2014年03月12日

STAP細胞、万能細胞は嘘だった? (科学者の専門家の嘘は見抜けない、原発事故でもそうだった)

 

STAP細胞、万能細胞は嘘だった?

(科学者、専門家の嘘は見抜けない、原発事故でもそうだった)

●STAP細胞、万能細胞も錬金術師のだましだった?


「生命のエリクシール」は人体を永遠不滅に変えて不老不死を得ることができるとされ、この場合は霊薬、エリクサーとも呼ばれる(なお、賢者の石が文献上に記述されるのはエリクサーよりかなり後である)。それ故、錬金術は神が世界を創造した過程を再現する大いなる作業であるとされる。錬金術で黒は富や財産を表し、白は不老不死の永遠、赤は神との合一を意味する。


錬金術師を騙る詐欺師達が貴族相手に黄金練成をしたように見せて大金を搾取したり

錬金術の発展途上では化学史上重要な数多くの発見がなされた。硫酸、硝酸、塩酸、王水、アンチモン、燐などはどれも錬金術師が発見した物質である。物質だけではなく、多くの実験器具も錬金術師が使用していたものが現代の化学で用いられている
http://contest.japias.jp/tqj2010/120192/about.html



小保方さんのSTAP細胞は嘘だったのか?これも何だったのだろうかと思う。
文系のマスコミが騒いだからだという人もいる。
確かに文系など皆目その論文の一行も解読できない

つまりマスコミ自身で審査することなどできないから勝手にスターを作り出す
マスコミから作り出されたスターはたいがいいかがわしいとなる
でも科学者はたいがい数学のように客観的評価が厳しい世界だから嘘はないと思う。
そして理研となればその組織自体が国で運営しているのだから誰でも信用する
個人だけで論文を発表しても信用されないしそもそも権威あるネーチャーなどにのらないだから
文系のマスコミが一方的に信用したのが悪いともならない
自分でも一般人でもそんな専門的なことは皆目わからないのである。


ただ素人なりにまず万能細胞などはないと思っていたしips細胞でも
それは成功しないと言う人がいたときそういうこともあると思っていた。
人間には様々な願望があるけど老いることがなくなる、そのことは最大の願望になる。。
だからこそ万能細胞ができたのかと大騒ぎになったのである。
それは研究者だけではないみんなの人類の願望だから大騒ぎになった。
それも嘘だったとなると科学者も平気で嘘をつく世界なのかとなる

そして科学信仰の時代は科学者は神のようになり信じる人が多い。
科学によってできないことはないはという信仰に陥っている。
科学には限界がないと思っているしそう望んでいるから嘘でもだまされる

やはり科学には錬金術の系統をひくものであった。宗教でも呪術でも病気の時は直りたい一心だから頼る。
頼られる方もなんとか効果を出したいと思うからそこから薬でも医術でも発達した経過がある。
ただ神に仏に祈っただけでは効果がないとなると実際に効果を出す錬金術でも科学でも信仰にもなる。
ただそこにもいかがわしいものがありだまして大金を得るというのは理研で百億の予算を得たというのと同じである。
ただそれが理研という国の研究機関が容認したなら誰でも信用するだろう。
これも何か原発事故が起きたことと通じている。


●原発も専門家意外かかわることができないものだった


科学は放射能でも原子力でも一般人には皆目わからない、マスコミでもその論文を読んで判断できる人などいない、
だから科学にも常に一般人はだまされる。
原子力は絶対に安全だというときそうでないと一般人は言えない、なぜなら原発のことを放射線のことなどわかる人がいないからだ。
だから専門家でもない素人はだまっていろと常になる。
それは法律問題でもあまりにも子細なことや法律用語を駆使されるとわからなくなると同じである。

科学はまさに法律より専門的であり普通の人は皆目わからない。
だからだまされやすいということもあった。

政府すら保安院が何の役目を果たさなかったように要するに原発をしりえるものがなかったのである。
東電が専門集団だから一番わかっていたしそれに対抗することはどこもできなかった。
だから内部で何が起きていても隠すこともできたし嘘ついてもわからなかった。

これもいかがわしいとされた錬金術師の系統でありそういうものが
国の公認の研究所でも行われていたということは原発でも同じでないか?
つまり国の公認で危険な原発でも作られていて失敗したら国がかかわり賠償する規定があったのである。
官僚には原発でもSTAP細胞でもわかる人などいないのである。
政府はそれが金になる、新しい産業になるとか目をつけるだけであり安全性についても
検査したり守ることはできない
政府すらだまされて予算をとられたということでもわかる。


原発は数学的確率で百万年に一回しか事故は起こらないと計算していた科学者もいた。
でも千年前の貞観津波のような巨大津波がきたならどうなるのかと計算したらそんなことありえないわげである。
それは別に数学者でなくてもわかることであった。
千年単位でそれだけ巨大な津波がきていたから警告もしたが無視された。
コストがかかると無視されたのである。


現代の問題はあらゆるものが専門化して専門でないものは何もいうことができなくなるし
要するに何もできない無能人間にされているのだ。
介護などは別に資格がなくても家でみんなやっている。
でも介護すら専門家しして専門意外の人は病院では施設ではできなくなる。
するとそこで素人は介護もできない、介護すら専門家しかできなくなる
それでこの辺では十人も介護士を募集しているが一向に集まらず
百人入れる施設を作っても無駄になっているのだ。


もちろん専門家をすべて否定することはできない,自分は自分の病気を自分で判断して
大失敗した。生命の危険になった。だから病気でも素人判断は非常に危険なのである。
だから専門家をすべて否定はできない。
でも専門家が万能化することが危険なのである。
科学者でないものは専門家でないものは何も言うな、お前たちに科学のことはわかりようがない、
医学のことなどわかりようがない、だまって医者の指示に従えばいいのだということもまた危険なのである。
だから医者の指示に従わないでかえって抗ガン剤を飲まなくて寿命が伸びた人もいるのは事実なのである。

でも自分のように素人判断して大失敗することもあるからこれも危険なのである。

ただ専門的なことでも何もしることができないから何も言わず従えばいいというのも大きな危険につながっていたのである。
自分が病気になってからいろいろ気になりその関係のことを調べているとそれなりに詳しくなることはある。
ただ素人判断は危険だから医者にかかることは必要である。

結局STAP細胞騒ぎも現代を象徴した事件だったのである。ついにできたか、万能細胞が、
科学は万能だというまさに信仰になっているからできないことでもできると思い込むのである。
それはあくまでも人間の願望であり可能なことではなかったのである。


●専門家と科学者の相違


「専門家」とは、何かについて詳しい人、よく知っている人、であるが、それでは、「科学者」とは何か。

影浦は、「分からないこと」を追求する人、ととらえる。


「専門家があくまで「知っている人」たる立場を保持するためには、一般に、どこかで、「私が知っていることが正しいためには、現実はこうでなくてはならない」という思考回路が要請される。

原発事故を語る「専門家」の過ち〜影浦峡から学ぶ
http://ameblo.jp/ohjing/entry-11779271075.html


専門家と科学者は歴史的にも違っていた。科学者はサイエンスは哲学からはじまっているから専門家とは違う。
科学者は真理を探求している。それは哲学と同じである。
しかし専門家はすでに知っている人であり熟知している人であり技術者として完成している人である。
だから病気でもいろいろな体の部位の専門家の医者がいてその専門分野については熟知しているから
専門家はその部位については権威者となっている。
科学者が知らないことを探求しているとは違う。
この理論からすると理研は知らないことを研究しているのだから専門家とも違うとなる。科学者の方になる。
でも高度な専門分野だから素人が何か言えることはない世界では同じである。

