2014年05月17日

津波でもどった日本の原初の景観 (松原は人工林であり津波には弱かった)


津波でもどった日本の原初の景観

(松原は人工林であり津波には弱かった)

●白砂青松の景観は自然林ではなく危険だった


松原遠く消ゆるところ
白帆の影は浮かぶ
干綱浜に高くして
鴎は低く波に飛ぶ
見よ昼の海
見よ昼の海

島山闇に著きあたり
漁火淡し
寄る波岸に緩くして
浦風軽く沙(いさご)吹く
見よ夜の海
見よ夜の海

こういう風景が日本の風景だった。


室町幕府の武将にして歌人、今川了俊(いまがわりょうしゅん)が九州に向かう途中に立ち寄った明石(あかし)の海浜を、浜は雪を敷いたように白い砂で覆われ、年輪を重ねた松が強い風に捩じ曲げられた枝々に深い緑の葉を茂らせていると和文で記してい
るのである。



松林の下に自然に生えてくる広葉樹の若木を下刈りすることなどがその典型だといえます。しかしそれは、皮肉にも津波に対する防潮機能をいちじるしく弱めることになってしまいました。

 たとえば陸前高田市の「高田松原」は、まさに日本の「三大白砂青松」の地と呼ばれてきました。しかもここのマツ林は、明治三陸大津波や昭和三陸津波の際には津波の被害も大きく防いでくれました。しかし、明治三陸大津波の際には、「下木として多数の広葉樹が生育していた」(213)そうです。それがその後、昭和15年には「史蹟名勝天然記念物」にも指定され、保護管理区域として「林内で広葉樹が生育しないように、毎年、除草と下刈りが行われ」


マツの単植林が防潮、防災に適さない理由として、一般的に広葉樹に比べて根が浅いという点があげられる。

http://hiroshige724.blog22.fc2.com/blog-entry-124.html

松原は美的観点からだけみれば問題なかった。ただ美的なものではなく防潮林であり
塩害を防ぐ役目も果たしていた。なぜなら干拓して田を広げた時作られたからである。
松原が人工林だったことはやはり田畑もそうだが松原すら自然破壊の産物だったのである。
それが美しいと見えたのは人工林としての庭園美のように見て称賛されていた。
前に書いたけどぶなの木が無用の木ではなく山林にはもともとあった樹である。
ところが杉林になったとき人工林化して洪水に弱くなり土砂崩れを起こす原因ともなった。
ぶなが無用ではなく自然ではその無用と思われるものが有用だった。
それは荘子の思想にあった。そこに中国の大陸的思想があった。

つまり人間の狭い料簡ではとても自然は計れないということである。
人間はそもそも自然を計ることはできない、計られる存在なのである。
だから確率論で一万年に一回しか事故は起きないとか真面目に原発のことで言っていた
科学者がいたがそうした自然を計ろうとした人間の傲慢が津波で打ち砕かれたのである。

山林でもいろいろな樹がぶなでも何でも混合しているのが自然であり単一化しているのは自然ではない、
だからもともと海岸にも原生林がありいろいろな種類の樹が森が形成されていた。
松原だけの単一化したものではなかった。

そういう種々の樹が密生していると今回のように無数の松がなぎ倒されて消失するようなことがないかもしれなかった。
例えば竹林の方が津波には強かった。根が強く広く張っているから根こそ流されなかったという。
それと津波を防いだのは緩衝地帯があった場合相当に違っていた。
四倉は海岸に接して街があっても比較的被害が少なかったのは緩衝地帯の砂浜が広かったからである。
松川浦でも原釜や海にじかに接していたところは被害が大きかった
でも浦に面した所はそこが緩衝地帯となり津波の勢いが弱まり被害が少なくてすんだ。
海岸沿いの道が堤防のようになり浦が感傷地帯となり津波の勢いを弱くした。


