2014年03月20日

何を復興させるのか? (少子高齢化高齢化などで第一次産業は復興できない)


何を復興させるのか?

(少子高齢化などで第一次産業は復興できない)

現代農業は老人でも可能なので、三ちゃん農業へ移行した⇒老人が多い
林業は輸入品が単価を押し下げたので産業自体が壊滅した⇒老人が多い
漁業は「3k+危険」なのでなり手が少ない⇒老人が多い
農林水産業は地方中心⇒過疎化で若者が少ない⇒老人が多い
日本は高学歴化したので第一次産業のなり手がいない⇒老人が多い


日本は一次産業じゃ食っていけないからな
農業・漁業・畜産業・林業
どれも貧乏老人ばかり
 どれも費用ばかり掛かって実際年収だとクソ

漁師って海に良い事を、何一つやっていないよな。
 俺の海だとかわめいていながら
遭難すれば、全部国が丸抱えだろ、しかも。


 福島の汚染水が、あれだけ増えたのも、
 地下水バイパスに漁師が反対したからだ。
そのうちデカイ余震が来て、汚染水タンクは全壊し、海に流出だ。



今回の津波原発事故で復興がすすまないというときその原因は何かと問われた。
極端なのはジジババしか住んでいない三陸沿岸に金を注ぎ込むのは無駄だと
官僚が言ったことでもわかる。

もともと跡継ぎもいない老人だけでやっていた地帯が多い。

南相馬市原町区の大原でも病院で同室だった農家の人も跡継ぎがいないと嘆いていた。
息子は市街に住んで一緒に住んでいなかった。
大原には三軒くらい廃屋があり放射能汚染で避難区域に半分くらい指定された。
それで仮設に住んでいる人がいる。
だから放射能汚染で農地でも賠償金もらった方がいいともなっていた。


漁業についてはわからなかったがこれもそもそも原発の補償金がなくては成り立たなくなっていた。
地元でもそういうことがわからないから苦労して魚をとって売っているのだと思っていた。
実際は漁業権を原発に売り原発成り金になっていた人がかなりいたのである。
つまり第一次産業主体の地方はそのしめる割合は全生産の一割にも満たない
この辺では三割は火力や原発の発電関係でしめられていた。
三分の一は東電の社員化していたのである。
だから浪江町では廃炉のための作業員が宿泊できる、受け入れる5000人くらいの規模の
コンパクトシティにしようという計画がある。
まさにそれは具体的に東電の社員化であり東電に所属して食べてゆく計画なのである。


なぜ復興がすすまないのかというとき、そもそも津波原発事故前でもこういう衰退した状態であり
それはもう復興できない状態にあった。跡継ぎもいない、老人だけであとはどうしたらいいのという状態であった。
そこに津波原発事故になったのだから致命的になったのである。

復興がすすまないというときそうした第一次産業の復興が進まないとなるが
それは津波原発事故前から老人だけの未来のない産業になっていたのである。
だから第一次産業の復興というのは何なのだろうとなる。
そんなところにジジババだけが住む所に金をかけても未来はない、金を浪費するだけだとなる


これが戦前だとかなると違っていた。農業主体であり第一次産業主体だから今とは考え方が違っていた。
相馬藩で400年前の慶長津波で700人が溺死したし今の宮城県の伊達藩でも今回と同じような大被害があった。
でも相馬藩ではその津波の被害地域に侍が開拓に入ったのである。
例え津波の被害地域でも米がとれるからあえて移住した。
稲作には土地が必要であり土地が不足するから海岸の湿地帯を埋め立てて開拓してきたのが日本である。
そういう時代は津波の被害にあったからと広大な土地をほうっておく荒地にしておくことはできない、
津波の後でも塩害があっても米はとれたというから別に田んぼにまたなるのである。
ただ米あまりであり他に産業があるからやらなくてもいい、どうせジジババ農業だとなっていたから余計にそうなった。


ただ故郷から田んぼとか畑のない世界は想像すらできなかった。
水というのは山から流れてきて平地を潤して田んぼに流れて米ができる。
田んぼがあって水が山から平地へと循環して生きていたのである。
だから春には山から神となった先祖が平地におりてくるというのは
田んぼを活かす水が山から流れてくるからである。
それがなくなったときどうなるのか?
そういう風景は千年以上もつづいていたのである。
それがなくなることが想像もできないことだった。


ただ現代は別に都会化して都会に膨大な人口が集中しいてるから都会ではそんなことを見ていない、
米を食べていても米がどうして作られるのかさえ見ていない人もいる。
野菜にしても果物でも同じである。それが普通の景色ともなっているのが現代である。

だから不思議なのは神戸という大都会で地震災害があってもそこは田舎とは違う、
第一次産業は関係ないからそういうことは考える必要はなかった。
ただ靴工場があって火事で焼失したとかが問題になった。
神戸の地震災害と今回の津波原発災害は根本的に違っていたのである。
神戸は苦しかったが復興も早かったのである。

今回の津波原発事故の災害の復興が進まないのは広範囲に第一次産業が壊滅状態に陥ったことにあったのである。
それはもともと老人が担い手であり衰退していた。

この辺では原発事故も重なり一体どう復興するのだろうとなる。
いろいろ模索はしている、クリーンエネルギーで再生するとかいろいろ計画はある
それにしてもこれだけ破壊されると田んぼも畑もない荒地の前にたつと
一体ここはどうするべきなのかとまどってしまうだろう。
何もないとなるとそこに新しいものは建てやすい、でもその新しいものは何なのだろうとなる


製造業と商業とかもそれも積み重ねが必要であり簡単にできるものではない
第一次産業は衰退していても千年とかの歴史があってできていたからまた復興しようとする、
でもその農業すら今までとは違う新しいものを模索するようになる。
要するに新しいものが作りやすいといってもそれが簡単には作れないということである。
それも結局外部の力に頼るとかなってしまうだろう。
とても地元でそれだけの発想と構想をして具体化することはできない
実際は東電に頼って生活していたような地帯だからそうなる


それで南相馬市長選挙で敗北した渡辺氏の構想がシルバータウン構想とかになってしまったのである。
老人が多くなって若者が流出している所に老人を呼んで老人の街にしたらどうなるのか?
それはやがて死んだ街になってしまうのではないか?


