2014年04月12日

早春の流れ (fotoskecherで写真を絵に変化させる)


早春の流れ

(fotoskecherで写真を絵に変化させる)


nidagawaaa111.jpg

新田川上流

waterfalllll12222.jpg

jisabaraaaa1.jpg
橲原の滝

これは写真の方が良かったみたい


earlysssss_FotoSketchernew.jpg
大古の森の流れ

写真にとったものをfotoskecherで変化させた。不思議なのは写真より光の具合が春らしくなっている。
そうだとすると写真は忠実に自然を写していないのか?
カメラのせいなのか?人の眼で感じるなら明らかにこうして加工して変化させた方が
春らしい光なのである。


とすると写真をなんらか調整しないと自然をそのまま現さないことになる。
自然をそのまま写真にしても見栄えがないことがある。
この三つは絵画化して成功した方だろう。


パソコンのソフトで変化させるという時、別なソフトだとまた違ったものになるから
不思議である。
コーレルエッセンシャル4は使えなくなりfotoskecherを無料なので試してみた。
これは印象画風とかないが他は同じような効果がある。
たからこれでも絵画風にできる。
使い方も簡単だった。

桜や梅を見てめぐる相馬の春 桜や梅を見てめぐる相馬の春


桜や梅を見てめぐる相馬の春

zaooooiso1_FotoSketcher.jpg


umekakurega_FotoSketcher1.jpg
fotoskecherで変える

同じ写真でも加工するとかなり違ってくる。
これは明るい日ざしを感じる。
色も鮮やかにできるからこのソフトは無料なので得である


115.JPG
クリック拡大

ssssssssmal111.jpg

残雪の蔵王を望み朝桜

燕来て喜び飛び交う街の空
隠されて一畑に人梅匂ふ
大石に梅ふんぷんと匂い散る
ゆくりかに進みし船や春の海
家々を桜で飾りひなの村
一村は花に染まりて夕暮れぬ
城下町路地裏細く夕桜
春の灯や復興住宅に住みはじむ
春の星きらめきあいつなごむかな
大石のここに動かず春の星


海よりの朝風吹きて雲雀鳴き野は広々と沖に船見ゆ

津波にもめげず立ちにき神社の樹なお海のぞみ春の日さしぬ
神社にはなお樹の根を張り残るかな磯部の村は大方消えぬ
残雪の蔵王かなたに明けく見えてこそあれ朝桜咲く
ここにしも長くもあれな大石に梅の匂いて散りにけるかな
朝日さし木蓮の白さまぶしかも桜も映えてときめきにけり
桜咲く家の栄やめぐる村跡継ぐ人の守るべしかな
夕日さし枝垂桜の長々となお優艷に色を見せしも
みちのくに桜は咲けど北風の今年はなおも吹きつつやまじ

三年を鹿島に過ごす小高の人桜の下をともに歩みぬ

とことわの磐にこそあれ紛々と梅のにおいて散りにけるかな

bigstoneeee1.jpg


eternalrock.jpg

STONEGGG1_2222.jpg

この石はなめからで丸みを帯びていて大きくどっしりとしている。
何か入り口にあっている。
ただ石でもそうだが写真だけでは感じられないものがある
実物をゆっくりとながめないとそこから発している気は感じられない
大きさもわからないから写真で感じるには限界がある

下の石の庭を加工したものは写真よりいい
ということは絵の元も写生であり写真だから絵になりやすいのである
写真はもともと絵なのである。



磯部から新地の方に回った。新地も気持いい場所である。田舎だと家々に桜が咲いているのが結構みかける。
桜の木があるということはそこは古い家である。なぜなら桜の木が育つまでには時間がかかるからだ。
だからそれなりに家がつづいて栄えたということがある。

自分が注目するのはあとは庭の石である。石にはよくみると個性がある。
今回見た石はどっしりとして落ち着いていた。それが農家の入り口にあり
梅の花が匂っていた。そしてその梅の匂いはその石にゆっくりと流れて散ってゆく
十分に匂いに満たされて散ってゆく、そういう時間があって心豊かなものとなる。
石は定着して心を養う象徴なのである。だから忍耐の石となる。
今は春であり石にも春風がそよぎ春の日がさし梅の匂いに十分にひたされている。
梅はすでに散り始めていた。


日本では桜咲く時が一番いい時である。木蓮の花も満開でありこの花も風にゆれ澄んだ空に今咲き誇る。
木蓮と桜が一緒に咲いている庭が新地にあった。
農家には広い庭があるから気持いい。そこにゆったりと落ち着いた石がある。

とにかくこの辺では津波原発事故で変化が激しすぎたのである。
だから石のように動かないことが幸せになった。
故郷に住めなくなった人が多いのだから動かないでいられることが幸せになった。

そしてすでに鹿島でも仮設に住んでいる小高の人も三年になる。三年はそれなりに長いのである。
どんな心境になってしまうのか不思議である。
川の土手の桜の下を散歩しているが鹿島に三年いたということもなじんだということもある。
ただ仮設には生活感はない、ただ一時的な仮の宿にすぎない
でも復興住宅が一部完成して人が入り灯がともると生活感がでてくる。
そこは仮設とは違ってくる。だから仮設というのは早めに去るべき場所なのである。
何か宙ぶらりんになってしまっているからだ。そこいてはいつまでも復興はないのである。


それにしても今年は今日も北風が吹いてうなっている。昨日もそうだった。
この風は普通は相馬の空っ風というように3月に吹く風である。
今年は4月に吹いている。だから小さい畑を作っている人は自転車でゆくから嫌だと言っていた。
農作業は天候に左右される、農作業するにも天候の影響があり雨風になると
仕事したくなくなる。これは建築関係もにている。屋根を作ってしまいは建築関係は仕事ができる。
農作業はできない。それでも草取りなど雨の時でもしていたのを子供の頃みていた。


いづれにしろ今年のは花見は何かこの北風でいつもとは違う。この北風で穏やかな花見になっていないのだ。