2014年03月01日

不便な所から離れてゆく現代の生活 (田舎でも都会と小さな町と村ではまるで違ったものとなるー医療が一番の問題)

 

不便な所から離れてゆく現代の生活

(田舎でも都会と小さな町と村ではまるで違ったものとなるー医療が一番の問題)

●田舎の田舎で困るのは病気の時


現代社会の生活そのものが原発事故などで問われた。
過疎化とか限界集落とかがいつも問題になっていた
それは現代生活が便利になっているから
便利な都会から離れた所は不便であり住みたくないとなった
それで大内村の人が補償金がもらえると郡山市に移り住むと
大内村には帰りたくないとなってしまった

この気持は自分でもわかる。

例えば南相馬市といっても最近小高町と原町市と鹿島区が合併してできた
原町市は5万くらいあって都会だったのである。
5万が都会なのと10万とか30万とか50万とか百万都市に住んでいる人からみたら
そこも田舎だよとなるが住んでみれば全然違う。
原町区と鹿島区がどれだけ違っているのか?
それは病気のときわかる。

また母が小便が出ないと夜に厚生病院に行った
そこは近くタクシーだと600円である。

でも前は歩けないから介護タクシーで行くほかないとなっていた
でもこの介護タクシーは鹿島区にはない
だから原町区とか相馬市から呼ぶことになる
すると一万くらいかかるというからがっかりした
それも理由ははっきりしている
普通のタクシーでも原町に行くと4000円くらい片道でとられるのだから
呼べば当然それだけの金がかかることは普通なのである
タクシーはそもそも長距離になると馬鹿高くなるのだ


そしてここで泌尿器科がないので原町の専門の開業医でみてくださいと言われた
その医者は原発事故以後支援のために入った医者だった
その他に何人か入っているが看護師の支援はないてので看護師不足である
ここでは開業医でも二軒しかないからたりない
原町と相馬市は開業医が多いから病気の時は恵まれている
車があれば楽なのだが車がないとまた通うことも大変になる
田舎では車がないと暮らせないというのは
病気になったらこういうふうに遠くに行かざるをえなくなるからだ


●田舎は広く車がないと不便で危険にもなる


例えば買い物でも海老村から街の方を見たらかなたに見えた。
そこから自転車で行くとしたらかなりの距離になると思った。
街から少し離れているからさらに遠いのである
その離れた距離感が街内に住んでいるとわからないのである
田舎に住んでこの病院や医者の問題が一番困る
健康であればいいが病気になったらへたするとみてもらえず死ぬ
そういう恐怖を何回か自分自身が味わったのである


だからなぜ大内村の人が帰りたくないとなるかというと
まさに高齢者が多いから病気のことで通うに楽だし
先進的な医療も受けられるから郡山市の方がいいとなった
つまり大内村と郡山市の差はあまりにも現代では大いすぎたのである
高齢社会になるとどうしても医療や介護の充実した所に住みたいとなるのがわかる

それがやはり5万の都市や10万の都市や20万の都市では格差が生れる
何かむずかしい病気になったらもお手上げになるのが過疎地域である

その過疎地域というとき南相馬市は市だから都会だと思っているが
その範囲は広いのである。

鹿島区は原町とか相馬市とすると急に田舎の村とすら感じる
その一番の要因が開業医や病院の差だったのである
もちろんその他レストランでもいろいろあり便利なものがある
それらはいいとしても病気だけはどうにもならないから困るのである


●田舎の人間関係は狭く陰湿でも抜け出せない


原町が都会だという時やはりおそらく人間も街内に住んでいれば
都会的になりあまり他人を詮索するようなことはないかもしれない
人の出入りが多いとやはり都会化して他人に無関心になる
それはいい面と悪い面がある

隣の人の関係は良くなくても水道管が破裂して水が流れだしていた時
水道の元栓を閉じてくれたのは助かった。
田舎ではいつも見ないようで見ている人がいるからだ
隣にも迷惑かかるときがあるからそういう面ではいい


でも街内といっても一万くらいの街内とまた少し離れたところは農家が多く
その人はそういう中で暮らしているので親戚も多く見張られていて
年取った女性でも中には入れないという
その人も75才だから相当な年である
それでも見張られていることでだめだとなっている
それだけ回りがうるさすぎるのである
監視カメラが田舎では人間になっているのだ
逐一人間が監視していて報告されるのである