●人間が生き始めた時自然破壊が必然的起きていた


要するに自然に手を加えたものはすでに自然を破壊した人工的なものである。
それは人間が住み始めた時からはじまっていた。焼畑農業がこれも森林破壊であり
肥料を簡易に作るために森林を燃やした原始的農法である。
農業にとって肥料がいかに大事か実際にしている人は痛いほどわかっている。
そのために洪水で土壌流出が起こり安くなったのである。

人間が自然の中で生きる時必ず自然破壊が起こりそれが災いともなる。
人間の技(わざ)は必ず災い(技わい)を生むのである。
それはプロメテウスが神から火を盗んだ時からはじまっていたのである。
人間の業(わざ)は自然を破壊しないと生きられないということにもあった。
人間の業は必ず自然を逸脱するものとなりその報復が自然から災害として受ける宿命にある。
だから農業自体が大規模な自然破壊の文明でもあったのだ。
そのことが津波で証明された。
無理して海側に干拓した地帯や人工林の松原が根こそぎ喪失してしまった。
何万本もあった松が陸前高田市では一本も残らなかったのである。
もし自然林だったらそういうことはなかったろう。
欅などは塩分に強いとかなると塩分に強いものが自然にはあり津波の跡でも生育してゆく
松原という単一化は庭園のように人間の美的感覚だけで作られたものであり生来の美ではなかったのである。


そもそも自然は多様性であり多様な植生であり多様な生物が生きるものとして作られていたが
単一化することは自然の文化の破壊だったのである。
米だけの単一生産もまたコーヒーだけの単一生産が危険なのは
外国から食料を輸入できないと飢えに直面することなのである。
現実に東北では江戸に米を商品として作りすぎて天候不順で冷害とかなると飢饉で餓死者を多数だした。
これは多様な食料を作っていれば飢えなかった。
冷害にも強い種は食料となるものが自然にはあるからだ。
食料でも単一化は人間の生物であれば危険なのである。
だから松の人工林である松原や杉林は自然ではないから災害には弱いのである。


●山も松原と同じように単一化された人工林になっていた


カラマツは、日本の天然林に多く見られるブナに比べると、その保水能力は数分の一とかなり低く
ブナの木は山の保水能力を高めること、 野生動物のエサとなる(人間でも食べられるらしいが) 実をたくさんつけることがわかりました。


樹齢250年のブナの木は、8トンの水を蓄えるだけの保水能力を持っているんですよ。


広葉樹は横に根を張り、土壌を安定させるのに対し、
針葉樹は縦に根を伸ばす為、保水能力が低い。


人工林は針葉樹ばかり。
つまり、現代の洪水は、人災。

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ぶな?(木偏に無)がなぜこの字になったのか?この木はもともと森にあった先住民である。それがなぜ無駄な木、無用の木とされたか?それは杉とか檜が効用があったからそうなった。ところが自然にとっては森にとっては欠かせないものだった。不可欠なものだった。保水能力があり木の実は動物たちの食糧になる。ブナは生態系を維持するために不可欠なものとしてもともと山にあった。それを無用のものとして切り杉や檜を植えたとき保水能力が失われ麓で洪水が増えた
http://musubu2.sblo.jp/article/48417815.html



山も杉林などで一様化し単一の森にした。それで土砂崩れが起きやすくなったのである。
ブナの木を無駄としたのは人間の一方的利便性の追求でありそれが自然のバランスを壊すことになった。
自然のバランスを人間の知恵では計り知れないほど微妙なのである。
人間の体さえ未だにわかっていないというのは生命というのが
地球と宇宙と切り離されず一体として生れたからである。だから津波も天体と月とかとも
関係していたというのも本当かもしれないしまだ人間の力では解明されていないのだ。


津波の予兆というのはいろいろ言われる。津波の前の年が夏が異常に暑かったのである。
あんな暑さを経験したことがない異常な暑さだった。
確かに温暖化で暑くはなっていたがあの暑さは異常でありそれが天体の異変と結びつき
津波と起こす予兆だったかもしれない、月が満ちるとかあるが天体にも何かそういう作用があったのかもしれない、
地球と宇宙も別なものではない、一体だからそう考えるのも不自然ではない。


