2014年05月15日

夏雲雀(小さな畑でも手間も金もかかる)

 
夏雲雀(小さな畑でも手間も金もかかる)

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今日もまた畑にありて夏雲雀

小さなる庭に植えにし花咲きぬ近くにありて親しき女かな
妻の死に七年過ぎてあわれかな庭の手入れもままならぬかも
ダイアナの名のあざやかに鉄線の赤きをイギリス思ふ
この道の木陰の長く人まれにでで虫歩み蛙鳴くかな


昨日は午後から小さな畑にいた。
あそこの畑は一反もない、でもその畑を維持するのが手間なのである
肥料は鶏糞で角田まで買ってきたとか苗は高いとか水をやるのに
水を確保しなければならない、水とるところを見つけたとかまた草むしりだとか
ネズミに荒されたとか・・・様々な問題が生れて話しする。
野菜を作って売るどころではない、
野菜を作るのに売るより何倍もの金がかかっている
ただ売らずに食べるにしてもスーパーで買うより作るのが金がかかる

だからそれは金を出して野菜作りを楽しんでいるともなる

農業は今はそれだけあんな小さな畑でも苦労が多い。
手間かかるし金もかかるのである。
その点、米の方が楽なのかもしれない
水の管理はめんどうだがその他は会社勤めの片手間でもできるらしい。
野菜作りは本当にめんどうである
そこでまた一日が過ぎてゆく、そこに夏雲雀が鳴いている

この辺ではまだ田畑も作っているのはわずかである。
農業用水路の放射能の除染するとか市役所の役人が来たけど
そもそも堀を除染しても土が除染できないのだから
除染に効果あるのかどうか疑問である。


近くに親しい人が住んでいると田舎でも住みやすくなる
都会から移住してきてうまくいかないのが仲間になれない
友達ができないので嫌になってまた都会に帰ったというのもわかる
畑でも今は農家でも仕事していないから暇なのかいつも見ている人がいるという。
絶えず誰かに見られているとか見張られているとかの話である。
それも田舎は窮屈だから松山や仙台のような
都会と田舎がまだ混在している所が住みやすいだろう。

ただそこは辺鄙な田舎町より金がかかる

ただ辺鄙な田舎町でも一万くらいだとかえって物価も高くなる
イオンは野菜でも魚でも新鮮であり他も安いがイオンがないとかえって高くつく
だから一万とかの町は今はすみにくくなったのである。
車がある人はいいがない人は不便である
特に医者には困るのである。
糖尿病で目の検査に仙台まで行った人がいる
これも大変だけどむずかしい病気になるとここでは仙台に行く
でも今は電車がないので不便なのである


一人暮らしの人は家も大きいし庭も大きい
だからそれを手入れするだげで手間になる
だから津浪の被害もあって荒れてしまっている
それがもったいないのである。
一人暮らしは家を維持すること自体苦しくなってくる
庭作りしたいと言ってもそれもかなりの手間であり労働なのである。

プリンセスダイアナという鉄線の花は赤くその名にふさわしい。


自分はダイアナ妃がパリのトンネル内の事故で
亡くなったその日に偶然パリにいてその現場、
地下道の入り口の壊れた自動車や供養された花束などを
見たことが、この花への愛着となっている。

http://yasuiga.exblog.jp/20673416


こういう人がいるというのも現代である。
ダイアナという名前を花に残したということはやはりイギリスの王女だとなる
その花を見るとダイアナを思い出すから忘れられないから
死に方は悲劇的であってもいつまでも忘れられない
この花がダイアナとぴったりだったということもある。
ともかく花の種類は多くなっている

2014年05月16日

夏の日(津波の跡の右田の一本松)


夏の日(津波の跡の右田の一本松)

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こっちは低い一本松
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健やかに一本松の立ちぬらむ夏の旭に輝き映えて

朝風のそよぎて砂地広がりてハマエンドウや波のひびきぬ
誰が置く津浪の跡の松の根に壊れし位牌無残なるかな
朝の波光りてよせぬ津浪跡砂地の熱く夏の日さしぬ
海広く津波の跡の草原の朝や雲雀の声のびびきぬ
海よりし鳥の飛びきて草原に朝風わたる津波の跡かな

この家の津波に流され残る石ツツジの赤く燃えにけるかな

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右田の一本松はテレビでも報道しているから結構有名になっているのだろう。
確かに高い松であるが最初はあれとちがう低い松の方を自分は注目していた。
それは凄まじい津波に耐えた姿だった。枝は折れてまるで百人の敵とも
戦い屈しなかったような松の姿だったのである。

このすらりとした松は高いのだがそういうものはあまり感じないのだ
ただ高いということで目立っている

ハマエンドウが砂地化した原野に咲いていた。それは福島民報の写真でも出していた。
地元の人でも見ていない人が結構多い。写真の撮り方もうまかった
でもハマエンドウの写真しかでていない
回りの風景は写していていない、目立ったものを一枚だすだけだから情報が不足している
地元の人の強みは今ならインターネットで何枚もだせることなのである。

それよりその場のことはそこに現場にたたない限り本当はわからないのだ。
だから津波を知りたかったらその現場に立ってみることである。
津波は特に地形が関係していたから現場に立たないとわからないのである。

いづれにしろ原野化すると野生の植物でも生物でも鳥でもかえって住みやすくなるのだ。
これまた被害者には叱られるかもしれないが松原は第二の自然であっても砂浜は消えて
景観としては青松はあっても砂原はなくなっていたのである。
砂も自然であるからあれば美しいとなる。海辺らしい風景にもどったのである。


右田の浜から野球場があった手前の消防の分署があったところの前の家の庭の石は残っていた。
石が好きなので石を見るがあの石もまた個性がありいい石だと思った。
うねったようになっているからだ。
あそこは花も植えたり小屋が建っているからまた家を建てるのか?
あの辺は新しい家が何軒か建っている
庭があってツツジが燃えるように咲くことはそれは人間がまたここに住みたいということなのか、
赤いツツジは人間の情熱を感じる

あの辺まではまだ人が住める地域なのかもしれない
あそこの庭があることは知っていたが中から見ていないからどういう庭か知らなかった
今津波の跡で無断で入って見たのだがある程度原型が残っている庭だった。
距離的に遠いことで庭の石も残ったのである。

2014年05月17日

津波の跡に残る樹々 (それは人間化した木々)