法律家でも弁護士でも法律の専門家だから法律のことは自分たちにしたわからないから自分たちに依頼者はまかせればいい、法律のことをいくら言ってもわかるはずがない。

ただそれではいけないと陪審員制度をとりいれたのはやはり裁判が専門家だけではやっていけないものとして判断したから進歩だった。
裁判は素人も参加すべきものとしてた。でも他のことについては高度に専門化しているから素人はかかわりにくいのだ。

専門家はある意味でその部門についてはすべて知っていることをを要求されているしそうでないと専門家にはなれない、
ある部門には精通していて素人が全く手を出せない、その分野についてはすべてを知っていることになる。
それはあくまでもその分野についてだけなのである。

未知のことを探求している科学者よりその分野について知り尽くしている専門家に頼るのが現代である。
そうでなければ病気でも直せないし何か効果あることがもたらされないからである。だからこそ専門家の時代が現代なのである。


●専門家集団に牛耳られたことが事故の最大の原因


(イリイチの「専門家時代の幻想を読んで)
http://musubu2.sblo.jp/article/44433527.html

--------------------------------------------------------------------------------
この専門家の時代は政治家が衰え教授らの導きのもとに有権者たちが必要を規定する力を技術官僚に委ね、誰が何を必要としているかを決める権威を放棄してしまい、そしてこれらの必要を満たす方法も、独占的寡占体制に決めさせてじっと辛抱していた時代であったと後世の人たちに記憶されるだろう。(専門家時代の幻想-イバン、イリイチ)

あなたが何を必要か断定し、処方を書く力を自分たちはもっているのだと主張する
専門家は顧客にとって最高の利益-国家理由をも上回ることがある。


専門家は現在認められている銘柄の科学的正統性を教える点で僧侶の役割を演ずる。
国の後ろ楯をもった聖職者の方にはるかに近い。


それぞれの専門職はまるで編成された教団のような観を呈するのである。

彼らの役割は傍観者、証人のそれに限定される。まるで法的プロセスとは何か大がかりな、きしみ音をたてる機械のようなもので、
一旦動き出したらその仕組みに精通したものしか近づいても操作してもいけないというかのようである

--------------------------------------------------------------------------------


再確認すればこういうことである。専門家が万能性をもつ社会である。
だからSTAP細胞は万能細胞は現代の象徴的な事件だったのである。
でも結局人間は万能になりえないから原発事故も起こりSTAP細胞の組織的なだましもある。

 
posted by 老鶯 at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2014年03月13日

なぜ復興がすすまないのか (原発警戒区域ではもう60パーセントも帰らないから町の崩壊)

 
なぜ復興がすすまないのか

(原発警戒区域ではもう60パーセントも帰らないから町の崩壊)

全体の復興のために心が一つになれない

今回の津波原発被害でなぜ復興がすすまないのか?
神戸と比べるとその復興度合いがあまりにも差がある。
その原因の一つが小さなコミニュティが分散していて破壊されたことなのだ
神戸は大都会だから狭い地域に人が密集したことで被害があったのだけど
復興する時はその狭い一区域を復興すれば良いから早く進んだ

ところが津波原発の被害は広範囲だからその狭い範囲で集中的に復興ができない
これだけ被害地域が広いと分散していると政府でも集中しててきない
そしてその狭い分散した地域でも現代のインフラを用意しないと住みたくないとなる
だから石巻で近くにスーパーがないから住みたくないというのは意外だった
石巻は大都会だから他にも大きなスーパーがあるからだ
でも年寄りにとっては近くにないと不便になるからだ
石巻でも高齢化社会の問題がでてきている
市役所ではそうした街作りで家を建てる計画しても住まないという人が増えている
そうなると家が建てても肝心の人が住まないのだから復興はありえないのである。


そして浪江町なども60パーセントが帰らないという、全国に避難者は散らばっていて
岡山県辺りにもいてその人たちが集まったが3年たってここは田舎的な風景もあっていいと帰らないという。
浪江町の役所の人が説得しても帰らないという。
こうなると町民がいなくなれば役所の公務員も職を失う危機になっている。
町村が崩壊してなくなるという危機にさらされているのだ。
ただコンパクトシティとして廃炉事業の宿泊所、支援所として小規模で町を残そうという計画をしている。
最低で5000人単位で残そうとしている。
それは将来に30年後でも浪江町に帰ってくる人がいるかもしれないということを予想しているからだという。

それはありうる。浪江町の人でなくても田舎に住みたいと言う人は今でもいるからである。
だから土地が少ない日本ではやはり住環境が改善されれば住む人はででくる。
ただ現代では5000人規模の町では医者もいないとか住みにくいだろう。
だから余計住みたくないという人が増えてくる

それから移住先がかえって住みよいということも現代ではありうる。
岡山県などもし大阪に近ければ交通の便はいいし海もあるし山もあるし
それなりに自然があるから東京とは違うから住みたいともなる
あの辺は歴史もあるから住みたいと自分も思った。
東京は住みたくないが関西は琵琶湖だって近くなるから自然と歴史があるから住みたいとなる

ただ南相馬市でも浪江町が無人の町になっては困る。
コンパクトシティでも廃炉事業の支援の町でも残ってほしいとなる。
なぜなら浪江町は高瀬川渓谷とかの山水画のような自然景観がいいところがあり
そこに行きたいとなるから小規模でもそこに町がないとあるのでは大違いになるのだ。それは飯館村でも同じである。
そこで飲み食いする場所も欲しいのである。
小規模でも町があればそうしたところにも行きやすくなるからだ。


いづれにしろ今回の災害の復興の進まない理由はなになかのかとなると見えてきたのは
それぞれの個々の家とか個人の事情とかそういうものをいちいち考慮していると復興はできない
街全体をコミニュティ全体を復興させるのだという強い意志がないと復興はできない、
いちいち個々の事情をとりあげてそれを考慮していたら全体を計画しても計画倒れになり復興はすすまない。
強制的にここに住んでくれとか配置しない限りできないという状態になっている。
でもそんなこと民主主義社会ではできないからもう町の復興できないとあきらめるようになる。

現代は江戸時代とは違う、どこにでも住める、補償金一億円もらったら他に住んだ方がいいともなるだろう。
無理して条件の悪いところに住む理由がないのである。
それでも人によって価値観が違うからどこまでも町を離れず住みたいという人はいる
それぞれの価値観に基づいて自由に住めるのが現代だからそうなる。
そのことがかえってもう帰らないという人が増えた原因なのである。


結局こういう大災害になった結果、何が起きたのか、建物も崩壊したがコミニュティも崩壊したのである。
コミニュティとは建物だけではない、その土地とか人間のつながりとか先祖代々の歴史的つながりとかいろいろある。
そういうものが破壊された。
だから全体を復興させようとしてもできない、それは全員の意志が一つにならねばできないからだ。
するとそこでは犠牲になる人もでてくる。嫌だけれど我慢することもできてくる。
そんな我慢するより暮らしいい方に移った方がいいとなった。
誰も好んで苦労する人はいないのである。
楽をしたいというのが人情なのである。それをとがめることはできない。


