2014年05月01日

同情には優越感と蔑視が同時に生れれる人間の複雑な心理 (絶対的強者はいずみんないづれは弱者化する)


同情には優越感と蔑視が同時に生れれる人間の複雑な心理

(絶対的強者はいずみんないづれは弱者化する)

人が他者を哀れんだり同情したりする時、そこには必ずと言っていいほど優越感や蔑視が介在する。


この言葉はプラトンが言ったのかどうか一般的に言われていることだろう。
まず人間の心理ほど複雑なものはない
同情するとかあわれむとかは別に悪い感情ではない
でもそのあわれなやつだというときそれは自分より力が下になったということである
病気になったときそれが明確に現れる
病気になるということは弱者になることなのである。
だから病気になるとかわいそうだと言ってもあんたは俺より弱い人だとみる
強い人にあわれんだり同情したりはしない
強い人には恐怖感があり低姿勢になる


ではなぜ医者とか看護師や介護士とか弱者を相手にするものが
性格が歪んでいるとされるのか?
それは常に弱者を相手にしているからである。
常に優位に立っているのが医者であり看護師である
病気になっているのだからどうしても医者に頼らざるをえないからそうなる
ところが一般社会では強者がいくらでもいる
だから日常的な仕事でもいつも頭を下げて低姿勢で商売している人が多い
医者とか看護師は患者にありがとうなどと言う必要はない
いつもありがとうと言われる方なのである。
それが当たり前の世界であり低姿勢になることはない
すると謙虚な心は養えない、相手は常に弱者だからである。
医者とか看護師が患者に頭を下げることなどありえない
あなたをお世話させていただきありがとうなどと言う人はいないのである。


つまり同情心があっても必要でもそこには必ず優越感と蔑視があるという
人間の複雑な心理がある。
実際正直に言えば同級生で猫こせがひどくなり奇形のようになった人がいた。
あんな格好では外も出歩けないなと見た時、優越感を覚えた
あいつもあわれだなと思うがやはりそこには優越感とか蔑視の感情が生まれる
もちろんそのことは自分が病気になり弱者になった時はそれどころではなかった
あからさまに弱者をいいことに火事場泥棒にあい大金を失った。
もう一人は借金をしていてその弱みにつけこんで請求してきた
これも苦しいことだった、弱者になると逆らえないから恐怖なのである。
簡単に奴隷にもできるしその人が性格が悪いとあからさまにその悪が横暴にでてくる

ただ一方で自分が弱者になった時、この際と責めてきた人も
実は弱者だったということがあった
それは共に金に追われていた。金がないということで弱者だったのである。
借金もしていきた人があり追い詰められていたのである。
だから金が欲しくて自分が病気になったとき責めてきた。
まさにこの世は人間は弱肉強食の世界だった。

人間は金においつめられると犯罪者になる
それは善人とか悪人とか関係ない
そういう状況になると誰でも犯罪者になる
借金した人は別に悪い人ではない
若い時は頭が良くていい人だったという
それが変わったのは事業に失敗して借金してからだった
だからそうした何か人生での失敗から追い詰められて犯罪者にもなる
その人は別にもともと悪い人ではなかったのである。


このことは老人に対しても一番言えるのだ
老人に若者でも肉体的にも劣ってくるからあわれだなとか同情するが
やはり優越感と蔑視の感情があからさまにでてくる
子供で親が老いているのを見た時、今までは怖かったが今やあわれみの対象となる
その時、必ず優越感と蔑視の感情が生まれる
こんな親はもう怖くない、俺はもう親より強い、親は弱者になった
だから親は自分の言うことを聞くべきだとかなる
現実に親子の関係はみんなそうなってゆくのである。


結局人間は弱者に対して謙虚に接する人はいない
なぜなら必ずそこには優越感と蔑視の感情が同時に起きる
だから同情は偽善だとかなる
それで同情自体を否定するニーチェの超人思想が生まれたのである。
ところがニーチェ自体も狂気なにり弱者化したのである
奇妙なことは自分の姉も看護婦であり何度も言っているけど
肉体的にも心身ともに優秀な人だった
だからいつも自分は優秀だと言っていた。
その優秀だということに最後までこだわっていた
認知症になったら明らかに痴呆症になったのがら馬鹿になったのである。
それでも手術した時も、死にそうになったときもかすかな声で「俺は優秀だった」と
言い続けたことも異常だった。
そんなに優秀なことにこだわるものかと自分にはその心理がわからなかったのである。
自分は心身ともにまず優秀な所がないからそんなこと思ったこともない
体力的にもだめだし頭脳もだめである。
文学的才能にしても本当にわずかな芽があっただけであった。
だから子供のように俳句にしても短歌にしても言葉を並べただけだったのである。
だからそんなに優秀だとこだわることが理解できないことだった


ただこれニーチェも「俺は勝者だ、超人だ」と狂気になっても思っていたということは
姉とにていたのである。すでに狂気になり病気になってもそう思っていたのである。
人間は強いとか優秀だとかとどこまでも主張するときそれも狂気になってゆく
別に弱者がいいというのではない、健康であるべきだし弱者の歪んだ思想もまた異常なのである。
だから現代が弱者であることが障害者とか病人とか老人がその弱さを楯にして
社会に保護しろとか税金をもっと弱者のために使いとか強者になるのもおかしいのてある。
弱者であることが特権化しているのである。
「弱者をいたわらないやつは人間じゃねえ、社会的に糾弾してやる」とか恐喝にまでなるだから
障害者をもった母親が弱者に同情しないというのは障害者をもった母親にしかわからない複雑な心境がある。
生活保護も必要にするにしても当然の権利であるとしている。
権利だから当然であり誰かに感謝することなどないのである。
社会にも感謝などしない、だから一般的に生活保護者は何か心が歪んでいる、
でも全部ではない、生活保護がどういものかを知ってわきまえている人もいる。
ただ現代は何でも権利化して権利として主張しているのである。


