2014年05月07日

牡丹俳句十句(牡丹は家の栄の華)



牡丹俳句十句(牡丹は家の栄の華)

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一時に六輪開く牡丹かな

平穏に栄のあれや牡丹咲く
昨日今日牡丹の咲きし富貴の家
まぶしさや朝の光に牡丹散る
惜しみなく牡丹にそそぐ光かな
牡丹咲き咎める人もなかるべし
夕風に牡丹の散るや富貴の家
三輪の真紅の牡丹の炎かな
色違う家々の牡丹に栄かな
広き庭牡丹三輪に光かな

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加工すると違ったように見えるから不思議である



牡丹はやはり花の王者である。ただ咲いている時が短い
今年は自分の庭には六輪咲いた。でももう散っている。
最後の一輪が惜しみ咲いている。


牡丹は富貴の家にふさわしい。
人間はやはり家とかある程度金をもって余裕がないと
人間らしくなれない
特に今の時代はそうなってしまったのである。
一万借りてどうだとか底辺でやりとりしているのは悲しい
日々の生活に事欠いている人もいる格差社会である。
そうなるとどうしても人間がせこくなるのだ。
考え方までスケールが小さくなる


自分が言っているのは大金持ちのことではない
中堅クラスの生活である。
土地があり家があり金でもある程度余裕がある
大金ではない、毎日食うために追われていたら余裕がないのだ

別に自分の生活はぜいたくではない、毎日家事に追われ介護して
手伝いさんと同じような生活である。
ただその暇をみて花などを見ている
その花さえ見る余裕がなかったら生きがいもなくなる

別に花を見るのには金はいらない
実際に町中の家に広い庭がありそこにとりどりの花を植えている家がある
あれは相当に贅沢だと見ている。
いつも通る道だし塀がないから丸見えになっているから植物園のようにも見える。
そこにも真紅の牡丹が咲いていたし他の庭にも咲いている
他人の庭でも見るのは無料なのである。


ただ花というのも一日の中で朝から昼から夕方と見ていると花も違って見える。
庭に咲く花はそういうふうに時間の経過でみているから一時的に見るのとは違っている。
いづれにしろ牡丹は家の栄を象徴しているような花である。
家の栄はどこにでもある。家というのはやはりそれぞれに栄があり衰退があり滅びがある
それは国の興亡と同じなのである。長く栄える家はそもそもないのである。
自分の家は今一番栄えているのかもしれない、あとはつづかず終わりになる

今の時代は商工業の時代だとすると代々栄える家は少ないように思う

とにかく避難した人たちは小高でも農家がそれなりに多いから
大きな家と庭や農地をもっていたから仮設では窮屈でありそこに栄はない
だから余裕もないし豊かさも感じられない
仮設で盆栽を作っている人がいるが盆栽はそもそも見ただけで故意にねじまげていて自然とはまるで違っている。
それは長屋のような狭い空間を活かすための日本人の知恵であり文化だった
茶室もそうである。日本には広い空間がないから広さを活かすものはない
空まで狭く感じられるのである。

だから日本には牡丹の花はあわないともなる。
中国の国花だからあれだけ広いと王朝の栄華を究めると牡丹がふさわしいとなる
女性で言えば楊貴妃ようなのが牡丹なのだろう。
ただ牡丹は早く散り安いのである。すでに自分の家の牡丹は散った。
ただ他の家の庭には咲いているから見ているのだ。