明治時代るち侍が職を失って北海道に伊達藩の亘理の人が北海道に移住したりしたのは
全員が一つとなって苦しくてもそこに住む場所を求めて住んで伊達市になった。
それは他に行く場所もないから荒地も目指して進んで行った。
その時はみんな心も一眼となっていたからできたことなのである。
今はどこにでも移れるし楽なところで住みたいとなりバラバラになってしまうのである。
もし補償金ももらえずもう町を離れられないとか強制されれば住む人もいるが
一億円もらえるなら他で住もうというのが人情でありそれは責められないのである。


だから今回は個々人が復興しようとしても全体で一つの意志にならないと復興できない、
でもそれがかえって神戸のような狭い地域に密集して住んでいたら集中できた。
それが分散してコミニュティが物心両面で破壊されたから復興がすすまない。
補償金はたくさんもらっても復興できないのは全体を回復して復興しようとするとき
そういう全体を復興させようとする心が一つになれないからいくら金を注ぎ込んでもできないのである。
それは金銭の問題より精神的な問題でありそういう一つになる意志がもてない
町でも全体を医者でも商店でも農業でも一つになり町があるんだという意識がもてない、
町民といっても市民といっても心が一つになれないから復興できないということもある。
それはいくら金を注ぎ込んで計画を立てて住んで復興してくださいといっても住民には
そういう全体を復興させるという意志がなかったらできない
その中で自分だけは犠牲になりたくない、嫌なことを引き受けたくないとなると復興はできない、
そんな所より楽な所に移った方がいいとなったのである。
楽なところ住むに条件のいいところへ移ってゆく。
だから仙台市周辺は人口が増大したことでもわかる。
東北では仙台が一番の都会だからそうなる。長町にも仮設住宅があった。

そもそも震災前でも不便な所には住みたくない便利な所に住みたいということがあった。
だからこの際便利なところに住みたいとなる。それで大内村でも帰らなくなった。
要するに震災前でもそうした問題がありそれが津波や原発事故で露になったのである。

金だけが頼りだというのも田舎でも同じであり金さえあればいいということは
補償金一億円もらえるなら他で暮らした方がいいとなる
もちろん老人などは金より故郷で暮らした思い出が価値があるというのがある
でも若い人はそうとはならない、むしろ便利な都会の方がいいと考える人が多かった
だから金によって前々からも田舎でも金さえあればどこに住んでもいいということが現実化したとなる
そのことが津波原発事故で現実の問題となり故郷に固執する人は少なく他に移る原因でもあった。
現代はだから故郷に執着する人は農業主体の社会じゃないからそもそもなっかたから
故郷でも離れることに固執しないということもあった
ただそうしたことも個々人の価値観の相違があり影響する

posted by 老鶯 at 19:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年03月14日

夏に燃える雲雀が原 (野馬追い神旗争奪戦ー詩)


夏に燃える雲雀が原

(野馬追い神旗争奪戦ー詩)

nomaoigenerall13.jpg


大将が雲雀が原に到着

nagareougi12.jpg
相馬流山の踊り


JINNKI11.jpg
ここはクリック拡大



雲雀が原に続々と相馬の武士の結集する
宇多郷、北郷、中ノ郷、小高郷、標葉郷、
三社の神輿をかつぎねり歩く
大将の兜に身をひきしめその凛々しさよ
夏の真白き雲の沸き上がり
日ざしは強く照りさしぬ
相馬流山の軍歌は朗々とひびきわたり
打ち揃い金の扇は一切に翻り光を受けてまぶしも
夏空に神旗はあがり
この時馬はいななき競いせりあい
この時雲雀が原は戦場なれ
神旗をとれば馬も踊り跳ね御本陣に向かう
人馬一体となり御本陣に駆け上る
武士(もののふ)の誉れよ、馬も人も
殿よりの褒美を受けて誇らしく
かの武士は誰そ、いづこの家や村や
その旗指物の一段と映えにけり
注目の的となりしこの一時よ
そのために一年の長きを馬を飼う
青春の日の蘇りしように
真夏の暑さに馬も人も奮闘する
野馬追いの日の待ち遠しかも
その時の相馬の武士(もののふ)の奮いたち
法螺貝は街中にひびきわたり
晴れ舞台に夏の日ざしをまともに受ける


 

伊達に抗して荒ぶる馬

 

黄金の扇のそろい日に映え眩しも

竹に雀は仙台様の御紋、相馬六万石、九曜星

粛々と相馬流れ山の軍歌ひびけり

いななきて荒ぶる馬は伊達に抗す

相馬の武士(もののふ)の心意気

武田流法螺貝鳴りて先陣を切るは

誰が家の旗印、馬も勇み馳せるも

御使い番−若者一の旗走りゆく

中ノ郷、小高郷、標葉郷、北郷、宇多郷

雲雀が原に総結集して旗の列

かつては山中郷も一枚加わりしも

ここに鍛えて伊達を退ける昔の武勇

いななきて荒ぶる馬は伊達に抗す

緋の母衣大将の威風堂々と従者

先頭に藩主の旗、最後尾に藩公奥方旗

相馬藩主の若殿を守り列なす絵巻かな

本陣に勲し駆け上る旗印は誰が家そ 

雲雀が原に今し夏の雲湧きにけるかも
 
今や城より出て主君から厳しき命下る

馬上一せいに勇ましき法螺貝鳴りわたり

相馬の山々、大地、海にも木霊して

藩主の下に 集結して打ち揃う相馬の武士(もののふ)

先祖代々の旗印はなびきて華麗に練り歩く

相馬流山の軍歌の雄々しくひびき

藩内の社もここに総結集して雲雀が原へ

武田菱の旗の護衛に総大将の紫の衣鮮やかに

先導す一の旗の伝令の若者は駆けめぐる

雲雀が原に千の旗ゆれ御神旗を馬せりあいて奪い合う

主君の誉れを得むと馳せ上る若武者の馬よ

この時老将も勇みかつての武勲の蘇る

人馬一体、荒ぶる馬の鼻息荒しも

山中郷、中ノ郷、小高郷、標葉郷、北郷、宇多郷

代々の郷士、大地を耕し郷土を守る者たち

今雲雀が原に相馬藩の力は結集せり

夏の大空に法螺貝はひびきわたり

村々に土着して、代々の旗は眩しい光のなかにはためけり

相馬藩の隅々の力のここに総決起して伊達に立ち向かう

三百年つづきて変わらず君主をいただき

相馬の武士の誇らかに年に一度の祭りかな


詩としては前の方が優れていた。今回はただ夏の野馬追いということで作った。

野馬追いでは雲雀が原の神旗争奪戦て最高潮にもりあがる。
野馬追いが旗祭りというとき、旗の種類は多い。


平成4年の約、408騎を調査した結果


伝来旗 101

役旗 140
家紋旗 69
創作旗 43
(原町市市史10)

旗で多いのが意外と役旗だった。何が役旗見ていてもわかりにくい、
伝令の一の旗はわかりやすいが他はわかりにくい、
でも役旗が多いということは戦場では何かの役目があって旗があった。
旗を見て戦場で戦った。だから役旗は実際は一番大事になる。
家紋旗は最近増えているのは伝来の旗が布であり劣化して残らないからだそうである。
鎧とか兜は残っているというのもわかる。鉄だから残りやすいのである。
確かに布だと痛みは激しくなるからいつまでも使えない、それで家紋旗に変える。
野馬追いは歴史の再現だから創作旗はまれだと思っていたが多くなっている。


野馬追いでいつも不思議に思うのは何であんなに華麗であり美的なのかということがある。
殺し合いのときそんなに飾りつけることに夢中になることが今では解せないのである。
「昔はその家紋に代わって図柄を工夫して、ほかには絶対にないというものを作った」