いづれにしろ人間の知恵は永遠に神の知恵に及ぶことはない、
この世界を人間を創造したもののみが知っているのである。だから万能細胞などありえないのである。
要するに奇跡としかいいようがないのがこの世界なのである。
そしてまた新しい奇跡は神の力によって起こされる。
それがいかなるものかは知り得ない、それも想像を絶するものなのである。
文明というのはあくまでも人間の小賢しい知恵であり技でありそこには常に何か危険なものが生れる。
原子力にしても原子とかを操作するから危険が生れた。
もし神のような知恵があれば可能だが人間にはもち得ないからもう毒が出てとめられなくなり人類滅亡にさえなる。
だから火を盗んだフロメテウスの神話から人類に警告されてきたがそれは便利さの追求のために無視されてきたのである。


●文明は津波に敗れて山河あり


漢詩に「国破れて山河在り」とあるが、今日では「国栄えて山河破れ」となる。

国ではなくもはやグローバル化した世界では文明栄えて山河破れに共通になっている。
今や文明による環境破壊は世界的であり世界自体が狭くなっているからそうなる。

津浪は自然のそうした大きなバランスを保つための作用であり
自然界が悪い意図で人間を苦しめているというのではないのだ
四〇〇年に一回であれ千年単位で起きる津浪も自然のバランスを保つ為の作用であった。

異論はあるにしても原始の状態に自然が回帰するようになったのはそれは
自然の作用であり自然のバランスを保つために津波が起きたともとれる。
自然は無情で非情だと呪ったりもしたが津波によって元の自然がもどったということは
自然の美が回復したのである。

白砂というのは右田浜だろうがどこでも日本ではほとんど消失していた。
松原は松風など吹いて気持良かったが海岸線は防波堤でありブロックの山であり
そこに美はなかったのである。そんな美観より災害に備えるのが先だというのはわかる。
でも津波を防ぐ防波堤を海が見えなくするほど高くするのはどうかと思う。
海が見えてこそ海辺に住むものの良さがある。
確かに松原の景色はこの辺で失われたが変わって海が広々と見えるようになった。
今までは松原とかにさえぎられて見えなかったのである。
草原化して原野化して砂が運ばれてまるで北海道のような風景になった。

ただ3キロも津波がきて原野化したのだからその範囲はつくづく広いと思った。
それだけの広さの土地を干拓して人工化したというのもその労力も大変なものだと思った。
それが一瞬にして失われたのである。

津波で失われた所はもとのままにして手を加えない方がいい、
人はもうそこに住まないで元の自然に返す方がいいという意見の人がいた。自分もその意見に賛同する。
防潮堤とかそんなもの作っても無駄でありむしろ津波が来ない地域に住むようにした方がいいとなる。
漁業するにも港に通うというのがいい、車があるのだから昔とは違うからである。
米だって減反時代だからここでとれなくても他からいくらでも入ってくる。
もちろんそうしたら何で生活してゆくのだとかなるがそれはまた別問題である。


津波はただ否定的なものとしてばかり災害としてばかりとらえているが
自然側からすれば自然のバランスを保つための作用だったとなる。
自然の作用だからそこには必ず美が生れる。富士山も噴火した時は被害を与えてもあのような
優美な姿が噴火によって作り出されたのである。
文明破れて山河は残るのである。津波とは自然から見れば大きな浄化作用だっかもしれない。

ただ否定的な面ばかり主張されがやはり元の自然の状態にもどることは悪いことだけではなかった。
自然の美が回復したということはあったのだ。
そんな美よりここで死んだ人を思いというのもわかる。
ここで死んだ人の気持がわかるかというのも犠牲者になればそうである。
ただそればかりを思いつづけいたら復興もなくなるだろう。
いつまでもそうして暗い気持で生きていいのだろうかという疑問がある
被害者になってみなければそれはわからないというのもある。
それは別に死別は常時ありいつまでも死者のことにこだわるのも問題なのである。
一方で忘れるのも問題なのである。その辺の兼ね合いがむずかしいのである。
妻をなくしした人がペットは死ぬから別れるのが嫌だから飼わないと言う
その真意はわからないにしてもいつまでも死者にこだわるのも問題なのである。


