2014年06月15日

文化の時代は方言が見直される (ちゃっこいはなぜこんなに東北で使われているのか)


文化の時代は方言が見直される

(ちゃっこいはなぜこんなに東北で使われているのか)


ちゃっこいは宮城県の方言
http://musubu.sblo.jp/article/91044080.html

地元でもわからなくなった方言
http://musubu2.sblo.jp/article/91010809.html

 

●ちっちゃこいーちゃっこいは広い範囲で使われている

chakoiii1.jpg

ちっちゃこいは関東から茨城県から福島県の中通りまで広がり
福島市を境として宮城県からはちゃっこいに変化した。

ということは福島県は茨城県とか関東の影響が大きかったのか
中通りは特にむしろ古代は茨城県の影響が大きかった
ただ方言はいつそんなに広範囲に広がったのか

どうしてちっちゃこいが北海道まで広がったのか?
それは明治以降なのかそれとも最近広がったのか
北海道だと明治以降だろう
ただ方言がみんなしゃべるようになるまでは相当な時間が必要である

北前船が京言葉をもたらしたというときそれだけ交流があり
時間的にもあったからそうなった。

ただ物が入ればどうしても他の土地の言葉が入り安いのは確かである。
その物を言う入ってきた土地にない時があるからだ
それで漆(うるし)がJAPANになったことでもわかる


ちゃっこい

石巻ちゃっこいバッグ展
ちゃっこいけどアツい。
好きなんです、川崎が

 「いずれ古里に戻りたいんです。好きなんですよ。川崎が」。一関市川崎町出身。現在は岩手大学農学部に在籍し、盛岡市に住む菅原花さ
ん。ストレートに古里への愛を語る一方、


ちゃっこい村のでっかい花火大会
岩手県・東磐井郡川崎村


ちゃっこい店

岩手県盛岡市南大通1丁目10−31

宮城県牡鹿郡女川町にオープンした『女川ちゃっこい絵本館』


『ちゃっこい仙台駄がし chacco(¥500

ちっちぇ、ちっちぇけ とも言います。
小さい という意味です。


「あんやぁ〜、このびっきちゃっこくてめんけごど」
(あら〜、このカエル小さくて可愛いこと〜)
http://www.hougen-love.com/dialect_akita/akita_chakkoi.php


みちのくちゃっこいギャザリング***知って話してネットワークづくり♪♪♪

秋田県

浅虫温泉にあるちゃっこい温泉宿、宿屋つばき - 温泉

おらんどのちゃっこい博物館「向山駅ミニミュージアム」がオープン

ちゃっこい。

先日、北海道から上京してた義父がこう言って、
パートナーも普通に「そうかぁ、ちゃっこいのか〜」と。
ちゃっこい??茶色っぽい??

どうやら「小さい」と言う意味らしいです。
ちゃっこい・・・かわいい。



ちっちゃこい


今日の福島弁(中通り)「ちっちゃこい」


小さい」を横手゛弁で
"ちっちゃこい "って言うんだ
チッチャ に わざわざ "こい"って付けるんだな

"ちっちゃこい わらし "
"ちっちゃこい 車 " (軽自動車)
こんな 感じだな


あんなちっちゃこい子が、こんなに成長するんだな....えっ??

北海道の陸別町


日曜日モリタさんと青梅のちっちゃこい山をハイキング

ちっちゃこい字めっか 訳) 「あの小さい字見えるか(山形県)


●宮城県の影響が大きい相馬地域

ちゃっこい、ちゃっこいとよく言う相馬生れの女性がいる。
でも相馬生れの同年代で「ちゃっこい」と聞いたことがない
そんな方言あったのかといぶかった

それでわかったんだけどその女性は宮城県の松島の男性と結婚していた。
それでその方面の方言をしゃべるようになった。
その男性は相馬に来てからも宮城県の方言をしゃべっていたのである。
そういうことは相馬出身でも名取の方に長く暮らした人がだっちゃ、だっちゃと語尾につけるので目立った。それは明らかに仙台弁なのである。
この辺ではだっちゃなど言わない、んだ、んだとしか言わない

ちゃっこいという方言は広い範囲に広がっている、インターネットで調べたら宮城県から岩手県から秋田県から青森県には確実に広がって使っている。
それからちっちゃこいとなると東京とか茨城県でも使われている
北海道でもちゃょこいとちっちゃこいが使われている。