こういうふうだから図柄にこった。他にないものを作るには独創的になるから芸術的にもなる。
それでも戦場にゆく、人を殺しにゆくという時、何かあんなに鎧でも実用性があっても装飾性があるこが解せないのである。

現実に明治維新の時の戦争は着飾る武士はなく機能的な兵士になった。
さらに元体の戦争は機械の戦争でもあり着飾るものもなくただ
人を大量に殺せばいいとか戦争ですら非人間的なものになっていった。
そしてついにロボットが戦場で人を殺しロボット同士が殺し合う
SFの世界が現実化している。そこにはもう人間臭いものもなくなる。


兜でもあれをかぶると身がひきしまるし見ている方も格好いいとかなる。
庶民が武士になりたいうといときあのような格好いいということを見ればそうなる。
今は兵士になりたいという人はいない、ただ人殺しの機械のようにされるからである。
全面に出てくるのは人間ではない、最先端の飛行機とか戦車とか船とか主役は兵器であって人間ではない。

野馬追いで感じるのは野馬追いの時だけ馬も生きる。馬も街中を通りいななき着飾って馬も誇らしく見える。
馬もその時人間と同じなのである。馬は今競争馬としてしか生きていない。
この時は昔の晴れ舞台にもどる。馬が一頭だけではない相当な数として馬が活きていることを実感する。
旗祭りだけど馬の祭りでもある。


ともかくこの辺では標葉郷は浪江町だけどそこが消失すると規模が若干小さくなる。
やはり野馬追いは数が多いと圧巻になる。江戸時代は山中郷の今の飯館村からも出ていた。
大熊町や双葉町も相馬藩内だった。その相馬藩が一部欠けてしまう。

祭りは地域を一体化するものであることは確かである。
一体と化した相馬藩を実際に見れるのが野馬追いである。そこに祭りの意義がある。
ただ野馬追いに参加している人は500頭出たとしても500家族だから少ない、人口が10万として500所帯しか出ないのである。
武士は相馬藩でも選ばれた人たちだった。ただ相馬藩では武士といっても在郷給人が多く農民であり武士だったのが多い。
鍬先給人がいたように何か農民的なのである。

今でも野馬追いに出るのは農家であり相馬藩でも相馬市の街内から出る人はほとんといないのである。
城下町を形成していた時は野馬追いの訓練にてていたが明治以降は城がなくなったきだからいなくなった。
でも相馬市は鉄道が通っても町並みはもとのままであり防衛のために細い道が多く入り組んでいる。

野馬追いは一年に一度の晴れ舞台だとは言える。だから金がかかっても出たいとなるがみんながでれわけではない、
そこに祭りとして問題がある。

青森のネブタ祭りが誰でも飛び入りでもハネトとなって参加できるのとは違う。
つまり相馬藩内でもただ見ている人が大勢であり実際に祭りに参加できるのは極めて限られた選ばれた人たちなのである。
だから完全に実際に祭りに参加する人とたた見る人に分かれてしまうのである。

野馬追いは写真をとる題材としていいのだが意外といい写真がとれない
地元の人でもとれない、それは動いているからいい場面をとりにがすのでてある。
そして祭りは一年に一回しかないから写真は祭りの時したとれない
だから写真とるとなるとここに長年住んでもいい写真がとれなかったのである。

posted by 老鶯 at 15:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2014年03月15日

高齢者の一人暮らしが増える問題 (犯罪の増加や社会にも影響する)


高齢者の一人暮らしが増える問題

(犯罪の増加や社会にも影響する)

なぜ高齢者の一人暮らしが増えてくるのか?
それは家族の変化もある。
核家族化してかつての大家族は消失した
農業労働は核家族ではできない、大家族がいいという社会背景もあった
核家族は会社や工場で働かせるには都会へ労働者を集中させるのには向いていた
家族も社会の変化に対応してそうなったのである。


そういうふうに社会が変化すると家族も旧来のモラルも変化する
例えは姑嫁の問題も今は逆転している
嫁の方に気を使い姑は嫁と一緒に住みたくないまた住めないとなり
その人たちは一人暮らしになりやすい
力関係は逆転してしまった
そうなると姑は60代でまだ若く一人暮らしになる
そこで枯れるというのは少なくぎらきらした欲望があり問題を起こす
自分もそうした人に犯罪にあった。
自分も社会の変化の被害者でもあった。


一人暮らしになる要因が現代は増えている
まず熟年離婚も増えている
戦後は女性の権利意識が強くなっているから男性に一方的に従うことはない
子供がいる時は我慢していても子供が成長すれば離婚しやすくなる
経済的にも離婚しやすい条件が整ってくると余計にそうなる
嫌な夫と一緒にいたくないとなるともうとめられない
特に会話がないということも離婚の原因になるみたいだ
「何にも会話かない」そういう言う60代の女性が二人知って
一人は離婚して一人も離婚を考えている
それは確かに夫が悪くてそうなっているみたいだ


ともかく60代以上の夫婦でも一人暮らしになるリスクを相当にかかえている
一人は60代で妻をなくして一人暮らしになった。
それで家事ができなくてないていたという
糖尿病の体質だから食事に気をつけねばならない
その料理は一人で家でやるほかないから大変である
つまり夫婦でも一方が死ねば一人暮らしになる
子供と一緒に住む人は恵まれている
そして一人暮らしに耐える用意のできている人はまれである
突然一人暮らしに追い込まれるから辛いのである
妻をなくした人も突然に死んだからそうなったのである

その人は津波の被害にもあって一人だったから辛かった
その時近くに助ける女性がいてその人と友達になった

その女性はコミニケーション能力があり権利をどこまでも主張する
団塊世代の新しい女性のタイプなのだろうか
まず旧来の従順な女性のタイプではないから普通は嫌われるだろう
その女性は他の女性とはそもそも違っている
0型特有の個性的な女性なのだろうか
まず執拗に自分を主張してあきらめない
賃金未払いがありそれも権利としては正しいので執拗に請求する
あういうひとは確かに政治家や経営者や営業に向いている
執拗にあきらめず自分を正しいと思うことを追求する


その女性は中卒だから学問がなくてもいろいろな機関を利用する
人でも利用するのが上手なのである
要するにとんな人でも交渉力がある
あんな女性がいることも驚きだった
田舎では何かそんなに権利など主張しない
東北人は特にそういうことをしないと言われてきたからである。

ただ団塊の世代の男性と全く同じタイプであったのだろう
戦前にはあのようなタイプの人は庶民にはいなかった
女性の権利を主張していたのは学のある知的な選ばれた人だった
今は庶民でもそうして権利を執拗に主張する人がいるということである

もちろん人間にはいろんなタイプがいる。

でも大正生まれとか戦前生まれとか戦後生まれの団塊世代とかでは
それなりの性格が作られてきた
団塊の世代は戦前の滅私奉公とか国家に奉仕するとかのモラルがほとんどない
そういう教育は全く受けていないから国家意識は非常に希薄である
ただ民主主義であり男女平等とか様々な面で平等意識は異常に強いのである
そしてそれにともなって権利意識も強い、それは悪いことではないが
あまりにも権利を主張すると悪い面にもなる
そういう一面はその女性にもあった。