津波の跡に残る樹々

(それは人間化した木々)

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津波にもめげず立ちにき一本松夏の陽輝き明日を見むかな

津波にも残れる樹々の青葉して朝風そよぎ海の光りぬ
津波跡枯れつつ残る二本の樹のなお立ちて人住まぬかも
痛々し樹皮の剥がれてなお立ちぬ津波跡の家の跡かな

太しくも津波の跡に残る樹の青葉して風に鳴りにけるかも

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津波の跡に残った樹々はいつも不思議だった。なにか普通の樹とはちがう
それは庭に立っていたから人間化した木々だった。
つまりその樹をみて人間のようにみていたのである。
また人間のように見えるのである。

樹皮がはがれているのもいたいたしく傷ついた人間のように見えるのだ。
枯れつつある樹もそうである。そこを離れがたくいつまでも立っている。

自然でも人間が住んで樹があるとそれは人間化してくる
ペットでも人間と暮らしていればほとんど人間化した動物になる。
だから家族の一員のようになり墓まで作っている。
樹はそうでないと思っていたが津波の跡の樹を見ていると何か違うのである。
だからいつも不思議な光景だなと見ていた。

樹でも塩分に強い欅などは残って青葉になっている。
その青葉には風がそよぎ朝の海がまじかに光っている

それにしてもあそこの道の両側に門のように残った樹は力強い
あの辺は相当に海に近かったのだ
だからとても住める場所でなくなっていた。
庭の石が残っている所はまだ被害が少なかった
そこはかなりの距離があったから残ったのである。


右田の一本松は有名になったけどあの松も果たして残るのだろうか?
ただその一本松にも人間を見ているのだ。
ここに立って残ってほしい、生きていて欲しいと人間を見ているのだ
ここに立って生きていれば明日を見ることがある
明日とは何か、それは復興した明日かもしれない
復興とはまた何なのか今はわからない

しかしやはり明日を見たいということがある
その明日はこの一本松が生きることにより明日を人間と共有するのである。

だから陸前高田市でも残った一本松にこだわったのである。
ただあの松は死んだから代わりに人工の松にしたから実際はその松は生きてはいない
死んだ松になってしまっている。
実際に生きていてこそシンポルになりえたのである。
生きているということはやはり違っている、それは人間と同じように
生きているものには感情移入ができるが人工物にはできないのである。
だから植物でもペットでも人間化するのは人間と同じようになるからである。


月でも火星でもそこにあるものはまだ人間化していない
もし人間が住めばそこも石があり山があれば名付けられて人間化するのである
人間化しないところはそこはまさに非情の世界であり火星と同じなのである。
人間化することによって自然も宇宙も価値を帯びてくるのである。

津波でもどった日本の原初の景観 (松原は人工林であり津波には弱かった)


津波でもどった日本の原初の景観

(松原は人工林であり津波には弱かった)

●白砂青松の景観は自然林ではなく危険だった


松原遠く消ゆるところ
白帆の影は浮かぶ
干綱浜に高くして
鴎は低く波に飛ぶ
見よ昼の海
見よ昼の海

島山闇に著きあたり
漁火淡し
寄る波岸に緩くして
浦風軽く沙(いさご)吹く
見よ夜の海
見よ夜の海

こういう風景が日本の風景だった。


室町幕府の武将にして歌人、今川了俊(いまがわりょうしゅん)が九州に向かう途中に立ち寄った明石(あかし)の海浜を、浜は雪を敷いたように白い砂で覆われ、年輪を重ねた松が強い風に捩じ曲げられた枝々に深い緑の葉を茂らせていると和文で記してい
るのである。



松林の下に自然に生えてくる広葉樹の若木を下刈りすることなどがその典型だといえます。しかしそれは、皮肉にも津波に対する防潮機能をいちじるしく弱めることになってしまいました。

 たとえば陸前高田市の「高田松原」は、まさに日本の「三大白砂青松」の地と呼ばれてきました。しかもここのマツ林は、明治三陸大津波や昭和三陸津波の際には津波の被害も大きく防いでくれました。しかし、明治三陸大津波の際には、「下木として多数の広葉樹が生育していた」(213)そうです。それがその後、昭和15年には「史蹟名勝天然記念物」にも指定され、保護管理区域として「林内で広葉樹が生育しないように、毎年、除草と下刈りが行われ」


マツの単植林が防潮、防災に適さない理由として、一般的に広葉樹に比べて根が浅いという点があげられる。

http://hiroshige724.blog22.fc2.com/blog-entry-124.html

松原は美的観点からだけみれば問題なかった。ただ美的なものではなく防潮林であり
塩害を防ぐ役目も果たしていた。なぜなら干拓して田を広げた時作られたからである。
松原が人工林だったことはやはり田畑もそうだが松原すら自然破壊の産物だったのである。
それが美しいと見えたのは人工林としての庭園美のように見て称賛されていた。
前に書いたけどぶなの木が無用の木ではなく山林にはもともとあった樹である。
ところが杉林になったとき人工林化して洪水に弱くなり土砂崩れを起こす原因ともなった。
ぶなが無用ではなく自然ではその無用と思われるものが有用だった。
それは荘子の思想にあった。そこに中国の大陸的思想があった。

つまり人間の狭い料簡ではとても自然は計れないということである。
人間はそもそも自然を計ることはできない、計られる存在なのである。
だから確率論で一万年に一回しか事故は起きないとか真面目に原発のことで言っていた
科学者がいたがそうした自然を計ろうとした人間の傲慢が津波で打ち砕かれたのである。

山林でもいろいろな樹がぶなでも何でも混合しているのが自然であり単一化しているのは自然ではない、
だからもともと海岸にも原生林がありいろいろな種類の樹が森が形成されていた。
松原だけの単一化したものではなかった。

そういう種々の樹が密生していると今回のように無数の松がなぎ倒されて消失するようなことがないかもしれなかった。
例えば竹林の方が津波には強かった。根が強く広く張っているから根こそ流されなかったという。
それと津波を防いだのは緩衝地帯があった場合相当に違っていた。
四倉は海岸に接して街があっても比較的被害が少なかったのは緩衝地帯の砂浜が広かったからである。
松川浦でも原釜や海にじかに接していたところは被害が大きかった
でも浦に面した所はそこが緩衝地帯となり津波の勢いが弱まり被害が少なくてすんだ。
海岸沿いの道が堤防のようになり浦が感傷地帯となり津波の勢いを弱くした。


