2014年03月09日

春の日(原町ー萱浜に行く)


春の日(原町ー萱浜に行く)

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ここまで津波が来たらしい、でもこのからまる藤の蔓は異様である
大蛇が絡まりついているようである
女性にはそういうものがある


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また一軒食堂に入る春の街


新田川水面の光り春の日や我がわたりて原町に来ぬ

春の日に萱浜の沖船のゆく津波の跡や年はめぐりぬ
林の陰池なお凍り高台に今年の寒さここに残りぬ


必ず新田川を渡ると原町である。だから自転車だと新田川を意識する。
川は一つの境として意識する。だから川はやはり徒歩だった昔は必ず意識する
車だと川も意識しないのである。
水面が春の光に反射する光景などでも見れない
そんなの見ていたらよそ見していたら事故になってしまう。
だから車の移動は距離の移動になってしまう
ただ運転しないで乗っていて外をみていると違う。
見ることに集中できるからである。

萱浜も見晴らしがよくなって沖に船の行くのが見えた。
景観的には前と違って海が広く意識するようになった
もともとあの萱浜には松があったが
あそこは何か陰気で嫌だったのである。
松原というものもなく何か陰気だった
あそこて首吊りがあり女高生が殺された。
そのすく一週間後に津波がきた、そして女高生の死体があがったのである

正直、原町の海岸の印象はいいものでなかった
海岸では右田の松原が一番良かったのである。

自然でも何か暗いものが感じるといやになるかもしれない
あそこは女高生の殺人があるまえからなんともいい感じのしないところだった
自然でもそういう場所があのかもしれない
人工化した自然の方が親しみやすいというところもある。
右田の松原はそういう場所だった

なぜか津波の前にあったことが気になるようになったのだ。

自分の一身上でもそうである
犯罪にあい半年以上呪いつづけたのである。
そしてあの津波が半年後に襲ってきたのである。
自分の家も一人が認知症になってからばらばらに暮らすようになった
そして火事場泥棒にもあった
何かそれが回りの状況ともにている不思議があるのだ。
自分の一身上の混乱が回りに波及したように感じたのである。
自分の一身上も地獄であり回りも地獄になってしまったのである。


それから津波の起こる前の夏は異常に暑かった。
あの暑さも何か津波と関係していたかもしれない
あんな暑さを経験したことがなかった
異様な暑さであり空も普通の空でなかった
異常な明るさがつづき曇ることもなかった
何かそうした天気とも津波は関係していたかもしれない
おそらく津波は天体とも関係して起こる
大地震も地球の変動も天体と関係している
ということは気象とも関係しているとなる


そして世の中の人間の社会の腐敗などとも関係していた
現代というのはただ欲望の無限大の拡大であり
ただ金、金、金に追われる生活がつづいてきた
それはどこの家族でも個人でも同じだったのである。
原発とはそうした人間の限りない欲望が作り出したものなのである。
そういうものに対して神が自然が怒ったとういこともありうるのだ

何か人間の社会もすでに腐敗して極限状態にあったということもある
腐敗はもう極限に達して是正できないところまできていた

だからこの巨大な災害は人間への文明への奢りに対する戒め、警告でもあった。
ただ科学的なものだけでは答えが出ない畏怖すべき災害だったのである。


原町てラーメンが300円で食べられ所があった。餃子も200円で食べられる
あれはやすいと思った。あそこははじめて入った。
そういうのがあるから原町は便利なのである。

帰りに川子の高台の池はまだ凍っていた。
今日は寒くはなかったが今年は寒かったからだ凍っていたのである

当たり前の幸せが失われた原発事故周辺 (春の日の石(詩)で過去を回想する)


当たり前の幸せが失われた原発事故周辺

(春の日の石(詩)で過去を回想する)

春の日の石


わずらいなく
いくつかの石
そこにありにし
争うこともなく
信頼しつつ
長き日を
千歳の日も
そこにありにし
何事のなけれど
そこにありにし
春の日のさしして
ぽかかと
石はゆったりとありぬ
今は村人は離ればなれ
散り散りとなりぬ
何事のなけれど
そこにありにし時の
その幸いの日々よ
春の日のさして
ぽかぽかと
自ずと満ち足りた石よ
幸いはそこにありしを
村人の畑を耕して
ぽっかりと春の雲浮きぬ
鶯はのどかにその美声を放ち
梅の香り流れ石はなごみぬ
旅人のその石に腰をおろし
また去りゆく山の道よ
蝶はここに生まれて舞いぬれ
嬉々としてまた花を求めて
いづこかへと舞い去りぬ

