2014年04月14日

北海老のニコニコ堂喫茶店の春 (山陰の隠された喫茶店)



北海老のニコニコ堂喫茶店の春

(山陰の隠された喫茶店)

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菜の花や元は納屋なり喫茶店

広き庭蝶のめぐりてなお去らじ
春日さし坂を上るや押し車
春日さし山陰の道猫歩む
春の雲喫茶店の窓人集ふ
若き人喫茶店に入りチューリップ


菜の花の窓辺に写り喫茶店元は納屋なりなごみけるかな

山陰の畑の道や知られざるショジョウバカマに馬酔木の咲きぬ

山陰の喫茶店に入り春の日の過ぎゆく時の遅くあるべし

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住所が海老となっていれば普通は海と関係していると思う。
実際に津波の被害で壊滅した海老村は海辺の村であった。
だからあの山陰が海老だとは思っていなかった。
あそこは街から近くても隠されたような場所だった。
あの喫茶店ができてあの道をはじめて通った。
大きな溜池もあり八沢浦に出る。

辺りも特別目立つものもないがもともと古歌にも読まれたいい場所だった
それは今回の津波でその浦が再現されたから驚いた。
海老村の北海老でも八沢浦の浦が入り込んでいたのである。
でもあそこは全く海が見えないから山陰の隠された秘密の場所のように思えるのだ。


そして春になって広い庭に花が咲いていた。蝶も一羽飛んでいた。
チューリップも咲いていた。何か菜の花がにあっていたのはあそこはもともと納屋を改造したものだからである。
農家の雰囲気がその建物にも回りにもある。
近くにも畑があり道を歩むとショウジョウバカマと馬酔木が咲いていて春だった。
畑もまるで隠されたようにあったのである。

だからあういう所に喫茶店があるのはめずらしいと思う。
なぜなら喫茶店でもたいがい六号線とか車が頻繁に行き来する所にある。
そういう所が入りやすいからある。
でもあそこのような雰囲気を味わうことはできない。

あそこは車はほとんど通らない、騒音がないのだ。
だから車の時代では何か隠されたような場所になる。

今は車が山の奥まで通っているから意外と騒々しい場所になっているのだ。
八木沢峠の麓の大葦とかバラ坂とかは秘境だとして書いた。
それが全くあそこがそんなふうに全く見えないのは頻繁に車が通るからである。
車が通ればそこはにぎやかに思えるのが現代なのである。


あそこは街から近いのに隠された場所となっていたことの不思議である。
時間もゆっくり流れている感じになる。
坂を押し車を押して上る老人が見える。畑にも老人がいる。
それも何かこの辺の生活感がでている。

なぜ時間が早く感じるのかというと車が時間をせきたてて早く感じさせているのだ。
もしゆっくりと人間が歩いていれば歩くことが時間の単位となり遅くなるのである。
何が現代は常に時間に追われるのは車とか電車でも時計でもテレビ番組の情報などでも
伝える速度が早すぎるからである
次から次と画面に現れては消える、それが何か常にせきたてられるような感じになる


だからテレビ番組でも気になる番組を録画して10回くらいみていると
それが不思議に記憶に定着して新しいものをかえって発見する。
次から次とニュースを追っていたら次から次と忘れてしまうだけになる。
そしたら何が大事なのか何を記憶すべきなのかすらわからなくなる。

いづれにしろあそこは街に近くても癒しの空間になっていた。
入るのは若い人が多い、近くの人は入らない、でも自分は喫茶店が好きだった。
旅をしていると喫茶店に休みたいのだが今はなかなかない
喫茶店は相当に贅沢なのになった。だから料金が高いのはやむをえない。
あそこでも高いにしても庭を楽しんだり風景や雰囲気にいやされる空間なのである。
だからあそこでぼんやりする時間はかえって貴重だともなる。
その場所が価値を作り出しているごとがある。
あそこの価値は明らかに場所の価値なのである。


ただ名前は平凡なのである。だから「レスト ハイド」とした。
イギリスにロンドンにハイドパークがあるからそれとにている。
隠された場所なのである。

 

相馬藩六万石の夕暮れの桜 (写真は加工した方が美を示す不思議)


相馬藩六万石の夕暮れの桜


(写真は加工した方が美を示す不思議)


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浜街道日立木までや夕桜
月満ちて六万石も花盛り

夕鶯の余韻残りて闇深む

城跡のお堀に写る桜かな夕暮れあわれそぞろ歩みぬ
城下町桜に夕陽歩む人細道入りて生業のあり
春の陽の没りて余光の長きかな紫に染む雲の棚引く

山の端に陽の没りてのち長きかな紫染まる春の夕雲

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元の写真

下は変化加工したもの


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元の写真より変化させた方が雰囲気がでている
春らしい感じが空や雲にでている



相馬市の不思議は何かいつも沈んだような静かな気持になることである。
原町ではそういうことはない、何かにぎやかな感じになる。
街自体があまり拡大しないでこじんまりしているからかもしれない。
高いビルもない、城下町だったので原町のように駅前通りが発展したのではない
もとのままの城下町の町並みのままなのである。

ただ城跡といってもなにか城があったという感じもない
確かに石垣など多少残っているがあれで城だったという感じもない
大手門にしても馬一頭が通れる狭さなのである。
何か城という感じがしない、六万石だったらそんなものかとなる


