2014年04月04日

人間の最大の危険は奢りにあった (優秀な人でも奢りで失敗するー人間は結末まで見ないとわからない)


人間の最大の危険は奢りにあった

(優秀な人でも奢りで失敗するー人間は結末まで見ないとわからない)

●技術者として優秀だった人が事業主になり経営に失敗


その人については誰もとれない建築関係の免許をとっていた。
だからそういう免許をとっているから教えてもらいたいということで訪ねる人もあった。
その人は頭が本当に良かった。まずそうしたむずかしい第一級の免許をとることは普通できない
だから建築の設計でもその人にみてもらっていた人がいた。
そううい技術的な面で一番上に立つ人だったのである。
だからこそ独立して事業をはじめた。

そういう技術をもっているから独立しても事業をはじめ成功すると思っていたのである。
でも実際は事業に失敗したいた。
借金していことが最近わかったからである。
でもまだそのことは回りでは知らないし家族でも知らなかったのである。
そうした最高のむずかしい免許を取得していても独立して事業をはじめて一人でも
事業をはじめて経営するとなるとその経営能力は別物なのである。
それは別に理系だから文系だからできないものでもない
経営能力とは戦国時代なら信長とか秀吉とか家康のような能力が必要になる
それは鉄砲を作る技術者とも違うのである。


おそらく東電では優秀な人達の集まりでも経営に失敗したのである。
原子力という高度な技術を操作する集団でも経営能力が欠如していた
経営能力はトータルな能力であり相当にむずかしいものになる
技術的には優れていてそこに奢りがあって失敗した。
それは個々人でも俺は優秀なんだというとき奢りが生まれ失敗に通じる。
東電がいかに奢っていたか、何度もプルサーマルで危険を前の知事が
警告しても聞く耳をもたなかったし津波の研究がすすんで
貞観津波のことで警告しても聞くこともなかった
それだけ独善的になりうる権力があったからである。
権力をもつと人でも集団でも独善的になり暴走する
東電はあらゆる権力を操作する力をもっていた。
政治家から官僚(検察)からマスメディアから権力を有して操作できた。
それだけの金を産む産業だったのである。

●高い地位の人が事業して失敗


奢りが失敗に通じるという時、自分の母方の実家がその例だったのである。
自分の祖父にあたる人はあってもいないし全く人となりも知らない
でも警察署長だったのである。
そして絹織物の工場をはじめた。
その工場が倒産して一家離散の悲惨な状態になった。
それで自分の母親そこら苦労の連続となってしまった。
子供の時は裕福な暮らしをしていたのだが苦労の連続しかなくなった
その当時はみんながそういう苦労を背負わされたから特別ではなかったにしても
やはりそうした苦労を背負わせたのは父親だったのである。
その父親は工場の経営など何も知らなかったのだろう

ただ警察所長として偉い立場にありいつも威張っていたから
工場経営もできると思っていたのである。
だから母は父は威張り屋だったと言っている
威張るだけの人だったのである。
警察所長になっていもそれが特別能力があるからなっていたわけではなかった
ただそういう地位にあった結果、自分は特別な能力があると思ったに違いない
そういう地位についていて奢りが生まれた。
だから会社を経営しても成功すると思ったのだろう。
ただその経緯はよくわからないから詳しくは言えない
会社経営で失敗している人などありふれていることなのだ
経営に成功するのは20人に一人だということでもわかる
だからそううい事例はこの世にいくらでもあるのだ
そのために実家はなく墓だけが残っている

人間が優秀なこと頭がいいことが成功に通じていないことである。
普通はそんなことがないと思うだろう。
頭がいいことに越したことはない、みんなそのことで一番悩んでいるのである。
体力だってあった方がいいし頭も良くなりたいとみんな思っている
そうして優秀な人の頭がいいという人の一番の問題は奢ることなのである。
謙虚さが失われることである。それが落とし穴になる
技術的に優秀でも経営は別なものでありその能力は技術の能力とは違っている
でも一つのことに優秀なら他のこともできると奢りが生まれていた。
その奢りが失敗に通じていたのである。

●優秀な人が認知症になり痴呆になった驚愕


自分の姉も特別に頭もよく体力もあり人間的にも優秀だった
学校も一番であり太っていても体が機敏なのである。
だから看護婦になりシンガポールで4年間も戦争で辛酸をなめた
その苦労は並大抵なものではないし普通の人には耐えられない苦難だった
だから死ぬ直前までその戦争のことを語りつづけていたのである。
ちょうど青春時代をそこで過ごしたからそれが忘れられなかったのである。
その後保健婦とか役場になり公務員になった
そして自分はいつも優秀だと言って自慢していた
手術して生死の境にあったときも「俺は優秀だ」と言ったのをなんとか自分は聞き取った
そんなに優秀なことにこだわるというのも自分のようなあらゆることに不出来な人間には理解できなかったのである
これだけ心身ともに優秀な人も最後は認知症になり馬鹿に痴呆になってしまったということが未だに信じられないのである

人間の結末は本当に意外でありわからない
そんなに優秀な人はが本当の馬鹿にな痴呆になり死んでゆくことがあるのだろうかと思った
現実はしかし否定できないのである。
家族ではあるが客観的に見ればそうなる

一方で姉が優秀であり他者を馬鹿にしていることがあった。
それは身内でもありまた近くの親しい人でもあった。
近くの人は何か馬鹿のように見えた女性である。
でもその女性は実際は情に厚い親切な人であった
それで馬鹿になった姉のことを嫌わずにみてくれていたのである。
それもなんとも不思議な光景だった

あれだけ優秀な人が本当に馬鹿になり馬鹿のように見えた人に世話になっている
それも実に不思議な人間模様だった
人間は最後の結末を見ない限り人間のことはわからない
どんなに優秀な人でも最後に認知症になったら悲惨である。
これまでの優秀さはなきものになってしまう恐怖だった

一方で母は体も細く頭も悪いとされていたから自分と同じである
しかし不思議なことに認知症でも軽く金のことなどまるでわからないことは共通しているが
その他のことはわかっている
反応がまだあり病院にいること、老人保健病院でもそこがいいと言う時、正常な反応をしている
これも99になっているのだからまだそうして正常な反応していること自体凄いことだと思うようになった。

母には何か優秀なものはなかった。控えめなおとなしい女性だったからである
だから奢りをもつようなものは何もない、そもそも何かに奢るということがありえないのである
それは近所の情の厚い女性もそうだったのである。

でも今になるとこの愚かなものと見えて優秀なものがない女性の方が
人生の結末から見たら優秀だったとも見える
そうは言っても優秀な人がいないなら高度な文明など築きようがない
優秀な人は何をできて成すことができる
そういう人達がいなければ社会はそもそも成り立たないのである

ただ人間の落とし穴は奢ることにありそこから墓穴をほる
それが失敗につながり終わっているのだ
原発事故も人間の奢りから起きたことはまちがいないのである
人間はあることについては優秀でも他のことについては優秀だとはならない
一つのことが優秀でもすべてのことに通じることはできないのである
技術が優秀でも経営はまた別なものでありその能力をかねそなえることはむずかしい
いづれにしろ人間の危険は奢りにありそして人間のことはその結末までみないとわからないということであった

歴史でも奢れるもの久しからずでありそれは人間個々人にもあてはまるのである。