いづれにしろ強者と弱者の問題は人間にとって常に変わらぬテーマとなる。
歴史もまた強者とならんがための争いの歴史だったともなる。
強者が弱者を征服してゆく歴史である。そのことが戦争に負ければ奴隷にされたということが一番わかりやすい。
その歴史は今も継続しているのだ。
ただ国単位でもいつまでも強者になる国はない、いづれは弱者化してゆく
アメリカだっていつまでも強者ではありえない
貧富の差が極端化して富裕層の市が独立して貧者を排斥して内部分裂して弱体化する
そういうことも現実に起きているのだ。


強者の問題は必ず体力でも才能でも様々な能力があっても奢りになる。
その奢りが神の怒りをかう、だから高いものが必ず卑(ひ)くされる
卑いものが高くされると神が言うのは人間は全能でもないからそうなる。
ある時は強者でもいづれは弱者になる運命にある。
「奢れるもの久しからず」というのが歴史でも同じであり個人でも同じである。
個人的にでも優秀な人は奢りやすいのである。
だから弱者は弱者でいいというものでもない
聖書のテーマが弱いものが強いものに勝つということでもあった。
ゴリアテのように強いものも弱者と見えたダビデの一撃でもろくも崩れ去る。
それはどんなに強い人でも病気になるともろくも崩れさることをみている。
文明も人間が神のように優秀だと奢るとき今回の原発事故のようにもろくも崩れさる
全能の力をもっているのは神しかないからそうなっているのだ。

 
 
 
posted by 老鶯 at 11:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療-老人問題

八重桜は母の愛 (故郷とは母の愛・・・)


八重桜は母の愛

(故郷とは母の愛・・・)

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春日さし赤みを帯びた大き石

雨しとと誰か思ふや余花を見る
一時に六輪開く牡丹かな
誰がとがむ牡丹開きて雷鳴りぬ
故郷の狭きを行き交い夕燕


ふるさとやほのぼのとして母の愛八重桜の下我は歩みぬ

八重桜夕べ散りにき雨のあと湿りし道を我は歩みぬ
ほのぼのと八重桜咲きこの夕べ蛙の鳴くや故郷の道


故郷とは何なのだろうか?これを訳すのに苦労していた通訳の女性がいた。
ふるさとというのは英語でなかなか訳せないだろう。
だから浪江とかで故郷を失ったことで世界の人に訴える時、
どう訳していいのかわからないというのも理解できる。

そもそも故郷といってもみんな違ったものとして故郷がある。
故郷に最も愛着しているのが誰かと問うことにもなった。

近くの人は若い時から苦労して土地を買い家を建てた
だから家に愛着があり離れたくないと言っていた。

これは自分のように何の苦労もしないで家を引き継いだものとは違うなと思った。
なんか自分の場合,家はただ間借りしていたという感じなのである。
そんなふうにして住んでいれば家にそんなに愛着があるとも言えない
故郷に愛着があるのはそうしてこの土地に密着して働いた人だろう
だからそうして共に苦労して働いて家を建てた老夫婦は故郷に愛着をもつ
代々住んでいる農家の人なども愛着をもつ


ところが会社員になるとまた別である。
車の部品を製造している人はどこにいってもやはり同じ仕事で変わりないのである。
その土地に根付いたものではないからだ。
そういう人たちも増えている現代は故郷に愛着をもつ人が減少してしまったのかもしれない
昔の村とは違ってコミニュティが解体しやすくなっている

浪江町として一体感を忘れないで欲しいいうけど
その一体感をもつものは何なのかわかりにくいだろう。
まず故郷は何かなどと問うことなどありえなかったのである。
故郷とは当たり前にいつでもあるものだったからである。


八重桜の季節になったけどこの八重桜には何かいつもほのぼのとしたものを感じる
これは母の愛に通じているかもしれない
自分の家に毎日来る年取った60代の女性は未だに40才とかの障害者と結婚していない
息子がいて絶えず行き来しては弁当とか食事の用意をしているから大変である
だから嫌にもなっている
実際に自分も家事をやっていて嫌になる、めんどうになるのだ。
でもそこには母の愛がまだある

自分にはすでにそんな愛はもつ人はない、死んでしまったからだ。
母が死んだ時、息子は母の愛が何であったか痛切に感じる時来るだろう。

つまり故郷とはその景色もあるが家や土地や生業もあるが
母の愛のあるところかもしれない、故郷は母がいて母の愛があって故郷なのかもしれないだから
自然に恵まれていても一茶のように継母に育てられたら故郷は寄るも触るも茨かなとかなってしまう。
故郷はまた全部いいものではないしそういう人もずいぶんいる
自分も故郷が嫌な面は多々あり旅ばかりしていたのである。
自分の場合は異常でも過剰な愛があったから故郷をすべて拒否するということはなかった

ある家の庭の石に興味をもった。この石には女性を感じたのである。
赤み帯びているからそうなった。石は普通は男性的である。
でもこの石は女性的なのである。
それも土着的な農民的な女性的石なのである。
それは最近つきあった野暮ったい苦労した女性をイメージしたのである。

人間は必ず自然のものでも石でも人間をイメージしているのだ。
人間が投影されて自然が人間化されるのである。
この石は普通の石とは違って女性的なる故にひかれるのである。
男性的なものと女性的なものとして世界を分けて言葉まで作ったこともわかる

人間は男性的ななるものと女性的なるものがあって陰と陽があって豊かな世界観を作れる
だから結婚しない人は人格的に何か欠けているというのは確かである。
女性的なものが投影されないから欠けたものとなっいいるのだ
女性でも結婚したり子供をもたないと女性としての人格の完成はないだろう。

だから母の愛という時、それが故郷の象徴ともなるのである。
つまり故郷には母が欠かせないものとてしあるともなる


牡丹も開いて今日は雷も鳴った。
これは春の雷だけど実際は5月で夏なのかしれない
八重桜はまだ春であること言えるが夏になっている
花が今は一時に咲く季節である

 

