2014年03月08日

原発避難者は3年目でどうするのか (仮設はすべて仮にすぎないから終わるべき)


原発避難者は3年目でどうするのか

(仮設はすべて仮にすぎないから終わるべき)


NHKで原発事故で13万人が避難しているという,その中に自主避難も5万人いるという。
でもなんかNHKでは本音のところは放送しない、
都路村の孫も何人かいる大家族がいたけどそういうふうに家族が多いと子供でも一人
10万の補償がでる。だから家族が多いと一カ月百万とかりてってしまう。
小高区の家族にはそういう人がいた。毎日マグロのサシミだよ言っていた。
田舎では都路村でも飯館村でもまだまだ大家族がいる。
農家にはまだ多いのである。

まず都路村でシイタケなど栽培してもそれほど金にはならない。
そして放射能汚染の風評被害でそもそも売れなくなっている。
そうしたら帰ってどうして生活するのだとなる。
補償金の額が大きいから帰りたくなくなった人がかなりいるのだ。
こんなにもらえるなら川内村でも郡山市の方がいいとなって帰らないのである。

もしそんなに補償金もらえないならもう放射能など気にしないで生活した方がいいとなるだから
何かタマネギを無料で配布したとき、我先に困窮しているようにもらってゆく
着るものまだ支援されている。
そんなのはたりている。何か私たちはんなに困窮していますよというのを社会に見せつけるためにNHKが放送しているのだ。
もちろんそうるなと住民もどういう放送するのか気になるから取材を許すことになる

デアはだから真実は伝えない、NHKは特にこの人たちはかわいそうな人たちですよということが
テーマになり視聴率をかせぐのが手法である。
それで耳が聞こえない佐村河内守氏にだまされたのかなんなのかわからないが
NHKにとっては格好の視聴率をとれるものだったのである。

なぜこういうことを言うかというとそんなことをあえてそんなこきとを言う必要がないというかもしれないが
何か誤解されて全国民に知らされることが危険なのである。

こんなことを報道していたらいつまでも補償が必要であり国はそうするべきだということを暗黙の内に奨励することになる。
確かに補償金を打ち切られたらこれからの生活は厳しくなる。
でも一方でだらだらと補償金頼りの仮設の生活も許されるものではない

仮設の奇妙なのはすべてが仮りなのである。仮の宿であり仮の生活でありすべてに
仮りがつき人間そのものが仮りの人じゃないかとさえ思った。
なぜなら東京の方で競馬だ風俗だと遊んでいる人がいてその人の仮設の生活は
まさに仮設で暮らすような生活が良かったのである。
不思議なのはその人生が仮りの人生だったのかともなる

そういうすべてが仮りになってしまうとき地元の人と何か復興に向けて働くということもない、
地元の人と交流できない、なぜならすべてが仮になっていて仮では根を下ろすことはできない。
それは強いられたから仕方がないという面があっても3年たっていつまでも仮では回りも困ってしまうだろう。

別にイワキであれ他に移って看護師であれ介護士であれスーパーのレジであれ何であれ
その地元で働いて貢献していれば地元の人たちに批判はされない
あの人たちは働いてくれるのだなとなる。実際に一部の人は働いている。
でも大方は補償金で働いていないから批判されるのである。

そして補償金でも手厚い、新しく土地の購入にかかる金を補償金として支払うとかもあった。
イワキなどの地価は三倍くらいするからそれだけ費用がかさむ。
でもその地元の人たちにとってはそういう土地を買えない家も建てられない人も相当いる。
それなのに原発避難者は家まで建てられるとうらやましがられる。

要するに人間は別に金持ちでもいい、それは回りが容認する金持ちだったら誰も批判はしない。
その土地に貢献した人であり社会に貢献しているから言わないのである。
おそらく江戸時代の庄屋などは役所みたいなもので豊かでも飢饉のときは食料をめぐんでくれるとかのために
金持ちであることを回りで守ってくれたというのもあるとか
すべての金持ちが昔から否定はされていないのである。

