故郷との関係でも長く住んでいてもそこに金だけを求めるとしたらその土地とも人との縁も切れる。
この辺はそういうことがきれいごとではなく具体的な現実問題として問われるている。
その選択にしても現実問題でありきれいごとですまないのである。
だから除染など無駄だから一億円もらって他でやり直したいという選択もでてくる。
それを批判はできない、それもまたその人の選択だからである。


ただ思うに小高でも浪江でも飯館村でもそれは一人の問題ではない、町全体村全体の問題であり心が一つにならないと解決しない、もうすでにこうして補償金だけが問題になっているとき、心もばらばらでありコミニュティも崩壊している。
現代社会とは広域社会になり金の社会になったとき、簡単に崩壊しやすいということがあった。金があれば便利な楽なところで住んだ方がいいとなる。
誰も苦しい不便な所にあえて住む選択をしなくてもいいからである。

江戸時代あたりはそれができないからかえって結束が強くなり相馬藩でも飢饉でも回復したのである。それは他に簡単に移れないそこで生きる他ないという選択しかできなかったからである。移民があったとしてもその人たちもわざわざ苦しい場所に移ってきたのはそれなりの事情があったからである。
だからかえって豊かな広域社会ではコミニュティは簡単に崩壊することにもなったのである。

posted by 老鶯 at 08:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連