●人間が生き始めた時自然破壊が必然的起きていた


要するに自然に手を加えたものはすでに自然を破壊した人工的なものである。
それは人間が住み始めた時からはじまっていた。焼畑農業がこれも森林破壊であり
肥料を簡易に作るために森林を燃やした原始的農法である。
農業にとって肥料がいかに大事か実際にしている人は痛いほどわかっている。
そのために洪水で土壌流出が起こり安くなったのである。

人間が自然の中で生きる時必ず自然破壊が起こりそれが災いともなる。
人間の技(わざ)は必ず災い(技わい)を生むのである。
それはプロメテウスが神から火を盗んだ時からはじまっていたのである。
人間の業(わざ)は自然を破壊しないと生きられないということにもあった。
人間の業は必ず自然を逸脱するものとなりその報復が自然から災害として受ける宿命にある。
だから農業自体が大規模な自然破壊の文明でもあったのだ。
そのことが津波で証明された。
無理して海側に干拓した地帯や人工林の松原が根こそぎ喪失してしまった。
何万本もあった松が陸前高田市では一本も残らなかったのである。
もし自然林だったらそういうことはなかったろう。
欅などは塩分に強いとかなると塩分に強いものが自然にはあり津波の跡でも生育してゆく
松原という単一化は庭園のように人間の美的感覚だけで作られたものであり生来の美ではなかったのである。


そもそも自然は多様性であり多様な植生であり多様な生物が生きるものとして作られていたが
単一化することは自然の文化の破壊だったのである。
米だけの単一生産もまたコーヒーだけの単一生産が危険なのは
外国から食料を輸入できないと飢えに直面することなのである。
現実に東北では江戸に米を商品として作りすぎて天候不順で冷害とかなると飢饉で餓死者を多数だした。
これは多様な食料を作っていれば飢えなかった。
冷害にも強い種は食料となるものが自然にはあるからだ。
食料でも単一化は人間の生物であれば危険なのである。
だから松の人工林である松原や杉林は自然ではないから災害には弱いのである。


●山も松原と同じように単一化された人工林になっていた


カラマツは、日本の天然林に多く見られるブナに比べると、その保水能力は数分の一とかなり低く
ブナの木は山の保水能力を高めること、 野生動物のエサとなる(人間でも食べられるらしいが) 実をたくさんつけることがわかりました。


樹齢250年のブナの木は、8トンの水を蓄えるだけの保水能力を持っているんですよ。


広葉樹は横に根を張り、土壌を安定させるのに対し、
針葉樹は縦に根を伸ばす為、保水能力が低い。


人工林は針葉樹ばかり。
つまり、現代の洪水は、人災。

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ぶな?(木偏に無)がなぜこの字になったのか?この木はもともと森にあった先住民である。それがなぜ無駄な木、無用の木とされたか?それは杉とか檜が効用があったからそうなった。ところが自然にとっては森にとっては欠かせないものだった。不可欠なものだった。保水能力があり木の実は動物たちの食糧になる。ブナは生態系を維持するために不可欠なものとしてもともと山にあった。それを無用のものとして切り杉や檜を植えたとき保水能力が失われ麓で洪水が増えた
http://musubu2.sblo.jp/article/48417815.html



山も杉林などで一様化し単一の森にした。それで土砂崩れが起きやすくなったのである。
ブナの木を無駄としたのは人間の一方的利便性の追求でありそれが自然のバランスを壊すことになった。
自然のバランスを人間の知恵では計り知れないほど微妙なのである。
人間の体さえ未だにわかっていないというのは生命というのが
地球と宇宙と切り離されず一体として生れたからである。だから津波も天体と月とかとも
関係していたというのも本当かもしれないしまだ人間の力では解明されていないのだ。


津波の予兆というのはいろいろ言われる。津波の前の年が夏が異常に暑かったのである。
あんな暑さを経験したことがない異常な暑さだった。
確かに温暖化で暑くはなっていたがあの暑さは異常でありそれが天体の異変と結びつき
津波と起こす予兆だったかもしれない、月が満ちるとかあるが天体にも何かそういう作用があったのかもしれない、
地球と宇宙も別なものではない、一体だからそう考えるのも不自然ではない。


いづれにしろ人間の知恵は永遠に神の知恵に及ぶことはない、
この世界を人間を創造したもののみが知っているのである。だから万能細胞などありえないのである。
要するに奇跡としかいいようがないのがこの世界なのである。
そしてまた新しい奇跡は神の力によって起こされる。
それがいかなるものかは知り得ない、それも想像を絶するものなのである。
文明というのはあくまでも人間の小賢しい知恵であり技でありそこには常に何か危険なものが生れる。
原子力にしても原子とかを操作するから危険が生れた。
もし神のような知恵があれば可能だが人間にはもち得ないからもう毒が出てとめられなくなり人類滅亡にさえなる。
だから火を盗んだフロメテウスの神話から人類に警告されてきたがそれは便利さの追求のために無視されてきたのである。


●文明は津波に敗れて山河あり


漢詩に「国破れて山河在り」とあるが、今日では「国栄えて山河破れ」となる。

国ではなくもはやグローバル化した世界では文明栄えて山河破れに共通になっている。
今や文明による環境破壊は世界的であり世界自体が狭くなっているからそうなる。

津浪は自然のそうした大きなバランスを保つための作用であり
自然界が悪い意図で人間を苦しめているというのではないのだ
四〇〇年に一回であれ千年単位で起きる津浪も自然のバランスを保つ為の作用であった。

異論はあるにしても原始の状態に自然が回帰するようになったのはそれは
自然の作用であり自然のバランスを保つために津波が起きたともとれる。
自然は無情で非情だと呪ったりもしたが津波によって元の自然がもどったということは
自然の美が回復したのである。

白砂というのは右田浜だろうがどこでも日本ではほとんど消失していた。
松原は松風など吹いて気持良かったが海岸線は防波堤でありブロックの山であり
そこに美はなかったのである。そんな美観より災害に備えるのが先だというのはわかる。
でも津波を防ぐ防波堤を海が見えなくするほど高くするのはどうかと思う。
海が見えてこそ海辺に住むものの良さがある。
確かに松原の景色はこの辺で失われたが変わって海が広々と見えるようになった。
今までは松原とかにさえぎられて見えなかったのである。
草原化して原野化して砂が運ばれてまるで北海道のような風景になった。

