2014年06月10日

梅雨 (相馬市の道の駅でまた老人が集まっていたー避難民の補償金がやはり話題になる)


梅雨

(相馬市の道の駅でまた老人が集まっていたー避難民の補償金がやはり話題になる)

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小雨ふり朝の草原夏雲雀
6号線燕の雛やはや育つ
梅雨の日や老人集う道の駅


ローソンの屋根の下に燕の巣があった。すでに巣立ちするように大きくなっていた。
いつのまにここに巣を作っていたのだろうと思った。
あそこは意外と安全である。
人がしょっちゅう来るから烏とか雀にねらわれない
燕が巣を作る場所に一黒苦労する
あそこはいいところを見つけたと思う
家の軒先でも猫でも烏ずもねらわれすい
雀はこの辺は別に減ったように見えない
原野化しても餌はあるのだろう。

自分はいつもあそこでコーヒー飲んだりして息抜きしている。
やはり外で飲むのが気持いいのだ。気分転換になる。
喫茶店あればいいが喫茶店だと今は400円とかたかくなるしなかなかない
人間はなんか気分転換が必要なのだ
今の梅雨の時期は特にそうである
なかなかでかけられないから憂鬱になる
これまでは仙台からフェリーで必ず梅雨の時期には旅に一カ月とかでかけていた
今になればつくづく恵まれていたなと思う

道の駅では車で北海道に行くとか例のごとく老人が集まっていて話ししていた。
その人は車で寝泊まりするから宿泊代はかからなかったと言っていた。
車もっていると泊まることでは楽である

そこで話ししていたのは郡山市から仕事で来ていた人だった。
補償金の話をしたら


「津島の・・か知っているけどこの前あったら一億もらったとか言っていたよ」
「この辺では小高はもらっているな、一時帰宅でもガソリン代とか何万とかもらえるんだよな、何かと金がもらえるようになんているんだよ」
「5億もらった人もいたよ」
「津島だともう帰れないだろうな」
「土地ねえかとそいつは言っていたよ」
「そんだけ金があるんだから豪邸は建てられるな」
「でも土地は簡単に手に入らねえし億の金もなくなるかもな」

常に話題になるのは補償金のことである。浪江町ではまず一億をもらうのはめずらしくないだろう。ただ一億にしても家を建てるとなると土地代だけで高くなっているし
簡単に買うこともできない状態である。
だから金があってすべていいとはならない
浪江の工場経営している人はお前らは補償金で働くことねえだろうとか言われると
何か不満を言っていたのもわかる
金があるからといい方向にみんな働かない
金があることでいろいろ言われるし危険にもなってくる
原発避難民はどこでも金があっても回りからいい顔されないだろう。
あいつらがっぽり補償金もらっているからいいよな、俺たちはこうして毎日安月給で働かなきゃならむとか必ず回りからねたまれるし特に原発避難民は特権階級となり

郡山市では車が実際に傷つけられたこともわかる

原町の人福島市で傷つけられとかあり福島市の人も線量が高いから不満がある
やはり原発の避難地域はもらいすぎということがあるだろう。
ただそこに住んでいる人にすればすでに先祖代々の土地であり家を失ったのだから
その埋め合わせでは当たり前だと思っているだろう。
それもわかる、でも回りではそうは見ていない
避難民だけが何であんなに優遇されているのだと回りでは見る

そして働いている人にすれば安月給で働かなきゃならんのは馬鹿らしいともなるだろう。補償金をめぐってこの辺では南相馬市では特にそうだけど
他の避難した人たちにも回りではそういう眼で見られている
結局避難区域はもう金をもらったから浪江で帰りたくない
億の金があってもそこはその金に値するサービスを受けられないのだから金の価値がないのである

だから果たしてそんな大金が幸せに結びつくかどうかはわからない
人間の幸福は今はわからない、その最後になりようやくわかるとかなることも多い
だから何十年後にどうなっているか見ないとわからない

何億もらってもその金も使ってしまい結局何にも残らなかったとかなるかもしれない
村の人も町の人もばらばらになって浪江町は結局なくなった
金をもらっても回りからいい顔はされないしいいことなかったとかなるかもしれない
金はみんないい方向には働かないのである。
そうはいっても今のうち金だけでもいくらでももらっていた方がいいとなるのが
そんな状況だから余計になり避難民はただ強欲だとか言われるだけになる