結局復興がすすまないというとき、神戸だったら苦しくても元の状態にもどせばいいのであった。
ところが津波原発事故は元の状態にもどせない、第一次産業主体の社会だったら元の状態にもどせばよかった。
それは江戸時代でも戦前でも同じだった。
しかし現代では老人だけの跡継ぎもいない第一次産業に戻してもあとでまた衰退するだけだとなってしまう。
だからいくら金をかけてもそこに未来がないということで無駄だというのも本音を言えばそうなる。

 


「農業も漁業も金にならない、俺は跡継ぎたくない」
「もう 俺の代で終わりか、まあ、補助金は国から出るから形だけでもつづけなきゃなんねえべえ、それはわかるな」
「んだな、田んぼは請け負わせて俺はやらねえ、それで金にはなる、農業は手間のわりには金になんねえからやらねえ」

そんなところに津波原発事故が襲った
「もう農業は終わりだ、もともと跡継がないつもりだった
この際、原発賠償金をもらってやめたらいいよ」
「まあ、漁業でも原発では東電からはあんなに金をもらっていたんだな
あそこはこれからも賠償金がさらに加えられるからいい」
「農家はずっとは補償されないからやめるほかないよ」
「でもここで何してくらしてゆくんだ」
「んだな、何も目立った産業もなくなったしな、東電で働いていた人もこの辺には結構いたけどな」
「農家は土地を手放すことは最後の最後だった、だから形だけでも田んぼにしていれば良かったんだよ」
「跡継ぎしないとしても誰かに土地を貸して作らせれば良かったからやっぱり損だった」
「もう、俺らの代は終わった、あとのことはもうわかんねえ」
「こっちも何をしていいのか、わかんねえ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これほど破壊されると未来を描くことは本当にむずかしい
戦後の焼け野原とはまた違った状態にある
少子高齢化であり高度成長の余地はない
老人が都会でも増え空家が増え高度成長から衰退へ向かう国で起こった災害だった
第一次産業主体の社会でないからそれを復興させるとしてもそれで復興にはならない
だから何を復興させるのか?
未来のために何を復興させて何を新しくしてゆくのかそれがわからないのである。
国で計画を立ててもその通りにはいかない、計画した新しい街に住んでもらいたいと言っても
住まないで人口が津波の被害地域でもでている

三陸などでも漁業も零細だったから見切りをつける人もでてくる
それで人口流出して街の復興より崩壊の危機にさらされているのである。
この際過疎地域から脱出して便利な都会にでようとする若い人も多い
だから復興しようにもその人材もないとなる
慶長津波の時のように相馬藩から津波の被害地域に開拓に入るような人はいない
ボチンティアは確かにいたけどそこで骨を埋めるまでの覚悟ができるのか?
ボランティアにはそんな過酷なところに追われるものがない
地元の人すら楽な方に向いているのだからそれも頼りにならない
様々な悪条件が重なっているから今回の復興はむずかしいのである
だから防潮堤でもそんなものに莫大な費用をかけるのが無駄だというのも一理ある
それはゼネコンが利するだけだとか除染にしても一兆円でも無駄だとされる
何か有効な手が打てないのが現実なのである。

 
 
posted by 老鶯 at 16:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年03月21日

地元でもわからなくなったしゃべらない方言 (ちゃっこいと良く使う60代の女性)


地元でもわからなくなったしゃべらない方言

(ちゃっこいと良く使う60代の女性)
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ちゃこい、ちっちゃこい、ちっこい とも言います。


小さい という意味です。


「あがんぼてちゃっこいなや〜、めんこいなあ」

(赤ちゃんって小さいねえ〜、可愛いなあ)

自分と同世代で同じ故郷に住んでいても方言をしゃべる人はすくなくなった
その女性は昔風の女性で他と違っているのだろうか
貧乏故になんでも「もったいない、もったいない」というのも昔風である

ただ携帯を使いしきりに連絡をとったりあとは現代の生活をしている。
学はないけど未払い賃金のことで労働基準局に訴えてもらうとか言っていた。
自分の正当な権利を主張するのに執拗なのである。
それはその人の個性があるけど戦後教育が民主主義が女性にも普及した結果なのだろう
男女同権なのもそうである

とにかくその女性はおしゃべりであり延々と二時間くらい話し続けるのでつきあうのも疲れる。
女性とこんなに話したことが自分にはなかった。
だから自分は女性のことなどわからない、家族では60年とか話していたが外部の同世代でも話していないのである。
だから地元の人についてもつきあいもないしわからなかった。

その女性はしょっちゅう「ちゃっこい、ちゃっこい」というがそんな方言を地元でも自分は使ったことがない、
これは女性の言葉、方言なのかとも思った。

男性がちゃっこい、ちゃっこいなどと言うだろうか?
女性が言う時、何かその言葉があっている。

赤ん坊をちゃっこいな、めんこいな・・・とかなる

めんこいなどというのも今は使わないだろう。方言はどこでもすたれている

そもそも方言をしゃべらないはいうことは何なのか?
人間は今や土着的生活をしていないからだろう。
方言はその土地に何代も住んで伝えられたものなのだろう。
だから隣の村でも言葉が違っていて方言になっていた

ただこのちゃっこいは北海道の方言だとかともでているから広範囲になっている
小さい⇒ちゃっこいになったことはわかる。

何度もちゃっこい、ちゃっこい・・・と聞く時、それが何か親しみを感じる

方言で津波被害の三陸などで励ましあったというのをテレビで放送していた。
方言は何か親しみがあり人間同士のあたたかみを感じる。
その女性はそうしたあたたかみを実際にめずらしくもっている
だから旧来の義理人情にあついとか田舎的女性の良さをもっているとなる