ただ3キロも津波がきて原野化したのだからその範囲はつくづく広いと思った。
それだけの広さの土地を干拓して人工化したというのもその労力も大変なものだと思った。
それが一瞬にして失われたのである。

津波で失われた所はもとのままにして手を加えない方がいい、
人はもうそこに住まないで元の自然に返す方がいいという意見の人がいた。自分もその意見に賛同する。
防潮堤とかそんなもの作っても無駄でありむしろ津波が来ない地域に住むようにした方がいいとなる。
漁業するにも港に通うというのがいい、車があるのだから昔とは違うからである。
米だって減反時代だからここでとれなくても他からいくらでも入ってくる。
もちろんそうしたら何で生活してゆくのだとかなるがそれはまた別問題である。


津波はただ否定的なものとしてばかり災害としてばかりとらえているが
自然側からすれば自然のバランスを保つための作用だったとなる。
自然の作用だからそこには必ず美が生れる。富士山も噴火した時は被害を与えてもあのような
優美な姿が噴火によって作り出されたのである。
文明破れて山河は残るのである。津波とは自然から見れば大きな浄化作用だっかもしれない。

ただ否定的な面ばかり主張されがやはり元の自然の状態にもどることは悪いことだけではなかった。
自然の美が回復したということはあったのだ。
そんな美よりここで死んだ人を思いというのもわかる。
ここで死んだ人の気持がわかるかというのも犠牲者になればそうである。
ただそればかりを思いつづけいたら復興もなくなるだろう。
いつまでもそうして暗い気持で生きていいのだろうかという疑問がある
被害者になってみなければそれはわからないというのもある。
それは別に死別は常時ありいつまでも死者のことにこだわるのも問題なのである。
一方で忘れるのも問題なのである。その辺の兼ね合いがむずかしいのである。
妻をなくしした人がペットは死ぬから別れるのが嫌だから飼わないと言う
その真意はわからないにしてもいつまでも死者にこだわるのも問題なのである。


いづれにしろ日本は津波国なのに津波災害に対して甘かった。
女川でも石巻でも海岸に密集して家があり石巻の日和山のところにあんなに
家が密集していたのを不自然に思った。こんなに海岸に接して家が密集していたから目立った。
女川でも地形的にまるで津波を呼び込むような地形になっていた。
平坦な地域がほとんどないのである。

それも利便性からそうしした危険な地帯に住むようになったのは
文明が自然を破壊せずに生きていけないのとにていたのかもしれない。
文明とはそもそも利便性の追求でありそれに歯止めがかからないのである。
科学も利便性の追求であり交通事故があろと車を一割も減らすことは生死にかかわるとかなりできない、
もちろんエネルギーも減らすことができないのである。
人間社会には減らす思想がないのである。
一方で宗教は老子であれ釈迦であれキリストであれ清貧であり物質のあくなき豊かさの追求を戒めるものだった。
人間はどこまでも物質的豊かさを求める時、制御がなくなるとそこに文明の崩壊が起きてくる。
その引き金となるのが今回のような大災害だったのである。

 
posted by 老鶯 at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2014年05月18日

八月の石にすがりて  伊東静雄の詩を読む (夏の日の蝶と石ー自作の詩をここから作った)


八月の石にすがりて  伊東静雄の詩を読む

(夏の日の蝶と石ー自作の詩をここから作った)

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有料のものを加工したからまずいがだした

八月の石にすがりて

さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。
わが運命(さだめ)を知りしのち、
たれかよくこの烈しき
夏の陽光のなかに生きむ。


運命? さなり、
あゝわれら自ら孤寂(こせき)なる発光体なり!
白き外部世界なり。


見よや、太陽はかしこに
わづかにおのれがためにこそ
深く、美しき木蔭をつくれ。

われも亦、

雪原に倒れふし、飢ゑにかげりて
青みし狼の目を、
しばし夢みむ。


詩を解説することはできない、この詩も不思議な詩である。
石と蝶に興味をもって自分も詩にしてきた。
石にとまっているアゲハチョウを見たことがある
これは石をテーマにはしていない

さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる

この意味はわかる。蝶は夏の明るい日ざしのなかで花々を求めて飛んで死んだ
よく蝶が道端で死んでいるのを見ている。
蝶は美しい羽だけを見せて残して死んでゆく、まず蝶ほど不思議なものはないだろう
なぜあのように優雅に飛んでいるのか?




夏の日の蝶と石


夏の明るい日ざしを一杯に身に受けて
蝶は花々を求めて優雅に舞い飛んだ
そして蝶は道端にその美しい羽を残して死んだ
その羽を旅人は見つけて拾った
旅人もまた旅していた
夏の日に道は別れて遠く誘う道よ
蝶は常に舞うことを宿命づけられている
鳥は翼を与えられ飛ぶことを宿命づけられている
蝶も鳥もとどまってはいけないのだ
風を受け光を受けて飛び舞わねばならない
留まった時に死が訪れる
旅人は旅しつづけねばならない
例え旅しなくても心の中で旅はつづいている
回想の旅はつづいている・・・・
ただ働くばかりの蟻の死は無残だ
ああ 百の千の万の花を見て飛んだ
その彩りは尽きることがない
美しき地球の花園を飛んだ
そこに悔いはなく充たされる
ああ 汝はそのような時を与えられた
まばゆく朝の光を一杯に浴びて散った牡丹のように
汝の生も夏の光の中になおある
汝は醜いもの残してはならぬ
詩人は蝶のように美しい羽を残して死ぬ
舞い飛び歌い笑いつつ神の庭園を逍遙する
石にも夏のまぶしい光がさして
その自然の中で石は夏を感じている
その石は夏の日ざしを受けて光沢をます
石にも夏があり冬の厳しさに生きている
春のあたたかい陽光も受けてなごむ
石は今木陰に影なして涼しく休む
石も雨に打たれ風に吹かれ生きている
ああ 悲しきかなすでに春に生れし蝶の
野辺の道に死にてありしを・・・
かくして夏も来ずに死ぬものもありしを
・・・・・・・・・・・・