だからなんか相馬市はいつもしんみりとする場所なのである。
だから夕暮れの淋しい感覚があっている。
街にはそれぞれなんらかの雰囲気をかもしだしている。
仙台でもそうだが盛岡などは街としては何か古風な所があって違っている。

いづれにしろ外から相馬の城跡を訪ねる人はまれだろう。
それだけの目立ったものがない魅力がない

ただ本当に会津でも城を新しく建てたけどそういうものがいいかどうかはわからない
そういう新しい城を訪ねると一時明治維新で荒廃した城の感じはなくなる
新しく建てたからまた昔の栄えている頃の時代にもどったのかとも思う
城が博物館になるときそうである
そこに歴史の無常観はなくなってしまう。
平泉ではただ一つ金色堂が往時の栄として残っていたから場所の「五月雨のふりのこしてや光堂」だできた。
そこに歴史と人間の無常があったからその句ができた逆説かある。


写真がそのままで自然を現しているとは限らないことが今回の写真加工でわかった。
紫色に染まった雲が写真では何かぱっとしない、こんなんじゃなかったのにとも思った。
それで加工してみたら紫色に美しく変化した。
ただ実際に見た空もこんなに紫色にはなっていなかった。
ただ紫色がテーマとなり春らしい雲なのだろうと加工した。

写真でもその時雰囲気を景色を全部現すとは限らないことなのだ。
人間の眼で見た感じを全部を写真でとらえることはできないのである。
だから人間が描く絵はその人の眼でとらえた心眼でとらえて描くから絵になっている
ただ写真にしてもそれが自然を写すとは限らないのだ


人間はだから常にメイクすることが必要なのである。
才能があるなしに関係ない、常に何でもメイクしていくのが宿命なのである。
ただ何も人間側で努力しなければ美を発見されないのである。
才能がなければ努力しても無駄だというのもある。
でもこうして写真を加工してみるとやはりそれは新しい美の発見であることはまちがいない。
それはパソコンの技術によって新しい美が発見されたということにもなる。
だからartは技術なのである。

こうして毎日メイクしてプログに出すことは才能の開発なのである。
そしてSTAP細胞が話題になっているが真偽はわからないにしても
科学でも何かこうして実験を重ねていって新しくメイクしてプロデュースするのは
美の世界とも共通しているものでもある。
人間は絶えずどんな分野でもそうしてメイクしてプロデュースしてゆくのが宿命なのである。
それを怠ればたちまち停滞して旧弊ななかに留まるのである。
才能うんぬんよりこうして絶えず才能を開発することが大事になるのだ。


ともかく六万石でも今花盛りであり栄はあるとなる。

 
 

2014年04月15日

津波の被害は現場に立って説明されなと実感しない (八沢浦の悲劇ー崖の上に上りぎりぎりで助かった)

 

津波の被害は現場に立って説明されなと実感しない

(八沢浦の悲劇ー崖の上に上りぎりぎりで助かった)

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名付ければ「命拾いの崖」なのか



八沢浦で現場で津波の被害の話を聞いた時ある程度実感した。
津波の被害はその現場に立たないとその恐ろしさが実感しにくい

「浪が前からも横からもきてここで合流したんですよ、
あそこの家の人はあの崖によじ上って助かったんですよ
白石から移り住んだ家族は何人か一緒に死んだからかわいそうでした
海岸沿いには30軒家がありましたよ
もう私等は貯金なんかしませんね、生きていたのがもうけもんですよ
家も何も流された人の気持などわかりっこないですよ
いくら言っても他人事ですから・・・・・」


前に書いた八沢浦は前に丘があるとないので明確に明暗を分けた。
意外と津波はみんな一様によせてこない、それを目の当たりに見たものと
見ないものの差は大きい。
一時テレビでも津波が渦巻いていたとき恐ろしかった
あそこでも崖の前で津波が前からも横からも押し寄せた時、どれだけ恐ろしかっただろう。
というのは八沢浦では海老でも崖の所や高い町があった所に高く寄せてきたという。
その浪が海老から下った鶏足神社がある坂でさえぎられて弱まって助かったという人がいた。
なぜあそこに津波が高く寄せたのかわかりにくい。
津波は一様な高さでは寄せてこない、ある所では高く寄せてきていたのだ。
それは海底の地形とも関係していたとか複雑である。


とにかくあそこの崖に上って助かったというとき、あそこの前の津波は空恐ろしいものだった。
その崖にしてもギリギリの線だったから津波にのみこまれる恐怖におののいていた。
その時助からない死ぬと思っていたかもしれない、その恐怖がどんなものだったか
想像もできない、ただなぜ自分が今回その話しで
ある程度津波の恐怖を感じたのかというとあそこの崖を見たからである。
あそこのぎりぎりで助かったということがあの地形を見て崖を見て実感したのである。
あの崖の上に逃れて助かった人が戦慄するさまがイメージできた。
だから津波の被害はその現場に立って被害を受けた人から聞けばある程度実感できる。
その高さと地形の関係が一目瞭然になるからだ。
だから津波の被害にあったビルを三陸の方で残すべきだというのはその高さ実感できなくなるからだ。
思った以上に津波は高いから想像できなくなっているのだ。