いづれにしろ方言は露骨に地元のなまりなのである、なまりでお国がしれるというのは本当である

・・・だっちゃ、だっちゃ・・と宮城県のなまりには実際びっくりした。
福島県では浜通りでは宮城県と結婚する人が多いのである。
方言は地域性がありそれが面白さである。
地域に転勤になったサラリーマンが地元にとけこめないというとき
方言が簡単にしゃべれないからだということを言う人もいる
方言でしゃべると心が理屈ではなく通じ合うものがでてくるのだろう

ただ今は地元ですら方言をしゃべる人が少ない
だんだん方言すらなくなってしまうのではないかと思う

方言でも言葉は現実の生活で使われて活きてくる。
何でも使われなくなったものは活きてこないのである

飯館村ではまでいな村作りを目指していた。
このまでいなというのも自分にはわからなくなっていた。
ただ使ったことはあるがあまり聞かなくなっていた

これももったいなという戦前からの貧しい時代の言葉なのである。
何でも買っては膨大に捨てる時代の言葉ではない
そもそもまでいにしろちゃっこいにしろ
そうした方言とは違う社会になっている
グローバル化であり買っては捨てるという消費社会である。
そういう言葉はやはり日本のような小さな村で生活していたものから生まれた
small is beautiful てどという言葉がはやったこともある。
小さいものか見直されるということでそういう言葉が生まれた


ただ時代とは常に変わっているのだ
最近では大きなものよりちゃっこいものが見直される
これからの時代は老人社会でありこれはすべて悪いとはならない
老人は暇だから余裕がありコミニケーションを話すことが多くなる
もともと老人は昔を話すから話すことが好きなのである
若いサラリーマンは時間がなく余裕がないから友達もできないという
仕事に労力が没頭させられて人間同士のあたたかい交流もないという
会社はそうした冷たい空間なのかと経験のないものには殺伐とした


これからはこれだけ老人が増えるのだから新しい老人文化が生まれる。
それは悪い面だけ強調されるのだがいい面もでてくるのだ。
方言をしゃべる女性にしても昔の良さがとりもどされてくる時代になるかもしれない
高齢化社会はだから社会自体を変えるものともなるインパクトがある。
それは殺伐とした会社社会とか企業社会一辺倒の価値観を変えるのである
つまりスロー社会とかちゃっこいのがいいとか
コミニケーションの密な昔の村落社会とか何かそうしたものに回帰する

それは昔とは同じではないがそういう回帰は社会を変える
それは精神的には余裕ある社会への移行にもなるかもしれない
高齢化社会というときそれは若者社会にも影響する
それがすべて悪いものとはならない
もちろん高齢者に金が使われすぎだとかの問題はある
でも良い面に作用すれば若者にも影響してそれもいいものだとなりうる

ちゃっこいは宮城県の方言? (方言は多様であり文化である)



ちゃっこいは宮城県の方言?

(方言は多様であり文化である)

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ちっちぇ、ちっちぇけ とも言います。


小さい という意味です。


「あんやぁ〜、このびっきちゃっこくてめんけごど」

(あら〜、このカエル小さくて可愛いこと〜)


んだいっちゃ〜 (そうだよね〜 肯定の同意を求めるとき)


えてみっど山形じゃちゃっこい頃は
http://blogs.yahoo.co.jp/haradakuse/23370919.html?p=2&pm=c


ちんちゃい(茨城方言)



ちゃっこいは相馬地方では聞いたことがない、子供の頃思い出すと「ちんち」と聞いたことがある。
子供の頃は今より方言を聞いていた。今は子供も標準語を話すから方言を聞く機械か少ない、
でもなぜちゃっこいとその女性は言うのか?
それはその人が宮城県の人と結婚していたからである。
相馬地方では宮城県との関係が深いのである。

江戸時代の碑でも宮城県関係の神様の碑が多い、小牛田神は小牛田の山神信仰であり山神とあるのは小牛田由来である。
館腰宮もあり館腰駅があり金華山とあればまさに金華山であり他にも伊達藩から入った信仰が多いのである。
逆に妙見信仰は相馬藩から入っている。相馬藩の殿様の旗印は北斗七星であるからだ。
その妙見信仰は亘理の辺りでも集中的に広がっているのだ。

ちゃっこい というのが相馬地方で自分は聞いたことがない、
すると宮城県の方言をその女性はしゃべっていることになる。
前の女性も名取に相馬から移り住んでいて長くなるとしきりに だっちゃだっちゃとしゃべっていた。
方言は生まれ育った所ではない、その土地に長く住んでいると
土地の人に合わせるのでその土地の方言をしゃべるようになる。

つまりその土地の方言をしゃべれば仲間だとして信頼されるということもある。
ただ東京辺りではそういうことはない、みんな標準語だからである。

んだちゃ、んだいっちゃーなどというのも丸森の人かしゃべっていた。
んだ、んだ・・は東北人の共通の相槌をうつ言葉である。
ただ宮城県になるとんだちゃとなる、語尾が変化してくるのだ。
ちゃっこいは山形でもしゃべっている、これは宮城県だけでなく広範囲に広がっている。
宮城県と山形県はまた方言も違っている。
ちんちゃいというとき茨城県であり多少福島県との共通性がある。

いづれにしろ相馬藩の地域は伊達藩の影響を強く受けている。
今でも常磐線が通じていた時は仙台に通勤していた人もそれなりにいた。
通勤圏にもなっていた。だから仙台は身近な都市だった。
そこで仙台弁にふれるということがある。
でもそこに住んだり結婚しないと方言はしゃべらない
その土地と深く密着して生活すると方言をしゃべるようになるのだ。
だから方言は土着的てありこれも文化なのである