小さい⇒ちっちゃい⇒ちっちゃこい⇒ちゃっこい

と変化した。福島弁で福島市や中通りでもちっちゃこいを使っている
相馬では使わない、「ちんちぃ」という言葉を使っていたような気がする

ちっちゃいという方言はちっちゃこいとなり関東から中通りを通り宮城に入り岩手県から秋田県から青森県に広がった。
ちっちゃこいとちゃっこいはもともと同じ意味である。

方言は狭い一地域のもののように思えるが実は関東から福島県の中通りを通って仙台から青森まで広がっていた。それは昔から中通りは奥の細道の通路であり人と物が入る道だった。相馬の方は浜通りは関東の方とは通じるのは遅い。

それにしても方言はそんなに広く広がるものなのか?
それはいつごろからそんなに広がったのだろうか
江戸時代からなのか明治とか戦前なのか、交通が発達したら方言も広がるのか?

相馬生れの女性は毎日顔をあわせていてちゃっこいという言葉を聞いていたからいつのまにか無意識にしゃべるようになった。
普通方言はその土地に生れていなと簡単にはしゃべらないだろう。
だから方言はそんなに広がると方言ではないようにもなる
関東から東北から北海道までちっちゃこい、ちゃっこいを使っていたら方言なのかともなる。
方言の研究はそもそもむずかしい、調査するにしても直接聞くとなるとむずかしい。


●方言は文化であり文化の時代は地域性を追求する時代


ただなぜ方言に興味をもつかというとそれがその土地独特のものだからである。
方言は文化であり標準語は文化ではない、国々の言葉みんな違っていて文化である。
人間社会は地域性があった方がなんでも面白い。みんなどこに行っても同じじゃないかとなるとつまらなくなる。
海外旅行したってどこでもグローバル化で一様化したら面白くない。
ベルギー人が「自分はベルギー人」だというときベルギーという国にこだわっている。
ベルギーってなんなのだというと他からわかりにくいからだ。

文化の時代というとき地域性を出すことが魅力を作る。だから言葉だってもてなすのにも標準語ではなく方言があたたかみがでてくる。東北は全国になるとずーずー弁はしゃべりたくないということはある。
でも方言がないと何かその土地の特徴が出せないのである。
これからの時代は何でも地域的なものにこだわる文化の時代になる。
自分は自分の生れた土地にこだわり自然を基に詩などを書いてきた。
必ず自然にはその土地独特の景観とか地勢とか石でもある。
そういう土地土地の自然と一体化してゆくアイディンティティ化してゆくことが文化なのである。

一時は東京化してどこに行っても同じだとなり旅もつまらないとなった。
それは地域性が消失してしまったからである。
その土地の個性を作り出すのは自然である。
その自然は樹や石でも山でも長い眼でみないと会得できない
旅では一時的に滞在するだけだから深く見れないのである。

いづれにしろ東京一極集中になったら面白くない社会である。
経済効率はいいにしろ地方は衰退するから文化も衰退する。
自分は東京の大学に四年間いたけどその後は故郷に帰った
それからは地元志向であり主に自然との一体化を計ってきた。
それは文化面だけではあるがそうだった。

もちろん全国を旅していたが基点となるのは故郷の自然だった。
いづれにしろ経済効率性を追求すると多様な生活は失われる。
山には山の暮らしがあり海には海の暮らしがありということで
文化の多様性が保たれていたのである。

こうして地域性を追求するとき、津波や原発事故は相当に打撃だった。
地域の衰退に拍車をかけて村も町すら消滅する危機になった。
土地のものを食べさせようにも放射能汚染でできないとか
苦しい立場にたたされたのである。
だから津波原発事故地域はその将来像を描くことは本当にむずかしい。
町自体村自体が消滅するとなるとゼロからまた作り直すのは容易ではないから
町から人が流出してゆくだけである。

一九七〇年代からふりかえる (高度成長時代から日本は物質欲が減退して文化の時代に)


一九七〇年代からふりかえる

(高度成長時代から日本は物質欲が減退して文化の時代に)

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●団塊の世代の大学生活

案外忘れられてるけど卓上電卓がオフィスに普及したのも最近なんだよね。
70年代からじゃない? つまり団塊が社会人デビューしたころは算盤上等なわけで
電卓はあっても値が張るわけで、まだまだ算盤やら手計算がメジャーなわけだ。
いわんや簿記なんか分厚い帳簿を引っ張り出さなきゃいけない。
 経理だろうと人件費計算だろうと大量に人間がいたわけだ。

