2014年04月23日

飯館村の大倉から佐須村へ (放射線量は高い所で5だったーなぜ帰りたくないのか?))


飯館村の大倉から佐須村へ

(放射線量は高い所で5だったーなぜ帰りたくないのか?)


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この下の土はとっているからみんな低いのである。
これを大成建設の社員がしていたと飯館村の人が見ていたのである。


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このすぐ近くではこれだけあった
たいがい放射線を計るモニタリングボストは低い値にある

ただ大倉村は低い 、ダム周辺の一部は高い

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佐須村の牧草地ではこれだけあった



2011/08/17
21:40

福島原発事故後、大量のネプツニウム239が飛散し、総量は76兆ベクレルとIEAEに報告された。
このネプツニウム239が原発敷地の正門付近と飯館村と差がないくらいの値が観察されたという記事を英語で読んだ。

ネプツニウム239は極めて短命(半減期が2.4日)でβ崩壊して半減期2.4万年のプルトニウム239になるので、今はほぼ全量がプルトニウム239になっている。
http://sakuradorf.blog.fc2.com/blog-entry-136.html

放射線量というのも実際は計られないものもあり自分にはわからない。
計っているのは主にセシウムなのだろう。プルトニウムのようなものは計られていないからどう判断していいかわからない、
原発敷地の正門付近と変わりないものが値が観察されたということは恐ろしいことである。
飯館村はそれだけ被害が大きかった。
ただ前にも計った時は草野辺りでは半分に減っていた。
それはあくまでも主にセシウムなのである。他は計られていないのだ。


真野ダムでも泥の所は5マイクロシーベルトだった。前は7くらいだった。
泥の所はそんなに減っていないのだろう。
放射線量はバラつきがかなりある。
佐須へ入ると泥の所で5あり放牧場の草地で5あった。
これは高いのだろうか?
今になると5という数字は高く感じる
住める所は南相馬市では0・1とか0・2だからである。
その数字から比べると1でも高い数字に感じる。
一時は佐須でホットスポットがあり20近くあったので驚いた。
そういうところがあったが今回はわからない。
ただ5があるところがあるのだからやはり高いしそこでは牛は飼いないだろう。
また田畑も耕作できないだろうとなる。


木材を前に計った時は3だった。今回は1・7だったから半分近くには減っていた。
これだって薪にしたりするとまた放射能が出るから困るのである。
林業も痛手であり飯館村はやはり深刻である。

真野ダムの水を南相馬市の鹿島区と相馬市で飲んでいる。これも不安に思っている人がかなりいる。
あそこの泥にはセシウムがかなた堆積しているだろう。
セシウムは泥から離れない、固着しているという。
だから5から下がるのは時間がかかるのかもしれない
泥となり流れればいいのだがそれにも限度があるのかもしれない。


いづれにしろ人が住まない飯館村の大倉から佐須を通ると何か不思議である。
要するに前にも書いたけど人が住まなくなると自然が活気を帯びてくるのも不思議である
何かポッポッポッと鳴いていたのは何の鳥なのだろう。
あれは山鳩の鳴き声ではない、あんな鳴き声聞いたことがない
人が住まないということは自然に生きる野生生物を動物でも脅かすものがいないから
住みやすくなるのだ。
それであんなに車が通る原町から飯館村の八木沢峠へ行く道に羚羊がのそっと顔を出したのには驚いた。
あそこも人が住んでいないから人が脅かされないから出てきたのである。
猿でも逃げるのは逃げてもこちらを見て吠えてにらんでいた。
人間が邪魔なんだよな、ここを通るなと威嚇しているようである。


人間がいなくなると野生の動物が元気になる。
いたるところに穴がほられているのはイノシシがしているのだろう。
なぜなら田畑も原野化しているからイノシシにとっては好都合なのである。
カヤネズミとかこの辺で増えているのもそのためである。
ネズミの繁殖力は凄まじいから減ることがないという。
原野化するとそうなってしまうのである。
ネズミの天敵もまた増えてくるのである。それがノスリだった。


飯館村ではまだ人が出入りしている。洗濯物干していたり車もある
だから完全に無人の村とは違っている。
ただなぜ飯館村の人が帰らないという人が多いのか?
原発避難者の村では浪江町とかでもそうなるのか?
それは原発の放射能汚染問題だけではない
現代の社会構造そのものの問題があったのである。


つまり限界集落とにているのだ。
昔だったら自給自足であり村の単位も5人組とか10軒20軒単位の村さえあった。
なぜそんな小さな単位で生活できたのかという疑問がある。
それは自給自足の村だったからである。
別に機械も使わない、田植えでも稲刈りでも村の人たち総出でやった。
茅葺きの家を作るのにもそうである。
村の人力で自給自足でまかなっていたから小さな単位でも生活できた。
そして医者もいなくても他の便利なものがなくてもそれが普通だったのである。


今はあまりにも便利な社会になりそのインフラを整えるだけで莫大な費用がかかる。
だから限界集落となるとインフラの整備に電気でもなんでも180倍かかるから
そんな村に税金をかけないほうがいいと都会の人たちが言うのである。
なぜなら炭焼きや薪を燃料としてガソリンにも電気にも頼らないなら
自給自足なら税金もかからないから都会の人たちは何も言わないだろう。
それがあまりにも違う社会だからそうなった。

そしてそこに住む人もスーパーがないから医者がいないから住めないとか
いろいろ現代の便利なインフラを最低限求める
そうするとあのように村に人が住まないとますます人が住まない

昔の自給自足なら10軒20軒単位でも住めた。
みんな自給自足だからそれで住めたのである。
現代は小さな単位では人口では住めなくなっていたのである。
だから町とか村とか全体が崩壊すると住めなくなってしまった。
葛尾村(かつろう)村は1800人とか少ない、
でもそれでもなんとか村を維持できる人口だったのだろう。それもぎりぎりだった。
それは原発事故周辺でなくても津浪の被害地域は村ごと町ごと壊滅的になったのだから
やはりインフラの整備をするにも莫大な金がかかるし住めないとなった。

漁村でも昔だったら山村と同じなのである。
自給自足的生活でありそんなに便利なものを求めないからそこに住めたのである。
津浪の被害があってもまた住んだということは危険でもそこで生活できるから住んだのである。
今はあれだけ町や村自体が壊滅するとそこには住めないとなる。

人間は贅沢になれると元の質素な生活にもどれないことも原因しているのだ。
食べ物だってそうである。

それで霊山の近くのソフト屋はうまいから今も繁盛している。
あういううまいもの一度食べるとまた食べたくなるのだ。
それがなくなると住むのも嫌だなとなる。
だから川内村から郡山市に避難して補償金で生活している人が帰りたくなくなったのである。
自然があるから住みやすいとか考える人は外部の人はそうでも
内部ではそうではない、厳しい生活だからかえって楽な方を選ぶということもあるのだ。

ただ南相馬市とか相馬市と比べると川内村とか飯館村には歯医者すらないのだから
相当不便な地域だったのである。
だからそういうことが起きたし飯館村でも帰りたくないというのはそういう理由もあるだろう。
それでも今は車があるから一応それなりの現代的生活はできていたのである。
ただもう便利な生活になれた贅沢になれた現代人は限界集落的になると
もう住みたくないとなってしまうことがわかる。
そのことが三陸とか津浪の被害地でも同じことが起きているのである。
そこには小さな漁村が点々とあり山村と同じくもともと自給自足的な生活をしていたのである。
だから東北が復興できないという時、神戸は復興しても東北はできないというとき
そうした事情があり神戸とは違ってるからなのである。

posted by 老鶯 at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連