文化は地域地域で異なる時文化であり言葉でも料理でもみなん一様化すれば
文化はなくなる。そういう社会は面白くなくなる。
だから東京の人でも田舎に来ても東京と同じだとなり旅もつまらないと言う時
日本社会が地域の文化を失い一様化した結果なのである。


江戸時代あたりは隣の村とさえ方言があり言葉もりてまりも違ったものとなっていた。
なかなか隣の村さえ交わらない自給自足の経済だったからそうなった。
農業は共通のものを作りにくいという時、その土地に根ざして動かないからである。
商業は商人は移動して広く交わるから共通のものを普及させる。
それで共通のルールを作ったのは商人であった。
アルハベットもフェニキア人が発明したことでもわかる。地中海を船で行き来した商人であったからだ。
エジプトのような象形文字ではとても共通に読み解くことがむずかしいからである。

霙(みそれ) (人間は共に生活する人がいないと苦しくなるー一人暮らし老人の問題)


霙(みぞれ)

(人間は共に生活する人がいないと苦しくなるー一人暮らし老人の問題)


良き人と出会いし里に梅香る


我が家を手伝う人の見送りてみぞれふる
 近くに住めばともにしありぬ


近くにて見栄え良きなき女(ひと)なれど

                石のごとくに頼もしきかな


言葉の起源をたどるとそこには言葉が一つの共同体形成の過程で生まれたということがある。言葉はその共同体の中で互いに協力しあう同じアイディンティティをもつものとして生まれた。だから時代が変わると言葉の意味がわからなくなり死後となってゆくのもわかる。
現代のように社会が激動的に変わると余計にそうである。
社会は社に会するというときまさに小さな村単位が日本では社会の基本だったのである。
その社会が会社になり会社企業社会になってしまった。
その会社に入社してサラリーマンになった若者は会社への不満をインターネットで書いていた。
会社は何か非人間的なただ利益を得るだけの手段と化している場所であり
そこては学生時代のようなつきあいはできないという。
そういう人間的な連帯はありえない所だとなげている。

それはなぜかというと社会のアイディンティティが村落的な社会から巨大な経済社会へと変質してしまったことにある。
だから日本でともは共であり友であるからともというとき単純に共にある人共に生活する人なのである。
特定の友達いう意味ではない。
友とは一つの村なら村で共に密接に生活する人の意味だった。
だから別に特定の友達をもつということは生活ではない
村落内ではみんなが共に生活していたともなるからだ。


この7年間は家族の介護や自分の病気で辛酸をなめた。
今もそうだが一人暮らしになるとやはり夫婦であれば共に生活する人がいるから孤立感はない。
でも夫婦でもどっちかが片方が病気になったり死んだりすると共にする人がいなくなり苦しくなる。
高齢化するとその危険は誰にでも襲ってくる。

近くの人は自分と同じだった。6年前頃妻が死んだ、そしたら家事を全部自分で一人でやらなければ生活できない、
その人は泣いていたということもわかる。
糖尿病の危険がありりょうたにも気をつかわねばならないのでそれも負担になった。
つまり共にする人はいなくなったとき人間は孤立化する。

そして共にするというとき、それは原町とか近くでも意外と車で来るのには
それなりに時間がかかり遠くなる。だから何かあったとき、介護の手伝いなどできないのである。
娘が相馬市にいるとしてもそこは遠いから一週間に一回つらいしかこれないのである。
「遠くの親戚より近くの他人」というとき小さな村落内が近くであり遠くは原町でも遠いのである。


人間はいくらグローバル化しても世界の果てから地球の裏側から助けには来てくれない
ものは入ってきても介護などはできない、病人でも看病はできない。
近くに共に暮らす人がいれば安心なのである。
現代は田舎でもそうした共に暮らすという社会が失われた。
グローバル化会社社会で失われた。それは確かに豊かになっても肝心な時に助けられる。
協力してくれるわけではないのである。
それは金があっても地球の裏側からかけつけてくれることはできない。
だからグローバル化会社社会というのは見直す時である。


もちろん近くでも結局強盗まがいの人も入ってきた苦しめられた。
近くがみんないい人とは限らない、田舎でもそうである。
あんな人とは顔も見合わしたくない人はとこの田舎でも必ずいる。
ただ外から見てもどんな人がいるかわからない。
田舎ではあいつはどんな人だとか実際は見ていて知っている。
自分が知らなかっただけであった。


ひとつお勧めは、自分と似たような境遇で比較的親しい人と、「どっちかが入院することになったら、入院の時には互いに保証人になりましょう」と、病気になる「前」に契約しておくことです。公正証書など作っておけばばっちりです

人間の特徴はこれである。にたような人が親しくなりやすい、境遇でもそうである。
そういう人がうまく出会うと親しくなれる。
夫婦は別に共に暮らす人がいるのだから一人暮らしの人のことなど関心がないのである
何に困っているかなども関心がない、介護にしても実際にしない人は関心かがない
自分が一旦そういう苦しい立場にならないと関心がないのである。

相手が貧乏だとなぜ今の時代にこんな貧乏な生活をしているのだと貧乏な人を理解できないのである。
ただ今の貧乏は最低限の生活している人でも食生活はさほど違わないと思った。
イチゴも食べているし贅沢と思えるものでも食べている。そこは違わないのである。
ただ住む家とか車をもっているとかか大きな相違となっている。
だから昔の貧乏と今の貧乏は違うのである。

高齢化社会は単身者が一人暮らしが増えてくる、そういう人達は社会から孤立しやすいのである。
そういう人達は犯罪者になりやすいから老人の犯罪が増えているのだ。
自分が被害者になったのはそううい社会になってそうなった。

いづれにしろ自分の家にこの7年間の間に来た人は地獄の使者だった。
自分の苦しいことを全く理解されずただ金の要求ばかりされた鬼畜のような人達だった。
人間がこんなものなのかと愕然とした。
とてもそんな人達とともに暮らせるものではない
それが一部は社会の問題であってもその人自身の問題でもあった。
借金するのは社会の問題ではない、本人の問題が大きいからだ。