2014年05月03日

野蒜海岸や東松島の牛綱や浜市の津浪の跡をたずねる(1) (奥松島⇒野蒜海岸⇒鳴瀬町⇒石巻(自転車の旅-夏)


野蒜海岸や東松島の牛綱や浜市の津浪の跡をたずねる(1)


(奥松島⇒野蒜海岸⇒鳴瀬町⇒石巻(自転車の旅-夏)
http://musubu2.sblo.jp/article/29414836.html

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東松島(牛綱、浜市、白萩)

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前の写真と重ねると確かにこの松である

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ここにあった家はほとんど流された

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社があった


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自分のプログのこのページが長い間一定の人が見ていたことが不思議だった。
というのは写真にしてもたいしたこともないし紀行文としてもたいしたものではない
ではなぜ見られていたのか?
それが今回同じように野蒜から鳴瀬街から石巻と訪ねてみてわかった。
特に松の写真をとった場所がなんにもなくなっていたのである。

つまり野蒜から東松島市になった鳴瀬町とかは1000人が死んだとか被害が大きかったのである。

まず野蒜は未だにその被害が大きいことが感じられた。
かなりの家が破壊されたし駅も復興していない。更地が多く松も残っていても痛々しい、ただ結構松は残っている。
その理由が防潮堤にあった。幅が広く分厚いために津浪でも破壊されなかったのである。
低い防潮堤だったが全く壊れていない
これだけ厚ければ津浪でも壊れないことがわかった。
ただ低いから軽くその上を越えて津浪がおしよせた。
でも結構松が残っているのは津浪の勢いがこの防潮堤でそがれたためなのである。
だから防潮堤が無駄だとは言えない
ただこの防潮堤にしてもその上を津浪が押し寄せたのだから被害が大きかった。
ここは前に島もないのでもろに津浪に襲われた。
電車も津浪におそわれて曲げられらた映像が写された。


ここは今は高台に住宅地を移すために大工事が行われている。
高台の山の土を削りそれを機械で運び野蒜駅前には高い大きな山を作っているから驚く
その山の高さが高いのである。まるで人工の山である。
あんなに高くしたら景観的には海辺の街という感覚はなくなる。
野蒜の海は変わらず砂浜が広がりきれいだった


そこから陸前小野まで代行バスで行き前通った白萩地区の町の方に向かった。
浜市小学校などがありここも大被害だった。ここは廃校になった。
かなり海が近い場所であり被害が大きかった。
鉄道まで津浪をかぶった。
鳴瀬川の堤防も越え津浪の水が流れてきたので堤防を高くする工事をしていた。
津浪はまず川をさかのぼってくるから川が意外と危険なのである。
大川小学校の悲劇は北上川を津浪がさかのぼってきたことにあった。

白萩地区というのは地名の考察では真っ白に土がばきとられるという意味だとかなるとまさにそうなっていた。
萩がはぎ取る意味だというのも謎である。

ここは牛綱村とか浜市にしても江戸時代の文書が残っているように古い村だった。
家が密集して狭い道があり写真のように松が道を覆っていた。
そこで思ったことはこの道はトラックなどが通れない道だと思った。
だからこの松が印象として残っていたのである。
何か隠された車も通りにくい場所とかイメージした。
実際はここは東松島の自衛隊の基地がありジェット機が飛ぶ所で有名だった。
その騒音で早い時期から移転問題すらあったのだ。
そういうことを知らないから隠された村のように錯覚していたのである。


いづれにしろここは自転車で一回だけ通っただけである。
それでもここがそこに住む人にとっても自分にとっても忘れられない場所になったのは
一回だけ通ったにしろその村すらほとんど消失してしまったことなのである。
津浪はこうして村ごと町ごと消滅させるから怖いのである。
ただ自分がとった松の写真の一本は確かに残っていた。
だから確かにあの道を通ったことは確かである。
それもなんともいえず不思議な光景としかいいようがない。
近くに津龍院という寺があるのも不思議である。津浪と関係あるのかとも思う。


帰りに陸前小野駅の鉄道線路の前で畑を耕す女性に聞いた。

「どの辺まで津浪が来ましたか」
「鉄道の線路を越えましたよ」
「ええ、あの線路も越えたのですか」
「今は移転している家が多いですがもっと家があったんです」
「確かに家があったようですね」
「松もありましたが塩水をかぶり枯れたして残っていない、塩分に強いのは欅です」
「ここも津浪をかぶっていますが大丈夫ですか」
「塩分に強い野菜をつくっています」
「そうですか、自分の近くにも津浪が来ましたが、津浪は低くても被害が大きい、いろんなものが流れてきますから」
「この辺もそうですよ,だから家を壊したのが多いんですよ」


塩分に強いというとき、松は弱いらしい、松は津浪には弱い、
ただ原始状態の混生林だと竹でも他の樹でも根を深く張るから津浪の衝撃に耐えやすくなるとか書いている人がいた。
松林は防潮林でも津浪を防ぐものではなく塩害を防ぐものとして作られていたのである。
津浪には竹藪のようなものがかえっていい、現実に相馬市の新田では竹藪があり津浪の勢いがそがれたとか聞いた。

今回の津浪ではいろんなことが問題になったのである。
それはあまりにも多岐にわたるものであり日本の国土を見直すきっかけとなった。

いづれにしろ自分にとってそこを通ったのは一回だげであり
それが今回の津浪でその通った場所が村が消えてしまうというのが信じられないことだったのである。

ともかく津浪はなかなか映像だけからでもわからない、現場に立たないと実感しえない。
あの野蒜の土を運び山を作っているのもその高さが実感しにくい、こんな高くしてどうするのだという感じになる。
そのことがいかに今回の津浪が高いものだったかを逆に証明しているのである。

 
 
posted by 老鶯 at 11:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2014年05月04日

春から夏(松島俳句十句)


