2014年03月13日

なぜ復興がすすまないのか (原発警戒区域ではもう60パーセントも帰らないから町の崩壊)

 
なぜ復興がすすまないのか

(原発警戒区域ではもう60パーセントも帰らないから町の崩壊)

全体の復興のために心が一つになれない

今回の津波原発被害でなぜ復興がすすまないのか?
神戸と比べるとその復興度合いがあまりにも差がある。
その原因の一つが小さなコミニュティが分散していて破壊されたことなのだ
神戸は大都会だから狭い地域に人が密集したことで被害があったのだけど
復興する時はその狭い一区域を復興すれば良いから早く進んだ

ところが津波原発の被害は広範囲だからその狭い範囲で集中的に復興ができない
これだけ被害地域が広いと分散していると政府でも集中しててきない
そしてその狭い分散した地域でも現代のインフラを用意しないと住みたくないとなる
だから石巻で近くにスーパーがないから住みたくないというのは意外だった
石巻は大都会だから他にも大きなスーパーがあるからだ
でも年寄りにとっては近くにないと不便になるからだ
石巻でも高齢化社会の問題がでてきている
市役所ではそうした街作りで家を建てる計画しても住まないという人が増えている
そうなると家が建てても肝心の人が住まないのだから復興はありえないのである。


そして浪江町なども60パーセントが帰らないという、全国に避難者は散らばっていて
岡山県辺りにもいてその人たちが集まったが3年たってここは田舎的な風景もあっていいと帰らないという。
浪江町の役所の人が説得しても帰らないという。
こうなると町民がいなくなれば役所の公務員も職を失う危機になっている。
町村が崩壊してなくなるという危機にさらされているのだ。
ただコンパクトシティとして廃炉事業の宿泊所、支援所として小規模で町を残そうという計画をしている。
最低で5000人単位で残そうとしている。
それは将来に30年後でも浪江町に帰ってくる人がいるかもしれないということを予想しているからだという。

それはありうる。浪江町の人でなくても田舎に住みたいと言う人は今でもいるからである。
だから土地が少ない日本ではやはり住環境が改善されれば住む人はででくる。
ただ現代では5000人規模の町では医者もいないとか住みにくいだろう。
だから余計住みたくないという人が増えてくる

それから移住先がかえって住みよいということも現代ではありうる。
岡山県などもし大阪に近ければ交通の便はいいし海もあるし山もあるし
それなりに自然があるから東京とは違うから住みたいともなる
あの辺は歴史もあるから住みたいと自分も思った。
東京は住みたくないが関西は琵琶湖だって近くなるから自然と歴史があるから住みたいとなる

ただ南相馬市でも浪江町が無人の町になっては困る。
コンパクトシティでも廃炉事業の支援の町でも残ってほしいとなる。
なぜなら浪江町は高瀬川渓谷とかの山水画のような自然景観がいいところがあり
そこに行きたいとなるから小規模でもそこに町がないとあるのでは大違いになるのだ。それは飯館村でも同じである。
そこで飲み食いする場所も欲しいのである。
小規模でも町があればそうしたところにも行きやすくなるからだ。


いづれにしろ今回の災害の復興の進まない理由はなになかのかとなると見えてきたのは
それぞれの個々の家とか個人の事情とかそういうものをいちいち考慮していると復興はできない
街全体をコミニュティ全体を復興させるのだという強い意志がないと復興はできない、
いちいち個々の事情をとりあげてそれを考慮していたら全体を計画しても計画倒れになり復興はすすまない。
強制的にここに住んでくれとか配置しない限りできないという状態になっている。
でもそんなこと民主主義社会ではできないからもう町の復興できないとあきらめるようになる。

現代は江戸時代とは違う、どこにでも住める、補償金一億円もらったら他に住んだ方がいいともなるだろう。
無理して条件の悪いところに住む理由がないのである。
それでも人によって価値観が違うからどこまでも町を離れず住みたいという人はいる
それぞれの価値観に基づいて自由に住めるのが現代だからそうなる。
そのことがかえってもう帰らないという人が増えた原因なのである。


結局こういう大災害になった結果、何が起きたのか、建物も崩壊したがコミニュティも崩壊したのである。
コミニュティとは建物だけではない、その土地とか人間のつながりとか先祖代々の歴史的つながりとかいろいろある。
そういうものが破壊された。
だから全体を復興させようとしてもできない、それは全員の意志が一つにならねばできないからだ。
するとそこでは犠牲になる人もでてくる。嫌だけれど我慢することもできてくる。
そんな我慢するより暮らしいい方に移った方がいいとなった。
誰も好んで苦労する人はいないのである。
楽をしたいというのが人情なのである。それをとがめることはできない。


明治時代るち侍が職を失って北海道に伊達藩の亘理の人が北海道に移住したりしたのは
全員が一つとなって苦しくてもそこに住む場所を求めて住んで伊達市になった。
それは他に行く場所もないから荒地も目指して進んで行った。
その時はみんな心も一眼となっていたからできたことなのである。
今はどこにでも移れるし楽なところで住みたいとなりバラバラになってしまうのである。
もし補償金ももらえずもう町を離れられないとか強制されれば住む人もいるが
一億円もらえるなら他で住もうというのが人情でありそれは責められないのである。


だから今回は個々人が復興しようとしても全体で一つの意志にならないと復興できない、
でもそれがかえって神戸のような狭い地域に密集して住んでいたら集中できた。
それが分散してコミニュティが物心両面で破壊されたから復興がすすまない。
補償金はたくさんもらっても復興できないのは全体を回復して復興しようとするとき
そういう全体を復興させようとする心が一つになれないからいくら金を注ぎ込んでもできないのである。
それは金銭の問題より精神的な問題でありそういう一つになる意志がもてない
町でも全体を医者でも商店でも農業でも一つになり町があるんだという意識がもてない、
町民といっても市民といっても心が一つになれないから復興できないということもある。
それはいくら金を注ぎ込んで計画を立てて住んで復興してくださいといっても住民には
そういう全体を復興させるという意志がなかったらできない
その中で自分だけは犠牲になりたくない、嫌なことを引き受けたくないとなると復興はできない、
そんな所より楽な所に移った方がいいとなったのである。
楽なところ住むに条件のいいところへ移ってゆく。
だから仙台市周辺は人口が増大したことでもわかる。
東北では仙台が一番の都会だからそうなる。長町にも仮設住宅があった。

そもそも震災前でも不便な所には住みたくない便利な所に住みたいということがあった。
だからこの際便利なところに住みたいとなる。それで大内村でも帰らなくなった。
要するに震災前でもそうした問題がありそれが津波や原発事故で露になったのである。

金だけが頼りだというのも田舎でも同じであり金さえあればいいということは
補償金一億円もらえるなら他で暮らした方がいいとなる
もちろん老人などは金より故郷で暮らした思い出が価値があるというのがある
でも若い人はそうとはならない、むしろ便利な都会の方がいいと考える人が多かった
だから金によって前々からも田舎でも金さえあればどこに住んでもいいということが現実化したとなる
そのことが津波原発事故で現実の問題となり故郷に固執する人は少なく他に移る原因でもあった。
現代はだから故郷に執着する人は農業主体の社会じゃないからそもそもなっかたから
故郷でも離れることに固執しないということもあった
ただそうしたことも個々人の価値観の相違があり影響する

posted by 老鶯 at 19:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連