2014年03月26日

溜池が稲作文明を発展させた原動力 (水の管理が稲作では一番大事だったあー鹿島町誌より考察)


溜池が稲作文明を発展させた原動力

(水の管理が稲作では一番大事だったあー鹿島町誌より考察)

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ここは下が鉄道になっていて高い、ここの地名が樋下となったのは
そういう理由があったつまり地名にはそれなりの理由があって名付けられている。

これは唐神堤から引くための水路だった。


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樋の水流れてうるおし実りかな二宮仕法に相馬藩栄ゆ


溜池には水利を通じての人と人との交わり、繋 がりがある。それは、親池、子池、孫池といった関係か ら、その輪を広げながら、広い範囲でのコミュニティーと して、重要な働きをしてくれている。


相馬領全部226ヶ村、この内明治4年までに実施した村は101ヶ村、更にその内で仕上成就した村は55ヶ村であって、これに用いた領主の分度外米248,220俵、開発2千余町歩、費用2万余両、溜池692ヶ所、水路等合計費用2万余両、新家作573戸、この費用2万余両、その他諸施設合計99,180余両であって、このために増加した戸数
1,135軒、人口21,715人である。
http://plaza.rakuten.co.jp/jifuku/22000/

樋町、樋口、樋上、樋下
樋口は文字どおり樋(用水管)の口(取水口、水門)のある場所から起った地名です

「筑前国続風土記」には「樋井川」の名の由来として「其の川、樫原、東油山より出、田島村の東、鳥飼村を西を経て海に入る。此の郷中、桧原村の東、長き樋有り。是は川上に樋を掛て川向に水を取り、田を浸す為なり。樋長さ七間半あり。昔より此の樋ある故に、此の邊を樋の郷という。」とある。
http://nagaoka.blog.jp/?p=18

樋がつく地名 樋越、樋口、樋田(といた):水路(管路)のことを「樋」と呼んでいる。地名以外に苗字に多く拡っている


鹿島町誌より


真野川は有効に利用するかいなかは農耕の死生にかかわる
まず真野川上流の栃窪堰の手入れをして嘉永五年以来廃止していた一の堰(大谷)を改修した。正月から五カ月間を要した。
高一丈五尺平均、堰口十六間余大石積み上げた技量をほめ・・・

荒専八の代官の事業である。荒は二宮門下唯一の洋式土木技法をも心得た技術家であった

また川子村の嘆願書の中に「小堤等数多く築きたてくだされ莫大の難儀これなく」とあり(安政二年)、牛河内村では(安政元年)にお願いして水不足故に中丸堤土手つぎたし」といっているし・・・

中でも一番の大工事は唐神堤の手入れであった。この堤は領内第一の大堤で安政四年五月の再度にわたる大崩壊、もし決壊となれば産米七千石の田から民家一円亡村の惨事となる・・

七千石掛入は真野川より取り入れるももとは唐神をへず直接通じたが御山堀を高め新江の延長として横手地内68間の岩を切り通しトンネルをうがち、水路を唐神に引水して冬の貯水に便をえしめるために溜池の水増加して上真野、八沢、鹿島の一町二ケ村にわたる
(鹿島町誌)

文政年間、鹿島村の西河原において真野川をせきとめ一里の間を穿ってその水を最も裾の南右田の地にひいて百余町の内を灌漑した。自ら毎夜提灯をたてて並べさせて堀の高低をためし、時に水上の村民の激怒をかって命をねらわれた。(和算学者-荒専八-奥州相馬-森鎮雄))



稲作というのは実際は大きな文明であり自然を改革する一大事業だった。稲作は水の管理が最大の問題となる。いかに水を利用するかが稲作を拡大することに通じていた。
米の生産量をあげるかに通じていた。だかち灌漑事業でありこれは大規模な土木事業であり文明だった。水を利用するということが文明のはじまりである。そこでメソポタミア文明などでもいかにエジプト文明でも農業はいかなに水を利用するかが文明を作る。
だから四大文明は大きな川の辺に生まれたのである。カンボジアのアンコールワットの巨大な貯水池もそうだった。そこに一大栄華を築いた都市文明が生まれたのである。
溜池を改修するのにその堤を集団で人力によって固める絵がでているが機械がないのなら人力になるからその労力は並大抵のものではなかったのである。

溜池の建設ー大地の刻印(ここには絵がでているから参考になる)
http://suido-ishizue.jp/daichi/part3/01/04.html

巨視的にもそうだがミクロ的にもみると小さな村でも稲作はいかに水を利用するかで水田を拡大して収穫量をあげるかが決まる。だから必ず溜池が必要であり無数に溜池がある。稲作は溜池なくして成り立たないものだった。大きな溜池もあり小さな溜池も無数にある。それほど水の管理が稲作には必要だったのである。
水田は水なくしてはありえない、絶えず水を流していなければならない、だから水路となる樋がいたるところに必要でありそれにまつわる地名も多い。
そして溜池は必ず順次広くされている。水がたりなくなりそうなった。
水争いがあり荒専八が真野川の下流に堰を作ったら上流の人が水が不足すると思い殺そうとするまでになった。これもいかに水が大事かを物語るものだった。
入会権でもそうだがここも大規模な戦争の初端になったし水争いもそうだった。
水資源の争いは文明国では常にあった。イスラエルでのデカン高原でのシリアとかの戦争もヨルダン川の水争いに起因しているのだ。

ともかく田んぼを拡大するには土地だけではできない、水を得る必要があった。だから南右田は海側であり開拓された所だが真野川の水を確保できるうよになり水田になった。
今は津波で壊滅した。

この水が大事な故に山から水が絶え間なく供給されるので山が神となり春には田植えの時は山から神がおりてくるという信仰にもなった。山には先祖が眠り見守ってくれるという信仰にまでなった。稲作は長い間に単なる米を作るというものではない信仰となり文化になっていたのである。
だから津波や原発事故で田んぼが荒地になり水が流れないということに違和感を覚えたのはそれはすでに単なる米を生産するというのではない心に深くその景色であれ農耕というのがアイディンティティ化していたからである。
別にこれは田舎に住んでいれば農家の人でなくてもそうなる。
都会だとまた違っていてそういうふうにはならない、回りに田んぼも畑もないからである。だから大都会には文化がないのである。ただ物質化した精神性のない人工的機械的空間になっている。古代都市なら自然との密接な関係から構築されたものだから今の都会とは違っている。自然村があるというとき自然から生成発展した文明であった。
エジプト文明でもマヤ文明でも農業文明なのである。

津波原発事故では水田がなくなり荒地となり水が流れていても水は活きていないのである。その時神となっていた山をも死んだようになる。
日本では葉山羽山信仰でありこれは低山であるが水を供給するものとして信仰になったのである。山は水と密接に関係してあったのが日本だったのである。