津波の被害は今でも残っている。こんな大きな石が流されてきたとか残っている。
それよりやはり津波は高さがわかるとその恐怖をイメージしやすいのだ。
あそこはあの崖が高さを示しているから実感しやすかったのである。
だからあそこの崖の上に立ってみて津波のことを想像すると空恐ろしいものがよみがえってくるだろう。
実際に「こんなに高いところに津波がおしよせた」ということが実感できるのがあの崖の上だったかもしれない、
あそこは何かそういう点で津波を知るのにわかりやすい場所に見えたのである。

 
posted by 老鶯 at 20:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2014年04月16日

桜の季節 (めまぐるしく変わる近辺の様子ー変わる価値観)


桜の季節

(めまぐるしく変わる近辺の様子ー変わる価値観)

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南相馬市鹿島区の駅前通りの花屋

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川子の森の芽吹き

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駅前の通りの花屋や春の花
新来の人と出会うや燕来る
丘の上の桜やかなた海望む
春の日や津波に残る命かな
津波にも残る命や花見かな
復興や蛙の鳴きて増えむかな
津波跡海を離れて花に月
観音に春の月影祈るかな


山雀のさえづりひびきわたりとぶ新たな命の芽吹く森かな

人住みし跡は沼なり八沢浦春の月影さして静まる

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海老の富士旅館の庭のイルミネーション
(海をイメージささる)



毎日なんか忙しい。また一日介護保険更新でショートスティで新しくできた施設に泊まった。
あそこの施設で働く人はほとんど外部から来た福島県内の人である。
ここでは常に書類を何枚か書きハンコもいくつか押す、そうした書類の事務作業も結構あるからそれもめんどうなのである。
東電の賠償金の事務作業もまだあった。

家事も料理から掃除からいろいろある。これもまた一仕事なのである。買い物もまたなぜこれほどあのかと思う。
今日は夏の下着二枚近くの店で買った。一軒衣服売る店あるけど前に一回だけ下着買ったけど買っていない、
通販でスポーツウェアの下着を買った。そういうものはこの辺では売っていないから便利である。
それから花屋でまた3000円くらい花を買った。
花屋もこの町では一軒しかない。
すぐ近くだから便利だけど高いし花の種類が少ない、相馬市の花屋のように仙台に買いに行っていないからである。
あこでは種類が多かった。

ただなんか本当に年取ると近くが大事になるなと思った。

それは例えば津波で近くに被害にあった人が助けられたのは近くの他人だった。
親戚がいても助けてくれなかったという。また一人暮らしで助け合うとしても近くでないとうまくいかないのだ。
原町や相馬市が近いと思っても車で来るにしても遠くなるのである。
「遠くの親戚より近くの他人」になる。

何か老人の価値観は変わる。実際は価値観は年齢によっても時代によってもまた今回の災害でも変わる。
だからこれまで価値があったものも価値がたちまちなくなる。
津波で家も流され家族が死んだ人は貯金をしないとか今生きているのがもうけものだとか
先をかんがえなくなったというのも大きな価値観の変化なのである。

人への価値観も常に変わっているのだ。ある女性はなにか見栄えが良くない、
太っていて不細工すぎるのである。でも老人になると違うそうした外見より
中味で性格がいいとか料理がうまいとかの価値が大きくなるのだ。
それは若い時もそうなのだがそういう価値が見えないから結婚に失敗する人が多いのかもしれない。

人間関係も身内の一人が死んでから目まぐるしく変わった。
人間関係も死ぬまで一定ではない、絶えず変わっているのだ。
だから二代も関係がつづくのはよほどのいい関係である。
なぜならそうしたい関係を保つのには双方の努力が必要になってくるからだ。
そうしないとたちまち人間関係ももろく崩れてしまうのだ。
ここて七年間ほど激変したことはなかった。
一身上でも回りでもそうだったのである。


とにかく自分は毎日こんなに今になり忙しくなるとは思っていなかった。
なんか毎日暇で暇でしょうがなかった。暇をつぶすのに苦労していた。
それで旅行などばかりしていた。
今やその暇がない、それが一番良くわかるのが語学を勉強したいと思うがその番組を見る時間がないのである。
英語でもドイツ語でもやりたいと思っているのだができない。
結局語学というのは一番時間がかかるから忙しくなるとできなくなる。
だから暇な時もっと勉強していれば良かったとなる。
老人になると時間もなくなるが根気もなくなる。
何かに集中できる気力もなくなるのである。
だから若い時もっと何をしていれば良かったとかみんな後悔している。
そして若い時も時間もそれだたけいくら金があってもとりもどせないのである。


価値観が変わるというとき、高齢化社会でも変わる。老人向きの社会というのはまだ用意されていないのだ。
近くが大事になるということは昔の小さな商店も見直されるということがでてくるかもしれない。
スーパーに何かモノを買うというだけで買い物する付加価値がない。
小さな商店だったら多少会話があったり気づかったりしてくれるから違っているし老人にはやさしいとかなる。

