2014年04月19日

人によって場によって時によって価値は一定していない (自分にとって手料理の価値は大きいー個々人へのサービスへ変わる時代へ)

 

人によって場によって時によって価値は一定していない

(自分にとって手料理の価値は大きいー個々人へのサービスへ変わる時代へ)

これまでの価値観はあるモノに対しての価値は変わらない、世界中でモノの値段は均一化されつつある。
どこでもどこで買っても値段は同じだという世界である。
だからスーパーなどが均一化して安く売るから繁盛した。
「安ければ売れる」というのが価値観だったのである。
でも本当に価値というのはそんなに均一化した単純化できるものだろうか?
価値というのはどうして作り出されるかである


最近手伝ってももらう女性は料理を作ってもってきてくれる。
その手料理が自分にとっては何ともうれしいのである。
その手料理は他では買えないものなのである。
今日はスイトン料理を作ってくれた。
これは一回そういう料理をしている食堂で食べたことかある。
これは食料不足の時戦時中に工夫して作られたものだった。
それで母も普通は食べなくなっているが食べたのはおいしかったのだろう。
食欲がなくてもおいしいものは食べるということが病気でもあるからだ
自分もその料理はおいしかった。
だから千円払ったしそれたけの価値は十分あったのである。
前にはアシタバの天ぷらをもってきてくれた。
これも変わった味だなと食べた。


ところが別に妻がいて手料理を食べさせられている人は
いつも食べているのだからそれがありがいたという価値観がない
当たり前のこととして食べていて文句を言ったりしているのである
自分もこれまではそうだった。
今になって食事でも全部自分で作って出す方になった
その時、鍋物などが作れなくて食べれなくなったので悲しくなった。
手料理を食べられなくなったのである。
だからほとんどオカズは買って食べていたのである。
だからそういうものをもってくれる女性がいることの価値は自分にとって大きい


前にも来ていた女性がいたがありきたりもの買ってくるだけであった
女性だから何か手作りの料理でも作ってきてくれてもいいと思ったが
そんなことが全くない、心使いが全くないのである。
自分の所に来たのは実際に強盗だったり人の気使いがない異様な女性たちだった
それは信じられないものだった。
地獄の中に引きづられて出れなくなったような閉塞感に苦しんでいたのである。
自分が病気でも同情など全くしない、借金しているから入院していても借金の要求であった
こんな人達ばかりなのだからこの7年間は地獄の苦しみだったのである。


その女性にも問題がありいい面ばかりではない、でも比べると地獄で仏にあったという気分にもなるのだ。
その気持もやはりこんな異常な人たちに囲まれることによって価値観が変わってそうなったのである。
津波の被害にあった人が貯金などしない、今生きていればもうけものだというふうに考え方が変わったのと同じである。
その人の価値観は様々な体験を経て変わるのである。

ある人に対する価値観も人それぞれによって見方が変わってくるのだ。
もう一人の人もその女性と友達関係にあるが娘が一週間に二回来て料理などしてくれる
だからその女性とは毎日電話のやりとりして頻繁に行き来してもその女性の手料理を食べていない
その男性は妻を六年前になくしても料理に苦労していてもまだ娘がいて料理してくれている
自分は全く料理してくれる人がいないからまたその女性に対する見方も変わってくる
人に対する価値観もその人の事情によって経験によって違ってくるのである。


要するに人が人の気持がわからないのはそういう立場を経験しないからなのである。
確かにその男性は妻をなくして一人暮らしは同じである。
でも娘が一週間に二回来て料理してくれるから違っていたのである。
人間にはこういうことがいくらでもあるだろう。
相手のことがその境遇でもわかりにくいのである。
それはそういう境遇になっていないし経験していないからわからないのである。

ありきたりのを売っているだけのものを買ってくるような女性はかわいいくても全く
何か根本的に人に対する心使いがまるでないのである。
もちろんそうしたくないからそうなったともとれる
だから自分の病気に対しても何の心使いもなかった
もともと何もしたくないのでありしかたなく一カ月に一回義理で来ていただけなのである
あういう人がどうしても事業に成功するとは思えなかった。
妻であってもそういう人は夫を助けることはできないと思った。