離婚がふえるというとき団塊の世代でも離婚が多いしその下の世代でも離婚が多い、
それは女性は忍従するものだというモラルが消失したからである。
男女平等であり嫌だとなれば忍従することはない離婚する
経済的にも自立しやすくなれば余計にそうなる。
今は離婚しない人接しない人は今はいない
その結果として一人暮らしも増えるのである
だから一人暮らしが社会的問題になる

まず高齢者の一人暮らしは様々な問題をかかえる
老人の一人暮らしはいろいろな面でいいものではない
精神的にも健康的にも良くない
だから男性の一人暮らしは寿命が縮まることでもわかる

これからの高齢者の一人暮らしは何からの共同性が必要になっている
なぜなら大家族で暮らすこともできない、一人暮らしになりやすい
するといろんな面で一人暮らしでも暮らしやすい社会がいいとなる
それはただ人間関係でも一緒にやれる人とやれない人がいる
あの人ととは絶対に嫌だともなる
だから制度的に整えても人間関係は簡単には作れないのである

ただ老人の一人暮らしは犯罪にあいやすかったり
家を留守にして水道管が破裂していたりとか何か問題が起きやすいのである
だから一人暮らし同士助け合うということが必要になる
そういうことは社会的な問題になもなっているし
政治の問題にもなるが互いの自助努力も必要になっている時代である。

春の俳句十句 (横峰の堤の二宮神社を回り原町へ)


春の俳句十句

(横峰の堤の二宮神社を回り原町へ)

kunumiyamaaaa11.jpg
ninomiyameeee111.jpg


sssribver11.jpg


樅の木や二宮神社冬を越す

相馬藩二宮神社や春の雲
耕やさむ小さき畑春の雲
老守る小さき畑や春の雲
広々と横峰の堤春の鴨
竹ゆれて流れの早し春の川
国見山南相馬や春の雲
鴨眠る水面に微笑む春の月
我が家の猫にやさしく春の月

春の日や母なお生きて百才に

tutumiiii11.jpg


すべてクリック拡大


横峰堤は結構大きい、堤は結構大きいものがある。鹿島区には大きな堤がある。
溜め池は意外とこれもわかりにくい。北海老の溜め池も
あそこにあんなに広いのがあったのに気づかなかった。
唐神堤は一番大きい。横峰堤にはまだ白鳥がいた。
白鳥はまだ帰らないのは今年は寒いからである。
堤はあきらかに自然でありこれも松原と同じようなものだった。
こういうふうに広い溜め池があると気持がいい。

その堤の脇に「報徳二宮神社」があった。
これだけはっきり二宮神社とあるのはめずらしい。
相馬藩では二宮尊徳のことをか常に語られるけど神社になっているのははじめて見た。
意外と相馬藩ですべてを知ることはできない

人間は灯台下暗しだと何度も書いたけどここはいいところだなと感じるのも時間がかかる堤などあまり注目しないこともある。
でもこれも第二の自然だからやはり気持いいのである。
要するに人間は一番近くの日常的なものの良さを認識できないのである。
だから今回の災害で故郷に住めなくなったけど改めて故郷を見直すことになった
そして当たり前の日常を失った時、その当たり前のことが本当は大事なものだったことに気づいたのである。
あまりにも当たり前だから気づかなかったのである。


故郷がいいな感じる時は自然でありまたそこにいる人間がいいなと思った時だろう
原発事故で田んぼが作れないのだから溜め池は用がない、ただ白鳥や鴨の池となってしまっている。
溜め池から水が流れて田んぼがあるときそれが故郷の原風景になる
だからどううしても田んぼかない風景はイメージすらできなかった。
ソーラーパネルとか風車を作ってもそれが景観的には故郷としては嫌なのである。
そういう故郷の風景になじむだろうかとなる

今日は春らしかったけど昨日だって風が冷たかった。
今日は春らしいから原町まで行ったまずこの辺は新しい家が百軒以上建っているだろう。
次々に建っている。なぜヘリコプターが二台もある新しい家が建っていた。
あれも趣味なのか何なのか外部から入って来た人なのか、新築の家が目立つ。

新田川の上流の流れは早く水かさがある。
やはり今年は雪解けの水なのだろう。
山には相当な雪が積もったからあれだけの水がながれてくる。
それも春らしいとなる。

国見山はちょうど南相馬市の真ん中にある。今までは原町の山だった。
でも小高区と原町区と鹿島区が視界にぴったり収まる
だから南相馬市は地理的には一体だった。
相馬市は国見山から視界に入らないのである。

南とつくだけでまた何かあたたかく感じるから不思議なのである。
南とついただけでどこでもあたたかく感じる。
北とついただけで寒く感じるのも地名の不思議である。
北海老とか北屋形となると実際に陰になり暗い感じになっていたのである。


春の雲というとき、知っている人が耕す小さな畑をテーマにして作った。
老人が耕すにはちょうどいい小さな畑なのである。
それでもいろいろなものがとれる。結構その畑を耕すのも手間なのである。

春の月が川の水面に写ってゆれていた。満月だった。
そしてニャオーと近寄ってくる猫にもやさくしなった
この猫はなれていないけど近寄るときあるからその時警戒をといている
この猫も虐待されたからなれない
つまりこの猫も自分と同じだったのだ
自分もこの六年間は虐待されてきたのである
だからこの猫の気持ちがわかり家族の一員のように思えたのである

何か今日は平和を感じたしまだ復興は先でも平和になってゆくのだろうか?
それでも警戒区域で故郷に帰れないとなった人たちの気持はどういうものなのか?
こうして南相馬市はまだ故郷があって春になる
田畑は復興していないが田畑も復興すれば元にもどったとも感じるだろう。
その喜びも大きいものとなるだろう。
それにしても大きな変化でありその先が見えないのである
ともかく自分の個人的なものでも何か平和を感じた


母は百才まで生きるのだろうか
それも自分の家にとってはめでたいことだった
要するにようやく内も外も平和を感じた
ただ何か忙しいことはたしかであるしまたいつ様態が悪くなるかわからない
ただ百才を目指していることだけは言える

人間はいつまでも苦しいことばかり災難ばかりはつづかないだろう
そんなにつづいたら生きるのさえ嫌になる
今日一日は本当に春らしい春を感じた
やはり災害から三年たちさらに時間がたってゆくと自然にもなごんでくる
自然もそんなに過酷だったらこれも生きるのも地獄になるだろう。
200年とか400年とかまたこんな災害があるとは思えないのである
ただこんな大災害は津波でも長い時間の中では必ず来るということを知ったのである

2014年03月17日

最近南相馬市で見かけた新しいもの (トレイラーハウスにペリコプターをもつ家)


最近南相馬市で見かけた新しいもの

(トレイラーハウスにペリコプターをもつ家)

traior.jpg


これは運ぶには楽でなかった。でも運ぶようにできているものでもあった。
前に運転する車両が接続していあった。
これは車両であり土地は駐車場のように借りたのだろう
これに電気を接続すればそれなりに簡易宿泊所として使える
別荘として使っている人もいる。
ただトイレとかいろいろ設備を入れると高くなる。
でも家を建てるよりはかなり安くなる
ただこれは移動するのはむずかしい
だから別荘用としてはいい
この辺で増えたのはホテルであり
今も外部の人が泊まる場所が必要だから近くに建った

ナンバーをつけていれば、陸運事務所管轄で。
ナンバーを外して、固定すると、市から固定資産税が少し掛かります


loghouseeee11.jpg


これは何なのか、趣味なのか、ラジコンで動かすのか、仕事用なのか
人が乗れるように大きい、撮影するためのもきなのか、何かわからない
でもこれだけ大きいもの二つあると仕事用なのかもしれない
薪を燃料にしているのか山の方にログハウスを建てていた
この辺では東京とか外部から入って住むようになった人もいる
そういう人かもしれない、
原発事故以後は何かそうした新しいものもがこの辺では入ってくる