いづれにしろ日本は津波国なのに津波災害に対して甘かった。
女川でも石巻でも海岸に密集して家があり石巻の日和山のところにあんなに
家が密集していたのを不自然に思った。こんなに海岸に接して家が密集していたから目立った。
女川でも地形的にまるで津波を呼び込むような地形になっていた。
平坦な地域がほとんどないのである。

それも利便性からそうしした危険な地帯に住むようになったのは
文明が自然を破壊せずに生きていけないのとにていたのかもしれない。
文明とはそもそも利便性の追求でありそれに歯止めがかからないのである。
科学も利便性の追求であり交通事故があろと車を一割も減らすことは生死にかかわるとかなりできない、
もちろんエネルギーも減らすことができないのである。
人間社会には減らす思想がないのである。
一方で宗教は老子であれ釈迦であれキリストであれ清貧であり物質のあくなき豊かさの追求を戒めるものだった。
人間はどこまでも物質的豊かさを求める時、制御がなくなるとそこに文明の崩壊が起きてくる。
その引き金となるのが今回のような大災害だったのである。

 
posted by 老鶯 at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

津波の跡に残る樹々 (それは人間化した木々)


津波の跡に残る樹々

(それは人間化した木々)

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津波にもめげず立ちにき一本松夏の陽輝き明日を見むかな

津波にも残れる樹々の青葉して朝風そよぎ海の光りぬ
津波跡枯れつつ残る二本の樹のなお立ちて人住まぬかも
痛々し樹皮の剥がれてなお立ちぬ津波跡の家の跡かな

太しくも津波の跡に残る樹の青葉して風に鳴りにけるかも

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津波の跡に残った樹々はいつも不思議だった。なにか普通の樹とはちがう
それは庭に立っていたから人間化した木々だった。
つまりその樹をみて人間のようにみていたのである。
また人間のように見えるのである。

樹皮がはがれているのもいたいたしく傷ついた人間のように見えるのだ。
枯れつつある樹もそうである。そこを離れがたくいつまでも立っている。

自然でも人間が住んで樹があるとそれは人間化してくる
ペットでも人間と暮らしていればほとんど人間化した動物になる。
だから家族の一員のようになり墓まで作っている。
樹はそうでないと思っていたが津波の跡の樹を見ていると何か違うのである。
だからいつも不思議な光景だなと見ていた。

樹でも塩分に強い欅などは残って青葉になっている。
その青葉には風がそよぎ朝の海がまじかに光っている

それにしてもあそこの道の両側に門のように残った樹は力強い
あの辺は相当に海に近かったのだ
だからとても住める場所でなくなっていた。
庭の石が残っている所はまだ被害が少なかった
そこはかなりの距離があったから残ったのである。


右田の一本松は有名になったけどあの松も果たして残るのだろうか?
ただその一本松にも人間を見ているのだ。
ここに立って残ってほしい、生きていて欲しいと人間を見ているのだ
ここに立って生きていれば明日を見ることがある
明日とは何か、それは復興した明日かもしれない
復興とはまた何なのか今はわからない

しかしやはり明日を見たいということがある
その明日はこの一本松が生きることにより明日を人間と共有するのである。

だから陸前高田市でも残った一本松にこだわったのである。
ただあの松は死んだから代わりに人工の松にしたから実際はその松は生きてはいない
死んだ松になってしまっている。
実際に生きていてこそシンポルになりえたのである。
生きているということはやはり違っている、それは人間と同じように
生きているものには感情移入ができるが人工物にはできないのである。
だから植物でもペットでも人間化するのは人間と同じようになるからである。


月でも火星でもそこにあるものはまだ人間化していない
もし人間が住めばそこも石があり山があれば名付けられて人間化するのである
人間化しないところはそこはまさに非情の世界であり火星と同じなのである。
人間化することによって自然も宇宙も価値を帯びてくるのである。