これにヒントを受けてこの詩を今作った。
それができたのもインターネットのおかげである。
この詩を知らなかったからである。詩というのは読む人が本当に少ないから知らない詩というのが無数にあるのだ。
それは詩集としても出ない、なぜなら売れないからなのだ。
そこに詩の問題があったのである。
現代ではインターネットなどでいくらでも詩でも何でもだせる、ただ評価はされない。
くだらない詩でも無数にインターネットにだせるものも現代なのである。
ええ、こんな詩があったのかというのが本当に多いのである。
これまで出版された詩集も無数にあるが読まれていないし知られないのである。

この詩には相当深いものがある。


雪原に倒れふし、飢ゑにかげりて
青みし狼の目を、
しばし夢みむ。


これも一転して真冬になっているのも不思議である。
ただ飢えているというとき、飢えながら雪原という自然の美の中で死ぬ狼をイメージしている。
それも詩人の死にふさわしいのだろう。
詩人とかは社会では排斥されて認められないのである。
社会とは無残な蟻の集団という側面が常にあった。
働くことがすべて肯定されるものではないのだ
俺は働いてきた、働いているというのは何かと主張する人がいる
それは蟻としで働かされた働くことを強いられたという側面もあったのだ
確かに毎日ダンプで請け負い一台分いくらともらって収入を増やして家を建てたというのもわかる
でもそれは一面蟻のように働かされたという面もあったのだ。
ただそ人は別に遊びもしていたから全く楽しみもなっか人とは違う。

ともかく蟻とキリギリスの話しは今では逆転しているだろう。
キリギリスの面がない人はこれからは豊かな時代は嫌われるだろう。
その点団塊の世代は遊び上手であり苦労しかない働くことしかない戦前の人とは違っているのだ。

いづれにしろ自分も結局蟻とキリギリスでありキリギリスだったから今になると
ただプログに書いてきたようにこの七年間は悲惨な状態になった。
それまでは自分ほど恵まれていた人はいなかったのである。
30年間は旅をしつづけ働くこともなかったのである。
それゆえにこの七年間の苦しみを受けねばならなかった。

でも今になると自分は会社勤めもできない性格だったし人と交際もできな性格だった
だからそういうわずらしいことからまねがれて自然の陽光の中に風に吹かれ
自由に飛んでいたということになる。
学校とか自分にはあわない場所だった
ただ今になると学問とか芸術分野も好きだし理系的な分野でも興味をもって学びたいということがあった
だからこそ自分は工場とか会社で事務などすることもなく野外に常にあったのである。
その期間が長いからそのことが体にも心にも影響している


自分の母親などは若いとき十年間紡績工場で働いていた
そういう環境はいいものではない、それでも百才も生きようとしているがまさに蟻そのものだった。
だから巨大な蟻となって迫ってくる恐怖もあった。
花にも何にも興味がない、ただ働くだけの人間はそれは異常な存在と化していたのだ
巨大な蟻の化け物になっていたのである。
それもそう強いられたのだから批判はできない。これも無残である。
だからたまたま自分が家庭環境でそういう人生になっていたのである。
一カ月とかぶらりとどこへとなく旅ししていてとがめられることもない
食事はいつも用意してあるし何もすることもなかった
これは今になるとよほど恵まれたものだった。
今や食事を用意して自分だけではない介護しなければならないし
近くでも自由に行けなくなったことでわかったのである。
今や自分は蟻にされていることがわかったのである。


ただ自分の人生はそのように恵まれたものだから今は蟻でも全然違っている。
人間とはその一生の時間を何に費やしたかで決まるというときまさそそうだった。
いくら働いていても毎日工場で流れ作業していたり自然とかけ離れたデスクワークをしていたりとしていると
姿勢すら猫背のようになったりしないか?
心の中にも長い間でそうした自然から離れた生活が鬱積されてこないか?
そうしたものは実は知らない間に人間をゆがめていることが還暦すぎるとわかるのである
それは樹とか石とか自然のものとは違ったものとなっている。
自然を感じない人工物になっているかもしれないのである。

もちろん普通に社会人としして働いてそうでない人もいる。
だからいちがいには言えないがそうなりやすいことは言えるのである。
上野霄里(しょうり)氏やニーチェの超人になれる人はいないだろう
世間の価値観にとらわれて本来の原生人間は失われる
社会というのがそんなに大事であり価値あるものかという根本的疑問がある
いづれにしろ最後に人は馬鹿でもわかる
何を失ったかわかる、本当に生きる時間を失ったことが最大の後悔となるのだ。

抽象画は具象画との相違 (抽象画は形が決められていないから無限の変容がある)


抽象画は具象画との相違

(抽象画は形が決められていないから無限の変容がある)

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女性の心

これが原画でありあとは変化させた

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発光する花

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叫ぶ山々

抽象画の不思議はそれが何を意味しているのかわからない
何かにこじつけて名前をつけてみてもそれとは断定できない

具象画だったら名前が明確につけられる
リンゴの具象画だったらリンゴを描いているのだからそれ意外ありえない

だからこの抽象画は何に見えますかとなる
どういう題をつけますかと見る人に問うことになる


抽象画は何か才能があってやっているのではない
ただパソコンで変化を楽しんでいるだけである
だからもともと才能ではないから
これを描きたいという絵心とも違う.
ただあるものが偶然に生れそれをソフトで変化させて楽しんでいる

結局これもなんだかわからなっかた
例のごとくソフトでランダムに変化させただけである


でも何かを感じる、蟹座というのは確かにこんなシンボルかもしれない
自分は蟹座であり内向的であり内に閉じる傾向がある
まず蟹でも蠍でも星座になっているが不思議である。
人間もそれぞれ神秘的な所がある


ともかく抽象画は無限の変化であり変容を楽しむものなのだろう。
具象画だったらそうした変容を楽しむことはできない
具象にとらわれるから形が決められるからそうなるのである。

蟹座は感性的であり芸術に向いていたのかもしれない
何か女性的でもある。
女性的感性があるのが蟹座なのかもしれない
人間の性格もそれぞれ違っていて神秘的なのである。

最近あった女性は不細工無骨なんだけど話が面白い
若いときだったら近づくのも嫌だったろう
でも話してみると面白いのである
だから女性でも外面的なものだけではわからない
それで結婚に失敗する人が多いのかもしれない

ともかく抽象画は適当なものを作って万華鏡で操作することからはじまる
原画からこんなふうに変化することは予想できなかったのである。
常に抽象画がどんなふうになるからわからないものである。
それはソフトによっても違ってくるからである