こういうのは許可なく写真とるとまずいかもしれない
プログでも公表するから問題になる

場所は特定しないからいいかもしれない
文句が来なければいいのかもしれない
嫌がる人はいるから勝手に人の家の写真はとれない

posted by 老鶯 at 10:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

福寿草(猫と石と家)


福寿草(猫と石と家)

catgardenn1.jpg


fukujyusouu11.jpg


幸いや石の動かず福寿草

春日さし動かぬ石や介護かな
我が家になじみし猫や福寿草
我が庭を猫の歩みぬ福寿草


新田川流れの光り春の日や原町に来て国見山見ゆ

niitagawa111.jpg


今日はあたたかでまさに春だった。原町の実家と鹿島の墓参りした。
墓は立派な墓を残すべきではない、跡継ぎがいないと金かけて立派な墓を作ってもあとは邪魔になるだけである。そして墓は簡単に取り壊すことができない
もし卒塔婆のようなものを建てるだけだったら取り除くのも簡単だからいいのである。
そもそも墓に前は土葬していたし墓に骨入れること自体めんどうなことになる。
骨が入っているとそこに死者がまだいるとなる。

だからなんか骨をもってゆくと死者が墓からいなくなったような気分になるだろう
そこがまさしく空っぽになって何もないとなる。
親戚で骨をもってゆくというがすでに墓に名前と戒名は刻んでいる
でもその人は娘になっているから骨をもってゆくとその名前と戒名も消すほかないのだろか?

これも死者が何なのかわからないからどうして処理していいかわからないのだ。
彼岸になったので墓掃除とか墓参りしたのでまた考えた。

新田川が春の光がさして水面が光り国見山が見えた。
国見山は原町からしか見えない、国見山に上った時は小高、原町、鹿島区が一望に見える。
でも地上になると原町区からしか見えない、そんなに目立つ山でないから今までは注目していなかった。
鹿島区だと鍋の形をしたなべかんむり山が象徴的な山である。
必ずその市町村にはシンボル的な山があるがそれは外から来た人にはわかりにくいのだ。


福寿草が咲いて庭の石が動かない、猫も半分野良猫なのだが自分の家になじんでいる。
猫はずうずうしいのだ。座布団に座ってのうのうと休んでいる。
猫を飼うということは猫に餌をやったりと猫に仕えることになる。
猫様になってしまうのだ。ニャオニャオと餌をねだりあとはのうのうと寝ているだけである。

でも猫は家の主のように家につくという、犬は人につくという、猫は家にあっているペットなのだろう。
部屋が七つもあれば猫の部屋があってもいいとなる。
ただ便をしたので部屋にはいれない、しつけもめんどうなのである。
生き物を飼うことは手間だしめんどうなのである。
だから本当は自分はルーズだからむいていないけど餌をやっていたら家にいついてしまったのである。


母のことをふりえると92才の時、2年間アパートで暮らし、それから交通事故になり三カ月病院で暮らし、
あとは一カ月、福寿園で老人ホームに入り最近はまた一カ月入院した。92才からこれだけ動くのは辛いだろう。
結局津波原発事故で死んだ人は移動が辛いことになり環境が変わったからである。
それで老人の関連死が多くなった。
つまり前にも述べたが自分で経験したことを回りでも起きた不思議がある。
家族が分離したことや家を空けて火事場泥棒にあうということも自分は経験してきたのである。
タンス預金が津波で流されたのもあったがこれも結構な金が流れて消えたのである。
自分も津波ではないが火事場泥棒で大金は消えてしまった経験をしている。
だから自分に起きたことそして次に回りで同じようなことが起きているから何なのだろうと不思議に思ったのである。


今や石のように動かないことは幸いである。そこに福寿草か咲いている。
故郷から追われ家族が分離して落ち着く場所がないのは老人にとっては辛い。
若い内は旅ばかりしていたけどだんだん動くのが億劫になるのてある。
老人は石のように動かなくなる。それで心も安定するのである。
そこに幸いがあった。
そんな当たり前のことが幸いだったことをこの辺では気づいたのである。

2014年03月18日

原発事故の賠償金は原町区と鹿島区で大きな差 (南相馬市は賠償金で三つに分断)


原発事故の賠償金は原町区と鹿島区で大きな差

(南相馬市は賠償金で三つに分断)

hhhhhhh1.jpg


避難区域(小高区)

緊急避難準備区域(原町区) 平成23年3月11日から平成24年8月31日
屋内退避区域(鹿島区) 平成23年3月11日から9月31日


今回の賠償金はまず30キロ圏内と圏外で相当な差があった。
30キロ圏外は避難指示がでた30キロ内は屋内退避でありでていない、でも半分は避難した
30キロというのがどういう科学的根拠なのかわからない
実際は中通り郡山市とか二本松市とか福島市が線量が高くなっていたからである。


南相馬市でも鹿島区は最初賠償されない地域になっていたが同じ南相馬市ということで
一所帯100万を市の調整資金から出して原町区の人から批判があった。
それは名せか?原町区の賠償金が思った以上多かったのである。


一人10万もらえる期間か鹿島区は7カ月間しかない

原町区は18ケ月間もある
これを計算すすると
18×10 = 180万円
一人分でこれだけの金がもらえる
二人だと360万になるし3人だと548万とかなる
家族か多いと一千万くらいもらった人がいたのかとなる

こんなに原町区の人がもらっていたのか?

一人7万と計算していたのが大失敗だった

確かに鹿島区も一人十万だったから7か月分で70万で二人分で140万だった
その分は確かにもらった。でも原町区は多すぎることがわかった。
でもそんなに原町区の人たちがもらったのか?
いくらもらった聞いても原町区の人は教えない
だからやはりこういう計算だともらっているのだろう。


小高区は一人十万であるが意外と原町区はもらっていたとなる。

小高区に対して批判がおおきいか原町区に対しては鹿島区ではあまり批判しない
それは賠償金のことが良くわからなかったということがあるかもしれない

だから鹿島区の不満が大きいことがこれで一目瞭然である。

hoskouu33.jpg

hoshouuu1.jpg

原町区と鹿島区では賠償期間で大きな差がある

介護関係でも追加の賠償金が出たがこれも期間が短い鹿島区は7カ月分であり
期間が長い原町区は18ケ月分になるから額に相当な差がでる
この賠償期間が一番の問題だったのである。
せめて原町区が18カ月分ならせめて半分くらいの10カ月分くらいにすればそれほど文句がないかもしれなかった
なぜ被害はそんなに変わらないにこれだけの差があるのか解せないからである。

自分は南相馬市の屋内退避地域だから賠償金には不満がある。
ただこの30キロ圏外という位置が外部にプログでも発信するには適地だった
これが小高区とか避難区域とか原町区でも賠償金が多くもらっていると
お前はそんなにもらっているのじゃないかと外部から批判される
微妙な位置だったがある意味で客観的に見れる場所だったのである。
相馬市となると賠償金がもらえないから埒外になる。

いづれにしろ原町区でもかなりもらっているからそんなに原発事故に文句言うなよとかも
外部から国民から言われる立場になりやすい,30キロ圏外は賠償金がもらっているのは
もらっていてもそれほど多くないから客観的な立場になり外部に伝えられる

