2014年03月23日

春の日の石(被災地は留まるだけで幸せになった)


春の日の石(被災地は留まるだけで幸せになった)


春の日やとどまる石やあたたかき

in spring days
the staying stone
the warm one


石古りてととまる里や春の来る

里の春変わらぬ石の在り処かな


the statinary stone

in my villige
in spring


春日さしここにとどまる石二つ

動かざる石のまわりやイヌフグリ
寂けさや奥の大石残る雪


何かその人にはふさわしいテーマが必ずある。それを一生で追求している。
芸術でも職業でもそうである。

石を知るには石は長い時間かけないと知ることはできない、
石は動かないからやはり石のような時間が必要になる

この辺では故郷から離れて住めなくなった人達がいる
だから今や故郷にとどまる人はしあせだとなってしまった。
そんなこと当たり前だというが実際に住めないのだから当たり前ではない
ただ故郷にあっただけでも幸せだったとなる。

故郷喪失の損害賠償が払われたがそれで贖われるとはならない
それは結局金では変えられないものだった

つまりstationを失うと精神も不安定になるだろう。
人間は何か深くアイディンティティの見いだす場所がないと
精神形成ができないだろう
そういう場所がもともとは故郷となる
もちろん故郷を否定することはある
人間関係などが嫌だということが常にある
これはどこにでもある


この石がある場所は飯館のあいのさわにもあったし浪江にもあった
その石だけが人が去っても残っている
どういうわけか相馬市では心を寄せる石が見つかっていない
原町区でも見つかっていない
つまりそういう石はどこにでもある
ただ発見されていないだけである
だからまた誰かが発見すればそれは人間化した石となるのだ


こういう石は旅しては見つからない、どこにでもあっても旅は一時的に去ってゆくものだから
石とアイディンティティ化できないのである

いづれにしろこの辺ではただ留まっていられることが幸いだとなっているのだ
stationを失った人達はユダヤ人のように流浪の民となってしまう。
現実にユダヤ人のように避難した人たちは
補償金をもらっているけど金はあるけど批判される
でも土地を失うと金が頼りになってしまうのである
他に頼りになるものがなくなるのである


でも手に職をもっている人はこういう時でも強い
小高の人で腕のいい大工は働いていた
人手不足であるからそういう人は批判されないだろう
逆に土地だけを頼りの農家の人達は苦しいとなった
こんな経験するとは思いもよらなかったことなのである。




被災地に不足しているもの(土地と宿泊所)


被災地に不足しているもの(土地と宿泊所)

原町の道の駅で九州から来た人と話した。

「三陸の方を回ってきて松島から仙台に来てここに来た
三陸の方は土地がなく狭く暗く寒かった、ここは明るく空も広くあたたかい」
「三陸辺りは土地がないよ、ここはまだ土地はある」
「ともかく泊まる所がなくて困った、近くのワンルームの部屋をやっと借りたよ
この道の駅で車をとめて泊まっていた人もいたよ、ここはトイレもあるし水もあるからいいんだ」
「車で泊まって旅している人がいたからそういう人もいたのか」
「あと一年くらいはいるようになる」
「この辺はまだまだ復興していないよ、工事も長くつづくよ、九州のどこから来たの」
「佐賀県だよ」
「佐賀県のどこ」
「唐津だよ」
「ああ、あそこか、いい所だ、虹の松原に入江が深く入っている、もう一度行きたいな」「唐津は佐賀県と福岡がまじっているところだよ」
「そうか、佐賀県はなじみかないから、福岡県だと思っていた」


こんな話をした。自分は全国を旅しているからたいがいその人の住んでいる場所がどういうところか一応わかる。唐津にも行ったし虹の松原にも行った。
だからどこの出身だと聞きそこがどんな所か地理的にわかる。
三陸で空が狭いとなりここは空が広いと感じたというのはわかる。
山と狭い土地しかないからだ。それは日本自体が空が狭く感じるのだ。
外国のいいのは山もないから空が広く感じられるのである。
だから日本には空とか天の感覚がないのである。
広大な天に思いめぐらすことがないのだ。

唐津は風光明媚であり歴史ある場所である。湾が深く入り込んでいて虹の松原があり
唐津とあるのは唐は韓(から)であり韓国と歴史的に古代から深い関係があった。
ただ九州は二回くらいしか行っていないので地理的にはわからない所がある。


いづれにしろこの辺でたりないのはホテルであり宿泊所である。それも長く泊まれる場所になる。
まだそれだけ工事関係者が入ってきている。九州からもきていることでもわかる全国からまだきているのだ。
だから鹿島区の山の方までホテルができたのである。
こういう状態はまだ何年かつづくだろう。
復興住宅にしてもまだ数パーセントしかできていないのだ。
だからどこでも家が新しい家が建っているのである。


この辺で土地の価格があがったのは津波で家を失って住めなくなった人が多いのと原発避難者が多くなったからである。
だから土地の価格とか家の価値もあがったのである。
特に土地を求める人が多いのである。それは津波の被害地ではどこでもそうである。
それだけの土地を津波で失ったからである。
特に三陸辺りは土地がそもそもないのだから平地は津波の被害にあったところだから
住めないとすると高台になるがそれも土地が狭いから住む場所がなくなってくるのだ。


いづれにしろこういう混乱状態は三年たっても変わっていない、何か人の出入りが激しい。
まだ外部の人が相当数入ってきているから宿泊所がたりないのである。
レイプなども噂になるのも外部の人が入ってきて治安が悪くなっていることもあるかもしれない。
入れ墨の人がホテルの湯に入って来たりするからそうである。
建築関係はどうしてもそうした人や身元を明かせない人も入ってくる。
それはそれで役に立っているのだから犯罪をしなければいいのである。
第一この辺ではそうして汚い所で働く人がいないのだから働く人は貴重だとなる。

相双緑化でやはり簡易宿泊所のプレハブを増やしていた。
こうして簡易に泊まる所がかなり必要なのである。
トレイラーハウスもその一つだった。
何かそうしたものを増やさないと道の駅で車に泊まることになる
そこが今も問題なのである。


ただ一方で仮設の食堂などでは客はめっきり減っているうということもある。
その時もっとホテルは不足していた。
おそらく相馬地域でも泊まれないから遠くから通っていたのかもしれない
ホテルの問題でも旅人ではないから一日二日泊まるのではない
長期滞在となると部屋が簡単に空かないから部屋不足になる
その人も一年くらいいるとか言っていたからである。

hotellll1.jpg

相双緑化に増えた仮設のプレハブ

posted by 老鶯 at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連