六号線はやはり東京と通じている時、その役割を果たしていた。
でもこの辺は工事関係者などまだ多く来ている。
だから外食店などはそういう人たちが常に来るからいい
五本松のレストランは夫婦でやっていてうまいとか言っていたので入った
イカの天ぷら定食は1000円では野菜も入っていたので安い方だろう。
奈良のナンバーがあったから除染であれ今はとにかく遠くから来ている
だからレストラン関係などは前より繁盛しているのだろう

ただ一部は仮設では繁盛していたが減ったのでめっきり来なくなった所もある
ただ以前としてプレバブの仮設の宿泊所はあちらこちらに建った
だから外部から来ている人は相当数いる

六号線はやはり東京と通じた時、その役割を果たす
途中で切れているから道の役目を果たしていない
それでも車は全然減っていない、まだ工事のためのトラックが頻繁に通っている
あと何年間はこうした状態がまだつづく
ただ5年くらいしたら工事も一通り終わったりしたらそのさびれ度合いは半端じゃないかもしれん
それがこの辺に住むものの怖さである。
夕張のようになる恐怖がこの辺にはあるのだ

いくら補償金をもらったからといってそれだけで今度は豊かになれないだろう。
東電に代わるような産業がないと衰退する
火力はまだあるからそれはこの辺の経済を以前として支えるだろう。
常磐高速道路ができればまた復興の力にはなる
やはり工事が一段落したら相当にさびれる
老人ばかりのしょぼい所になっているかもしれない
そういうところでは金をもっていてもいいサービスが受けられないのである。

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今日は母のショートスティでありなんとか行ってくれたから良かった。
風呂に二カ月も入っていなかったからだ
「厚寿苑」は近いから利用しやいのである。
つくづく高齢化社会は何で近くが大事になる
買い物だってそうだし助けてもらうにも近くにいないとできない
原町でも相馬市に娘がいる人もやはり遠いのである
隣にいるような人だと助けられるのである。

介護とか病気は物を買うのではないのだから近くの人がしてくれるのだからそうなる
でも厚寿苑では地元の人はほとんど働いていない
介護士は南相馬市以外から来た人たちである。岩手県の人もいるとかいろいろである
あそこは三階までありホテルのようになっていて収容人数も多いからいい
それが近くで利用できるからいいのである
必ず一日一回はすぐに様子見に行けるからいいのである
それで安心するしなんか用事があるから出かけることもできない

いづれにしろ自分はもう一日たりともやはり出かけいるの用意ではない
猫を飼ったことでも出かけられない
猫は飼うことはめんどうだった、自分のようなものには猫を飼うことは向いていなかったでも大きな家に一人いるのも淋しいから飼った
だから何か一日たりとも出かけられないというのには変わりないしこれからそうかもしれない

とにかく梅雨の時は気がめいるからやはり小雨くらいでも自転車で走るのがいい
人間はやはり気分転換が必ず必要なのである

バソコンの抽象画で感じたこと (霊は光源や色彩のような形で存在する)


バソコンの抽象画で感じたこと

(霊は光源や色彩のような形で存在する)

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自分には絵の能力が全くない、何一つ具象画を稚拙なものでも描けない
でも不思議なのはパソコンの抽象画でまず感じたことは今までにない色の美しさである
この色は今までの絵の具では出せない色である。
ただ単に色の配列だけで美を感じる
だからこれは何なのだろうと思った


そもそも人間にとって色彩とは何か?
そのテーマが絵画の中にある
絵画の現す美は主に色なのである。
立体性を追求すればそこに意志が生れそれは建築になる
絵画も立体性を追求しているが主なものは色である
その色は無限なのである。
同じ赤でも千種類くらいの赤があるのだ
だからすでに色は無限だとなる


その色とは何なのか?
それは人間が神に与えた魂の様相なのである
青かか黄色から感じるもの
光を受けてその色は映える
その色の世界は神が作り出した無限の魂の反映なのである
花々の美しさはまさにこの色にある
本質的には色によって個性が作り出されている


霊体といった身体的表現を必要とせず、光源や色彩のような形で存在するようになるのです。
その形態で、さらなる霊的進化の道をたどっていくことになります(シルバーバーチ)


まさにこれは色が霊性の表現としてあることなのだ。
もしこの世に色がなかったら暗黒であり地獄になってしまう。
毎日人間は色を感じている生きている
四季の花は色によって変わる
緑は何か癒しであり青は澄んだ心を反映して白は純白を示している
それは心の純白でもあり清らかさである。

その無数の色を光線が太陽がさらに美しくする

天国の花園というとき、そこは彩り豊かな花園というとき色の世界なのである。
天国とは何かというときすでにこの世にその模造として現存する
人間はそれを心の眼で見ていないだけである。
それは例えあったとしても心の眼で見なければ見えない世界なのである。