津波原発事故で変わったことは当たり前のことが幸せだったことである。
そういう当たり前のことは意識しにくい、それがあまりにも当たり前だったから
それが幸せだなとと意識した人はいない

でも実際にそれが津波や原発事故で破壊された時、それを意識するようになった。
家はなくなり家族はばらばらになり故郷すら失った。
こんなことがありうるのかという連続だった

だから自分も詩を作っていたけどその詩を作るイメージするのは実際にあった
ふれたものからイメージして作っている。
それは故郷の自然であり生活があって作られていたのである。

だから平和な時はそれはただ当たり前のものとしてあり意識していない

今になるとあそこはもうなかなか行けないとかなっているのが理不尽なのである
この石があったのは原町からトンネル、原浪トンネルという新しくできた
トンネルを通って出たところに家がありその前に川がありそこにいくつかの石があり
そこでいつでも休んでいたのである。
そこに前には茶屋があってモチなどを売っていた。
それはなくなった。
あそこは浪江の領域でありそれで原町浪江で原浪トンネルとなっていた。
浪江だと警戒区域になっているから入れないのも理不尽なのである
春になるとまた自転車で行きたくなるのである


ともかく津波原発事故から3年目でもこの辺で経験していることは常にありえないことだったのである。
もちろん津波で家を失い家族を失った人は自分以上にありえないことを経験している。
仮設に住んでいる人もそうである。
そういう人の心境はなかなか計りにくいのである。
だから外からあれこれ言われると反発することもあるだろう。

ともかく本当に当たり前のことが幸せだったとは思いもよらなかったのがこの辺でみんなが意識されたことである。

もちろん事故前でも人間はいろいろもめているし事件もあったし酷いことも常に起きている
それは事故前に自分がどれほど酷い目にあったかを書いた
たたその前の30年間は自分にとっても回りも何の問題もなかったのである
自分の場合は姉が認知症になってからすべてが崩れてしまった。
その間の30年間は何ら問題なく楽な平和な日々だった
その30年間は近くでも遠くでも自由に旅していた幸せかあった
それが全くなくなった。

ここ7年間は介護であり自由に出歩けないからなんか今は温泉てにでも入って
食事の用意をされて楽したいなと思う
毎日食事の用意しているとその事から一時でも解放されたいと思う
それが7年間できなかったのである。


ともかく自分の詩のテーマは石があった。だから石に対する思いがあり
原浪トンネルを通ったところに石がいくつかあり休んでいたなと思い出したのである。
そういうことは故郷から離れた人も別に詩にしなくても思い出しているだろう
あそこでどうしたとか畑を耕していた田植えをしていたとか何をしていたとか
農家の人でも他の人でも思い出しているだろう。
実はそういう思い出も貴重なものとなっているのだ。

思い出は明らかにその生活した場と密接に結びついている
その場から思い出しているのだ。
だからその生活した場から切り離されると思い出せなくなる
歴史でも近くの古い碑などを紹介したか
密接にその場と一体となり記憶される
だから場から離れると思い出せなくなる

確かに世は変わっても自然そのものは変わらない
たた津波では松原は消失したのだから変わった
それは元の自然にもどったということでもあった

ともかく浪江の高瀬川渓谷などは景勝の地でありその麓の大堀は相馬焼の窯場だった
あそこは場所がいい、窯元は何か場所がいいところにあると窯元らしくなる
高瀬川の清流の岸辺であり気持いい場所だった
そういう所から離れて住めないということか大堀の人も残念に思っているだろう。
あの辺は線量が高いだろう。


ただ放射能汚染でも自然そのものが失ったわけではない、自然の美しさは今でも変わりないのである。
高瀬川でもそうである。それが放射能の不思議だったのである。
水は澄んでいるし緑も同じだしどこが変わったのかという不思議がある
それでも放射性物質は雪ふってわかったように空気中にただよっている
それを毎日吸っているから何らか影響がある
たたそれを直接的には感じないのである

昨日は寒かったが今日は春らしい日である
それでこんな詩が生まれたのである

posted by 老鶯 at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連