2014年06月20日

月見草(人よ、ゆっくりすすめーでんでん虫の詩)


月見草(人よ、ゆっくりすすめーでんでん虫の詩)

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開け放つ窓よりひびく夏雲雀

夏の日や遠くより人来る夕燕


紫と白の菖蒲の咲き前畑にカボチャを作る農家ありしも

自転車のスローに走り草深く月見草咲き夕べ帰る道

千歳なる磐によりにつ乱れざるひとりしずかのここに咲くかな

原町は鹿島と違い活気が違う。かえって車が増えたような気がす。小高方面からの車が多い。そして仮設のプレバブがまた何カ所か作られ増えた。まず一〇〇〇人くらい泊まれるのを見ている。外部から働きに来ている人はどのくらいいるのか?
五〇〇〇人くらいいるのだろうか?
確かに最盛期より半分以下になったとしても以前として仮設のプレハブは増えている。
これだけ外部から来ているとレストランなどは外食する人が多いから繁盛しているように思える。
すき屋で鰻丼を食べた。時給一二〇〇円とかあった。郵便配達の募集のビラも配られたりとこの辺は人手不足が深刻なのである。
て も賠償金をもらったりしている避難民などは働かないだろう。
そもそも時給などでは働きたくないのはわかる。
ただこの辺は働くにしても今までとは事情が違うから他とは一緒にできない事情がある。
そもそも自分は働けというのは矛盾していることはある。

でも介護になったり自分が病気したりして自分自身が心に余裕がなくなっていた。
絶えず何かに追われる生活だった。
料理すること家事でも手間なのである。
一番楽なのは弁当と外食することである。
今日は自分は外食で母は弁当だった。すると何もすることがないから時間ができて余裕が生れる。
自転車で外を出歩いて帰ってから食事の用意をすると何か落ち着かなくなる。
時間的にゆとりがなくなるのだ。


自転車でゆっくり走ってくるのも気持良かった。
人間は今か絶えずなにかにせかされている。現代はどんなことしたって余裕がもてない社会である。車がひっきりなしに走っている状態がどなんことしても余裕がもてない環境なのである。そのスピードとリズムが人間的でないのだ。
もし車で時速30キロくらいにすると事故など起きないかもしれない
それだけ心にみんな余裕がもてるからである。
ただそれにはせかされないことが条件なのである。


ともかくここ6年以上心に余裕がもてなかった。のんびりした気持になれなかった。
今日はゆっくりといつもの道を夕べ帰ってきたが心に余裕が生れていた。
自転車は早く走るのも爽快だがゆっくり走るのも気持がいい
車だとゆっくり走ることすらできない、常に早く走っていなければならない
とまったりすることもできない、その状態がまさに現代人の心なのである。

旅でも早く早くせかされる旅は旅ではない、風の吹くままとかゆっくり行ければ旅なのである。
結局早いから急ぐから欲が出るから事故も起きる争いにもなる。
何事ゆっくりすすめることが現代ではできない。
一刻一秒を争っているんだ、ぼんやえしているんじゃねえ邪魔だとなる
自分はそういうリズムに学校時代からずっとなじめなかった。
ただ大学は遊びの場だったからそういうことを感じなかった。
だから会社勤めなどできない自分だったがそのまま老人になっていた。


人間は自然のリズムからすると全く今やはずれている。すべてがめまぐるしく早すぎるのだ。
常に例にすれけど山であり樹であり石であれ動物であれ牛であれそのリズムは悠長である。とにかく人間だけが忙しすぎるのだ。蟻のようにはいずりまわって休むことがないのである。ただこの辺の事情は違うにしろそういう忙しいせかされる社会になじめなかった。たから今日はゆっくり走って心の余裕が生れたので気持良かったのである。


人よ、ゆっくりすすめ


のろのろと歩む
でんでん虫の急がざる
今日一日でこの道を渡ればいい
時間は決められていない
途中で休むものもいい
疲れたら休む
さてまた行くか
まだまだ道は遠い
夏の日は夕べなお明るい
急がば回れ
田舎の陽はゆっくり落ちてゆく
月見草は草むら深く咲き
また雨がしとしとふってきた
人よ、ゆっくりとすすめ
事を成すも目的地につくも
かえってゆっくりなるがよい
せいては事をしそんじる
早く行こうとすれば到達しない
ゆっくり行けばかえって到達する
その歩む行程に意味があり
道の辺に咲く花々を見るもよし
一歩一歩踏みしめ歩むがよい
汝は動かざる千歳の磐を思へ
その不動の心に習へ
岩のごとくに心乱れざるべし
その磐により可憐な花の咲く
その花の神に見守られてありしかも