人間は外面だけ見ていると失敗する。結婚は外面だけを見ているから離婚も多くなる。
恋愛結婚だって離婚が多い。外面的なものにまどわされているからそうなる。
ただはとっきりいって若いときだったらその女性には近づきたくもなかったろう。
体は不細工だし見栄えが良くないからそうなる。
今はそういうことは関係なく見ているから若いときの価値観とは全く違ったものとして
見ているからその女性に価値を見いだしているのである。


今日は一時みぞれだった。まだ今年は寒い、本格的な春はまだである。



長姫(イワナガヒメ)は、日本神話に登場する女神。『古事記』では石長比売、『日本書紀』・『先代旧事本紀』では磐長姫と表記する。

神話での記述[編集]

大山祇神(おおやまつみ)の娘で、木花開耶姫(このはなさくやひめ)の姉。

コノハナノサクヤビメとともに天孫瓊々杵尊(ににぎ)の元に嫁ぐが、イワナガヒメは醜かったことから父の元に送り返された。オオヤマツミはそれを怒り、イワナガヒメを差し上げたのは天孫が岩のように永遠のものとなるように、コノハナノサクヤビメを差し上げたのは天孫が花のように繁栄するようにと誓約を立てたからであることを教え、イワナガヒメを送り返したことで天孫の寿命が短くなるだろうと告げた。

イワナガヒメの価値は若いときにはわからないのである。ただイワナガヒメが家でも栄をもたらすということがある。
こうした古代の歴史でも現代にあてはまことが多々あり人間の真実は古代でも現代でも変わらないということもあるから遠い昔のこととはならないのである。

 

2014年03月22日

梅の香、椿 (故郷は自然だけではない人が関係している)


梅の香、椿

(故郷は自然だけではない人が関係している)

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ここは原町のキクチスーパーの近くだから身近である
でも実際にここで香りを感じたのははじめてだった


春の日や猫と吾も眠りて我が家かな

故郷のここにあまたの梅の花知らじや香りに満たされにけり
梅の香の尽きず流れむ我が里に老いしもここに香り満ちなむ
我が里に手折りし椿壺に挿しその色赤くあたたかく映ゆ

春日さし沖に船ゆく高台に我が望めば旅心湧く

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川子の高台はビューポイントである。
船に春の日がさしていつもより明るく映えていた


望郷の詩人だった啄木の不孝は何だったのか?
津波や原発で故郷は何か見直されたということは言える
まず故郷を離れる故郷がなくなるなどと想像すらできなかった
故郷は当たり前にあるものなのである

ただ啄木の場合は故郷はあったが故郷から離れて故郷を想った。
それが病気とかさなり痛切なものとなった。
ただあの若さでそうした故郷の思いが自然と一体化したことは
それだけ天才的感受性が早熟してあった

自分なんかどうしても短歌など作り始めてもただ575とか並べただけだった
自然に関してもあんな深い感受性がもてない、
極めて浅薄なものにしかならなかったからどうしてあれだけの感受性をもてたのか

思うに自然は本当は時間をかけないと深く感じることはできない
だからかえって長い時間をかけて自然に接していれば深く感じるようになる
それは才能とはほとんど関係ないのである
時間によって自ずと成熟してくるものがあるのだ


東京でそうした故郷の風景がありありと思い浮かんだことは
やはり自然への感受性を若い時から備えていたからできた。
普通は若い時は故郷であれ底かいかに
美しくても感じなければどこにいようと同じなのである。

故郷とは何か問うこと自体こんな災害がなければそんなになかった
なぜなら故郷は当たり前に普通にあるものだったからである。

故郷の良さはあまりにも当たり前にあるからわからないし未だに発見されていない

今日は春らしい春だった。そこでキクチスーパーに行く所の田んぼの脇に森があり
そこに一杯梅の花が咲いていた。
あそこにあんなに梅が咲いていたと気づいたのははじめてである。
それはいつも行っている身近な場所だけど
あんなに咲いている見たのは今日がはじめてだった
そしてその梅の香りに満たされたのだ

ただ春といっても春田がないというのも不自然である。
そういう不自然ななかにも梅は春を告げた。
梅は見るよりやはり香りである。

つくづく故郷と言ってもいい場所があってもわからない
ただ発見されていなかったのである。

故郷は何かというときこれはただ自然だけではない
自然だけだったら今回の津波のように自然は非情である
美はあっても非情である
故郷が故郷であるためにはそこが家族の愛に育まれた所であり
故郷の人の愛に育まれた所であればそれが故郷となる
冷たい非情な人ばかり住んでいたらそこには誰も住みたくないだろう。

現代は田舎でも金の世の中になり非情になってしまった
それをこの七年間の介護や病気で自ら身に受けて知ったのである。

つまり椿の花は別にどこの村でも市でも郊外には咲いている。
それを手折り挿すのは誰でもする。
でもその椿は単なる自然ではなく人の心も反映されている
恋愛でなくてもあたたかい心がその椿から感じる時
それは人間のあたたかみを感じているのだ
だから俳句とか短歌はそうした人の心が反映されているから
単なる写生でも自然そのものではないのである。


ともかく一体故郷を離れる故郷を失うということは何なのか?
それは自然だけの問題ではない
別に自然が全部壊滅したわけではない
海は別に残っているし山もある
ただ人の住む所が壊滅して荒寥となってしまった
そこには人の温かみもあったのだかそれが喪失した
ちょうど現代は金持ちの家でも愛のない家族のようになっているかもしれない
金だけが唯一の価値となり愛し合わないということがある
それは原発避難民に対して金でもめていると同じである。
金をもっているが故にかえってとがめられているのである。