いづれにしろ人間は顔だけ見ていると外見だけで判断すると女性でもあとで失敗する。
それで離婚が多いのかもしれないのだ。
美人でかわいい顔していたけとこんな女性だったのかと裏切られことがあるかもしれない。
それは介護の時などに露骨に現れやすいのである。


人間の価値観は一人一人実際は違っているのだ。
だから値段が一定しているということはかえって不平等なのである
ある人が千円払うしある人は二千円払ってもいいのである
金持ちの場合は定価ではなく本当のものに金を高くても払う。
要するにもしかしたらこれからの時代は個々人への
サービスが大きな価値を生む時代になるかもしれない
大量生産で大量供給してもモノあまりの時代は売れないのである
個々人へのサービスは多様になるからその価値づけも一人一人違ってくるから
値段は一定しないのである。


だからポランニィーが黄金と塩が等価に交換されていたとか全く今の経済感覚とは違った価値観の経済があった。

中央スーダンの首都クカでは、糸に吊るされた子安貝とマリア・テレサ銀貨との等価が、毎水曜日に市場において公示された。
(人間の経済ーほランニィ)

これはその時々によって価値が違っていることなのである。
次の水曜日にはまた違った等価が公示される。
そういうふうに時価は今でもそうだが変わってくるのである。
その場その時によって価値観は変わるのである。

贈与経済でありそれはその時代の価値観であり今の価値観とはまるで違っていたのである
そういう経済にもどるということもこれからは考えられる。
若者と老人の価値観は天と地のように違う場合がある。
老人にとって失ったものは青春でも健康でもとりもどけないから悲惨なのである。


というのはもの余り時代の価値観はそういうふうに個々人へのサービスに変わる傾向があるからだ。
価値観は個々人で違っていて多様化するのである。
だから定価で安いからいいとは限らないし選ぶとも限らない
現実に今は不景気時代がつづいたといってもいいものは高くても売れていることでもわかるのだ。
すべてが安ければいいとはならないのである。
老人にはモノは売れない、老人が欲しているのはそうした個々人の心使いであり
それが手料理を提供してくれた女性の価値が高くなるということか一つの例なのである。

posted by 老鶯 at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

抽象画(女性的なるものの反映)



抽象画(女性的なるものの反映)

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この世が男性的なものと女性的な要素の結合した世界観かあった
だからヨーロッパでは男性名詞と女性名詞を分けている
男性的なものと女性的なものを意識して分けたのである

一方で男性的なものと女性的なものか結合すると豊かな世界が生まれる
一人の人間は男女かかわらず必ず男性的なものと女性的なものをもっている。
だから肉体だけではなく精神的に男女は一体化するのである。

昨日の桜の写真のつづき (細部を写し記憶するデジカメの時代)

 

昨日の桜の写真のつづき

(細部を写し記憶するデジカメの時代)

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人間の眼で見えないものが写真から見える。
赤い桜は瞬間的に印象的に目に入る。
ところが背後に芽吹いている樹があり
脇に白い花が咲いている樹があることに気づいていない
これは肉眼では見落としやすいのである。
ぱっと鮮烈に赤い色の桜が視界に入ってくるから
そこだけに人間の注意力がそそがれる

しかし背後に芽吹きの樹があり脇には白い花の樹があり
それらもこの写真の中に入っていて一つの絵となっていたのである。

つまり絵を描くことができる人だったら
背後の芽吹きの樹でも白い花の樹でも目立つようにバランスよく描くことかできる
ただ瞬間的には赤い桜の花しか印象に残らないのである。

だかちデジカメは細部を写し残すことに意味がある。
人間の眼では見えない細部が写されて記憶されているからだ


ともかく現代は写真ときりはなしてあらゆることが語られなくなった。
写真で記録を記憶を残す時代なのである。
デジカメ時代でありこれは明らかに一つの新しい時代を作ったのである。
インターネットもこのデジカメなくしては活かされなかったのである。