春から夏(松島俳句十句)

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この上の二つはクリック拡大

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落椿散りて一つに赤きかな

椿散り赤き誠にスミレ咲く
初夏や金華山望み鴎飛ぶ
鴎飛ぶ夏の日ざしに白しかな
レストラン活魚の泳ぎ夏の海
島に眠る鴎あまたや夏の夕
幻の島も浮きなむ夏の海
五大堂陽翳り涼し夕べかな
夏の陽の海面に写り五大堂
政宗の京の行き来や夏つばめ
春日さしアベック行くや赤き橋


初夏や松の緑も麗しく金華山見え鴎飛び交ふ
赤き橋渡り飛びかふ鴎かな夏の日ざしにまばゆく映えぬ

波光り松風鳴りて椿咲き南し思ふその赤さかな
人入らめぬ島の渚やまばゆくも波の光りて鴎飛ぶかも
残る花延齢草の葉に散りて名残りを留む小径行くかな

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この上の三つはクリック拡大

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ここはクリック拡大すると大画面になり鴎が生き生きと見える
 
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松島の松が津浪でも残ったので観光には影響がなかったのは救われた。
他のように松がなぎたおされたら松島の景観も喪失したからあまりにも衝撃的だったろう。
松島では島にさえぎられて水が徐々に高さを増しただけだったという。
だから波の衝撃がないから松も倒れなかったのである。
高さも低いし写真にとった島の上までは波は来なかった。


松島は前は椿に雪が残っていてきれいだった。
今回は季節が進んで初夏になっていた。
椿はもともと南国産であり沖縄のような南国にふさわしい花である。
今回は椿がいたるところで散っていた。
椿は一つ一つ が咲いているときと散った時は落椿となり
一つになった感じになる。一つの赤さに染められる。
赤はやはり誠を示しているのである。


鴎が夏の日ざしを受けて奔放に飛んでいた。
その光を受けて白さを増していた。
そして島にあれほど鴎が集まって寝床にしているのははじめて見た。
いかにも夏らしい風景だった


福浦橋からは必ず金華山見える。
あの赤い橋は印象的である。
アベックが多かったからあの橋も一段と赤いともなる

夏には前にも書いたけど松島は島が多いから
幻の島でも浮かんでいるような錯覚に陥る。
蜃気楼のようにありもしない島まで浮かんでいる錯覚である。
それだけ島が多いということである。
その島は奥松島まで広がっているのだ。


伊達政宗は京都の秀吉の伏見城にいることが多かった。
当時では江戸であったからそこから日本や世界を見ていたのだ。
だからグローバルな視野をもちえたのである。
その妻の愛姫もし伏見にいて伏見で死んだ。


レストランで貝の料理食べたけど貝がわずかでこまかくした氷の上にのっていたのだけど
それでその氷を食べるのかと思うほど貝が少なかったのである。
一興と思って入ったけど期待外れだった
そもそも貝とか高いし津浪のあとで魚介類はそんなにとれていないだろう
どうも牡蠣にしても小さく今までとは違っている
一般的には観光地の料理は高いだけで中味がないのが普通である
仙台の方がうまいものが食べられる


松島には快速で行くと近いなと思った。
直通になるから近くに感じる
松島は相馬からでも一番行きやすいのである
ただバスになったから出るには億劫になったのだ
それから介護しているから余裕がないのだ
それでも4、5月は一番旅にも外出にも向いている。
この月を逃すとあとは梅雨になのから出かけられない
だから無理をしても出かけたいのである

どうしても今は津浪の被害にあったところに足がむく

福島県の浜通りから宮城県の沿岸部は津浪の被害地域であり
連続したものとして見るようになったのである。
だから次は陸前小野駅から石巻から女川の方に行ってみたい
陸前小野駅までは電車が通っていた。
あれも常磐線と同じで途中が途絶えているから不思議になる

やはり観光として景観としては松島から奥松島から鳴瀬川から
石巻から牡鹿半島から気仙沼は魅力があるところなのだ。

次は奥松島の短歌などを出す・・・
 

2014年05月05日

奥松島から鳴瀬川、浜市、牛綱村(春から夏の短歌十首)


奥松島から鳴瀬川、浜市、牛綱村(春から夏の短歌十首)

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この線路はなくなる

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線路があった所から写す

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線路はかなた高くなる


風そよぎ海に面して山桜ゆれつつ散らむ朝に映えにき

夏の日や奥松島の島影の変わらず見ゆやここに住みなむ
奥松島その静けさや島一つ心に残る夏の夕暮
奥松島菜の花映えて島影や津浪の跡をバスに行くかな
夏の日に牡鹿半島望みつつ野蒜の沖に船を行くを見ゆ
鳴瀬川河口に浪の打ち寄せぬ夏の日明るく鴎飛び来ぬ
津浪跡耕す女や牛綱村浜市の名夏の日さしぬ
津浪跡形見と残る社なれ古木の一つに我はよりにき
白萩の通りの消えて松一つ形見と残りあわれなるかな

菜の花や陸前小野駅終点に電車とまり津浪の後かな

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鳴瀬川の河口

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残った社の古木

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一本だけ残った松


松島を旅行する時、松島だけを見ると印象が薄いものになる。
松島という領域は実際は相当に広いのである。
塩釜から松島に行っただけではわからない
これは一般的にどこの観光地でも言えることなのだ
点だけではなく線としての旅こそ旅になる。
今は交通が便利だから途中を飛ばしてしまうから名所がつまらないとなる
芭蕉の旅もみちのくの未知への長い旅の行程の中で生れたのである。
もし今のように新幹線で東京から二時間で来たら「奥の細道」は生れなかったのである。

仙石線で印象に残る場所が東名駅とかある海沿いをすれすれに走る線路であった。
その車窓がいつも見えるのがあの島だったのである。
あの線路はなくなり高い所に線路が作られる。
だからこういう低い所から写真はとることはできなくなる。
それでこの写真も貴重なものとなっているのかもしれない。