そういう高齢化社会になると例えば北海老のニコニコ堂のことを書いたがあそこは隠された癒しのスポットだと書いた。
山陰の回りが畑で元は納屋を改造して作ったものだった。喫茶店があんなところにあるのは不思議だった。
車もほとんど通らないから静かである。
でも問題はレシピが都会的なものであり若者向きなのである。
もっと前の畑でとれたものを料理するとか何か田舎的なもの老人向きだったりしたら時代にあうかもしれない
その場がもとは農家でありそういう場所なのである。
だからその場所を活かすものが必要になる。
老人や地元の人が入りにくいとなると時代にあわないということもあるかもしれない。
つまり都会的価値観と田舎的価値観の融合が必要だとなる。
それがあそこではできる環境があるから言える。

いづれにしろ津波というのがどれだけ価値観を変えたか?
やはり海の方が怖いという人が被害者はもちろん言うし海を恐怖する人が増えた。
しかしこの辺は海があることで良い面があった。
だから海を活かす町作りが志向された。
復興というとき昨夜は満月であり八沢浦の方を回った。
蛙が少ないが鳴いていた。
これも増えれば復興になる。田んぼも作る人も今年は増えるみたいだ。


桜はまだ盛りだが散ってしまったのもある。
川子の高台から見る眺めはいい、海が見えて桜が満開であった。
あそこの森も近くにあるから規模は小さくても憩いになる。
海が見えるとき松原があるときはあんなふうに海が広々とどこも見えなかった。
だから浜吉田まで津波がきたと言う時驚いた。
あそこがあんなに海が近いのかと思った。
常磐線でも海が見えるところは限られていた。
それも今回の津波で景色まで変わってしまった驚きなのである。


ともかく人間の世界は本当に変化であり無常である。
こんなに何でも変わってゆくことについていけない人もいるだろう。
自分の墓地の前にあんな復興住宅の団地ができるのも想像もつかなかった。
まるで街中が都会化してしまったのである。

 
 
 
 
 

2014年04月18日

南相馬市鹿島区栃窪村の桜ー短歌十首 (午後にたずねて・・・)


南相馬市鹿島区栃窪村の桜ー短歌十首

(午後にたずねて・・・)

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これも桜なのか、鮮やかである。
寒緋桜なのか?

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スクールバスで児童一人がおりた

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ここで背後の菜の花が写っていないのが致命的
だから見た目とは違っている。


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ここでも後ろは菜の花だが写っていない

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ここで石の橋を渡る




川の上磐の硬きにすみれかな
磐を打つ流れのひびき芽吹きかな
山に来て磐の硬くすみれかな
山吹やイノシシ駆けて原野かな


大きなる柳の長くしだれけりここにし長く人も住むかな

道分かれチューリップ映えこの道をさらに遠くへ我が行かむかな
児童一人スクールバスをおりにしを栃窪淋し春の夕暮
栃窪に放射線計る三年の過ぎて田畑の荒れにけるかも
栃窪に午後の日さして石一つこの家に咲きし桜散るかな
栃窪の夕暮れあわれ名もしれぬ墓のあまたに花の散るかな
菜の花に枝垂桜や古碑並ぶ栃窪あわれ街の遠しも
栃窪に蔵ある農家この夕べ桜の映えて流れひびきぬ
大倉に人の住まじも鶯の鳴く声聞きつ帰りけるかも
大倉へ細道残る草萌えてこの道行きし昔の人かな
大倉へゆく道遠く石の橋ここに残るや春のくれかな
なつかしき昔の道や人歩む姿も見えて春のくれかな
一時や高みに咲きぬ山桜はや散りにしを見過ごしにけり
我が里の桜をなおも見なむかななお見ざりき桜ありしも

故郷を離れ散り散り満開の桜も散らむ帰れざるかも

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コントラストの調整で鮮やかになった

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南相馬市で村らしい村というのはどこか?大原村は軒数も百軒以上あり多いから古い農家がある。
ただあそこも川俣までの幹線道路があるから一見わからなかった。
ただ原町区の大原はその道路だけではない、その両脇もかなり広いから地名のように大原になっていた。
実際に椿の垣根に囲まれた農家があった。
村らしい村とはやはり代々の農家があるところなのである。
そこに桜でも大きな木があるということは気か育つに歳月がかかるからその家も古いとなるのだ。

栃窪村は家々を見ると古い農家があり村らしい村である。軒数もそれなりに多い。
橲原村は軒数が少ないから農家数も少ない、自分が見て回った限りでは寺内と小池とか石神でも
その他海辺の村でも何か村らしいものを感じなくなっている。
石神などは実際原町の郊外化した街の延長のように見える。
今はそもそも村らしい村がないというとき、炭焼きとか貧しくても
自給自足していたとき一番村らしい村だったのである。
その時は車もないからその村で自給自足するほかなかった。
それで屋形村の農家では納豆まで自家生産していたことでもわかる。
自分の家でその土地でとれたものでまかなっていたのである。
車がないのだから町までも遠いからそうなっていた。

今は村というのはどこでも街の郊外化しているのである。
そこで自給自足している家などないのである。

今回発見したのは細い道があり古い石橋があった。それは昔大倉の方へ通じていた古い道だった。
これは見逃していた。今の車の道の前はあのような細い道だったのである。
古い道が残りそれが地名となることもある。
都路村の古道は家が集まった中心地にある。古道は町の中心地だったのである。
栃窪村はあの古碑が並べてあるがあの碑も実際はあそこにあったのものではない
道が新しく作られてあそこに他からも集められたのである。
古い碑は昔の道にそってばらばらにあったのである。
それがあそこに集められるとあそこにあったという錯覚を生むのである。

