2014年03月15日

春の俳句十句 (横峰の堤の二宮神社を回り原町へ)


春の俳句十句

(横峰の堤の二宮神社を回り原町へ)

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樅の木や二宮神社冬を越す

相馬藩二宮神社や春の雲
耕やさむ小さき畑春の雲
老守る小さき畑や春の雲
広々と横峰の堤春の鴨
竹ゆれて流れの早し春の川
国見山南相馬や春の雲
鴨眠る水面に微笑む春の月
我が家の猫にやさしく春の月

春の日や母なお生きて百才に

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横峰堤は結構大きい、堤は結構大きいものがある。鹿島区には大きな堤がある。
溜め池は意外とこれもわかりにくい。北海老の溜め池も
あそこにあんなに広いのがあったのに気づかなかった。
唐神堤は一番大きい。横峰堤にはまだ白鳥がいた。
白鳥はまだ帰らないのは今年は寒いからである。
堤はあきらかに自然でありこれも松原と同じようなものだった。
こういうふうに広い溜め池があると気持がいい。

その堤の脇に「報徳二宮神社」があった。
これだけはっきり二宮神社とあるのはめずらしい。
相馬藩では二宮尊徳のことをか常に語られるけど神社になっているのははじめて見た。
意外と相馬藩ですべてを知ることはできない

人間は灯台下暗しだと何度も書いたけどここはいいところだなと感じるのも時間がかかる堤などあまり注目しないこともある。
でもこれも第二の自然だからやはり気持いいのである。
要するに人間は一番近くの日常的なものの良さを認識できないのである。
だから今回の災害で故郷に住めなくなったけど改めて故郷を見直すことになった
そして当たり前の日常を失った時、その当たり前のことが本当は大事なものだったことに気づいたのである。
あまりにも当たり前だから気づかなかったのである。


故郷がいいな感じる時は自然でありまたそこにいる人間がいいなと思った時だろう
原発事故で田んぼが作れないのだから溜め池は用がない、ただ白鳥や鴨の池となってしまっている。
溜め池から水が流れて田んぼがあるときそれが故郷の原風景になる
だからどううしても田んぼかない風景はイメージすらできなかった。
ソーラーパネルとか風車を作ってもそれが景観的には故郷としては嫌なのである。
そういう故郷の風景になじむだろうかとなる

今日は春らしかったけど昨日だって風が冷たかった。
今日は春らしいから原町まで行ったまずこの辺は新しい家が百軒以上建っているだろう。
次々に建っている。なぜヘリコプターが二台もある新しい家が建っていた。
あれも趣味なのか何なのか外部から入って来た人なのか、新築の家が目立つ。

新田川の上流の流れは早く水かさがある。
やはり今年は雪解けの水なのだろう。
山には相当な雪が積もったからあれだけの水がながれてくる。
それも春らしいとなる。

国見山はちょうど南相馬市の真ん中にある。今までは原町の山だった。
でも小高区と原町区と鹿島区が視界にぴったり収まる
だから南相馬市は地理的には一体だった。
相馬市は国見山から視界に入らないのである。

南とつくだけでまた何かあたたかく感じるから不思議なのである。
南とついただけでどこでもあたたかく感じる。
北とついただけで寒く感じるのも地名の不思議である。
北海老とか北屋形となると実際に陰になり暗い感じになっていたのである。


春の雲というとき、知っている人が耕す小さな畑をテーマにして作った。
老人が耕すにはちょうどいい小さな畑なのである。
それでもいろいろなものがとれる。結構その畑を耕すのも手間なのである。

春の月が川の水面に写ってゆれていた。満月だった。
そしてニャオーと近寄ってくる猫にもやさくしなった
この猫はなれていないけど近寄るときあるからその時警戒をといている
この猫も虐待されたからなれない
つまりこの猫も自分と同じだったのだ
自分もこの六年間は虐待されてきたのである
だからこの猫の気持ちがわかり家族の一員のように思えたのである

何か今日は平和を感じたしまだ復興は先でも平和になってゆくのだろうか?
それでも警戒区域で故郷に帰れないとなった人たちの気持はどういうものなのか?
こうして南相馬市はまだ故郷があって春になる
田畑は復興していないが田畑も復興すれば元にもどったとも感じるだろう。
その喜びも大きいものとなるだろう。
それにしても大きな変化でありその先が見えないのである
ともかく自分の個人的なものでも何か平和を感じた


母は百才まで生きるのだろうか
それも自分の家にとってはめでたいことだった
要するにようやく内も外も平和を感じた
ただ何か忙しいことはたしかであるしまたいつ様態が悪くなるかわからない
ただ百才を目指していることだけは言える

人間はいつまでも苦しいことばかり災難ばかりはつづかないだろう
そんなにつづいたら生きるのさえ嫌になる
今日一日は本当に春らしい春を感じた
やはり災害から三年たちさらに時間がたってゆくと自然にもなごんでくる
自然もそんなに過酷だったらこれも生きるのも地獄になるだろう。
200年とか400年とかまたこんな災害があるとは思えないのである
ただこんな大災害は津波でも長い時間の中では必ず来るということを知ったのである

高齢者の一人暮らしが増える問題 (犯罪の増加や社会にも影響する)