それはまさに別に津波がなくても自分のこの7年間の経験であった
そこには人のあたたかみもない非情さがあった
それは自然だけではない人の世にもあったのだ

ただ啄木の場合は別に故郷の人が冷たいということでもなかった
その事情は複雑にしてもそれは独りよがりのところがあった
要するに若気の至りということでもあった
だから何か一方的なもの独りよがりのものとなっていたのである。


探梅という季語があるけどやはり梅にしてもいろいろな場所に咲いているから
故郷でもわからない所があったとういことである。
すぐ街の近くに梅林があったことが意外だったのである。

2014年03月23日

被災地に不足しているもの(土地と宿泊所)


被災地に不足しているもの(土地と宿泊所)

原町の道の駅で九州から来た人と話した。

「三陸の方を回ってきて松島から仙台に来てここに来た
三陸の方は土地がなく狭く暗く寒かった、ここは明るく空も広くあたたかい」
「三陸辺りは土地がないよ、ここはまだ土地はある」
「ともかく泊まる所がなくて困った、近くのワンルームの部屋をやっと借りたよ
この道の駅で車をとめて泊まっていた人もいたよ、ここはトイレもあるし水もあるからいいんだ」
「車で泊まって旅している人がいたからそういう人もいたのか」
「あと一年くらいはいるようになる」
「この辺はまだまだ復興していないよ、工事も長くつづくよ、九州のどこから来たの」
「佐賀県だよ」
「佐賀県のどこ」
「唐津だよ」
「ああ、あそこか、いい所だ、虹の松原に入江が深く入っている、もう一度行きたいな」「唐津は佐賀県と福岡がまじっているところだよ」
「そうか、佐賀県はなじみかないから、福岡県だと思っていた」


こんな話をした。自分は全国を旅しているからたいがいその人の住んでいる場所がどういうところか一応わかる。唐津にも行ったし虹の松原にも行った。
だからどこの出身だと聞きそこがどんな所か地理的にわかる。
三陸で空が狭いとなりここは空が広いと感じたというのはわかる。
山と狭い土地しかないからだ。それは日本自体が空が狭く感じるのだ。
外国のいいのは山もないから空が広く感じられるのである。
だから日本には空とか天の感覚がないのである。
広大な天に思いめぐらすことがないのだ。

唐津は風光明媚であり歴史ある場所である。湾が深く入り込んでいて虹の松原があり
唐津とあるのは唐は韓(から)であり韓国と歴史的に古代から深い関係があった。
ただ九州は二回くらいしか行っていないので地理的にはわからない所がある。


いづれにしろこの辺でたりないのはホテルであり宿泊所である。それも長く泊まれる場所になる。
まだそれだけ工事関係者が入ってきている。九州からもきていることでもわかる全国からまだきているのだ。
だから鹿島区の山の方までホテルができたのである。
こういう状態はまだ何年かつづくだろう。
復興住宅にしてもまだ数パーセントしかできていないのだ。
だからどこでも家が新しい家が建っているのである。


この辺で土地の価格があがったのは津波で家を失って住めなくなった人が多いのと原発避難者が多くなったからである。
だから土地の価格とか家の価値もあがったのである。
特に土地を求める人が多いのである。それは津波の被害地ではどこでもそうである。
それだけの土地を津波で失ったからである。
特に三陸辺りは土地がそもそもないのだから平地は津波の被害にあったところだから
住めないとすると高台になるがそれも土地が狭いから住む場所がなくなってくるのだ。


いづれにしろこういう混乱状態は三年たっても変わっていない、何か人の出入りが激しい。
まだ外部の人が相当数入ってきているから宿泊所がたりないのである。
レイプなども噂になるのも外部の人が入ってきて治安が悪くなっていることもあるかもしれない。
入れ墨の人がホテルの湯に入って来たりするからそうである。
建築関係はどうしてもそうした人や身元を明かせない人も入ってくる。
それはそれで役に立っているのだから犯罪をしなければいいのである。
第一この辺ではそうして汚い所で働く人がいないのだから働く人は貴重だとなる。

相双緑化でやはり簡易宿泊所のプレハブを増やしていた。
こうして簡易に泊まる所がかなり必要なのである。
トレイラーハウスもその一つだった。
何かそうしたものを増やさないと道の駅で車に泊まることになる
そこが今も問題なのである。


ただ一方で仮設の食堂などでは客はめっきり減っているうということもある。
その時もっとホテルは不足していた。
おそらく相馬地域でも泊まれないから遠くから通っていたのかもしれない
ホテルの問題でも旅人ではないから一日二日泊まるのではない
長期滞在となると部屋が簡単に空かないから部屋不足になる
その人も一年くらいいるとか言っていたからである。

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相双緑化に増えた仮設のプレハブ

posted by 老鶯 at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

春の日の石(被災地は留まるだけで幸せになった)


春の日の石(被災地は留まるだけで幸せになった)


春の日やとどまる石やあたたかき

in spring days
the staying stone
the warm one


石古りてととまる里や春の来る

里の春変わらぬ石の在り処かな


the statinary stone

in my villige
in spring


春日さしここにとどまる石二つ

動かざる石のまわりやイヌフグリ
寂けさや奥の大石残る雪


何かその人にはふさわしいテーマが必ずある。それを一生で追求している。
芸術でも職業でもそうである。

石を知るには石は長い時間かけないと知ることはできない、
石は動かないからやはり石のような時間が必要になる

この辺では故郷から離れて住めなくなった人達がいる
だから今や故郷にとどまる人はしあせだとなってしまった。
そんなこと当たり前だというが実際に住めないのだから当たり前ではない
ただ故郷にあっただけでも幸せだったとなる。

故郷喪失の損害賠償が払われたがそれで贖われるとはならない
それは結局金では変えられないものだった

つまりstationを失うと精神も不安定になるだろう。
人間は何か深くアイディンティティの見いだす場所がないと
精神形成ができないだろう
そういう場所がもともとは故郷となる
もちろん故郷を否定することはある
人間関係などが嫌だということが常にある
これはどこにでもある