それは大倉がダムになる前の道でありそれは真野川にそってあった。
今も立石にゆく道がそうであり新しい道は上の道路になった。
ダムがないときがありそれはずいぶん昔になったのだろう。
でも自分はその時も自転車で大倉村を通っていた。
谷底にありその村の家はダムの底に沈んだのである。
その時ダムの底に沈んだ家は多額の賠償金をもらった。
それで大倉御殿ができたとか騒いだ。
この辺でも大倉ぱっぱが近くにいると聞いたとき街の方へ移住した人なのである。
]今度は放射能汚染で人が住まなくなった。
そしてイノシシが夕暮れにでてきた。イノシシが増えたことは確かである。
そんなにイノシシはみかけなかった。

 

真野川渓谷は芽吹きであり山桜はもう散りはじめていたし散ってしまったのもある。
桜はやはり咲く時期が短いから見れないのである。
近くだって見る時期が短いから見れない、見ようと思うと散ってしまっているのが桜なのである。

桜の特徴は山桜だと高い所にも咲き孤高の趣きがあるが染井吉野とかになると人間臭い花なのである。
栃窪村内になっている上萱でも桜が一本残っているがそれも何か昔ここに住んでいて人を懐かしんで咲いている。この桜はここに住む人になじみその花も見ていたからそうなった。
津波でも庭に残っている木はペットと同じように人間の情が通じたような不思議なものを感じた。
人がいなくなって何か淋しく取り残された人をなつかしんでいるような人のようにも見えて残っているのだ。
木も人間化していたのである。
自然のままの野生の木とは違っているのだ。


浜通りで自然環境で恵まれていたのは海と山があったことである。
海だげではない、山の村があり山の感覚がある。
今回は海は危険で恐怖を覚える場所となった。
ただ海はもともと安定していない、不安と動揺の世界である。
浪は山や磐のように安定しないものである。
水そのものが実は一定のものとして動かずに収まるものではない
水自体が流動的だから危険なものとしてあった。
それで溜池すら決壊して死んだ。
この辺の溜池でも大きいし土手が決壊したらその下の家が流され人も死ぬのである。

一方山は石でも安定しているからそれはモラルの象徴になる。
動かないということ不動だということは信頼とか誠実とか正直とかに通じるからである。
海にはそうしたものがない、もともと不安と動揺の世界だったのである。
だから今になると余計に山の方にゆくと何か安心した気分になるのである。
もともと人間のアイディンティティが山や樹や石には見いだされるが海には見いだされないのだ。
もともと人間の心とは相反するものが海にはあった。
だから天国には海がないというのも不思議だけどそういうことがあるのかもしれない。
水そのものが流動的だから危険になっているからだ。
だからこそノワの洪水も起きたのである。
海のようにあれだけの流動的なものがあればそれは危険に通じているのだ。
海の水位が温暖化で高くなれば島が消えるとか陸地も消える所があるとかなってしまう。


現代は写真て伝える時代である。デジカメはいいのを買うといい、その差がかなり大きくなる。
ソニーの6万くらいで買ったRX1002はそれなりに高感度のカメラなのだろう。
今までとは写りが違っている。
そしてわかったことは必ず写真はそのままでなく見栄えよくするために加工する必要があったのである。
加工するということはまた絵のようにするソフトの活用もある。
とっただけでは見栄えしないのである。
ただ写真技術もこれも技術を向上させないといい写真はとれない。
だから写真も芸術になっている。
眼で見たようにとるには結構めんどうであり技術がないとできない
それは今のデジカメよりレンズなとで工夫しないととれないことがわかった。
そうなるとまた時間も手間もかかるからなかなかできない
しかし写真にしないと今の時代は訴えないのである。
だから写真俳句や短歌が生まれたのである。
これは文字だけでないからインターネットでしか発表できないのである。

 
 

2014年04月19日

昨日の桜の写真のつづき (細部を写し記憶するデジカメの時代)

 

昨日の桜の写真のつづき

(細部を写し記憶するデジカメの時代)

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人間の眼で見えないものが写真から見える。
赤い桜は瞬間的に印象的に目に入る。
ところが背後に芽吹いている樹があり
脇に白い花が咲いている樹があることに気づいていない
これは肉眼では見落としやすいのである。
ぱっと鮮烈に赤い色の桜が視界に入ってくるから
そこだけに人間の注意力がそそがれる

しかし背後に芽吹きの樹があり脇には白い花の樹があり
それらもこの写真の中に入っていて一つの絵となっていたのである。

つまり絵を描くことができる人だったら
背後の芽吹きの樹でも白い花の樹でも目立つようにバランスよく描くことかできる
ただ瞬間的には赤い桜の花しか印象に残らないのである。

だかちデジカメは細部を写し残すことに意味がある。
人間の眼では見えない細部が写されて記憶されているからだ


ともかく現代は写真ときりはなしてあらゆることが語られなくなった。
写真で記録を記憶を残す時代なのである。
デジカメ時代でありこれは明らかに一つの新しい時代を作ったのである。
インターネットもこのデジカメなくしては活かされなかったのである。

 

抽象画(女性的なるものの反映)



抽象画(女性的なるものの反映)

