2014年03月24日

春の日の海老の浜 (津波の跡は荒廃したままにしていいのだろうか?)


春の日の海老の浜

(津波の跡は荒廃したままにしていいのだろうか?)


春の日や行き場失う庭の石

初蝶や海の展けし海老の浜

余裕もて落ち着く石や福寿草

堀流る水の光りて春の日や津波の跡の田にも流れじ


津波の後はどこでも海が広々と遠くから見える。
陸前高田市でも海がこんなに近くに見えるようになったと地元の人が言っていた。
街のすぐ近くにあってもう陸前高田市では海が見えなかったのである。
松原にさえぎられて海が見えなかった。
ただ自分が行った時は街には寄らなかったから
あそこにあんな大きな街があるとは思わなかった。
ただ海は円形の湾になっていて実に穏やかであり
松原の中は散策できるようになっていた。
その海の松原の手前の宿に一泊したことは覚えている。
それも自転車で行ったのである。

海老の浜も未だに津波の跡が生々しい、結局三年たっても何ら変わっていない
何か荒廃した感じでありその悲惨さが消えないのである。
流された松の根っこが痛々しく残っているのもそうである。
土台だけが残っているのもそうである。
庭の石が積み上げられて行き場を失っている。
庭の石も人間化した石だからどこかに収まりたいとういことがある。
それて石も落ち着くとなる。
自分の家の石は福寿草か咲いて落ち着いているからだ。

ともかく果たして津波の跡があのように荒廃したままでいいのだろうか?
それは記念として津波の被害があった建物を街中に残すべきか残さないか議論になった。
歴史的記念として残すべきだという人もいたし反対する人もいた。
被害にあった家族を失ったような人は思い出すから嫌だともなる

実際にいつまでもこの辺でも津波の跡をあのつまにしていると何か心が沈んでくるのだ。
初蝶が海辺で見たのははじめてだったが雲雀も鳴いたがなにか喜べない
全体が荒寥として荒廃しているからだ。
だから観光地にして復興すべきだという外部からの意見もあったが
被害にあった人は嫌だと言っていた。
観光気分にはとてもなれない所なのだ。

でもいつまでもそのつまでいいんだろうか?
そしたら復興はない、ただそこは荒廃したままになる。
外部から来た人はかえって津波の悲惨さを一目見ればわかるからかえっていい
したしむしろ地元の人はこうした荒廃のままにしておくのは心が沈む
だからいつまでも荒廃したままにしておくのか
これから津波の跡をどうするのかというのが問題である。
三年たったからそうしたことも考えねばならない

津波で残ったビルを残すべきだとしたのは地元の人だったが
実際は外部の人に見せるものとして残すということがある
ヒロシマの原爆ドームは記念として残した
あれを見ると原爆の悲惨さを思い出すことになる
でもそこに住む人にすると嫌な感覚になるとうこともある
ただ戦争の悲惨さはほとんど日本からは消えた
東京空襲などもその跡がほとんど残っていないから忘れられる
だからこの是非もむずかしいとなる

堀を流れる水が光り流れていた。しかしその水は田んぼには流れない
田んぼはまだ今年も作らないだろう。
この辺はだからまだ荒廃したままなのである。