2014年06月29日

天明と記された墓は移民の墓ではなかった (歴史的背景は事実であり私の主張は間違いではない)



天明と記された墓は移民の墓ではなかった

(歴史的背景は事実であり私の主張は間違いではない)

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*道号(阿号・誉号・釈号・日号) 生前雅号とか別名を持っている人がありますがそれと同じです。

中国では名の他に字(あざな)を持ち、その人を尊ぶ場合字を用いました。

この字の事を道号といいます。最初は禅門に始まったのですが、他宗派でも用いられるようになりました。
本来は仏道を証得した者が称するものですが、現在では一般の人の戒名として用いられています。 


信士、信女は、優婆塞、優婆夷の意訳で、ともに五戒、または十善戒を保ち、清洋で、正を信じ、邪を信じない仏弟子をいい、信心の篤い者に、


この墓は天明と記されていたが移民の墓ではなかった、他に真宗系の移民の墓はあった。天明の大飢饉の時に移民を呼んだのであり天明に死ぬということはないだろう
これはもともと地元に住んでいた人である。

蓮華道とあるのは僧侶なのかもしれない、ただ信士、信女とあるのは一般の庶民である。江戸時代の後期にはそういう墓が多い
ただ墓を建てられる力を財力をもっていたのは僧侶だとするとこの辺はわからない。


蓮華道信士
姥善信女?


これは僧侶とも言えない、ただ蓮華という戒名は普通の人はつけないからわからない。
何か特別な人であったから僧侶でなくてもこの戒名がついたのか謎である。

ただこれは真宗系統の移民の墓ではない、そこが大きな間違いだった

天明の時期にこの地に来たとしてもすぐに墓を建てられた人はいないし死んだという人もいないだろう、移民が来たのはもっとあとである。

いづれにしろ相馬藩では移民の墓が必ずある。墓地をたずねれば五分の一くらいが移民の墓だということは本当に多い。それだけ移民が入って来たということであり
自分の主張したことは別に誤っていない
そういう歴史的背景は事実だからこの墓についてはそうでなくても
その事実から今を見れば自分の主張していることは間違ってはいない


相馬充胤がここでこの土地のものに石碑を建てられて感謝の意を現したということは
それも歴史的事実である。
でも慶長津波で藩主が復興のために努力したということは一言も記されていないし
そうした事実もないし何の記録もないのである。


この墓が移民の墓ではなかったにしろ他に移民の墓はこの墓地にあった。
だから自分の主張していることが間違いではない
ただ天明の墓が古いと思い良く見なかったの失敗だった。

posted by 老鶯 at 13:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係