2014年04月08日

ソフトの加工で変化する抽象画 (フォトショップで変化させた-蝶の抽象画)


ソフトの加工で変化する抽象画

(フォトショップで変化させた-蝶の抽象画)


神秘の森の蝶のまぐわい

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コーラルエッセンシャルズ4がビスタのパソコンが壊れ使えなくなった。
WINDOWS8にそもそも対応していない
エッセンシャル4で面白かったのは画像を絵画風に変化させることだった
あの機能はエッセンシャル4にしかない
印象画風にするなどは他にはない
ソフトを選び使うことがむずかしい
その窓口がない、仙台のヨドバシカメラの人はソフトに詳しい人がいた
ソフト専門の売り場である。
どういう系統のソフトかを知っていた

フォトショプが画像の加工にはいいとしって体験版もあると聞いて試した
確かにこれは意外と使いやすくなっていると感じた
ただ印象画風とかイラスト風とかの変化はないよたいだ

ソフトが変わると別な変化ができる
つまりソフトによってみんな違った加工になるのだ
それがパソコンの面白さである。
一回使っただけだからわからない、絵画風に変えるのにはものたりないようだ

元の絵を変化させて三つ作った、何か違ったなるのがパソコンソフトの面白さである。
無限の変化をバリエーションを楽しむことがてきるのだ

これもなかなか暇がないとできない
自分は介護から家事全般からしていると忙しい
今日も事務手続きを二つしてきたりと何かと忙しいのである
なんかこうした趣味的なものでも時間をかけないとできない
才能ではなく開発能力なのである
それがパソコンのソフトなどでは特に必要である。
自分が全く絵が描けないのに絵を楽しむことができる
バソコンは能力開発させるものがあるのだ。


ただすべて買い物でもパソコンだけでできるかと言ったらできない
店が不用になるかといえば店に店の役割がある
なかなか体面的にどんな分野でもガイドしてくれるものがないとわからないのだ
そういうガイドするプロがこれからは必要になる

例えば観光だってそうである。
ガイドされないとはじめての土地でもわからないのである
外国では特にそうだった、何になのか全くわからずじまいのが多かった
それが今になると行けないからもったいなかったのである

八竜神社と津神社は慶長津波と関係していたのか (津神社は二つは確実だがあとは関係していないと推測)


八竜神社と津神社は慶長津波と関係していたのか

(津神社は二つは確実だがあとは関係していないと推測)

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高台にある鹿島区川子の八龍神社


八龍社
大同元年(806)上栃窪村 八龍明神 天津彦火々出神 近代冠嶺神社
永長元年(1096) 江井村(館内) 八龍社 大綿津見神 江井氏の守護神
永亭(1437) 馬場村 八龍大権現 大綿津見神
文安2年(1446) 萱浜村 八龍大権現
天文十三年(1545) 小島田村 八龍大権現
元亀元年(1570) 萩迫村 八龍大権現 綿津見神
天正年中(1573ー1592) 川子村 森山 八龍大権現
烏崎村 八龍社?

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川子の森山の八龍社ができて何十年後に烏崎村の八龍社ができたのか?
順序としてはそうなる可能性が強い
ただ百年後とかではないからその時間差が何を意味しているのか
30年後とかに作るのか
神社がなぜ作られたのか不明なのが多いのである。



津神社

大宝二年(702) 棚塩村 津大明神(貴船大明神) 高霊神(たかむすび)
(貴船宮 祭神 高霊神(たかおかみのかみ)
祈雨・止雨の神として水を掌る神)

慶長年中 烏崎村 (牛島) 津大明神
享保年間 北原村(1716ー1736) (本屋敷) 津明神 3月23日祭り


烏崎村の八龍神社は津浪が来た水位ですれすれで残った。
これは何かと不思議に思うのは当然である。
慶長津浪の後に作られたから津浪を知っていて祭ったからあの高さに作った。
急な石段を上るからそういうふうに見える。
しかし神社の謂われは意外と古く、東北でも古い。
古代にもさかのほり大同村とかあるように蝦夷の大和王権の征服と関係して建てられた神社が多い。
鹿島神社もそうである。
これは国津神系統である。征服神である。