人間の心はこの世で様々なものによって曇らされる
様々な欲望が限りなくありそれによって曇らされる
それは実際は老人になっても消えるわけではない
死ぬまでそうした欲は消えないのである


東京に空がないというときそれは本当の色がないということである
北海道のような所だったら広々として色が映える
田舎でも映える、この辺では放射能に汚染されたが
この放射能の不思議は全く自然の色には影響していない
水は澄んでいるし空も澄んでいるし花には影響がなかった
それを何度も書いているけどだからどこが汚れているかもわからないのである。
だから中国のように黄砂とか煤煙だとはっきり目立って汚れを意識するが
放射能はそうした汚れを意識できないのである。
それが怖いと言えば怖いとなる
ただ美の世界は見た限りでは破壊されていないのだ
奇形化した花とか動物が生れたら目に見えて影響があることを知る
まだそこまではわからないから美の世界は破壊されていないと見るのだ


人間は常に肉的存在ではなく霊的存在だと何度も言われるけど
なかなかそれは理解しにくいのだ
霊的存在だというというときこの色の世界を例にするとわかる
この無数の色の世界を作り出したのは神である
その色を見るのは人間の心であり肉体ではない
要するに認識の喜びは色の中に見いだされる
肉体の性の渇望はそれゆえに否定される
人間の本来の認識をゆがめてしまうのが性だからである。


コンピューターから作り出された色の世界は自然の色とは違う
でも自然の色を反映しているものであるから自然から離れては芸術はない
バソコンの抽象画はパソコンから生れた芸術である。
だからインターネットの世界と切り離せない
その原画となるものがインターネット内にあり
それを直接加工することでできるからだ。
これは本の世界ではできないものである。
インターネット内にあればダイレクトに加工しやすく本からはできない
そして抽象画から抽象画に無限に変化しやすいのである
その原画は何かはわからなくなるのが抽象画である


ともかく色とは無限である
最近プリンセスダイアという花を知った
これは鉄線の類だとは思えなかった
最近は新種の改良した花が増えている
その色がなんともいえないものがある
青いガーベラなどもそうだった
プリンセスダイアナというとイギリスの有名なプリンセスを思い出す
確かにその赤はそれはふさわしいので自分の庭に置いた



プリンセス ダイアナ

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プリンセスダイアナよ
その赤よ
そは徒には散らじ
赤き誠を示し散りぬ
その赤さよ
そが心に残らむ
その熾烈なる赤さよ
後の世にも残らむ

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写真のとり方で同じ花でも違って見える
これは比べるために引用した。
花の写真はインターネット上に無数にある
ただちょっと角度を変えたりするだけでも違って見える
でも実際はなかなかこのような写真のように見ていない
そこに他人の写真から新しい発見をする
その人の独自の視点から写せば著作権は生まれる



プリンセスダイアナは不埒な女性ともされた。
ただ情熱的な赤の女性だった
その一生は不運に閉じた。
この詩はまたその女性をシンボル化したものとは違う
花はそれぞれ花言葉があるように精神の象徴でもある
赤はやはり情熱であり日本でも赤き心というように
至誠を示しているのである

花はやはり女性にふさわしい、女性にも様々の人がいて
そのふさわしい花がありそういう人がいる
花はやはり女性的なものであり女性的感覚なものである。



花の心は・・・

花は静かに開く
花は内に花びらを重ね赤みを帯びる
少女のような恥じらいを秘めて
花は横暴な手に触れられるのを拒む
そっとやさしく触れられること望む
花は静かに開き静かに閉じる
花はやはり女性の心に通じている
その体も心も微妙にセンセティブであり
花は女性の微笑みのように咲き
花は微妙にして繊細にふるえる

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花も無数の花がありそれを知ることは一生を要する
花の名前だけ覚えるのにそれだけかかる
花は新種の改良した花も増えているから無限なのである。

抽象画は色の科学的分解作用なのか (秋日暮という一つの具象画から抽象画への例)


抽象画は色の科学的分解作用なのか

(秋日暮という一つの具象画から抽象画への例)

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岩間に沈む太陽

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 密集する山々

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秋日暮http://www.motokawa.com/kaiga/kaiga-20-2.html


ここから分解すると確かにこれは秋の色になっている
この具象画は抽象画の側面もあったから抽象画に分解されやすかったのである。
パソコンの抽象画とはまだ謎である。