原発成り金はそういうものと違うからいろいろと批判される。
なんであの人たちがあんなに何でも地元の人より優遇されるのだろうとなる。

現実に事業するにも南相馬市の鹿島区だけは支援がないのである。
30キロの外ということで除外されているのも南相馬市なのに解せない人はかなりいる。
そうなると小高区の人とまた軋轢をうむ。

いづれにしろ仮設にいる限り復興はない、それはいつまでたっても仮りのものでしかないからである。
だから人まであなたは仮りの人間ですかとまでなる。
根を下ろした実体ある人ではないとまでなる。
そういう人が社会のアウトサイダーとして少数者としてわずかにいるのは
別にかまわないただこんなに大勢の人が仮りの人になっていることは社会的に異常になってしまう。
だから仮設から早くでて仮の生活ではない本当の生活に移る時期なのである。
仮設からみんなが出たとき復興への次の大きな段階に入ってゆくことは確かである。
そういう時期になっているということである。

結局明治時代でも亘理の伊達氏の氏族が新天地の北海道に移住したのは苦しかったが成功だった。
そこは伊達市になっている。それから奈良の十津川部落も水害で一村がみんなで北海道に移住した。
そこではそこに住んでいる人たちとそれほど軋轢がなくてすんだ
もちろんアイヌが先住民としていたが同調していった。
今回はそういうわけにはいかない、補償金をもらったとしても地元の人から受け入れられない事情が生まれた
だから金だけもらっても何でも解決するというものでもない
それは今の社会は金で何でも解決するようでもやはりしない
飯館村の農家の人が食料は自給していた。
それで補償金生活になったら買いだめするとか金だけの生活に不安になっているという。
飯館辺りでも食料はなんとか自給するということがあったかもしれない
でも補償金は金だけの生活となると考え方まで変わってしまう。

ともかくイワキでも双葉や大熊の町を作ろうとしてもそこに地元の人と軋轢が生まれる。
二本松でも浪江町を作ろうとしてもそうである。
そこは北海道とは違う、すでにその土地の作られた生活がありそこに金だけをもってきて入ってくるのは暴力的にもなる。
だから金だけでは人間の生活はすべてを解決できないことを知ったのである。

posted by 老鶯 at 22:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

北海老の残る雪の情緒 (人間は一番身近なものの良さを知らない)


北海老の残る雪の情緒

(人間は一番身近なものの良さを知らない)


北海老の溜池広く冬芒

北海老の畑に小屋や残る雪


北海老の残れる雪の清らかに杉木立の陰畑ありしも

山陰の北海老村に誰がよるや喫茶店あり春寒しかな
山陰の北海老村の喫茶店前は納屋なり残る雪かな


人間は近くを見ていない、隣の芝生はいいとか常に外がいいと見ている。そして観光地はつまらないという感想をいだく、
京都に行ってもつまらないとかなる。それはなぜか?
結局見る目がないからである。その一言につきる。
南相馬市だって鹿島区だって何が見る所あるんだ、こんな所に住んで何がいいんだとなる。
もう原発事故とかでさらに住む価値がなかった。もともとここには何もなかったからこの際都会に移った方がいいとかなる。
自分も若い時はそうだった。故郷を出たい一心で東京の大学に入った。
勉強したいとかではない、故郷を出たかったのである。故郷に何ら魅力を感じなかった。
それは後年もずっとつづいていて旅行ばかりしていたとなる。

しかし人間は本当に「灯台下暗し」だということがわかる。一番身近な所がわかっていないのだ。
一番近くの魅力がわからずに遠くへ遠くへ行く、でもそこもつまらないとなる。
そもそも近くの魅力がわからなければ遠くの魅力もわからないのである。
それで意外と自分の住んで場所の良さがわからず良さを知るのは外部の人だとなる。
日本の料理の良さを一番知ったのは外国だというのもそうである。
そんなもの日頃食べているから日本では特別いいとは思わないのである。
でもたいがい外国の料理は肉食であり牛肉とか豚肉とかチキンが主である。
日本は魚や野菜が多いし何か健康食なのである。だから長寿の国にもなっているのだろう。