だから正直自分の家では最初に一所帯百万もらってもそれはあとでさしひかれたから
結果的に140万でありプラス介護にしても一人一万で二人分でも7カ月分だから20万にもならない
、だからこれもさほどでないとなる

でも相馬市や他でもらえない人はさらに不満になっている。
だから福島県内でも賠償金もらっている人に対する不満がある。
それで原町区の人が福島市で車をきずつけられたのはそういう不満があるからかもしれない
なぜなら福島市の方が線量は高いからである


いづれにしろ南相馬市の小高区と原町区は賠償金で不満がない
不満なのは仮設住宅を建てさせた鹿島区の人達なのである。
だから小高区の人とうまくいかないのである。
原町区のように賠償金をもらっていれば不満はなかった
現実に原町区の人たちか仮設が一杯建って小高区の人たちがいてもそんなに批判はしない
それは賠償金が原町と鹿島ではこれだけ差があったからだったのである


訂正

原町区は平成24年8月までが賠償期間です
だから一人10万円で18カ月分の支給です

さらに訂正

鹿島区でも一人一カ月10万もらっていた
だから原町区も一人一カ月10万であり18ケ月とすると額が大きい
その差は大きすぎたのである
それで鹿島区は不満なのである

ただ外部からはそれほど批判される額にはなっていなかった

いづれにしろもし原町区がこれだけもらっていれば
鹿島区の不満は大きいし消えない
そこに大きな溝が生まれる

結局 小高区、原町区、鹿島区が合併して南相馬市になったけど
それぞれが賠償金などで分断されてしてしまった皮肉がある
南相馬市は賠償金問題で心が一つになれないのである

その大きな原因が原町区はさほど被害がないのに鹿島区とほぼ同じなのに
賠償金が意外と多くもらっていたとなる

ただ原町区の人はそれぞれどれだけこもらったかは言わない
それは意外と多くもらっているから言わないのである

原町区 一人180万

鹿島区 一人70万

この差は倍以上というのは納得いかない
なぜ原町区がこれほどもらえるのか?
それは同じ南相馬市なのに
つまり原町区は南相馬市の中心であるからか?
ここに支払えば不満を言わないからか?

そして鹿島区は除外された地域になった

?????????1

posted by 老鶯 at 17:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年03月19日

文化の相違の基は狩猟牧畜民と農耕民 (移動文明から定着文明へ)


文化の相違の基は狩猟牧畜民と農耕民

(移動文明から定着文明へ)

木や植物は大地に根を張ってゆく
徐々に時間をかけて根を張ってゆく
細密に毛根を土に伸ばしてゆく
それは女性の定着的心性である
子供を産み育てることは土着的である
子供はすぐに育たない
愛情をかけて長い時間で育つからである
だから農業は女性に向いていたのである
一粒の種をまき肥料をやり水をやり育てる
それは子供を育てるとにている
一方で狩猟はこの逆である
肉食の動物は狩をする一瞬が勝負である
その一瞬を逃すと飢え死にもなる
だから機敏に体全体が反応している
猫の耳はレーダーのように敏感に反応する
一瞬をとらえるために油断なく構えている
そして電光石火に機を見て襲いかかる
獲物をしとめるのは全身の本能の力である
一瞬のチャンスを逃すと獲物はなく飢える
死にいたる恐怖がある
だから獲物をとる機会を逃してはならない
獲物をとるために全身をぬかりなく働かせる
植物と動物の相違は男女の性のように大きい
だから狩猟民と農耕民の思考は根本的に違って
二つは一致しない文化の相違になる

文化という時、狩猟や牧畜と農耕は男女の差のように生活形態が違っている。だから互いに理解することはむずかしかった。
それでモンゴルが騎馬民族として農耕民を襲ってくる。食料がなくなるから襲ってくる。牧畜民は肉食であり農耕民は草食だともなる。
両者は理解しがたい文化の壁をもっていた。だから争いがやまなかった。
それは草食動物がいて肉食動物がいて植物と動物がいて男女がいてとその二つの世界は全く別なものなのである。
女性はどうしても農耕的な側面をもっていて狩猟や牧畜民は全く違った文化である。
農耕は女性的であり狩猟や牧畜は男性的だとなる。

言葉でもI cache a bird ととなり主語の次に動詞が即座にくることでもわかる。
それは狩猟民や牧畜民の言葉なのである。つまり主語があって常に獲物をとらえる動作に入っている言葉である。
狩猟民の感覚は農耕民とはまるで違う、瞬間が勝負である。
だからギャンブル的でもある。好機とあらば襲いかかる。
西欧文化は文明はこの狩猟民や牧畜民の系統をひく文化である。
冒険であり好機をとらえるギャンブル的であり一攫千金をものにする。
農耕民のように日々営々と働き勤め貯える感覚ではない、一気に好機をとらえ一攫千金をものにする。
そういう姿勢は狩猟民であり牧畜民である。


また狩猟民と牧畜民は移動する、動物のように絶えず移動する。狩猟民も餌を求めて移動する。
牧畜民も羊を連れて草を求めて移動する。
農耕民は定着してその土を耕して実りを得る。その差が全く互いに理解できないほど大きいから
文化を理解しあうというときそこが大きな壁となっているのだ。
商人となると移動するから狩猟民であり牧畜民的な心性となってゆく

だからヨーロッパで大航海時代が生まれたのもそのためである。
牧畜民が船を発明して海洋民族になったという人もいるのはそのためである。
そしてどちらにしろ移動する時は方向が大事になるから星が目印になる。
それで砂漠地帯や草原地帯の旗印は星と月とかになる。太陽がない。
太陽は農耕民のシンボルであり日本はそうなった。
北斗七星信仰も方向を知るためであり妙見信仰もそこから起きた。

戦国時代は侍は戦争のために移動するから狩猟民や牧畜民的になり商業が発達した。
信長の楽市楽座とかそうであり信長は商人的であり農民的ではない。
家康は農民的であり300年の鎖国時代を作った。


ただ人間の心性として農耕民的な定着性と狩猟民や牧畜民の移動性、モバイル的なものはもっている。男女があるようにそれらは別々にあるものではない、でも猫でもオスは出て歩くがメスはあまり出歩かないという時、動物でも男女の差があるのかもしれない。
男性はどうしても狩猟的であり牧畜民的である。ただ牧畜は狩猟の延長であり動物をならすということでは農耕的な側面もあったのである。狩猟は全くそうしたものはなく一発獲物を狙いとるというごけである。そこに繁殖させて増やすという志向はないからだ。

日本史でも世界史でもこの狩猟民的な牧畜民的な移動の時代と農耕の定着的なものが交互に生じてくる。江戸時代は農耕民的定着時代であり安定時代であったが明治維新以来は外国まで戦争するなど大移動時代でありその後もグローバル化で世界的移動の時代だった。全世界が狩猟民的牧畜民的大移動の時代だったのである。
その時代も一段落すると定着的農耕民的志向になる。現代があまりのグローバル化でかえって疲弊した様子が生まれているのもそのためである。グローバル化というものがすべていいものではなかった。日本文化が各地の文化が一様化されるのなどその国独自の発展生成の文化を作り得なかった。それは国内でも東京一辺倒でまねばかりの文化だったとか言われるのと同じである。
小さな畑でもそこが一つの小宇宙である。そこにはやはり富があり実りが隠されていた。それを掘り下げればそこに富が生まれる。耕せば富が生まれる。外国まで行かなくても富はその小さな狭い土地にもある。それが江戸時代だった。その後も一反でも米の収穫量は品種改良など増大したしブランド品が生まれた。米は前よりどこでもおいしくなったのである。つまり広大な土地がなくても富は生まれということである。