田舎は物凄く陰湿です。

住民間の陰口は頻繁にありますし、親戚が何らかの問題を起こそうものなら、白い目で見られた上に徹底的に誹謗中傷されます。ですので、足を引っ張られないように、身内の恥をとかく隠そうとし、それが田舎の隠蔽体質へと繋がっていくのです。
更に。金持ちなどは、事件の揉み消しや隠蔽を平気でやります。最悪の場合、被害者が悪かったかのような中傷まで流れ、被害者側が住んでいられなくなって土地を出て行くなどという信じられない蛮行が起きたりもします。
こういう田舎では殺人事件だって起きますよ。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q111198476


くだらない噂好きな老人も多いです。毎日暇なのでしょう。私の母親が親戚のおじちゃんと一緒に車に乗ってるだけで不倫の噂が。親戚ですよ?親戚。呆れて怒る気にもなりませんでした。
http://loco.yahoo.co.jp/qa/11110744421/


山口県周南市金峰地区郷集落で起きた連続放火・殺人事件があったがこれは地理的には相当に辺鄙な所だった。
まるで閉塞された山間の少人数の高齢者が多い村だったのである。
こういう場所は地理的にもそうだが狭い人間関係から逃れられない
すると出れないとなると相手を殺すまでなる
そういう怖さを田舎は秘めているのだ。


最近つきあった人はまるで絶えず周りの人に追い回されて窮地にたたされている。
なにかやと噂をたてられ逃げ場がない状態になっていた。
でもここから出て行くことができないから狭い場所で耐えているかほないあわれさである
自分の場合は田舎でも田舎の人間とかかわっていない
ただ家族が一人死に一人は介護になり全部家のことを一人でとりしきるようになって
外部と接触せざるをえなくなり犯罪にもあうしまたそうした田舎の人間関係の窮屈さを知ったのである。


ただこの辺は津波原発事故であらゆるものが急変してしまった。
だから外部からも人が相当数入り田舎の閉塞的な人間関係でないものも生れた
村自体がなくなるような激しい変化で今までの村だけの人間関係も破壊されたのである
そういう大きな変化の中で人間関係も変わった
村のコミニュティすら破壊されてしまったのである
だからこういうときは新しいものが生れやすい
古いものが全部失ってしまったらなくなってしまったら
そこには新しいもの作るほかないからである
ただその変化があまりにも大きすぎて以前としてとまどっているだけなのである

 
 

津波から三年たつ海老村の状況の写真 (旅館が一軒と喫茶店が一軒新しく建った)


津波から三年たつ海老村の状況の写真

(旅館が一軒と喫茶店が一軒新しく建った)

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この字がよめなくなっている

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この旅館の庭は石の庭である
まだ完成していないのだろう



何もなき海老の村かな庭の石点々と残り春の日曇る

碑の一つ字もわからずに津波跡残りてあわれ春の夕暮

春の海曇りて一艘貨物船沖ゆく見ゆる海老の浜かな

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宮城県の人などもきていた

テレビの宣伝でくるものなのだろうか

鹿島区の仮設食堂の双葉はテレビで宣伝したから入るのだという

テレビの宣伝がそんなに効果あるものなのかわからない




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納屋を改造したものだがしゃれた作りになっている

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ニコニコ堂への道はわかりにくい
案内もない
阿弥陀寺と八沢小学校の中間の道である
その道をまっすぐ言くと
マッサージ浅野という看板がありそこを曲がるとある



海老村に南海老と北海老があったが北海老村はほとんど墓地を残して壊滅した。
そこに「富士旅館」というのが建った
あれは津波からも残ったのかと思っていた。
残った家を改造して旅館にしたのだろう。
それはその家の人ではなく外部の人が買い取り旅館にした。
今営業しているかどうかわからない
その前はほとんど全部の家が津波で流された
だから海まで見える見晴らしのいい場所になった

あそこに残った庭の石が散らばり積み重ねられている
あの石にも所有者がいて勝手にはできないという
ただあの場所にはもう住む人がいないのだから
まだ早いかもしれないが公園のような場所にするほかないだろう
だからそこに残った石を活かすかとも考えねばならない
新しく家を建てた人は自分の石をまた庭にもってゆく
残った石は使用しない石は津波の跡のモニュメントのようにする
石を買い取るほかないとなるとまた問題だかこれはあくまでも一つの構想である