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この世が男性的なものと女性的な要素の結合した世界観かあった
だからヨーロッパでは男性名詞と女性名詞を分けている
男性的なものと女性的なものを意識して分けたのである

一方で男性的なものと女性的なものか結合すると豊かな世界が生まれる
一人の人間は男女かかわらず必ず男性的なものと女性的なものをもっている。
だから肉体だけではなく精神的に男女は一体化するのである。

人によって場によって時によって価値は一定していない (自分にとって手料理の価値は大きいー個々人へのサービスへ変わる時代へ)

 

人によって場によって時によって価値は一定していない

(自分にとって手料理の価値は大きいー個々人へのサービスへ変わる時代へ)

これまでの価値観はあるモノに対しての価値は変わらない、世界中でモノの値段は均一化されつつある。
どこでもどこで買っても値段は同じだという世界である。
だからスーパーなどが均一化して安く売るから繁盛した。
「安ければ売れる」というのが価値観だったのである。
でも本当に価値というのはそんなに均一化した単純化できるものだろうか?
価値というのはどうして作り出されるかである


最近手伝ってももらう女性は料理を作ってもってきてくれる。
その手料理が自分にとっては何ともうれしいのである。
その手料理は他では買えないものなのである。
今日はスイトン料理を作ってくれた。
これは一回そういう料理をしている食堂で食べたことかある。
これは食料不足の時戦時中に工夫して作られたものだった。
それで母も普通は食べなくなっているが食べたのはおいしかったのだろう。
食欲がなくてもおいしいものは食べるということが病気でもあるからだ
自分もその料理はおいしかった。
だから千円払ったしそれたけの価値は十分あったのである。
前にはアシタバの天ぷらをもってきてくれた。
これも変わった味だなと食べた。


ところが別に妻がいて手料理を食べさせられている人は
いつも食べているのだからそれがありがいたという価値観がない
当たり前のこととして食べていて文句を言ったりしているのである
自分もこれまではそうだった。
今になって食事でも全部自分で作って出す方になった
その時、鍋物などが作れなくて食べれなくなったので悲しくなった。
手料理を食べられなくなったのである。
だからほとんどオカズは買って食べていたのである。
だからそういうものをもってくれる女性がいることの価値は自分にとって大きい


前にも来ていた女性がいたがありきたりもの買ってくるだけであった
女性だから何か手作りの料理でも作ってきてくれてもいいと思ったが
そんなことが全くない、心使いが全くないのである。
自分の所に来たのは実際に強盗だったり人の気使いがない異様な女性たちだった
それは信じられないものだった。
地獄の中に引きづられて出れなくなったような閉塞感に苦しんでいたのである。
自分が病気でも同情など全くしない、借金しているから入院していても借金の要求であった
こんな人達ばかりなのだからこの7年間は地獄の苦しみだったのである。


その女性にも問題がありいい面ばかりではない、でも比べると地獄で仏にあったという気分にもなるのだ。
その気持もやはりこんな異常な人たちに囲まれることによって価値観が変わってそうなったのである。
津波の被害にあった人が貯金などしない、今生きていればもうけものだというふうに考え方が変わったのと同じである。
その人の価値観は様々な体験を経て変わるのである。

ある人に対する価値観も人それぞれによって見方が変わってくるのだ。
もう一人の人もその女性と友達関係にあるが娘が一週間に二回来て料理などしてくれる
だからその女性とは毎日電話のやりとりして頻繁に行き来してもその女性の手料理を食べていない
その男性は妻を六年前になくしても料理に苦労していてもまだ娘がいて料理してくれている
自分は全く料理してくれる人がいないからまたその女性に対する見方も変わってくる
人に対する価値観もその人の事情によって経験によって違ってくるのである。


要するに人が人の気持がわからないのはそういう立場を経験しないからなのである。
確かにその男性は妻をなくして一人暮らしは同じである。
でも娘が一週間に二回来て料理してくれるから違っていたのである。
人間にはこういうことがいくらでもあるだろう。
相手のことがその境遇でもわかりにくいのである。
それはそういう境遇になっていないし経験していないからわからないのである。

ありきたりのを売っているだけのものを買ってくるような女性はかわいいくても全く
何か根本的に人に対する心使いがまるでないのである。
もちろんそうしたくないからそうなったともとれる
だから自分の病気に対しても何の心使いもなかった
もともと何もしたくないのでありしかたなく一カ月に一回義理で来ていただけなのである
あういう人がどうしても事業に成功するとは思えなかった。
妻であってもそういう人は夫を助けることはできないと思った。

いづれにしろ人間は顔だけ見ていると外見だけで判断すると女性でもあとで失敗する。
それで離婚が多いのかもしれないのだ。
美人でかわいい顔していたけとこんな女性だったのかと裏切られことがあるかもしれない。
それは介護の時などに露骨に現れやすいのである。


人間の価値観は一人一人実際は違っているのだ。
だから値段が一定しているということはかえって不平等なのである
ある人が千円払うしある人は二千円払ってもいいのである
金持ちの場合は定価ではなく本当のものに金を高くても払う。
要するにもしかしたらこれからの時代は個々人への
サービスが大きな価値を生む時代になるかもしれない
大量生産で大量供給してもモノあまりの時代は売れないのである
個々人へのサービスは多様になるからその価値づけも一人一人違ってくるから
値段は一定しないのである。