とにかくあの島はいつも見えるから印象に残る。
つまり樹でも石でも人間が長く見ているものは人間化するのである
あの島は何か母とか姉とかでも人間的になるのだ。
名前がつけること自体人間化している。
ペットに名前で呼ぶのは人間と同じになっているからだ。


菜の花が咲いていたのも何か奥松島らしい。津浪の跡に菜の花畑にしたのだろう。
桜もまだ咲いていてそれは山桜だった。
海に面して咲く桜だから山桜でも違った感じになる。

そしてし野蒜から鳴瀬川に出る。

あの鳴瀬川はまさに鳴る瀬であ名前がいい、あの河口に注いでゆくときが何とも気持ちがいい

東松島の白萩の通りだったのか、浜市だったのかわかりにくいがあそこに一本の松が残っていた。
あれだけが形見のように残っていたし社にも古木が一本残っていた。
牛綱村とか浜市とかの名前も良かったし白萩文書とか天保時代のものが残っているから
古い場所なのである。野蒜村というのも江戸時代にあった。
一般的に伊達藩は相馬藩より古いものが残っているのだ。


ただ仙石線は仙台からの延長であり通勤圏であり漁業とか農業で暮らしているという感じはないから
何か外から見て新しい町に見えてしまうのである。
ただ今は別に漁業とか農業で暮らしているいるわけでいなから仕事を失っているわけではないないから
津浪の被害から立ち直りやすいということがあるかもしれない。
それは相馬などでもみんな農業でも漁業でも一部が専業なのであり
ほとんどが会社員になっているから昔とは事情が違っているのだ。


松島海岸や高城から陸前小野駅までは代行バスがでている。
ただ陸前小野駅からは電車が通じていたのである。
あれは相馬市から原町駅まで通じている線とにていた。
短い距離になるからにていたのである。

次はあそこから石巻から女川を見てみたい、石巻はすでにみている。
津浪の被害はやはり宮城県が一番大きかった。
だから津浪が何かを知るには宮城県を見ないとわからないのだ。


2014年05月06日

妻なくした淋しい老人の一人暮らし (大きな石の庭のある家)


妻なくした淋しい老人の一人暮らし

(大きな石の庭のある家)

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その家は近くにあった。その家はその人が働いて若い時に土地を買って建てたから愛着があるという。
妻もその時は喜んだろう。その奥さんを7年前に亡くした。
そのショックは相当に大きかった。それ以来その大きな家で一人暮らしになり家事もできずに泣いたという。
特に料理は糖尿病の予防のためにどうしても自分でしなければならないからめんどうになる。
その人は75才だから結構な歳である。だから若い時、苦労して買った土地と家には愛着がある。
200坪あえ100坪の土地をもっている。
電気関係の仕事で請け負いをして稼いだという。
家を建てることは当時でも大事業でもあった。その家の壁は土壁だった。
土壁は自分の家も職人がいなくなり最後になっていた。
その人がなぜその家に愛着があるかというとそうして自分で苦労して建てたからである。
その人の茶箪笥が一時自分の家に不思議なの縁で置かれた。
それもその当時ではしゃれた作りのものだったのである。
だからそこに思い出がある。その人は一代でそれだけの財を築いた。


自分はただ家でも金でも働くこともなく譲り受けただけだから家や土地に関する愛着度が違っている。
何か自分は間借りしている感じだったのである。
土地とか家に愛着をもっているのは人によっても違っているのである。
その人の家の庭も立派である。大きな石で組まれていて池もあった。
その石を見ているとまるで登山道があり高山植物が隠れて咲くような趣になっている。
自分は石に興味があり石の庭が見たいということで見せてもらったのである。
その家は海から3キロ以上も離れているけど床上まで津浪が押し寄せた。
それで一時仙台の親戚の方まで避難した。仙台でも物資が不足して並んでいたというのは意外だった。
それだけ広範囲の被害があったのである。
その時、助けた女性がいて今も親しくつきあっている。
近くの親戚は見ているだけで助けもしなかったという。
ボランティアも泥さらいなどをしてくれて助かったという。
あの辺は家がそっくり残っていたし被害がそれほどでもないと思っていたが結構被害があった。
3キロ4キロとか離れても床上まで津浪が来ていたのである。
つまり津浪は広い範囲で被害がある。低いと思ってもそんなに遠くまで被害があった。
もともとその家の前には家は少なかったが家はぱらぱらでもあったが今は全くなくなり
海の方は原野になっている。夜になるとなんか怖いという。


その人がしきりに言うのはネズミがでてきて困るといってネズミとりを仕掛けたとか言う。
カヤネズミはか小さなネズミが原野化してふえたのである。
それで餌とするノスリも来るようになった。それからなぜ池に水を入れないのかと聞くと蛇が出るからだという。
確かに自分の家もに屋根から子供の蛇が落ちてきたときは驚いた。
屋根に蛇の巣があったのである。回りがまだ畑などがあった時である。
それから区画整理して住宅地になったとき蛇はいなくなったのである。
そこはは回りは田んぼであり農家である。だから街内とはまた違った環境になっている。
特に回りはがうるさくて見張られているという。だから女性は家には入れない。
回りを異常に恐れているのだ。これが田舎の恐ろしい所である。
これは実際はヘビより恐ろしいと思った。
田舎の人間関係は狭隘なものとなり閉鎖的なものとなりそこから逃れられないから
その閉塞感から逃れようとして殺人事件まで起きたことが理解できるのだ。
田舎に移住するなら何か共同するものが仕事でも必要になる。
ただ町内と一キロ離れた田んぼが広がる農家地帯とはこれも相当違っているのだ。

