2014年05月13日

夏の浜街道(サイクリングしている退職した人と出会う)


夏の浜街道(サイクリングしている退職した人と出会う)

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浜街道松影涼し城跡へ

藤垂れて神苑清楚白つつじ
夏の夕草原のかなた海望む

甦る青春の日々夏の月

団塊は解放的や夏の月

故郷をサイクリングにめぐる人夏の日我と出会いけるかな


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サイクリンクしている人と出会った、年齢聞いたら一年しか違っていない
朝4時とかにサイクリングしているという、その人は車ももっているし
溶接の仕事もしてきた、それもアルミニウムとかのでありむずかしいから金なったという、
誰でもやれるのは金にならない、誰でもやれない特殊な技術をもてば金になる

その人の趣味は多彩である。音楽がもともと好きでフォークソングをしていて
インターネットで楽譜を探してギターをひいているというし釣りもやっていたしと趣味が多彩である。
運動不足なるので自転車もやるようになった。

それでも自分と一年しか違わなかったら自転車も肉体的には辛いはずである。
その人は5万くらいのロードにのっていた。高いものではないが目立つ
自転車の人とはこうして話ししたりすることになる

その人と話ししてわかったことは退職した人が増えて暇をもてあます人もますます増えてくる。
だから前に六号線を鹿児島から青森まで歩いて行くという人がいたことには驚いた。
その人も公務員を退職して旅にでた。もう保養ではない、どこまでも自由に行けるところまでゆく、
それが勤めている時はできなかったので退職したとき一気に束縛から解放されて旅に出たのである。
勤め人にはそういう自由な旅に憧れている人がいる。
だから海外旅行でも退職してバックバッカーのようにして旅している人もでている

要するに退職して暇になりその暇をどうしていいかわからないという人が増えているのだ
ただ貧乏な老人も多い、そういう人はいろいろな趣味に金を使えない,
無理して金もないのにそうした金のかかる趣味をもって泥棒まで人がいたし
そういう人の犠牲になったのが自分だった。
小さな畑を作っている女性もそれは商売とかではない、
ただ農家の人だから畑で野菜や花を栽培するのが向いていたからしているだけである。
でも畑をうなうのが辛いとか頼んでいたしもうやめたいといっているから畑も体が弱くなりやりたくない老人はなる。

ただ確かなことは暇な老人が増えていることなのだ。
その象徴的なのが相馬市の道の駅いつも五六人ただ椅子に座りたむろしている老人である。
同じ部落であり仲間なのだけど何するわけでもなく集まっているだけなのである。
こういう人たちは家族で食事を用意してくれるから食事の時間になると帰る
そして何もすることがないからあのように夕方までただたむろしている

ギャンブルやパチンコに明け暮れている人もいる。

自分のように介護してたりして食事の用意をしているとあんなふうにしてはいられないはずである。
自分は自転車で外を走っても帰ってから食事の用意をしなければならないからのんびりしていられないのである
外食すれば楽だが介護している人がいるとそっちの用意も必要なるからのんびりできないのである。
だからいつも家事に追われているし前のように自由がないのである。


いづれにしろ高齢化社会はこれから様々な問題が顕著になってくる。
退職してから暇だというのもそうでありまた妻をなくして一人暮らしなったとか
病気になったとか年金ではたりないとか金銭的問題も深刻である
国民年金は70歳からもらってはじめて10万とかなるがそれまでどうするのとか
支給年齢75歳にしろとか頼りないのである。
老人間の格差も大きくなる。
国民年金だけでは生活できないのである。
今日会った人は生活的は余裕があるのかもしれない
ただそれほどでもないかもしれない


近くの人は大きな家と立派な石の庭があり300坪の土地ももっている。
すると余裕があるようでも金がかかりないという
それでもいい方でありもう8万くらいもらったって本当に今ではぎりぎりである。
自分は本当は70からもらいたい、すると何とか10万になる。
でも今度は介護保険料がひかれるとかたりなすぎるのである。
それを文句言っても今さらどうにもならない、
働かないでも親のおかげでもらえるしまだ余裕はある

ただ自分はこれまでまともに自由に金を使ったことはない
旅をしても食事はきりつめていたから最低しか食べていない
旅館も安い旅館を探すのに苦労してきた
だから旅したといっても時間で贅沢をしていたが金ではしていないのである。


高齢化社会で感じることは一人暮らしが増えることや何か高齢者同士の共同性が求められているのだろう。
高齢者は一人暮らしなったりすると経済的にも負担が大きくなるから
共同の方が楽になるのだ。
そして一人暮らしは不安にもなるから精神的にも共同性が求められる
ただ道の駅でひがなたむろしているだけの老人ではつまらないだろう
自分にしても風呂などは福祉の湯に一週間一回くらい入ればいい、
家だ水道代も馬鹿にならないし一人だと損なことが多くなってくるのだ

 

牡丹、ツツジの加工写真


牡丹、ツツジの加工写真
(花の命は短い)


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  • ラステーク


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蝦夷紫

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大輪の薔薇十数輪に蕾かな

朝日さし牡丹に映えるツツジかな

蝦夷紫その名の良しや我が庭に

ラステーク内より赤らみ十数輪若き日のごと咲き満つるかな



ラステークという薔薇が一杯咲いているのを買った。
それが一万だったがこれは買った時だけが良く映えていたが
あとは花の重みで垂れ下がり見栄えしなかった


次の蝦夷紫というつつじも5000円で買って庭に植えたがこれもすぐに散った
花は切り花でもそうだかすぐに色あせたり散ってしまう
だから一番いいとき、写真に残すとあとでも鑑賞できる
鉢植えでもすぐにしぼんだり見栄えがするのが短いのがある
生き物だからどうしてもそうなる

花の命は短いというときまさにそうである。

今は花が何か品種改良などして増えている
だから花を鑑賞するのも増えている
外国産も増えている
特に春から夏は一番増える
だから花で一杯にできる


写真に出したものは塀のツツジの写真の他は見栄えするのは短すぎた
それでも一時で見栄えする時写真をとっていたからいいのである
今は写真の時代であることかこれでもわかる
デジカメをいつも持って歩いてその時々の瞬間の映像をとらえる。
それはその時しかとれないということがあるのだ


これはfotoskecherで加工したものである。
加工技術も優れているからさらにいい写真がとれるのである
俳句が写生だというときもはやデジカメなしの俳句は普通になる
写真がないと何でも訴えないのである。