書類がコンピューターでデジタル化した。だから相当書類が減った。書類の整理だけで大変な労力がこれまではあった。そういう所が省力化すると人手がいらなくなる。
本や情報もデジタル化すると効率がいい、ただ本なんかはやはり本としての良さがあり
なくならないだろう。ただコストがかかるということで衰退してゆく。

今や自分は忙しくて図書館などで調べられない、図書館は何か調べ物するには効率が悪いし時間がかかりすぎるのである。
町とかに図書館があっても小さすぎて役にたたないのである。
インターネット化すると郷土史の研究が全国的ネットで結ばれるメリットがあった。
郷土史研究はマイナーであり本で調べるのがむずかしい分野である。
大学で論文を出していたのでそれを読んで参考にした。
一般の人が大学と結ばれるのもインターネットではできる。
今までは情報にアクセスするには壁があった。
大学には一般の人は入ることはできなかった。
ただまだまだ情報や論文を公開している大学は少ない。


それにしてもずいぶん時間がすぎてしまった。遠い昔になってしまった。
団塊の世代も歴史的に語られる存在になっているのだ。
高度成長時代を作ったのが団塊の世代である。
大学時代に車に乗っている人がいたがあの時車は贅沢であり車もっている男性は格好いいと女性から見られていたのかもしれない。
車はそんなにみんながまだもてるものではなかったろう。
ただその頃から急速に普及し始めていたのだろう。


自動車の普及が急速に進むなか、1968年日本の自動車生産台数が世界第2位に躍り出ました


日本の技術の開発のスピードは意外と早かったなと思う。その時すでに世界二位というのは驚きである。集団就職の時代であり人手がたりな金の卵として田舎から大量の労働者が東京などに送られた時代だった。
この日本車もすでに世界で通用していたのである。

●団塊の世代でもすでに大学は大衆化していた

クラスで田舎では大学に入れたのは4,5人だった。
集団就職が三分の一くらいいたようだ。
それでも大学だと私立はマンモス大学であり凄い数が集まっていた。
この時大学は特別なものではなく大学の大衆化がはじまっていたのである。
3000人とか入る大講堂で講義しているのも異様な風景だった。
高校からするとあまりにも違っていたからとまどい勉学の意欲を失う人もいて
全学連など学生運動に身を費やす人もいた。


大学はレジャーランドとか言われた時代であり毎日マージャンをしている人もいた。
大学で授業にゆくやつは遊ばないやつだとうとまていたのも不思議である。
大学とは高校と違って遊ぶ場所だったのである。
マージャン大学、パチンコ大学にもなっていた。
パチンコはその当時本当にヤハなものだっ。
誰でも手作りできるようなもので板の箱でただ釘を打っているだけのものだったのである。
その釘の調節で出るのと出ないのを調節していた。
そのころからみるとぶいぶん変わったなと思う。


高校では考えられない落差がありとまどう人も多かった。
高校は毎日通い遅刻も許されない、大学は授業に出るのも出ないのも自由だというのはあまりにもその差が大きかった。
かといって自主的に勉強している人はまれだったのである。
文系は特にそうでありそれでも卒業できたのだからでたらめな大学が多いとういこともあった。
それでも社会に出ると学歴で判断されることが多い。最終学歴はあとあとまでついてくる理系ならともかく文系なら学歴などほとんど関係ないものだったかもしれない

そういう大学で自由に過ごしたのに卒業したら企業戦士として会社人間となったのも不思議である。全共闘の闘士は今度は企業戦士に変身したのである。

●高度成長時代から労働欲減退の衰退の時代へ

その時丁度高度成長期で経済は鰻登りで波にのっていた。
給料は毎年確実に上がっていた。だからメーデーなどの賃上げのパレードは祭りとなっていた。
労働組合もその時最盛期であったのはそれだけの賃上げが確実に要求すればあったからである。
それは日本経済が家電分野でも自動車でも世界の最高レベルにありプランドとなっていたからである。
今になると高度成長期は日本の黄金時代だったともなる。

現代の経済状態はアベノミックスとか金融で経済を活性化しようとできない、
なぜなら世界で売れるものが作れていないからだ。
家電でも中国韓国においつかれているしこれは日本製でないとだめだというものがないのである。そうしたらいくら金融で経済を活性化しようとしても無理だろう。


紙幣をすって紙をすって景気よくなるなら苦労しないよな


これ本当だと思った。日銀で一兆円でも紙幣をすっても景気良くなるとは思えない。
日本はどうみても衰退社会に向かっている。高度成長の黄金時代から少子高齢化とか非正規雇用が一千万とかまともに働く場所すらなくなっている。
その一つが引用したパソコンなど機械化により労働力をはぶいている。
2001年にwindows xpがでたとき急速に普及した
農家でも田植え稲刈りも機械であり片手間に農業をしている人が多いしそれでもできる。あとは専業農家に田んぼでも頼んでいる。