その家の中に入ってみて感じたことは何か確かに淋しいのである。
二階もあるがそこは使ったことがないという。それから前に二階建ての小屋があり広さは200坪だから広い。
町内の家とは違っている。見晴らしも実にいい。ただ一人だから淋しさは感じるだろう。
そのことをしきり言っていたからそれがわかる。
家が広いと余計に感じるのである。奥座敷に仏壇がありそこで妻の供養をしている。
その老人には娘がいて一週間に二回料理をしてくれる。孫も時々来ると言っていたが
もう成人しているのでなかなか来ないというもいう。その子供の時の孫の写真が飾ってあった。
こういう人は別に今の時代、普通にいるだろう。ただ奥さんを早くなくしたということで違っていたのである。


自分がその家で感じたことは何か確かに淋しいということである。
その人には何か趣味らしいものもない、庭は立派でも花がきれいになっていない
ぼつんぼつんと忘れられたように手入れもされず草が繁っている。
何か庭まで淋しい感じになっているのだ。
自分の庭は花を一杯にしているからそんな感じがしないのである。
ただあとで聞いたのではもともとツツジなどが一杯に咲いていたという。
ところが津浪でそうした花などもなくなった。
その後手入れができず今のような淋しい状態になった。
そこには低い杉の木が手入れもされずその葉がだらりと下がって幽霊の木のように見えたのである。
塀も地震で壊れていたから余計にその辺が淋しく見えた。

人間はやはりその家に入ればその家から何らかの気が発してくる。
その家はきれいにかたづけられているけど何か確かに淋しいのである。
その家の雰囲気はその家に住む人がまた作り出しているのだ。
特に奥さんがなくしたり男やもめなるとどうしても家は荒れて淋しいものとなる
それが高じるとゴミ屋敷になってしまうのである。
自分の家も全部家事をしているからもともと雑なのでいつまでたってもかたづかないのである。
ただ自分は花が好きだからフラワーアレンジメントする場を作っている。


一人暮らしの人はこれから増えてくる。近くでも組で三軒も空家がある。
近くで昨日一人また死んだからその人も一人暮らしになるのだろう。
一人の女性は息子にひきとられてイワキの方の老人ホームに入ったという。
近くの人に助けられて一人で暮らしていたができなくなりそうなった。
そこも空家となった。だから空家も東京のような都会でも増えてくるのだ。
空家をどう利用するかも少子高齢化で問題になっている。
この辺では土地を欲しい人は増えた、だから土地ごと家を買いたい人はいるが
空家を貸すようなことは都会のようにはできない、土地の方が価値があるのだ。


いづれにしろこういう老人の一人暮らしの人はめずらしくなく全国的に増えているだろう
自分もにたような状況にあり地震手風呂が使いなくなり近くの福祉の湯に行くようになった。
300円であり近くだから便利だった。一人だと風呂に入るのにも水を使うし
ガスでも電気でも一人分でも同じように費用がかかる。
一人暮らしは経済的にも損だし何か共同的なものにすると節約になる。
野菜でも買っても必ず一人分だと損する。あまして古くなり食べられなくなる。
一人暮らしには一人分でも二人分でも三人分でも同じように費用がかかる場合がある。
だから一人暮らしは何か共同的な暮らしが必要になっている。
そして夫婦でもいづれはこの人のようにどちらかが死ぬと一人暮らしになる。
そういうリスクはかかえているのが老人なのである。
近くの人は夫が死んだから一人暮らしになるかもしれない。
つまりどうしても少子高齢化社会では一人暮らしが増えてくるのである。

ともかく大きな家だと何か淋しさが違う。がらんとして一人でいることは嫌になるだろう。
だから猫でもいる方がいいとなる。その人はしきりにあなたはまだ介護している
母がいるからいいというのもどうかと思った。
母は耳が聞こえず頭も悪くなっているので会話ないしただいるというだけであり
世話しなければならなないので大変である。
でもその人にとっては家にまだ家族がいるからいいと思っているのだ。
それだけその人は淋しいからそう思うようになったのである。
妻を介護せずになくしたから介護の苦労はわかっていないのである。

高齢化社会は老後をどう過ごすかいろいろ問題になるがその明確な解答は
個々人によっても事情が違うから同じように対応はできない、その人が施設などに入りたくない、
この家で暮らしたいという、その人はわがままだと知り合っている女性が言う。
自分も施設には入りたくないけど最後は人の助けなしでは生きられなくなったらどうにもならないのである。
だから健康である限りは一人で自由に暮らしたいというのが本音になる。
老人とつきあって興味深いのはその人の一生が何だったんだろうと考えることである。
それは郷土史にも通じているのだ。一軒一軒の家を知ればそういう人が故郷に
こんなふうにして生きてきたのかと具体的に知ることができるからである。

その人は体が頑丈で堅実に生きてきた。だから孫は銀行員になっている。
それは別に関係ないにしろ堅実な人だったのだろう。石のように硬い人だったのかもしれない。
趣味などはあまりなかった。趣味をもつことは実際は時間がかかるから簡単にはできないのであてる。

とにかくあの石の庭は見物である。家は旧式のもので今の人には利用しにくいだろう。
個室としての利用がむずかしいのだ。襖でさえぎられていてつづきの家になっているからだ。
ただ欄間だとか建具職人がいて凝って作っていたのは自分の家と同じだった。
今は建具職人などいなくなっているだろう。今風の建売住宅は外から見た時みんな違っていて個性的に見える。
それは個室が多いからそうなっているのだろう。
大家族の家というより個室の家になっている。そしてみんな設計が違っていて家の形も違っているのだ。
だからあとから直しにくいということはある。
だから家はそれほど価値がなくても土地には価値がある。
何トンもの石を運んだ庭には価値があるからそれを継続して利用する人がいたらいいとは言っていた。
庭の面白さはみんな個性的で違っている。小さな庭でもその家の個性があるから面白いのである。
ただあれだけの石の庭を造るのはなかなかできない、
やはり石が大きいから迫力がある。本当の山のように見えるのである。