この石がある場所は飯館のあいのさわにもあったし浪江にもあった
その石だけが人が去っても残っている
どういうわけか相馬市では心を寄せる石が見つかっていない
原町区でも見つかっていない
つまりそういう石はどこにでもある
ただ発見されていないだけである
だからまた誰かが発見すればそれは人間化した石となるのだ


こういう石は旅しては見つからない、どこにでもあっても旅は一時的に去ってゆくものだから
石とアイディンティティ化できないのである

いづれにしろこの辺ではただ留まっていられることが幸いだとなっているのだ
stationを失った人達はユダヤ人のように流浪の民となってしまう。
現実にユダヤ人のように避難した人たちは
補償金をもらっているけど金はあるけど批判される
でも土地を失うと金が頼りになってしまうのである
他に頼りになるものがなくなるのである


でも手に職をもっている人はこういう時でも強い
小高の人で腕のいい大工は働いていた
人手不足であるからそういう人は批判されないだろう
逆に土地だけを頼りの農家の人達は苦しいとなった
こんな経験するとは思いもよらなかったことなのである。




2014年03月24日

春の日の海老の浜 (津波の跡は荒廃したままにしていいのだろうか?)


春の日の海老の浜

(津波の跡は荒廃したままにしていいのだろうか?)


春の日や行き場失う庭の石

初蝶や海の展けし海老の浜

余裕もて落ち着く石や福寿草

堀流る水の光りて春の日や津波の跡の田にも流れじ


津波の後はどこでも海が広々と遠くから見える。
陸前高田市でも海がこんなに近くに見えるようになったと地元の人が言っていた。
街のすぐ近くにあってもう陸前高田市では海が見えなかったのである。
松原にさえぎられて海が見えなかった。
ただ自分が行った時は街には寄らなかったから
あそこにあんな大きな街があるとは思わなかった。
ただ海は円形の湾になっていて実に穏やかであり
松原の中は散策できるようになっていた。
その海の松原の手前の宿に一泊したことは覚えている。
それも自転車で行ったのである。

海老の浜も未だに津波の跡が生々しい、結局三年たっても何ら変わっていない
何か荒廃した感じでありその悲惨さが消えないのである。
流された松の根っこが痛々しく残っているのもそうである。
土台だけが残っているのもそうである。
庭の石が積み上げられて行き場を失っている。
庭の石も人間化した石だからどこかに収まりたいとういことがある。
それて石も落ち着くとなる。
自分の家の石は福寿草か咲いて落ち着いているからだ。

ともかく果たして津波の跡があのように荒廃したままでいいのだろうか?
それは記念として津波の被害があった建物を街中に残すべきか残さないか議論になった。
歴史的記念として残すべきだという人もいたし反対する人もいた。
被害にあった家族を失ったような人は思い出すから嫌だともなる

実際にいつまでもこの辺でも津波の跡をあのつまにしていると何か心が沈んでくるのだ。
初蝶が海辺で見たのははじめてだったが雲雀も鳴いたがなにか喜べない
全体が荒寥として荒廃しているからだ。
だから観光地にして復興すべきだという外部からの意見もあったが
被害にあった人は嫌だと言っていた。
観光気分にはとてもなれない所なのだ。

でもいつまでもそのつまでいいんだろうか?
そしたら復興はない、ただそこは荒廃したままになる。
外部から来た人はかえって津波の悲惨さを一目見ればわかるからかえっていい
したしむしろ地元の人はこうした荒廃のままにしておくのは心が沈む
だからいつまでも荒廃したままにしておくのか
これから津波の跡をどうするのかというのが問題である。
三年たったからそうしたことも考えねばならない

津波で残ったビルを残すべきだとしたのは地元の人だったが
実際は外部の人に見せるものとして残すということがある
ヒロシマの原爆ドームは記念として残した
あれを見ると原爆の悲惨さを思い出すことになる
でもそこに住む人にすると嫌な感覚になるとうこともある
ただ戦争の悲惨さはほとんど日本からは消えた
東京空襲などもその跡がほとんど残っていないから忘れられる
だからこの是非もむずかしいとなる

堀を流れる水が光り流れていた。しかしその水は田んぼには流れない
田んぼはまだ今年も作らないだろう。
この辺はだからまだ荒廃したままなのである。

 
 

2014年03月25日

春の溜池 (田んぼがないと溜池も無用になる)


春の溜池

(田んぼがないと溜池も無用になる)

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山陰に喫茶店あり春の雲

我が町に喫茶店一つ春の雲
樹々ゆれて我は走りて芽吹きかな
春風にしなりゆるるや樹々も生く
春の昼猫の眠るや広き家


満々と水を湛えし溜池の水面光りて春の雲浮く

満々と湛えし水も用なきや田んぼに流れず春となりしも

慶長と田中城主の墓のあり散りし椿や我がたずねけり

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屋形の石の宮の溜め池も広い、日本には別にこうした溜め池はいくらでもある。
つまり田んぼには水がかなり必要であり溜め池もそれに比例して必要になる。
だからそもそも稲作は溜め池を作るだけでも土木事業となり文明なのである。
溜め池や水路を作るために相当な苦労をしているからである。

今日は北海老のニコニコ堂の喫茶店は休みだった。
あそこには案内板もないからわかりにくい、
あそこは場所的にはいいと思っていなかったがそうでもなかった。
外から来た人はわかりにくいが鹿島区の一番歴史的な場所だった。
阿弥陀寺の岩松氏の悲劇からはじまり江戸時代は北の方は八沢浦が浦になっていた。
だから風光明媚な所だった。
だからあそこで鹿島区の歴史を思いめぐらし語ることに向いていた。
そういうイメージされる場所なのである。