高度成長時代は会社人間であれみんな働く意欲があった。
それは物質欲が強い時代だったからだろう。
ギブミーチョコレートからはじまった戦後があり物質欲が異常に高い時代だった。
戦後の何もない焼け野原からはじまっていたからである。
その物質欲、欲望に高度成長が火をつけた。
その時、若年人口が多く人手はいくらでもあったがそれでも人手不足の時代だったのである。


●機械化がすすみ底辺化した労働者

現代は非正規の人が多いという時、機械化により労働力がはぶかれ会社の正社員にもなれず、底辺労働化した時代である。
高度成長時代はどんな大学出ても会社に就職できていた。正社員になれたのである。

今後何十年も新卒は6割しか就職出来ず、その多くは非正規の仕事か数年以内の早期退職になって、 

 毎年数十万人以上の若者がニートやフリーターになるんだぞw
 氷河期やニートを含めたらやがて1000万人を越えるぞ。 
大卒や弁護士や会計士の資格の有る人ですら就職難なのです、
それ未満の学歴の人には更に就職先は有りません。


大学などは今やこれだけ数が多くなれば価値がない。大学でて当り前とまでなっている。そうした非正規労働とかブラックな企業で働くとかが問題になるとき、高度成長期のような労働意欲が衰退しているのだ。
そして別にテレビでも車でもなんでも一応もてるしそれが特別ほしいという物欲も衰退している。そんなもの安く誰でも手に入るという感覚になった。
つまり団塊の世代のような物質欲も今は衰退している働く意欲もない
そして働く場所がそうした底辺労働しかなくなっていることもある。

つまり現代は物質欲の減退した時代になっているのだ。テレビがほしい、車がほしい、マイホームがほしいという欲望が希薄化した時代である。
そういうものはすでにあり充たされている人が多い。
だから経済を活性化させようとするとき高度成長のような物質欲を刺激してもすでに充たされているとなるとそれはできない。
日本ではすでにそうした物質欲を刺激して経済成長を計る時代は終わっている。
そしたら何をもって経済成長するのかとなる。

だんだんモノではなく心を豊かにするものを求めてゆく時代になる。
中国でも経済成長とする世界旅行がプームになったことでもわかる。
物を買いにもくるがやがて日本文化というものに興味をもつようになる。
つまり文化の問題がクローズアップされるようになる。
その日本文化というのが明治維新以来の欧米化で衰退してしまった。
だから日本人自体が日本の文化を見直す時代が来る。
こういうことは奈良時代や平安時代にも起こったことである。
インターネットは事業化してもうけようというビジネスに利用するという風に騒いだが
本来インターネットはそういうツールではない
情報の共有とか格安で自力で発信できるとかビジネスの金儲けとは違ったコンセプトで作られた。
だからインターネットを金儲けしようとすることにあわないのである
それは何か知的なものとかハードからソフトへと移行するツールでもあった
それはハードの物作りよりソフトなものが要求されている


ともかく人間は働くという自主性が労働にあるときはいい,でもたいがい非正規でも働かせられているという受け身にさせられている。だから働くことに生きがいを感じない。
また働く場所でも人間はただ部品のように付け替えさせられているだけであり機械と代わりないとなる。時給いくらというときそれは人生の貴重な時間を切り売りしている。
労働がworkというとき、作品になるのだから働くことが自分の人生の作品を作るような働き方でないと自ら働くとはならないだろう。
ただ強いられて働かせられているというのは人間本来の労働ではない、
そんな贅沢がいえるかというのもあるが豊かになればやはり労働の質も変わってゆくのである。


ともかく現代の問題は過去から考えないと見えないのである。
すでに団塊の世代は過去になり歴史となりふりかえる時代になっているのだ。
60まで生きれば個々人も一つの歴史を生きたとなりふりかえる。
そしてその時自分はどう生きたのかどういう時代を生きたのか自ずと理解できる。
その人の人生が個々人でもどういうものだったか否応でも解答が出る。
だからでたらめに生きた人は過去をふりかえるのも苦しくなるだろう。
ただ人間は過ちを犯さない罪を犯さない人間はありえない
でも最後は後悔が多くなるというのが人間の繰り返しだったのである。

posted by 老鶯 at 12:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題