だからポランニィーが黄金と塩が等価に交換されていたとか全く今の経済感覚とは違った価値観の経済があった。

中央スーダンの首都クカでは、糸に吊るされた子安貝とマリア・テレサ銀貨との等価が、毎水曜日に市場において公示された。
(人間の経済ーほランニィ)

これはその時々によって価値が違っていることなのである。
次の水曜日にはまた違った等価が公示される。
そういうふうに時価は今でもそうだが変わってくるのである。
その場その時によって価値観は変わるのである。

贈与経済でありそれはその時代の価値観であり今の価値観とはまるで違っていたのである
そういう経済にもどるということもこれからは考えられる。
若者と老人の価値観は天と地のように違う場合がある。
老人にとって失ったものは青春でも健康でもとりもどけないから悲惨なのである。


というのはもの余り時代の価値観はそういうふうに個々人へのサービスに変わる傾向があるからだ。
価値観は個々人で違っていて多様化するのである。
だから定価で安いからいいとは限らないし選ぶとも限らない
現実に今は不景気時代がつづいたといってもいいものは高くても売れていることでもわかるのだ。
すべてが安ければいいとはならないのである。
老人にはモノは売れない、老人が欲しているのはそうした個々人の心使いであり
それが手料理を提供してくれた女性の価値が高くなるということか一つの例なのである。

posted by 老鶯 at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2014年04月20日

芽吹き(街の中に来る山鳩の写真をとった)


芽吹き(街の中に来る山鳩の写真をとった)

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全体の場面を分解したのが下の写真


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yamabatttoooo111.jpg

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残る花朝に散りしを惜しむかな

街に来し山鳩見つく芽吹きかな
山鳩やタンポポに映え街の中


シャッターチャンスが次々にあるのには驚く、
デジカメ時代になってから何か常にいい写真をとろうとすることがある。
そして自然はこれほど写真になる、
絵になるものがあるとはきづかなかった。
デジカメがない時代はカメラにはほとんど興味がなかった。
それはカメラを簡単にとるのがむずかしかったからである。
そしていい写真がとれなかったのも原因している。

デジカメになってから適当に何枚もとってそれを選んだり加工すると絵になるものがとれる
だからデジカメによって自然を新たに発見するようになったということがある。
それでもいつもデジカメをもっていないからあの場面はとれなかったなと後悔することがかなりある。
その自然の風景は二度と見れないものもあった。
鳥なんかもなかなかすぐに飛んでゆくからいいのがとれない

今回とれたのは長く山鳩がとまっていたからである。
それも町の中の空地にとまっていたからとりやすかったのである。

一万くらいの町だと自然は街の中でもあるし畑もあったが今は荒地になっているのが残念である。
写真で発表するということで何か単に俳句や短歌を発表すのと違っている。
デジカメによってより芸術的に伝えられるのである。

都会化すると自然は消失する。この辺は空地が町のなかでも多かった。
でも家が次々に建ってその空地もうめられてゆく。
それでも未だに宅地となる空地は多いのである
その空地にタンポポとか咲くのである。
東京などになると空地すらないから自然がない
もっとも贅沢なのが東京では何もない空地でも空間なのである。
もしその何もないものがあればそこに自然がありうるのだ
この辺はすぐ海であり山であり自然は豊富だからデジカメにとれるものはいつでもある
春はやはり一番自然が生き生きしているから写真をとるには一番いい季節である。

でも今日も東風が冷たく寒い、コタツがないといられなかった
なんか今年は冷夏になるかいうけど本当かもしれない
こんなに今ころ寒くなるのかということがある。

 

2014年04月21日

韓国フェリー沈没事故はなぜ? (緊急時には津波でんでこが助かりやすい)

 

韓国フェリー沈没事故はなぜ?

(緊急時には津波でんでこが助かりやすい)


今回の韓国のフェリーの事故でも真っ先に船長が脱出したのもそうだった。
何かその時恐怖心にかられて冷静な判断ができなくなっていた。
そんなときはまず自分の命が大事だとなり乗客のことは関係ないと逃げた。
そして乗客にしてもただ待機していろと言われてその命令に従っていたのである。
このことが命取りになっていた。
ただいち早く船から脱出して海に飛び込んだから3時間で冷体温になり死亡するというから
すべて脱出して海に飛びこむことが助かることではなかった。
でも逆に助かるためにそうする人もでてきたかもしれない。

船長自体が判断できない状態になっていたのだから船長の命令に従うことが最高に危険なことでもあった。

危急の際は船長でも信用できなくなる。船長自体が自分の命の方を大事にするからだ。
だから韓国ではこのフェリー事故のように指導者が真っ先に危急の際は
戦争でも逃げ出すとネットウヨからこんなことがあり言われる。
そういう国民的体質があるからだと盛んに言われる。
それも一理あるのかもしれない、韓国人の体質的なものとして国民性として培われたものがあるかもしれない。