現代がどういう時代か、それはもうグローバル化という怪物的な経済の中で生きることではない、株でもそうである。絶えず変動して定まらない、狩猟民的一攫千金を求めるのが株式社会である。そういうのに農耕民の日本人は向いていない、こつこつと働き努力して貯えるのが農耕民だからである。株は絶えず好機をとらえ売ったり買ったりしていないともうからない。そういうのに日本人は向いていない。安定的に収入が入ってくるのが向いている。日本人は冒険的ではない、もともと農耕民でありそうした博打的な経済には向いていないのである。


現代の不安なストレス社会はやはり男性的な狩猟民的な移動社会変化社会のためである。ストレスをかかえるからタバコをやめられない、酒をやめられないとか中毒になる。
女性もストレスが大きい社会である。男女平等はいいが男と同権になるにはそれだけのストレスもかかる。そんな才能が女性にはもともとない、だから小保方さんの万能細胞も嘘だった。そんな簡単に夢のような発見はてきないものだった。
ただストレスがかかり女性でもできるんだという功名心の結果あのようになったのかもしれない。その真偽は不可解である。

日本は今グローバル化ではない,日本の土地に根ざした国風文化の再興の時代を目指すべきである。狭い土地でも故郷でも灯台下暗しであり、こんなところがあったのか?
最近近くを見直して感嘆した。一番近くの良さが見逃されていたのである。

それは震災以後に当たり前のことがいかに大事なことだったか幸せなことだった再認識したことでもわかる。
当たり前なことはそれが意識できない、失ってみて初めてそれが幸せだったと認識できる。
誰も故郷に住むことなど当たり前である。それが住めなくなったことである。
田畑があるのは当たり前でありそれがなくなったことで田畑も見直す、家族が一緒に暮らしていたのがばらばらになる。
大家族で暮らしていた家が田舎ではまだありそれがばらばらになってしまったとき、一緒に暮らしていたときが幸せだったとふりかえる。
それは結局病気になってはじめて健康のありがたさをわかったのと同じだったのである。

いづれにしろ遊牧民だと深く物事を仕事でも掘り下げられない、一定の場所に樹のように根付く時、その場所での認識が深くなる。
だから歴史的なもの長い時間で作られたものは理解しにくいのである。
だから意外と自分の住んでいる狭い場所のこと故郷のことでもわからないことが多いのである。


丈夫でよく働き病気をしないで、多産、そういう黒人同士をかけあわせて、より頑強な子供をつくらせた。牛や馬となんら変わらないやり方、つまり狩猟・牧畜民族の伝統である
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/391886949.html(心に青雲)


今日の「心に青雲」の記事は面白い。
人間をやはり動物のように家畜のように処理できるのは遊牧民だからである
こういう発想は農耕民にはできない
植物の品種改良はしても動物や人間まで同じ発想ではできない
こういうことは日常的な生活から生まれてくるからだ
人間の品種改良に抵抗がない
ナチスがアリーア人が優秀だからあとは滅亡するべきだとか言った論理になる
つまり農耕民と牧畜民の文化の差は男女の差のように大きいのである。
そのために理解できないことが多々あるのだ

2014年03月20日

放射性物質はセシウムは流れてホットスポットを作る (樋の下を計ったらわかった)

 

放射性物質はセシウムは流れてホットスポットを作る

(樋の下を計ったらわかった)

toishitaaaa1.jpg
seciumtoiii1.jpg

放射性物質は屋根にたまり水で流れ樋にでてきてたまった。
この写真では樋の出口のところが水路になって流れて砂利の所にたまった。
だから水路の所は半分くらいの放射線量であり砂利になった所は倍以上になっていた
ということはセシウムは水とともに流れる
そして流れない砂利の所でたまっている。


ただここの水路はコンクリートであり流れやすい場所だった
盛んに泥とともに放射性物質はセシウムは流れると言われた。
現実に泥とともに阿武隈河口に大量の放射性物質がたまっていたことでもわかる
セシウムはやはり泥とともに流れてどこかにたまりやすい。
だからホットスポットが各地にできる。

飯館村でも道の脇の泥を計ったら20マイクロシーベルくらいあったのには驚いた。
これも泥とともに流れてたまったところが高くなったのである。

長い間にセシウムは泥や水とともに流れてゆくのかもしれない
山や森にたまったセシウムも泥とともに流れてゆく
そして30年たつと半減する
その時は普通に人も住める状態になるのだろうか?


それでも真野ダムの水を鹿島区と相馬市では飲んでいる
これが気にかかるのである。
真野ダムの底の泥には大量の放射性物質がセシウムがたまっているからだ。
泥に付着して水にはまざらない、また水道局で除去するならいい
水道局では放射性物質の心配はないと言っている
実際にどうしても飲み水としても利用する
それで不安になっている人はいる


放射性セシウムが検出された試料を濾過して、懸濁物 質濃度と濾過後の放射性セシウム濃度を調べました。そ の結果、懸濁物質濃度が高い試料ほど放射性セシウム濃 度が高く(図2)、また、大部分の試料(43試料中41試料) では濾過後には放射性セシウムは検出されませんでした。
www.ffpri.affrc.go.jp/pubs/seikasenshu/2013/...


飛散した放射性セシウムは、今は土壌中の粘土粒子 にしっかりと吸着しており、容易には移動しません。けれども台風や大雨、融雪に伴って、それらの 土壌中の粒子とともに動く可能性があります。現に住民の方々からは、除染した場所に、周囲から 放射性セシウムが移動してきて、再汚染されることを心配する声も聞かれます。
www.ier.fukushima-u.ac.jp/documents/130116...


これはPDFでよめる、「セシウムは水で流れる」というキーワードで調べられる

つまり水ともには流れにくい、


飛散した放射性セシウムは、今は土壌中の粘土粒子 にしっかりと吸着しており、容易には移動しません。


セシウムは水の粒子に付着して流れやすい、でも純粋の水とともには流れない
だから真野ダムの底の泥にはセシウムは付着しても濾過した水道水とともには流れない
だから水道水は安全だとなる

そして樋の下の砂利にたまったセシウムは半分に減っていたけどまた下の方に流れて分散されたのかもしれない、
その辺の計測は必要である。

科学は苦手だけどこの辺では放射能をさけてとおるわけにはいかないから
子供でも興味をもつから科学に興味をもつ人もでてくるかもしれない、
しかしこの放射能問題は長い時間をかけないとどれくらい影響するかわからない、
森にたまった放射性物質はどうなるのか?それが減るのには30年とかかかるから困るのである。


今日は雨でやはり道路でも0・3マイクロシーベルとか放射線量が高くなっている。
やはり雪でもそうだが雨でも空中から雨滴について放射性物質がふってくる。
ヒロシマの原爆では黒い雨と言われた。

ともかく放射線量は明らかにホットスボットがありそこにたまっている。
だからそこを除染する必要があるのだ。

やはり屋根を除染したり樋の下などを除染するのは効果的なのだろう
ただ空中にある放射性物質がまた雪や雨とともにふって屋根にたまり
また樋の下に流れて砂利にたまるからどれだけ効果があるのかわからない
ただ放射線量は前の半分には減っている

posted by 老鶯 at 13:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連