2014年06月12日

津波がきた3キロ地点で何度も海の水にのまれる夢を見た (人間の夢は何か告げているー古代では夢を重んじた)


津波がきた3キロ地点で何度も海の水にのまれる夢を見た

(人間の夢は何か告げているー古代では夢を重んじた)

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子供のときから今に至るまで繰り返し見ているのが、大きな波に呑み込まれる夢だ。
パターンは色々だ。
海水浴場で遊んでいると、大津波が水平線の向こうから聳え立つ。
城塞都市の坂道を歩いていると、坂道の下から白い波がとぐろを巻いて押し寄せてくる。

ガラス張りの旅館のロビーの、そのガラス戸いっぱいに津波が打ち寄せ、窓を破って押し入ってくる。

それでもいったん呑み込まれると、体は波に囚われたままいつまでも浮かびあがらず、もう少し、もう
少しで顔が出ると、我慢しているうちにどんどん息苦しくなってくる……。

http://blog.livedoor.jp/taeko_asano/archives/361351.html


溺れる(溺れそうになる、誰かが溺れている)夢は、精神的に追い詰められたときによく見る夢であると言います

 


人間は水に溺れる夢を見るのは誰でもある。一面が海になっていて取り残されてもうだめだ、死ぬんだなんて夢を見る。
水にのまれて必死になって泳いだりして浮き上がろうとするがもう助からないという夢を見る、たいだいもうだめだというとき目が覚める。


海水浴場で遊んでいると、大津波が水平線の向こうから聳え立つ。
城塞都市の坂道を歩いていると、坂道の下から白い波がとぐろを巻いて押し寄せてくる


ここまで大津波として夢を見る人はまれだろう。
津波は普通は経験できないし見ることもできないものである。
海の水が押し寄せてきたとしてもそれは津波とは普通は自覚できないだろう。

自分は地震とか火事とか炎につつまれて苦しんでいて脱出するような夢は見ない
ただ水にのまれる夢は何度も見ている
一面が海になってもうどうにもならないという夢も見る
それは何か津波とにているが津波という意識はこれまでもなかった
普通に他の人も見ているだろう
一面が水に囲まれ海に囲まれ絶体絶命になっている
そういう夢は津波とにている
ただ海側に住んでいて津波を今まで考えたこともないし意識したこともない

相馬では400年もこんな巨大津波などなかったのだから誰も津波など来ないと思っていた

ただ自分は今回津波が来た小学校の前で何度も海の水がおしよせてその水に飲まれる夢を見た。
それが今回ちょうど鹿島小学校の前で津波が止まったのである。
その鹿島小学校の前で海の水がおしよせて海の水にのまれ溺れもうだめだという夢を何度も見た。
それは小学校の前だというときその前が家がまれであり田んぼになっていて海に出る
もしかえってそこに家が多く建っていたらそうしたし夢は見ないだろう。
海が近くても住宅地化していたり工場地帯とかなっていたら海がさえぎられるから
海の水がおしよせるような夢は見ない


水におぼれる夢などは何かに追われているから追い詰められているから見ると言われる
もう脱出できないというのはそういう心理状態にあるから見ると言われる
でも何かそうでもない、別にそういう心理状態の時でなくても見ている
だから鹿島小学校前でそういう夢を何度も見たこととが津波が来てから不思議になった。
海から離れて街に住んでいてもそういう夢を見る、そしたら海に接して荒い波の音を聞いてくらしていた人は怖くないのかといつも思っていた。
海を身近に毎日見ていたら何かその海にのまれる夢は日常的になる
海から4キロとか離れてもそういう夢を見ているからだ。

一面が海になるのと違ってその夢が場所が特定されていたことが不思議なのである。
ただ漠然と水にのまれ溺れる夢ではない
鹿島小学校のじき前でそういう海の水にのまれる夢を見たのである。
その鹿島小学校の校舎のある前で津波は止まったのである。

鹿島小学校の近くが住宅が何十軒かあり津波の被害にあった。
あんなところでも床上になり被害が大きかった。
津波の後でもたいして家が破壊されていないからたいしたことないと見ていたのである。しかし津波の被害にあった人は今も津波の来た海の方向が怖いと言っている。


不思議なのは仙台辺りでも石巻でも直接太平洋に接して住宅地になっていた。
石巻などは日和山の前など過密に家が密集していてこんなに家が密集していいのかと通りすぎたことがある。
その密集した家が根こそぎ津波で流された。
そこは入江でもない太平洋に直接面していたのである。