ただ日本だって批判できないところがある。

現実に原発事故では原発が爆発した時ど、とっさにいち早く逃げたのが東電社員がいたという噂がたった。
一方で必死の覚悟で原発に残った人たちがいて称賛された。
そしてその時、政府の指導者も東電の幹部も住民には何の指示もしなかった。
スピーディは明らかに動作していてどこが危険かわかっていた。
でも浪江町の人たちは一番放射能が高い津島に町民が集団で避難したのである。
それは町長の指示であった。町長は別に政府や東電から指示されたわけではなかった。
結局誰も適格に避難指示を出してくれる人がいなかったのである。
だから緊急時には今回の船長のように指導する人自体が真っ先に逃げるということが起こりうるのだ。
何が起きたか指導者も判断できなくなっているからだ。
だから緊急時には船長の言うことを「待機して動かないで下さい」ということで待っていたら
全員死んで船長だけが逃げて助かったとかなりうる。
船長が万死に値すると今では言うが船長もそうした緊急時に自分の命が大事になるから
そうなったのでありそれは他のことでもありうるのだ。


津波でんでこ・・の教えは緊急の時は自分だけが助かるために相手のことをかまわず逃げろと教えた。
緊急だからもう自分が助からないからそうなった。
一見非情のように見えても老人の家を回って若い人が逃げるのが遅れて死んだということが結構あった。
それは普通だったら人道的にも称賛される行為なのである。
でもそんなことしてでは称賛されるかというとそうでもなかった。
なぜなら若い人の命の方が老人の命より社会にとっては大事だとなるからだ。


そして突然不意に起きることは予備知識もなにもないから判断できない。
その船では避難訓練もしていなかったことも致命的だった。
避難訓練してもそうした緊急事態に的確に行動することは至難である。
だから津波で助かった人は津波が来るのを見て必死で逃げて裏山にでも駆け上って助かった人がかなりいた。
テレビでも津波が足元に迫ってきていて必死に逃げる映像が見ていた。
あれでも逃げれば助かるということであった。
八沢浦でも一キロくらい離れている家の人が裏山の崖に上って助かったという。
それは津波を見てから逃げて助かったのかはわからない
しかし危機一髪で助かったことは確かである。
そこには裏山があったことで助かった。


他でも離れた場所では津波を見てからトラックで必死に逃げたとかして助かった人たちがいる。
海の人だと津波が来るというとき海が近いのだから海の方を見ていただろう。
でも海岸に接していたら津波か来たのが見えないから助からなかった。
大川小学校の悲劇は川から津波がさかのぼってきたのだけどそれか見えない死角の場所にあったからである。
川をさかのぼってくる津波を見たら逃げていたかもしれないのである。
そして今回のフェリー事故と同じように先生の誤った指示に従わされたことにあった。
だから先生の指示に従わない自力で裏山に逃げた生徒は助かったのである。


これらのことから導き出される教訓は何なのか?
緊急の際は船長であれ先生であれ政府の指導者であれ何であれ誤った判断するということである。
人間はいろいろ知識があろうが万能ではない、そこでいろんな判断の過ちが起きる。
例えは新米の医者になった人たちがどんな判断を下すか怖いだろう。
医療ミスが実際には日常的に起きているのは結局名医になるにしろ様々な失敗してしかなれない、
だから医者は何人か殺して一人前になるというのも現実なのである。
人間は万能ではないから常にミスを犯すし事故も起きるのが当然なのである。

だから原発事故だって起きることは予想できていたけど権力でもって隠していたのである。

一面人間は師弟不二とかカルト教団とか団体組織に属して命令にしたがっていることにならされている
人はそもそもが救いなど絶対にない、それらは船長か真っ先に脱出したように
会長なんか会員のこと乗客のことなどあとにして真っ先に自分が脱出する。
何百万の会員などもともと自分たちが権力をとるための駒にすぎないから当然なのである。
そんな所で命令に従うだけの人間はその船もろとも地獄に沈んでゆく。
戦争中もそういうことは起きていて日本人の上官は威張っているだけだったという反省があった。
そもそもそんな戦争に従順に従った国民も悪いと批判される。


いづれにしろ人生には緊急なことが突然起こる。するとそれに対応できずに判断を誤る。
一つの教訓としては船長であれ、先生であれ、政府の指導者であれ、・・・・
緊急の時はその人たちもその緊急事態に的確に対処できないのである。
だからそういう上に立つ人の命令にしたがっていたら命を落とすことになる。
でも社会はカルト教団なら教祖を絶対視しているし上の命令が絶対になる。
会社でも上の命令は上司の命令には逆らえないとう学校だったら
先生の命令には従いとかそういうことで日常を暮らしているから習慣化することが怖いのである。


津波でんでこ」とは別に津波だけではない、緊急の時は自主的判断の方が助かる率が高い。
もちろんそれでも助からないことはあるが率が高くなるということであるからそれに賭けるのが判断としてはいいとなる。
専門家の判断に従うのがすべて悪いともならない、自分は医者にみてもらわずに病気を悪化させたことでもわかる。
こうして自分で判断することも致命傷になることもある。
だからこれがいいという一つの判断や指示はない、緊急の時はみんなそうなるのだ。
ただ習慣的に船長は船のことを一番知っているからと命令にしたがっていればいいとかなると判断を誤るということである。
そういう緊急の時はそもそも船長すら判断できなくなっているのだ。
真っ先に乗客のことなどあとにして逃げたことでもわかるのだ。
そういうことを考慮しないと命は助からないのである。

 
 
posted by 老鶯 at 20:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層