2014年03月28日

現代文明は奇形文明である (ペットプームは自然への回帰と同じ現象ーエジプト文明への回帰でもある)


現代文明は奇形文明である

(ペットプームは自然への回帰と同じ現象ーエジプト文明への回帰でもある)

世界の文明を考察するとかなると普通は大変な作業でとてもできないという感覚になる。世界はあまりにも広すぎるからだ。
でも世界とはこんな小さな田舎町からでも世界認識はできるということがあった。
小さな田舎町の歴史を考察してきたけどこの小さな田舎でも世界で起きていることが
実際に起きている。
こんな小さな田舎町に何があるんだというときここにも世界の歴史があり日本の歴史が集約してあるのだ。
むしろ東京などではまずかえって世界のことも日本のことも基本的にわからないということがある。
なぜならそもそも世界文明といっても自然から遊離してできたものはない、
四大文明は自然の恵みから発展したものだからである。

エジプト文明はナイルの賜物というときナイル川によって作られたのである。
ナイル川が氾濫した時、その泥が肥料となり小麦がとれる。それを基礎的食糧として一大文明になった。
その特徴は生物や動物と深く密接に結びついていた。だから無数の動物が神となり崇められた。
彼らの関心は生態系にあり動物にあり天文にあり自然にあった。
現代人の関心が車とかパソコンとか様々な機械にある。

エジプト人は動物に何か精神の象徴として見ていた。こういうことは古代文明にはあった。それは多神教であり偶像崇拝と化した。
ただこの多神教こそが人間的であり一神教が生まれたのはかえって人間にとっては異端的なものだったのである。

身近なところで偶然に猫を飼うようになって猫が意外と不思議な生き物だなとつくづく思う。猫をこんなふうに見ていたことはない、
猫はいくらでもいても実際自分で飼うと猫はまるで人間の子供のように思えた。
そのしぐさ一つ一つが面白いしかわいいしこれは人間より親近感を覚えるものがあった。
だからペットブームになりペットを介護して墓まで作っていることが理解できたのである。
それは牛でも猫でもエジプト人がミイラにして人間と同じく扱ったからこれも別に人間として特別のことではない
普通のことなのである。つまりエジプト文明は全く今の世界から理解できないものではなかったのである。

異星人が作ったものとは違っているから人間が作ったものだから理解できるのだ。
実際に動物には人間にない何か神秘的な力がもっていると感じるのもそのためである。
そういう動物から離れてしまった自然から離れてしまって機械に親近感を覚える現代文明こそ異様なものなのである。

現代の高度化した機械化した都会化した文明は決して人間の生活でも心でも豊かにするものではない、
そういうことは東京で暮らしてみて思うようになった。
東京というあれほどの大都会があることこそ異様なことであり非人間的な異空間と化している。
だから有名な作家は異星人が作ったものとしているのもわかる。
ミラーであり上野霄里氏であれニーチェであれ文明を否定することは人間としてむしろ正常な感覚であり
現代文明に適合している人々こそ異様なものと化しているのだ。

だから人間としてまともになろうするとき現代ではアウトサイダー化するのである。
強力な天才的な活力をもつ人間はこれが人間の住む世界なのか?これが人間なのかという
根本的な疑問をもつのである。
そういうアウトサイダーが全くかえって理解できないのはそれだけ現代社会が非人間化しているからである。

大都会から生まれ宗教もカルトでありそれも現代文明を象徴していたのである。
オウムはその現代文明の歪みを露骨なものとして事件化したのである。
それは現代の宗教団体はどんな宗教であり組織団体化しているから本来の宗教とは
全く違った政治団体であり利権団体にすぎないのである。
現代文明という途方もない迷路の文明から産み落とされたものであり奇怪なものとなっている。
エジプト文明が奇怪に見えるが極めて人間的なのである。

それは現代が異常なほどのペットブームになっていることでもわかる。
人間にとって動物はやはり人間と密接に精神的にも結びついたものなのである。
それはロボットで機械で代われるものではない、犬とか猫が癒しになるのはそのためである。
エジプト文明のようにそれは深く人間の心にかかわるものだからである。


創価などで運動していたから実際に自分はそういう異様な空間で青春を費やしたからわかる。
それは何も宗教団体だけではない、現代は会社であれどこであれ何か非人間的なものに生が浪費されるのである。
だから会社人間になった若者は会社に疑問をもちそこが極めて非人間的な組織であることに反発するようになった。
ニートが増える時そうした会社人間になりたくないということもある。
自分はそもそも団体生活できないから働かないとういだけだったが会社人間になることは非人間化の道でもあったのだ。
要するに会社とういだけではない社会そのものが現代は非人間的なのである。
そして会社社会化したとき会社が権力をもつようになったとき、原発事故も起きたのである。


原発事故というのもそうした現代文明の延長としてあるものでありそれが自然を破壊したのである。
原発は現代文明の必然的なものとして生み出されたのである。
だから文明は原発と心中するほかないとまで言った。
だから原発事故周辺はそうした現実に文明の崩壊現象のようなものが起きたのである。
「猿の惑星」が現実化したことの驚きがあった。
人間は最高に賢いものとして作られたが最高に愚かなものであることが原発事故でも証明された。
だから文明というのは別に現代文明が優れているとはならない。
他の古代文明の方が自然と調和していたから優れていたともなる。