2014年06月13日

原発避難者は老人だけ帰っても住めない (茨城県の息子の所に行くという人)

 

原発避難者は老人だけ帰っても住めない

(茨城県の息子の所に行くという人)

仮設に住む小高の人はまだ64くらいだけど脳梗塞をして足が不自由とかで手伝いさんを頼んだ。車の運転はできるという。何もできない状態ではない。
だから週二回くらい簡単な家事をしてもらいばいいとなる。
息子は茨城県にいておくさんも息子の所にいる。
将来は息子の所に行くという。
おくさんもいるし体もそういう状態ではそうなる。

これは一つの例だけど原発避難民は結局小高すら帰れる状態にインフラも回復しても帰らない人が多くなるのではないか?
なぜなら体が弱るとどうしても支える人が必要でありその息子や娘に頼らざるを得なくなる
近くの人も一人で暮らしていたが買い物などを頼んでいたができなくなり
息子のいるイワキの施設に入った。
施設でもどこでもいいとはならない、やはり息子や娘のいる近くがいいのであ。


その人は家も小高にあっても住まない、その家は空家になる。
小高でも警戒区域が解除しても帰る人は少ないだろう。
農業だって老人ばかりになってやりたくない人が50パーセント近くになっているのだ。
高齢化というのが津波や原発事故被害地域に大きな影響がある。
もともと跡継ぎがいなくて困っていたのである。
その跡継ぎの子供が避難区域や津波の被害地域から去ってゆくと
残されるのはこうした病気もちの老人だけになってしまう。
そういう人たちがどうして町を維持できるのだろうかとなる
ただ世話されるだけの人がいて世話する人がいなくなるからだ
そんなところに老人すら帰らないだろう。

だから小高でも帰るのに帰らない、ましてや浪江とか双葉とか飯館はは余計もあきらめている
将来をになうものがいないということはそれだけ深刻だった

要するにもっと補償金をもらって他で生活することに傾き計画する
避難区域にはもう帰らないが補償金だけは多くもらいたいという考えになってゆく
老人はいくら帰りたい、先祖代々住んでいた場所に住みたいと思っても
老人だけでは病気もちなどが多い老人だけの町など成り立たないだろう。
やはり最後は子供が頼りで出て行ってしまうだろう。


津波被害地域でも原発事故被害地域でも


ここでどんなことがあっても生きてゆくんだ


何かそうした強い動機が働かないのである。

不思議なのは相馬藩内に飢饉の時に越中から移民してきた人たちは強い意志があった
それはここで生きなければ死ぬ他なかったからそうなったのである。

今回はそんなことはない、別にどこでも生きていけるし他に移った方が楽である
するとそんな強い意志は働かないから故郷といっても帰らない

例えは浪江の津島辺りでも貧しくても開墾して開いた村だから団結が強いと報道があった。それは貧しくても苦労をともにしたという経験があり村人の結びつきが強かった。
でも一旦原発事故でばらばらになればもうそんな強い意志とか団結はない
一億円の補償金をもらって他に移り住んだが方がいいとなる

だから人間は金があると裕福になるとかえって団結がなくなる
ともに苦労したという時団結が生れる。
困窮した時団結が生れる、危機の時も団結しないと乗り越えられない
家族でもそうであり必ず病気なったり困窮するときがあり
その時、協力するから家族なのである
それがない家族は例え血縁でも弱く崩壊しやすい


要するに現代が広域社会であり金があればどこでも生活できるとなると
故郷がどうだこうだというまえにそのつながりも希薄であり
こういう危機の時は容易に解体しやすい要素をもっていたともなる
大内村でも郡山市の方が便利で帰りたくないとなっている
補償金をもらって暮らしたいとまでなる
何か故郷でも留めるものが希薄である
家族いればまた別だけど家族すらばらばらになってしまったからである
そうしたら故郷に留めるものは何かとなる。


自分の場合はそもそも都会が不向きだからいる。
混雑したところもいやだしそういう性格的な面がある
田舎は人間はいやでも自分は都会向きではない
この辺の自然環境は気候的にもいいし
地形にしてもかなり海あり山あり変化に富んでいる。
だから詩のテーマにしてきた。
芸術はそもそも田舎でしか生れない
自然が芸術の基としたら大都会にはないからである。
ただそれだけでは引き留める動機とはならない
家族がばらばらになったのが致命的だったかもしれない。


いづれにしろ広域社会であり金の社会になったとき
そもそもその土地に土着するというのが希薄になっていた。
田舎でもほとんど会社につとめているのあり専業農家はまれである。
そういうところではもう土地自体が生活の糧ではない
会社が移動すれば家族も移動する
そういう社会状況の変化が津波や原発事故で最後のとどめをさしたとまでなる
つまりもう津波の被害地域や原発事故の避難区域は元にはもどらない
老人だけ帰るといっても誰も世話する人がいなければ帰れない
そこではうば捨て山になり死ぬ覚悟が必要になる
それより息子娘のいる所に行くとなり町は復興しないだろう。
「絆」と盛んに言われたけどその絆がもともと希薄になっていたから
津波や原発事故で容易に解体してしまったともなる

 
 
posted by 老鶯 at 11:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連