いづれれにしろ景観まるで変わったから
あそこの富士旅館は見晴らしは抜群である
そういうことで泊まる人がでてくるかもしれない
津波のことはそこで必ず語られる


石碑が倒れてあった。あれは金砂神社のものなのか?
字すら津波の力でそがれてわからなくなっているようだ
津波で流された石碑はどうなったのだろうか?
それも文化財の消失だった
村ごと消えるなど想像もできなかった


そこからテレビで写された海老の新しい喫茶店を探したがわかりにくかった。
あの辺は屋形村であり海老村とは思えない
まるで隠されるようにあった
入り口に看板もないのでわかりにくかった
六号線のダイユーエイトを海の方に行きそこで曲がり
阿弥陀寺の方に行きそこから八沢小学校の手前の道を入りマーサージ浅野という
看板の所を入って行った場所で本当にわかりにくい
もともと納屋だったのを改造した
中は結構しゃれた造りになっている
人数にしても15人くらい入れるから狭いとも言えない


ただここの弱点は海老村とあっても海は全く見えない
山陰になっていて見晴らしが悪い
見えるのは前の畑と庭である
ここで花などは見れるようになる
喫茶店とかレストランでも立地が作用する
見晴らしがいいと食べるのも休むのもいい
津波の跡でまだ観光気分にはなれないが
海が見えたらやはり気持がいいだろう
海を船がゆっくりと行き来して
カモメが飛んでいるのを見ていると海らしいとなる
あそこはそうした海が全く見えないから喫茶店としては
かなり立地条件では落ちる


海老や屋形村の方から右田の方を見ると低くなっている。
海老村に向かって田んぼは低いにしても段々畑のように高くなっている。
右田村や烏崎は高低ではかなり低い場所であり
それが津波で判明した
この辺で海側で一つ所はみんな湿地帯か海の延長部分だったのである
八沢浦はまさに奥まで入江になっていたことでわかる


ともかく津波から三年たつがその間にまた変化があった
海老村は二軒新しい商売の店や旅館ができた
観光気分ではないにしろ津波の跡地利用どうするかが今後問題になる
津波の跡で観光気分かここで人が死んだんだぞ
そこで笑って観光かともまた遺族からしかられるかもしれない
でもいづれは何らか記念的なものモニュメント化するだろう

三年目はそうした津波の悲しい記憶ばかりを語ることはできなくなるだろう
その跡地をどうするかということが実際問題として考えねばならなくなる

だから庭の石を活かすモニュメント公園もいいじゃしいかという一つの提案である
その庭の石に腰をおろして海を見るということはやはり津波をふりかえることでもある
その石は津波に流されたり残ったりしたものだからである。


海老村に自転車で街に来るニートをよくみかけた。
その人が住んでいる家がわかった。
あそこから見るとスーパーのある街はかなたに見えた。
かなり遠く見えた
だから買い物するだけでかなりの労力である
その人は車がないからそうなる
近くに店屋もない
前は万屋(よろずや)などがあったがそんな店も今はない

だから田舎だと街から離れていかに不便になるかである
タクシーにしても1500円とかかかることになる
だから田舎は広いから車がないと住めない
でも街内だとなんとか住める

つまり田舎は街もあり街から少し離れても農家になり
さらに離れて村があり漁村がありと複雑なのである。
生活も土地土地で多様なものとなっていた
だから田舎のことは都会の人にはわかりにくい
まず誰か詳しい案内人がいないと知っていないと住めないだろう
人間関係も狭いから都会とはあまりにも違いすぎるのだ


こうした土地の距離感とか土地の高低はまず地図など見てもわからない
実感としてわかるためにはその土地を現実に踏まない限りわからない
そこに何か田舎に対しての誤ったイメージを描くのである
ともかく津波原発事故から三年は大きな区切りの年だろう
いつまでもかわいそうな人たちだとかそんなことばかりで
外部の人にあまえてはいられなくなるだろう。
だからいつまでも津波の跡を放置してゆくことはよくない
津波のことは忘れないにしても何らかの対策することが必要である

 
 
posted by 老鶯 at 16:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係