 

原町の道の駅で山野草展 (記憶をたどる花の旅)


原町の道の駅で山野草展

(記憶をたどる花の旅)

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八角蓮その花黒く笠の下老いし人と語りけるかな

繊細に白糸草や一鉢に見守りけるや老いし人かな
蘭の花愛でつつ老いぬ一鉢の花によせにし愛しさ思ふ


知られざるヒトリシズカのここに咲く消残る雪を踏みつ来たりぬ

橲原渓谷上流へ花と岩をたずねる
http://musubu2.sblo.jp/article/65440460.html

今年また山の奥処にひそけくも我がたずねむやヒトリシズカを

原町の道の駅で山野草展をやっていたので見た。
知らない花が多かった。
高山植物の類もあったが蘭の種類が多かった。
花は相当見ているのだけど身近な花の種類でもわからないのが未だにある
花の種類はそれだげ多いということである。
特に最近は品種改良したものが出ているから外国産もあるから多くなった
ドイツスズランなどというのも出ていた。葉に筋が入っていた。

千島薄雪草というのは小さい、礼文薄雪草はこれよりは大きい、薄雪草は種類が違うと大きさが違っている。
尾瀬のは大きかった。蛇紋岩に塊り咲いていた。

至仏山霧の流れて蛇紋岩薄雪草の塊り咲きぬ


尾瀬には原始の自然環境に咲いているから特別であった。ただいろいろ花がありすぎて思い出せなくなった。
でも三回くらいは行っている。10回くらい行ったという人もいるから花好きの人には最高の場所である。
デジタルカメラのいいのをもっていって写真をもう一回とってみたい。意外と花は写真をとることが大事である。
すぐにしぼみ色あせてしまうからである。今回買った花もそうだった。


礼文島も花の島で知られているので三回くらい行った。そこに礼文薄雪草が一面に咲いていた。


一面に礼文薄雪草の島覆い夕闇おおい人は去りにき


旅をしても思い出せばいいのだが忘れてしまうのは残念である。なぜならせっかく
苦労して行ったから思い出せないとあとで行ったということすらわからなくなる。
団体旅行などはその場のことを思い出せなくなるだろう。
現代は忙しい旅だから余計に記憶しにくいのである。

ただ現代の旅はデジカメで記録させることで思い出す作業ができる。
自分が行った時は普通のカメラだからあまり写真をとっていないから損だった

北海道の平地でも高山植物が咲いている。宗谷岬の方に自転車で行ったときは
平地の草むらに白山千鳥が咲いていた。あの花は目立つから記憶に残っている。

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はるけくも宗谷岬に我が来る白山千鳥の雨しととぬる


千島というとそこも日本なのか、千島薄雪草を見たら感激だろう。

蘭の種類は多い、蘭は南国系統である。でもヒマラヤの奥地、山の上に蘭が咲いていた。
苔むした樹に白い蘭が雨にめれてしっとりと咲いていた。
あんなところに咲くのも不思議だった。

この世には外国まで行けば不思議はいくらでもある。
ただ外国では何でもゆっくり見れないことが問題だった。
だから意外と記憶されないということがある。
ゆっくりその場にいれば記憶されるが早く過ぎ去るだけだと記憶されないのである。
結局記憶されなければこうしたエッセイなども書けないのである。
最後は記憶したものをたどることになるから記憶されていなとそれはもう存在しないと
同じになるから記憶することが大事なのである。


岩手山にも三回くらい上った。
その頂上付近の岩盤に高根釣鐘人参という大きめの花が咲いていた。
その時は濃霧が流れ見分けがつかなかった。
ただその花が高根に咲くから名付けられたのか大きいので印象に残っていた。
平地に咲くの花が小さい、それは秋の野にいつも見ていた。
それにしても人間の記憶は濃霧の中に消えるように消えやすいことだったのである。


濃霧のタカネツリガネニンジン


山頂に濃霧が流れていた
視界はさえぎられていた
その足元の岩盤に
タカネツリガネニンジンが咲いていた
それは霧にぬれしっとりと咲いていた
それは今は遠い記憶となった
その花を定かに思い出せない
しかしその花が名前とともに
時折遠い記憶として浮かんでくる

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花は名前も大事である。名前と共に記憶されるのが多い。
電車の旅では駅名だけが記憶に残っていたりする。あとは景色は覚えていない、
なぜなら電車の旅は景色が早く過ぎ去っ消えてしまうからである。記憶が定着しにくいのである。
そして60過ぎるとすでに人の名前を覚えにくくなる。顔もそうである。
いろいろなものの名前が出てこなくなる。
これがひどくなると認知症になると人の顔も名前もわからなくなるのだ
息子娘の名前すらわからなくなり記憶から消えてしまう。

それは何を意味しているのか?その人はもうすでに息子娘でも
記憶から消えたとしたら存在しなくなるのである。
だから認知症というのは記憶がきえてゆく、記憶できない病気であるが老人になると
認知症ではないにしろにたような症状がでてくるのである。
人間の記憶は頼りないのである

 

2014年05月19日

夏菊、夕鷺、蛙鳴く田 (復興はやはり元の暮らしがもどること)


夏菊、夕鷺、蛙鳴く田

(復興はやはり元の暮らしがもどること)

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夕鷺のそろい歩むや前田かな

老鶯や夕日のさして藤垂れぬ

主なき庭に牡丹の散りにけり主は我や我に映え散る
千輪の夏菊ゆれて白さます浜街道を走り来れり

水張りし田や蛙の集まりて復興なれや夕べ鳴くかな

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隣の家も空家になった。その家は庭を塀で囲んでいないかさ丸見えである。
組で三軒空家になっている。空家の数700万軒とか膨大なものとなっている
空家をどうするか大問題となってしまった。
思うにそうして空家となっているのは売られずに利用されるないのは
地主が耕作しないで権利を失ったと同じように権利を喪失させることが必要かもしれない
誰も住まないのにいつまでも空家にして利用されないのはすでに権利を放棄したともなる
ただ財産保全のように空家にしておくことは市長村にとって迷惑であり
市の活性化になもならない、


空家となり牡丹が庭に咲いて散ったけど主はもういないのだからその花を見ていない
そしたらその花は誰に向かって咲いたのかとなる
家に向かって咲いたのかとなる
しかしその家には主はいないてのである。
だから隣なのでその牡丹を見て写真に撮ったりした。
その花は自分に向かって咲いて映えて散ったのである。
主のいない人間のいない家に向かって咲いても映えないのである。