高齢者の一人暮らしが増える問題

(犯罪の増加や社会にも影響する)

なぜ高齢者の一人暮らしが増えてくるのか?
それは家族の変化もある。
核家族化してかつての大家族は消失した
農業労働は核家族ではできない、大家族がいいという社会背景もあった
核家族は会社や工場で働かせるには都会へ労働者を集中させるのには向いていた
家族も社会の変化に対応してそうなったのである。


そういうふうに社会が変化すると家族も旧来のモラルも変化する
例えは姑嫁の問題も今は逆転している
嫁の方に気を使い姑は嫁と一緒に住みたくないまた住めないとなり
その人たちは一人暮らしになりやすい
力関係は逆転してしまった
そうなると姑は60代でまだ若く一人暮らしになる
そこで枯れるというのは少なくぎらきらした欲望があり問題を起こす
自分もそうした人に犯罪にあった。
自分も社会の変化の被害者でもあった。


一人暮らしになる要因が現代は増えている
まず熟年離婚も増えている
戦後は女性の権利意識が強くなっているから男性に一方的に従うことはない
子供がいる時は我慢していても子供が成長すれば離婚しやすくなる
経済的にも離婚しやすい条件が整ってくると余計にそうなる
嫌な夫と一緒にいたくないとなるともうとめられない
特に会話がないということも離婚の原因になるみたいだ
「何にも会話かない」そういう言う60代の女性が二人知って
一人は離婚して一人も離婚を考えている
それは確かに夫が悪くてそうなっているみたいだ


ともかく60代以上の夫婦でも一人暮らしになるリスクを相当にかかえている
一人は60代で妻をなくして一人暮らしになった。
それで家事ができなくてないていたという
糖尿病の体質だから食事に気をつけねばならない
その料理は一人で家でやるほかないから大変である
つまり夫婦でも一方が死ねば一人暮らしになる
子供と一緒に住む人は恵まれている
そして一人暮らしに耐える用意のできている人はまれである
突然一人暮らしに追い込まれるから辛いのである
妻をなくした人も突然に死んだからそうなったのである

その人は津波の被害にもあって一人だったから辛かった
その時近くに助ける女性がいてその人と友達になった

その女性はコミニケーション能力があり権利をどこまでも主張する
団塊世代の新しい女性のタイプなのだろうか
まず旧来の従順な女性のタイプではないから普通は嫌われるだろう
その女性は他の女性とはそもそも違っている
0型特有の個性的な女性なのだろうか
まず執拗に自分を主張してあきらめない
賃金未払いがありそれも権利としては正しいので執拗に請求する
あういうひとは確かに政治家や経営者や営業に向いている
執拗にあきらめず自分を正しいと思うことを追求する


その女性は中卒だから学問がなくてもいろいろな機関を利用する
人でも利用するのが上手なのである
要するにとんな人でも交渉力がある
あんな女性がいることも驚きだった
田舎では何かそんなに権利など主張しない
東北人は特にそういうことをしないと言われてきたからである。

ただ団塊の世代の男性と全く同じタイプであったのだろう
戦前にはあのようなタイプの人は庶民にはいなかった
女性の権利を主張していたのは学のある知的な選ばれた人だった
今は庶民でもそうして権利を執拗に主張する人がいるということである

もちろん人間にはいろんなタイプがいる。

でも大正生まれとか戦前生まれとか戦後生まれの団塊世代とかでは
それなりの性格が作られてきた
団塊の世代は戦前の滅私奉公とか国家に奉仕するとかのモラルがほとんどない
そういう教育は全く受けていないから国家意識は非常に希薄である
ただ民主主義であり男女平等とか様々な面で平等意識は異常に強いのである
そしてそれにともなって権利意識も強い、それは悪いことではないが
あまりにも権利を主張すると悪い面にもなる
そういう一面はその女性にもあった。


離婚がふえるというとき団塊の世代でも離婚が多いしその下の世代でも離婚が多い、
それは女性は忍従するものだというモラルが消失したからである。
男女平等であり嫌だとなれば忍従することはない離婚する
経済的にも自立しやすくなれば余計にそうなる。
今は離婚しない人接しない人は今はいない
その結果として一人暮らしも増えるのである
だから一人暮らしが社会的問題になる

まず高齢者の一人暮らしは様々な問題をかかえる
老人の一人暮らしはいろいろな面でいいものではない
精神的にも健康的にも良くない
だから男性の一人暮らしは寿命が縮まることでもわかる

これからの高齢者の一人暮らしは何からの共同性が必要になっている
なぜなら大家族で暮らすこともできない、一人暮らしになりやすい
するといろんな面で一人暮らしでも暮らしやすい社会がいいとなる
それはただ人間関係でも一緒にやれる人とやれない人がいる
あの人ととは絶対に嫌だともなる
だから制度的に整えても人間関係は簡単には作れないのである

ただ老人の一人暮らしは犯罪にあいやすかったり
家を留守にして水道管が破裂していたりとか何か問題が起きやすいのである
だから一人暮らし同士助け合うということが必要になる
そういうことは社会的な問題になもなっているし
政治の問題にもなるが互いの自助努力も必要になっている時代である。