この辺では故郷に住めなくなった人たちが多数出た。故郷自体がなくなることにもなった。その時、
若者がいいが老人が移住するのが辛いというのはそもそも老人はこれまでしてきたことが誇りでありそれが支えてなっている。
だからその人は若い時苦労して土地を買いこの家を建てたんだよと何度も言う時、何にも苦労しないで譲り受けた人とは違う。
自分の家も自分が苦労してた建てたのではないから家や土地にしても愛着度が違う。
だから常に家のものが自分が家を建てたんだよと自慢していたことがわかる
苦労しないで得たものは失いやすいのである。

ただ二代目でもそれを維持するのには今度は苦労するのである。
受け継いでもまた維持して発展すんせさることはまたむずかしいのである。

人は家でも物でも何か物語がつきまとっている。それを知らないとそれはただのモノになってしまうが
もの語りとして見る時、ただの石でも違って見える。
そこには別な価値が付加されているのだ。だから物語がそもそも歴史なのである。
その物語を故郷を失うと失われる。他に移住した人は若ければまた物語が作られる。
自分は原発事故で避難して苦労してここで住むようになったとか語られることになるが
老人はにはすでにしてきたことを誇るのだからそれができなくなるから辛いのである。


大石に北風唸り大男家を支えて老いにけるかも



大きな石の庭に棲む老人

何トンもの石で組まれた庭
その石が重厚に迫ってくる
今回の地震で多少ゆらいだが
崩れることはなかった
妻を亡くした老人が一人で住んでいる家
登山道のように細い道を上ると
そのどっしりとした岩の陰に
スミレがそっと隠されるように咲いているよう
妻をなくした老人はしきりに言う
自分は若い時苦労してこの家を建てた
だからこの家を離れたくないと
ただ淋しいと言うのがわかる
その人の体は岩のようにがっしりしている
でも妻に早く死なれ老いて気弱になっている
そのそそり立つ岩は雨風をここで受けて立っていた
今回の地震にも津浪にも残った石の庭と家
それで愛着がまた深まったのかもしれない
人間はいつまでも岩のようにはいられない
それが人間の弱さと哀しさである

posted by 老鶯 at 14:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療-老人問題

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コメントについて

コメントはまれにしかないので見ていないことがあった
コメントされればみんな一応反応として出している
ただ答えるとは限りません


忙しいのでコメントに答えることがめんどうになるからです
通りすがりの・・・とか言われても答えようがないです

自分のプログはそうした今までの文字の会話の場とも違っています

ただ反応があればうれしいのでコメントはなくても
こんな反応があったとかとして出しています

だからコメントは見ずに遅れることがあります


ともかく自分はプログは書き続けています
書くことがここに書いているだけではなく他にもあります
プログはその時々の情報を自ら書いて発信して情報を蓄積するのにいい
だからコメントがなくても書き続けている
あとで役にたつこともある

つまり日にちが記されるのであの時点でこんなことを書いていたのかと
自分で参考にもなるから書いている

ともかく人間は忘れやすいからこうして日記で何でも書いておくのがいい
だから東松島の鳴瀬川の土手を下りた白萩や浜市などの写真が貴重なものとなった
なぜなら津浪で家も通りも松も流されてしまったからである。
ただ一本だけ松が残っていた、その写真が一致したのでわかった。
こうして記録として大事になることがある

要するに現代は写真でも膨大な記録が残され集積されていく時代なのである。
 
posted by 老鶯 at 14:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年05月07日

牡丹俳句十句(牡丹は家の栄の華)



牡丹俳句十句(牡丹は家の栄の華)

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一時に六輪開く牡丹かな

平穏に栄のあれや牡丹咲く
昨日今日牡丹の咲きし富貴の家
まぶしさや朝の光に牡丹散る
惜しみなく牡丹にそそぐ光かな
牡丹咲き咎める人もなかるべし
夕風に牡丹の散るや富貴の家
三輪の真紅の牡丹の炎かな
色違う家々の牡丹に栄かな
広き庭牡丹三輪に光かな

・・・・・・・・・・・

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加工すると違ったように見えるから不思議である



牡丹はやはり花の王者である。ただ咲いている時が短い
今年は自分の庭には六輪咲いた。でももう散っている。
最後の一輪が惜しみ咲いている。


牡丹は富貴の家にふさわしい。
人間はやはり家とかある程度金をもって余裕がないと
人間らしくなれない
特に今の時代はそうなってしまったのである。
一万借りてどうだとか底辺でやりとりしているのは悲しい
日々の生活に事欠いている人もいる格差社会である。
そうなるとどうしても人間がせこくなるのだ。
考え方までスケールが小さくなる


自分が言っているのは大金持ちのことではない
中堅クラスの生活である。
土地があり家があり金でもある程度余裕がある
大金ではない、毎日食うために追われていたら余裕がないのだ

別に自分の生活はぜいたくではない、毎日家事に追われ介護して
手伝いさんと同じような生活である。
ただその暇をみて花などを見ている
その花さえ見る余裕がなかったら生きがいもなくなる

別に花を見るのには金はいらない
実際に町中の家に広い庭がありそこにとりどりの花を植えている家がある
あれは相当に贅沢だと見ている。
いつも通る道だし塀がないから丸見えになっているから植物園のようにも見える。
そこにも真紅の牡丹が咲いていたし他の庭にも咲いている
他人の庭でも見るのは無料なのである。


ただ花というのも一日の中で朝から昼から夕方と見ていると花も違って見える。
庭に咲く花はそういうふうに時間の経過でみているから一時的に見るのとは違っている。
いづれにしろ牡丹は家の栄を象徴しているような花である。
家の栄はどこにでもある。家というのはやはりそれぞれに栄があり衰退があり滅びがある
それは国の興亡と同じなのである。長く栄える家はそもそもないのである。
自分の家は今一番栄えているのかもしれない、あとはつづかず終わりになる