なぜあんな危険な所に人は住んだのかと津波の後に盛んに言われるようになった

そもそも弥生時代になると稲作がはじまり江戸時代辺りから開拓事業が拡大した。
伊達藩でも相馬藩でも海側に原野を開拓したのである。
でも慶長津波では相馬藩内は原野の所が多かった。
でも津波が来ていて危険な場所だという認識はあったはずである。
でも日本では土地がないから米を作るために海側を開拓してきた。
有明海でついに開拓する場がなくなったとき、農民は満州に移住した。
そこでも米作りしていたのである。
日本の宿命は土地が狭く耕作地がないから農業には限界があった。
その限界を突破するために海側を開拓して土地を広げた。
そういうことを可能にしたのは文明の力だった。
それだけの技術力が生れてできたのである。


縄文人が海を埋め立てるのを見たら驚き神罰があたるよとか言ったかもしれない
それは自然を恐れないものであり自然とともに生きていたからそう言った。
自然への畏れが常にあった。弥生時代になるとそういうことなくなった。
ただ米をそうして拡大して作ることによって急速に人口が増加したのである。
人口が増加したのは文明の力だったのである。
縄文時代だったら人口は増加できないのである。

弥生時代になり稲作文明になったとき、すでに自然への恐れは弱められた。

今回の津波ほど自然の恐れを感じさせたことはなかった。
自然の力はとても人間の想定できない力をもっていると驚いた。

古代では人間の夢を尊んだ


 西郷信綱の『古代人と夢』は、昔の人は夢をこんなふうに考えていたのかという新鮮な驚きに満ちている。王位継承者を夢で決めたり、夢の中に現れた観音様のお告げを信じたり、夢の売り買いまでする人々がいた。西郷は夢を主題化することによって「人間的な何かを忘却のなかから想い出すよすがにしてみたい」という。それにしても、夢を信じる、言い換えれば、夢ももう一つの現実であるという認識は、どのように生じるのだろうか。

 西郷がくりかえし強調するのは、夢の他者性である。夢は自分のものではなく、「人間が神々と交わる回路」であり、「神や仏という他者が人間に見させるもの」だという。

「住の江の岸による浪よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ」(藤原敏行朝臣)
http://d.hatena.ne.jp/hyakkenn09/20140427/1398575416


これは興味深い、夢は神の御告げのような役割を果たしていたのだ。
それだけ人間の夢は不思議でありその夢を解くことが要求された。


人間的な何かを忘却のなかから想い出すよすがにしてみたい


津波は400年に一度となるとみんな忘れてしまい相馬藩では伝承などほとんど残っていなかった。
しかし津波のことを忘れていても海にじかに接して住んでいれば何か海への恐怖感が日常的にあるのが普通である。それが海に接してすむ人たちになかったのも理解できないということはある。

 
例えば
 
海に接して住んでいる人にこんなことを言った。
 

「わたしは何度も鹿島小学校の前で夢を見たんです
海からの水がおしよせてその水にのまれて溺れそうになる夢です
目が覚めると夢がさめてそ助かったなと何度見ていたのです」
「それは何なんだろう、あんなところに海の水が押し寄せるということはない
かなり離れていて海も見えないんだけどな」
「いや、小学校の前は家は少なく田が広がり海に通じている、だから海が近くに感じることもあるんだよ、前に住宅地があって海がさえぎられていると見えない
だから海を意識しないこともある」
「でもそんなところで海の水にのまれるとはなんなのだろう、
俺たちのように海に接して住んでいればわかるけど遠いからな」
「だからこの夢はなんなのか不思議だろう、この夢を買ってくれ」
「そんな夢を買えるか、海を見て俺たちは毎日暮らしている
海を恐れていてはここに住むことすらできなくなるべえ」
「それならいいですが、何か災いが起きなければいいんですが・・」
「俺を脅すつもりか」
「いいえ、その夢を何度も見たから言ったまでです」

ともかくあの地点ということが自分の夢では明確だった。漠然としたものではなかったのである。


住の江の岸による浪よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ


これだけど恋人が波がよるのにも寄ってくるのが見えるというのはこの辺ではありえないいつも荒々しい波が防波堤に打ちつけていて荒寥としていた。
西の海とは違い穏やかな海ではない。

海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、波ばかり。


曇った北海の空の下、

浪はところどころ歯をむいて、
空を呪つてゐるのです。
いつはてるともしれない呪。


中原中也

この辺ではこういう海だった。人魚は沖縄だったらふさわしいだろう、実際にジュゴンがいるのだから空想でもなかった。
その海とはあまりにも違っていたのである。

いづれにしろ文明が発達するとそうした人間の夢でもそんなもの意味ないよとかなる
でも鹿島小学校前で自分が何度も海の水がおしよせてきて溺れる夢を見たことの不思議である。それは明らかに今になると津波だったのである。

posted by 老鶯 at 19:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係