自分は旅をして休むことを求めるから喫茶店が好きだった。
食堂だとそこで本読んだり瞑想したりとか何か思いめぐらすことには向いていない
喫茶店には喫茶店の役割があった。
ただ全国的に喫茶店だけではやっていけないので喫茶店に入ることはなかなかできない
原町区には喫茶店だけというのがほとんどない
六号線沿いにないのである。相馬市にはあるからいい。
相馬市だとある程度城下町の情緒にひたるということはある。
ただ外から来た人は城も何もないのだから感じないだろう。
それでも歴史的な場所は何かはある。
ただ発見されないだけである。


田中城主の墓は案内板があるがあそこは盲点だった。
あの墓には慶長とあるから本当に古いのである。
今まで見たのではこの辺では一番古かった。
田中城があったところからそう遠くはないから場所的にも昔を偲べる

いづれにしろこの辺では溜池に満々と水を湛えられていても用がない
田んぼが作られないのだから水も必要ない
だから溜め池も無用のものとなっている。
田んぼがあるからこそ水も活かされていた。
水は単なる飲む水だけではない、田んぼに不可欠の水だったのである。

猫の問題は人間が起こす問題と同じで複雑 (捨て猫を飼うことで考えた)


猫の問題は人間が起こす問題と同じで複雑

(捨て猫を飼うことで考えた)

不幸な猫増やすな…餌やり・飼い主探し 広がる大学の「地域猫」活動
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140320/trd14032010270012-n2.htm


たまたま猫が甘えるように鳴いてくるので餌をやった。
それがはじまりで猫が家にいつくようになった
でもこの猫は慣れない
捨てられた猫で近づくと襲いかかるように威嚇する
つまり人間にはなれなくなっている
だからいやになれなれしい猫を見てきたから
猫はあういうふうに慣れているのが普通だと思っていた。
自分は猫についてはほとんどわからなかった
猫を飼ってみて猫の問題も複雑であり人間と同じだと思った。

人間と同じだという時、捨てられた猫を人間と思えばいい
赤ん坊が捨てられたら誰でもそのままにしておけないし
かわいそうだと思うしなんとかしようとするだろう
自分の成猫だけどやはり甘えたように鳴くから子供みたいである
ただ捨て猫にしてもではまず「かわいそうだ」ということから
はじまってもそれを飼うとなると人間の子供と同じだと思った。
「かわいいな、かわいそうだな」とかはわかる
でも飼うとなると餌をやり小便とか便をして汚したからしつけねばならないとか
猫一匹飼うにしてもめんどうなのである。

だから実際は自分はルーズであり自分のめんどうみるだげで精一杯なのだ
ところが介護もしているから猫の世話も自分に加わった。
この猫は腹をすかすとすりよってきてしきりに鳴くのである
猫は今や自分の家でのうのうと主顔している
餌が与えられるのを当然と思いあとはのうのうと寝ているだけである。
考えて見れば自分も三食付きで60年間家の主であった
それが家族が一人死んでまた一人倒れて介護になったとき
自分はただ一方的に世話するだけの召使になったのである。
猫は何もしない、自分は猫に仕えている、猫様なのである。
座布団にのうのうと座っている姿はまさにそうである
ただ今や家族がいないと猫も本当に家族の一員になってしまう


これもカルマであり猫を捨てるとは人間の子供捨てると同じである。
捨てられた猫は自分が飼っている猫のように深い恨みをもつようになる
人間にはなれなくなる、根強い不信感をもつにようになるのだ。
猫はだから人間と同じなのである。
だから猫は人間の子供と同じである。
その対処方法がめんどうで複雑になるのもそのためである。

例えば猫が増えるから殺した方がいいというので
実際は30万以上とか猫でも犬でも殺されている。
保健所で引き取りがないものは殺される
それは人間だって産児制限をして間引きしていたのと同じである。
猫でも犬でも増えすぎるのは人間によって餌をやるからである
野生だったら弱いものは淘汰されて一定の数しか生きられない
犬猫が増えるのは人間が過剰に餌をやるから増える
だから餌をやるなというとき人間は非情であり動物愛護法に違反するともなる
だから捨て猫がかわいそうだというだけかたづかない複雑な問題があった
それは人間の問題と同じだった。

つまり人間が餌を過剰にやり捨て猫が増えて増えた猫を人間が殺しているのである。
それは自然がしているのではない人間がしているのである。
人間に責任があり地域猫という発想もそうした結果生まれてきたのである。
一定の猫を地域で見守ろうということである
これもいろいろな意見があるからいいのか悪いのかわからない
かわいそうだというけど野良猫は田舎でもどこでも相当数いる。
捨てられる猫が多いからそうなる。
自分の家でも飼い猫に餌をやったら野良猫が入ってくるようになった
餌を欲しくてドアをあけて入ってくる。
よくドアを引っ張って入るものだと驚く
引く戸だからそういうこともできる
生きる為に必死だということもわかる
それを見れば野良猫にも餌をやりたいとなるだろう。
そうしたらまた猫が増えるだけなのである。
実際に猫を飼ってみてこんなに複雑な問題があるとは思わなかったのである。

精神的な障害児をもった年老いた女性はかわいそうというだけで
障害者でも同情はしないという
障害児で苦労したからそうなるのかもしれない
かわいそうだと同情しても40才にもなった障害児を世話しているから
そんな感傷的なことだけではかたづかないことを重荷を背負ってきたからである

猫を飼っても必ず捨てる人はいる犬でもそうである
なかなか責任をもって飼いなからねうなる
かわいそうだと思ってもそれに責任をもって世話はできない
それは障害児だってそうだろう
人間はただかわいそうだと思ってもじゃ世話しろとなればできない
だから単にかわいそうだというだけでは問題は解決しない
だから捨て猫でも犬でもそれは人間の問題なのである


猫をかわいいというだけでかわいそうだというだけでやたらに餌をやるな
そうするなら責任をもって飼い捨ててはならない
そういうことが守れないから捨て猫の野良猫の問題は解決しない
かわいそうだ、かわいいというのは人間の身勝手であり
そんな感傷的なことでは猫は飼いない
だから人間の子供と同じなのである。

posted by 老鶯 at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層