猫は家につくというけど家が空家だったら家についても餌をくれる人間もいないのだから何にもならない、
やはり人につき人が餌がくれるから猫も活きてくる
確かに猫は何か家に収まる、猫が今家にいて番していて待っているというのも不思議である。

人間は自分で利用できなくなったものは土地であれ家であれ庭であれ権利を失うのである
花を結構買って置いたが枯れたりしたので家に来る女性がそういう方面の仕事をしていたのでくれと言うのでくれた。
そしたら生き返ったという。
植物も花も水やりとか絶えずしていなとならないから管理がめんどうなのである。
自分はいろいろ仕事があるから手がまわらないのだ。
この辺でも津波で家を流されて困っている人がいるから空家の利用も考える必要がある


夏菊の季節になった。あそこの夏菊は日立木の畑だった。
風にそよぎゆれたとき生き生きとしている。
浜街道というとき浜とついているから海をイメージする
だから夏菊にもあっているかもしれない、
浜街道は確かに海に面して海に近いのだが実際は海が見えるところはほんのごく一部だった。
ただ海が近いことは確かだからどこでも3キロくらい行けば海には出ていたのである
今回の津波で松原などがなくなりかなり遠くから海が見えるようになった。


相馬市は今までと何ら変わりない風景であり田んぼに白鷺がいる。
その風景は南相馬市ではないからなんとも白鷺のいる風景がなにか昔に還ったような不思議を感じる。
別に今までは田んぼあり白鷺は普通に見ていたのだがそれがなくなると何か新鮮なものになる。
そういうことは原発避難者が故郷を失って経験していることだろう。
前田というのはまさに家の前の田でありそこを夕べ白鷺が歩いていた。

白鷺は夏の季語である。夏菊も白いのが夏らしい

南相馬市でも鹿島区でも今年は田植えをところどころではじめた。
そこに夕べ蛙の声がひびいた。それも一匹とかではない、前のように
蛙の合唱が聞こえた。
そこに水があるので蛙が集まったのだろう
蛙がそういうふうにして増えると今度は白鷺が餌になるから白鷺が飛んでくる。
それは今までの風景でありそれが復興したということかもしれない
ただ放射能汚染米とされて売れないとなるとまた復興とは言えない
三年過ぎて田植えもところどころはじまったり畑も耕されたりしてくると
何か復興してきたのかなと見える。

畑で栃木県の土をもってきてやっているという人がいたがそれは嘘らしい
なぜならそんなに遠くから土をもってくるのは大変だからである。

まあ、浪江でも田植えしたと放送されていたがその顔が輝いていた。
やはり農民は田植えして稲刈りする、その時労働が辛くても喜びがある。
それは漁業関係者も漁師にも言えることである。
確かに補償金はもらっていても一体なぜ自分は魚もとらないのに
海辺に住んでいるのかと言っていた。
魚をとらないとしたらその存在は何なのだろうとなるのはわかる
農民は田植えして畑を耕作して稲刈りして農民であり
漁師は魚などをとっているからこそ漁師なのである。
だから仕事の価値が再認識されたことは確かである

2014年05月20日

東電社員650人が事故の時逃げていた (現代では真のエリート意識がもてないから責任ももてない)


東電社員650人が事故の時逃げていた

(現代では真のエリート意識がもてないから責任ももてない)

●指導すべきエリートたる東電社員が真っ先に逃げた


 東京電力福島第一原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎(まさお)氏(2013年死去)が、政府事故
調査・検証委員会の調べに答えた「聴取結果書」(吉田調書)を朝日新聞は入手した。それによると、東日本大
震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、
10キロ南の福島第二原発へ撤退していた


朝日新聞デジタルhttp://www.asahi.com/articles/ASG5L51KCG5LUEHF003.html


そこで、一番安全と言われる免震棟に行くと、東電社員やガードマンが大勢いたんです。我々が被害状況を話すと、驚いていました。作業員を誘導するより先に、どうして東電の社員が逃げているんだと、作業員達は皆、不満気に話していました
http://ameblo.jp/nukfree/entry-10859394480.html


韓国のフェリー沈没事故で真っ先船長が逃げたとか問題になった。
原発事故でも同じだった。責任あるものが真っ先に逃げた。
原発で下請けやらで5000人から6000人も働いていた。
その人たちのことをかまわず東電社員が率先して逃げた。
それで残った70人が称賛された。
それは東電社員は原発の危険性を下請けや地元の人より知っていたからなのか?
だからいち早く逃げた。
地元の人は浪江町などでは知らないので危険な津島に町長の指示で避難した。
そこは一番放射線量が高い所だったのである。

政府であれ東電でもスピーディでどういうふうに放射線が流れるかわかっていたけど知らせることもなかった。
そんなふうになったのはそもそも放射能について皆目わからないからである。
「安全神話」しか教えられていなかったのである。

韓国の船長が危険を感じて真っ先に逃げたのと同じである。
そういう時は自分だけは助かりたいとうだけになる。
生きるか死ぬかとなるとみんなそうなるだろう。

自分は30キロ圏外で屋内退避だったから爆発したときも外を出歩いていた。
何が起こったのか放射線とは何なのかわからなかったからである。
ただその時は30キロ圏外でも避難しろということで避難した人たちが半分はいた。
あの爆発はやはり衝撃的であり危険を感じた人は感じた。
医者とか看護師などは危険を他の人より感じたから半分逃げたとかあった。
ただ今になるとそれらの人を批判もできないと言われている。
南相馬市立の院長が死ぬかと思ったという時、それほど危機感をもったとき、
看護師でも他の人より危機感をもったことは確かだからである。


●東電社員は真のエリートとの意識をもっていなかった


東電社員は6000人の下請けの人たちや地元の人たちを誘導する立場にあった。
しかし真っ先に逃げてしまった。何の指示もださなかった。
政府でも保安院でもそうだった。
東電社員はエリートで月給も高い、それはそれだけの責任をまかせられていたからである
原発の中では単に掃除しているだけの人とかいろんな人がいるが東電社員は
その中枢をになうものであったから責任がありその責任が問われた。
原発のことを他の人よりわかっていると思われていたからまかされていた。
でも逆に原発の危険性を知っていたからこれは危険だといち早く察して逃げたともなる。
その時下請けの人を誘導しようとか地元の人を誘導しようなどと考えなかった。
自分たちの命が先になっているからである。


東電社員が6000人の下請けの人たちとか地元の人たちを導くエリートだとか自覚していなかったろう。
ただエリートとして上に立ち威張っていればいいんだという感覚だった。
東電社員に優先的に採用された地元の人にもそのように下請けなどには威張っていれと指示されていたという。
東電社員になっていた人には地元の人もいたのである。
地元から採用された東電社員はその時、どうなっていたのか?