最近外国をまねて食生活を変えたら欧米人がなる病気も日本人に増えたことでもわかる
日本の風土はもともと『魏志倭人伝』に「この国に牛馬、虎豹、羊鵲なし」であり魚介類中心の食生活だったのである。
そういう風土によって日本人は歴史的に作られてきたのである。
日本では水はそのまま山の清水でものめる。外国で自然のままの水を飲める国はほとんどないことも恵まれていたのである。
だから外国から日本に来ていいなと思う人はかなりいる。
水道の水を飲めて水を買わなくていいというのも大きな利点なのである
水代だけでも馬鹿にならないからである。

ともかくすぐ近くの北海老と北屋形のことを見逃していたことでもわかる。
そこはすぐ街の近くであった。海老だったら海や松原はいつも行っていた。
八沢浦でもいつもあそこは浦だったんだなと意識していた。
だからあそこが浦になっていたらどれだけ美しいだったろうといつも自分はイメージしていたのである。
それが津波で現実化したときほど驚いたことはない。
そこで泥に埋もれて子供が死んだのを発見したとか言うのに
お前は何が美しい八沢浦がもどったなどと言っているのだと批判された。
それもそうであった。でも人間は近くでも津波の被害にあい家を失い家族を失った人がいても
自分が被害がなければその苦しみはわからない。
津波の被害地域が全部家をなくしたわけでも家族をなくしたわけでもなない。

だから本当の苦しみはそういう被害にあった人たちでありその苦しみはその人たちが負っているのである。
それを外からいろいろ同情の言葉をかけても言葉だけじゃないかとなる
何か偽善的になってしまうのである。
「俺たちの本当の苦しみがわかるのか、言葉だけの同情はいらない」とかなるだろう。

しかし自分はここ7年間の家族の病気介護、自分の病気の苦しみを書いてきた。
その時誰もにも同情されていない、むしろ自分が差別とか自分が病気の時すら借金とかを要求され脅迫された。
何の同情もない、かえって弱みにつけこまれ犯罪にあった。
それが弱肉強食の世の中をまざまざと見たし身にその苦しみを負った。
だから今回の津波や原発事故ではみんな同情され現実に過剰な支援すらされているから
悲惨であってもいい面はあった。
もちろん被害にあった人は原発の避難者でも故郷を失う家を失う悲しみは苦しみは金では代えられないというのも本当である。
ただ回りから同情されて支援されていることは確かなのである。

自分の場合は全く支援もなにもない、病院でも脅迫されたり看護師にはいじめられたりとさんざんな目にあっただけである。
結局他の人でも人の苦しみは実際はその人だけが負っているのであり他人にはわからないのである。
だからその人が自分の苦しみを訴えればそれは訴えるものがある。
他から同情するときどうしても偽善的になるのである。


とにかく北海老についても南海老はいつも行っていたけど北海老は注目していなかった。
北屋形もそうだった。そして南屋形と北海老は表と裏のように違っていたのである。
それを意識されたのはニコニコ堂という喫茶店が北海老にできて訪れたことにあった。
まず場所がわかりにくかった。他の人も案内もないのでわかりにくかったと言っていた。
あそこは立地的に海も見えないからいいとは思わなかった。
でもあそこにあそこの場所の良さがあることに気づいた。
それは今まで解説したように裏に八沢浦があったことである。
八沢浦は江戸時代まで海の暮らしが現実にあった。海老村にもあった。
それが津波で海になり現実的になったのである。

 

nokoruyukiii11.jpg

ninikoyuki.jpg

tameikefuji.jpg

クリック拡大すると鮮明に見えます

こんなふうに雪が残っているのは今回の雪は大雪であり雪の性質も違っていた。
この辺ではすぐ消えているからだ。