今の時代は商工業の時代だとすると代々栄える家は少ないように思う

とにかく避難した人たちは小高でも農家がそれなりに多いから
大きな家と庭や農地をもっていたから仮設では窮屈でありそこに栄はない
だから余裕もないし豊かさも感じられない
仮設で盆栽を作っている人がいるが盆栽はそもそも見ただけで故意にねじまげていて自然とはまるで違っている。
それは長屋のような狭い空間を活かすための日本人の知恵であり文化だった
茶室もそうである。日本には広い空間がないから広さを活かすものはない
空まで狭く感じられるのである。

だから日本には牡丹の花はあわないともなる。
中国の国花だからあれだけ広いと王朝の栄華を究めると牡丹がふさわしいとなる
女性で言えば楊貴妃ようなのが牡丹なのだろう。
ただ牡丹は早く散り安いのである。すでに自分の家の牡丹は散った。
ただ他の家の庭には咲いているから見ているのだ。

2014年05月08日

石と菖蒲の写真を絵に加工

 

石と菖蒲の写真を絵に加工

石により白と紫の菖蒲かな

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すべてクリック拡大

fotosketcherで加工したがそれぞれに違ったものとなっている。
かえって写真より芸術性がでている。
これもパソコンの不思議だった。
すべてが加工していいとはならない
この写真は成功している

結局現代の特徴はデジカメで写真の時代になった
写真は絵になりやすいのである。
今の時期は次から次と花の咲く時期だから写真をとるにはいい
カメラはやはりいいものであればいい
6万代のソニーのRX100m2はやはり写りがいい。
カメラによって写真も相当違ったものになることがわかった

機械でもできない田の縁(へり)を人が田植えしていた (機械化で人手が必要なくなり格差社会が生れた)

 

機械でもできない田の縁(へり)を人が田植えしていた

(機械化で人手が必要なくなり格差社会が生れた)

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田の縁(へり)を人で補う田植えかな


時々田植えしている人をみかけるけどあれは機械で田植えできない
縁(へり)を人手で補っている
つまりほとんどは機械で田植えしているのであり手ではしていない
だから今の農家は重労働ではない
でも小さな畑で野菜を作っている人は年取っているので
うなうことが辛いから男の人にしてもらっている
金を出して頼むかとも言っている
それなりに今でも農作業は力仕事がある
その女性は骨太で腕も太く農家の人にふさわしい女性に見える
土木関係の仕事もしていたから力仕事ができる


一方で若い女性は華奢でありまるでモデルのようにすらっとしている
だからその女性がとても農家の人とは思えなかった
それでも田植えをしたことがあるという。
その田植えとは今は機械でしているのだが田のへりが機械でできないから
補うためにしていたのである。それなら重労働ではない

人間の労働は機械化すると人手がいらなくなる
その極端な例が中国で麦を刈るのにコンバインだと人間がやるより
百倍もの差がでるだろう。
ただそのコンバインを借りてやるのに金がかかる
今までは出稼ぎ労働者が麦刈りに動員されていた
それでも需要がなくなったわけではなく
機械ではやれない場所がありそこで出稼ぎ労働者が利用されている
これは田の縁を田植えしているのと同じだった
でもその労働は微々たるものとなってしまったのである。


現代は人手不足が言われるけど一方で人手が必要としているのは
機械化するとその頭脳にあたるものが人手不足になる
なぜならそれは高度な技術が必要であり知識が必要であり
誰でも簡単にできないからそうなる
だからITでも科学の研究でも技術の開発でも頭脳部分の人手は不足する
そういう場では高給取りになる
だから会社でも人手を省くために事務でもコンピューター化して
事務職はいらないとなると今度はその人たちが失業する

格差社会の原因はそういう社会の構造の変化にもあったのだ。
もちろん官僚が天下りとかで得するとかはある

でも全体の社会から見ると労働力を省く機械化がすすむと
一部の頭脳の技術者だけ会社では採用すればいいとなる

そして底辺労働しか残らなくなる
コンビニとか配達とか介護とかしか雇用がなくなる
つまりそれが格差社会の根本的原因だともなる
要するに機械で田植えしてどうしてもできない労働を人間が補う
機械が主役であり人間は脇役になっているのだ。


ただ医療とか介護とか人間的サービスとなるものは機械化できない
機械化できない労働は必ずある
労働の価値も常に変わっているのだ
機械でやれることは価値がなくなる
機械でできないことが価値がでてくる
だから介護なんか最底辺の仕事だと言うが
極めて人間的サービスであり機械にはできない
特に認知症の介護となると最高にむずかしい
そういうものにはかえって価値がでてくることにもなるはずである
常に価値は変動しているからそうなる
機械でやれるものは価値がなくなり
機械でどうしてもやれないものが介護など無駄といっても価値がでてくる


機械化されると多くの労働が底辺化して格差社会になった
そうしして機械化されると農業でも昔のように村人総出で田植えとか
稲刈りとかもなくなるからと共同性も失われる
労働歌の民謡とか踊りとかも農村の文化も失われたのである。
なぜならトラクターであれ田植機でしていればそこには人間がいないからである
それでも田植えでも稲刈りでも無料でしていたのではない
手間賃が払われていた。子供の頃、そのもらった金が大きかったという
江戸時代辺りになると共同で無料でやっていたかもしれない


人間は重労働から解放されたくて機械を発明した
毎日重労働に負わされるので辛いから機械を発明した。
昔は土を固めるにも人力だったとするとその手間と労力は莫大なものとなっていた
機械化した結果そういう辛い労働から解放されたのである。

でも結果的に人間はみんな頭脳が優秀ではなく
ITとか設計とか技術職につけるわけではない
活字文化や本でもインターネットで機械化されるとそこでも労働力はいらなくなる
紙の節約にもなり森林資源の保存になる
でもそこでいらなくなった労働者はどこにいけばいいのかとなる
そういうことは機械化がすすむといたるところで起きている
その象徴が田植えをしていたがそれは機械でできない縁(へり)をしていたのと同じなのである

 
posted by 老鶯 at 11:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題