その他の無数の神社は何を祭っているのか、何に由来しているのかわかりにくい。
しかし調べてみると古い時代のものであることがわかる。

1611年12月2日(慶長16年10月28日)に起きた津浪の前にできたものが多いのである。
八龍社にしてもそうである。烏崎村には慶長津浪の起こる前に南北朝時代に霊山から逃れた桑折氏などが住み、
その系統の遠藤氏がすでに住んでいた。
だからいつ建てられたのかというと慶長津浪より前だと推測する。

その重要な手がかりが川子村の高台の森山にあった。
そこの八竜社は目立たないので新しいと思ったが古かったのである。神社は新しいようで古いのである。


天正年中(1573ー1592) 川子村 森山 八龍大権現


これは慶長津浪の前にできたものである。
その後、20年後に慶長津浪が来ているからこの時間差が何を意味しているのか?
一つの予測としては川子の八竜社ができて次に順序としては烏崎村に作ったと推測される。
ただこの逆もありうるが順序としてはそうなる。

八竜社に共通しているのは綿津見神である。
海の神であるから海と関係していたとしてもあとはまた違ったものとなっている。
自分の予測ては慶長津浪の前に建てられたのであり偶然に津浪のすれすれで残った。
もし本当に慶長津浪を知っていて建てたならもっと津浪を怖がるから高く建てるということも考えられる、
すれすれでは危険だからである。
慶長津浪の高さがその時烏崎でどのくらいの高さまで来たかはわからない。
だからなんともいえないことはある。

一方津神社を見ると


大宝二年(702) 棚塩村(浪江町) 津大明神(貴船大明神) 高霊神(たかむすび)


貴船宮 祭神 高霊神(たかおかみのかみ)
祈雨・止雨の神として水を掌る神


この津神社は何なのか?これも貞観津浪とかは関係ないだろう。
津神社というのは岐阜県にもあるからこれも津浪とは関係ない
津とついているからと津浪とは関係ない


確かなのは烏崎村の牛島の津神社は明らかに津波を記念した神社だった。
なぜなら慶長年間に祭られたとすると時代的にあっているからだ。
海岸沿いにあるのはおかしいとなるがそこが鯨を祭っていたというのは
津波で鯨が打ち上げられたからかもしれない、そういう例は他にもある。
それで鯨を祭るようになったのかもしれない。
だから海岸に接してあってもとかしくないのである。


享保年間 北原村(原町区)(1716ー1736) (本屋敷) 津明神 3月23日祭り


この神社は慶長津波から百年後に建てられている。
これは高い所にあり今回の津波でもあの高さまでは来ない高い所である。
それはなぜなのか?なぜ百年後にあそこに建てたのか
慶長津波と関係していたのだろうか?
もし慶長津波を知って建てていたらあの高さに建てれば津波は来ない
だからこそ建てたとなる。
でも百年後になるとする津波の記憶もうすれているはずである。
なぜそのころ建てたのかという疑問になる。
伝承として伝えられたからあらためて建てたのだろうか?

相馬市の津神社(つのみや)は津波が来たとき逃げれば助かるという言い伝えがあったという。
あの高さでも危険ではあったがまねがれる位置にあった。
だから津波と関係して建てられたのだろうとなる

結局相馬郡では慶長津波でもその伝承は二三残っていたとしても希薄だった。
だから津神社にしても津波の伝承は明確に残されていない
神社が津波から残ったのはただ偶然だったともなる。
平地で津波か来た地点にあった浪分神社などは明らかに津波の来た地点を示していた。
その他はどこまで証明できるのかかてたむずかしい作業である。

posted by 老鶯 at 00:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係