そもそも現代のエリートとは何か国家の命運をになうとかそのために働いているという感覚はないだろう。
会社は別に国家とは違う、そこでは利益をあげることであり国家の意識などもたない、
そして教育は戦前とはまるで違う、団塊の世代から受験戦争がはじまった。
それは他者を蹴落としてでも受験戦争に買って得する収入の高い所に官僚でも会社でも入ればいいと教育されたのである。
戦前はすべて国家のためにになっていたが戦後は個々人が個々人の利益を追求すればいいとなったのである。
それは官僚でも会社員でも下々で上でもみんなそうなのである。

そうは言ってもやはり社会は責任をもたされる地位にある人とない人がいる。

原発で掃除だけをしていると事務をしているとか人たちと東電社員は違っていた。
東電社員になった人たちはただ威張って月給も高いというだけではすまされなかった。
そういうエリートであることは常に責任がともなっていたのである。
でも現代ではエリートはただ官僚のように濡れ手で粟の得する立場であり
それに重大な責任が課せられていることを意識しないし教育もされていない
それは中国でも共産党エリートでも得する地位にあり濡れ手で粟の金が労せず入ってくると同じである。
つまりどこでもエリートの支配層の堕落があり腐敗がありそれが庶民にも還ってくる。


●責任あるエリートの自覚をもてない時代


今はエリートとかはいない、侍はエリートとして選ばれたものであり侍はどうあるべきかとか
モラルが侍の家に生れた時から植えつけられていたのである。
庶民はそんなことはまるでない、教育にしても読み書きソロバンの実用的なものだけである。
現代は本当のエリートととかないしエリートがどうあるべきかなどもない、
ただエリートは月給も高く得するからなりたいというだけである。
エリートとは本来は地の塩たるべき人たちだった。
だからその責任とか使命とか自覚してなっていた人がいた。


イギリスでは


ノブレス・オブリージュ(仏: noblesse oblige、フランス語発音: [n?bl?s ?bli?] とは、直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」を意味し、日本語では「位高ければ徳高きを要す」などと訳される。一般的に財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことを指す


こういうエリートがエリートだったのだろう。
現代では大衆社会とか大衆にへつらうことしかない、そうしないと上にも立てない社会である。
だから大衆にこびなければ議員にもなれないとなり大衆をもちあげるから
かえって真のエリートとはならないから大衆もそういう指導者を選んで大被害を受けるのである。
つまり東電社員は別にそんな侍とかイギリスの貴族とかのエリート意識などない。
得をするためにだけあるから危険があればいち早く逃げるだけだとなる。

現代の社会は真のエリートを養成されない社会である。
結果的には大衆化して卑いレベルに合わせた指導者しか生れない。

大衆社会はそもそもそうしたエリートを嫌うし育つ土壌ではない、
むしろ否定するから生れないとなる。卑いレベルの大衆に見合った指導者から生れないのである。
大衆は何を尊敬していいかなとわからない、ただ利益を求めるだけだから真のエリートは育てられないのである。
そうは言っても常に上にたつものは権力をもつものなどは地位あるものは必ず重い責任が課せられているのである。
その責任が日頃から自覚されいてれば別に高貴な義務を意識しなくても責任を果たそうとするだろう。
それで残った70人は称賛されたのである。

ともかく原発は国家的命運がかかわっていたなど東電社員でも地元の人でもそんなふうに思っていなかった。
ただ得をすればいいとしかなかったのである。

いづれにしろ真のエリート意識などもたないにしろ必ずどんな人でも責任は課せられて
る。重さは違っているにしろ課せられている。人間は責任から逃れることができないようになっている。
現代では金持ちは責任があり貧乏人は責任がないというのが明確にある。
人間の価値が金で判断されるとなると何でも金で判断されるとなるとそうなるのである。
だから月給がいくらだとか常に話題になる。そして公務員は批判される。
収入の多寡によってその人の責任が問われるのが現代社会である。

理系の問題は専門化した細部の研究に向いているマニア的な人はいて
その人たちが果たして真のエリートに値するのかどうかわはわからない
だからそういうふう専門分野で技術者として優秀であっても経営では失敗した人がいた。
東電も技術的問題あるにしろ経営で失敗したのである。
国家にしても国家を運営することだから指導者は経営者になっているのである。

posted by 老鶯 at 18:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年05月21日

抽象画はやはり具象画と切り離せない (具象画⇒抽象化 具象⇒抽象化の作用)


抽象画はやはり具象画と切り離せない

(具象画⇒抽象化 抽象⇒具象化の作用)

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海ー松原ー大地ー実り



密生する葉のイメージ

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green city

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抽象画は具象画と関係していないようにも見えた。
でも実際は抽象画もこの世界の森羅万象と関係している
抽象画からこの世界の森羅万象をイメージする


ここでも偶然に何かがソフトを操作して生れる
するとこれは自分がいつも津波の前に目にしていた光景とにているなと思った
海があり松原があり田んぼがあり黄金の稲の実りがある
そういう光景を長い間見ていたのである。
するとその光景がこの抽象画がに見えたのである。


でもこれは説明されないと他の人はまるでわからないだろう。
「これ何なの?」というのが抽象画に多いからだ
でもこれは海であり松原であり大地があり稲の実りがある
そう説明された時そういうものかと見ると安心するというか
謎が解けるとかにもなる
抽象画の意味づけができたことになる


これは原画だったがここから森の樹の葉を抽象化した
これも全く偶然であった。
抽象画は意図してはできない
とにかく化学の実験と本当ににている
納得のゆく抽象画を生み出すにはソフトの操作をしつこくしないとできない

葉の密生では黄色は光になるとかここは操作する。
この葉の密生は説明しなくてもわかりやすいだろう。
そういう抽象画は他からみてもなるほどと了解するが
了解できないものがかなりあるから困るのである。