2014年02月28日

百才生きる人の謎 (99才で血液の酸素濃度が普通の人と同じだった)


百才生きる人の謎

(99才で血液の酸素濃度が普通の人と同じだった)

 


酸素は血行を良好にする働きがあります。血液中の酸素が増えると血管の内壁に付着した コレステロールなどの不純物を一緒に流し、血液そのものを浄化し、清浄します。


血圧の安定


酸素は血圧を調整する中枢神経に好影響を与え、自律神経が安定するため、血管が自律 神経の働きにより拡張します。またヘモグロビンの活動を高めるため血圧を安定するには 酸素は必要条件の重要な物質となります。
 

心臓は生きている間拍動し続けますが、毎分70回として1日約10万回、80年間に換算すると約30億回も全身に血液を送り続けます。そして、そのエネルギー源は冠動脈から与えられる酸素だけなのです。つまり、血液を送り出す効率は心肺機能にとって死活問題なのです。運動不足や悪食などから生じる血中酸素濃度の低下は、細胞の働きを鈍らせ、やがてさまざまな成人病の原因となります
http://www2.tokai.or.jp/yamatoseitai/yamato/omote/oxas/oxas01.html

 


自分の母親は99才だけどなぜこんなに長生きしたのかわからない。
まず体力はない、細身であり力仕事はできない
胃腸がいいからじゃないかと言われたが胃腸は弱い
実際に胃腸の病気になっていた
細身の人は一般的に胃腸が弱い
自分も母とにているので細身であり胃腸が弱い
たからなぜこんなに長生きしているのかわからない


性格は真面目であり大正生まれで働くことしかしらない
紡績工場で若い時は十年間働いていた
その時環境が悪いから肺病になっても不思議ではない
それもならなかった
ともかく食事している様子を見ると食べることを真面目なのである
こつこつと一つ一つかみ砕き丁寧に食べている
自分は雑でありがつがつと食べるのとはまるで違った食べ方をしている

80まで店で仕事していたし80以降も家事をしていたし
90過ぎてもアパートの一人暮らしができていた
92才でこれだけのことができることは凄いことだろう
93才頃から弱りはじめて介護状態になった

今回入院したのはトイレに行けずホータブルトイレにも行けず
食べることもできなくなったためであった
けれども点滴したりして栄養補給してリハビリまでして
また前とは違うが回復した
トイレまで大便の時は歩いて行っている
距離は短くてもこれだけ歩くことはかなり大変なことである


そもそも何が長生きする要因なのか?
それは人それぞれであり環境も影響しているのか?
様々な因子が作用して百才生きる
母の場合は体の何が長生きする要因を作ったのか?
血液が酸素濃度が平常だということがそうなのか?
酸素がいかに人体にも大事かはわかる

運動して疲れると酸素不足からきている。
だから激しい運動したあとは酸素を注入すると元気になる
だから自転車でも疲れたら酸素水を飲んだらいいとなる
どうしてもこの頃筋肉の疲れがひどくなる
すると酸素水が効果あるのかなともなる


ニコチンが体に悪いのは血管収縮して酸素が十分に運ばれないためである
一酸化炭素も出すから酸素がとりこめなくなる
絶えずプカプカタバコを吸う60才くらいの女性がいる
その人の肌は皺が寄り10才ふけてみえる。
皮膚の色もつやつやしていない、老化が早く進んでいる
それよりその肌の感じはタバコ吸っているとみんななりやすい
タバコを吸っているとあんなふうな肌にみんななっている
その人は人より苦労しすぎてストレスが大きくタバコがやめられないのである
ただその人ととなりは悪い人ではない、性格はいいのである
だからタバコを吸っている女性がみんな性格が悪いとはならないと思った
ただ見た感じは本当に普通より一段と老けているからいい感じを与えないだろう。


ともかく百才まで生きる人はなぜ生きられるのか
その要因も一つではない、何事も原因と一つではない
例えば犯罪でも決して一つの原因ではない
いくつかの要因があってする
単に人を殺してみたいというだけでも人を殺していた人がいた
それも動機になるから人間の心理はあまりにも複雑なのである
別に金がないから盗んでいるということにはならない
病気も一つが原因でなるとは限らない
最後はたいがい合併症で死ぬ
事故だってなんだって一つの原因は起こらない
いくつかの要因が重なって事故も犯罪も起こる


長生きできるのはやはり医療の進歩もあり栄養もいいとか
やはり現代の環境が長生きができるようになっている
誰でも生活保護者でも食べるものはさほど他と変わりないのである
母の場合は性格的に何かこつこつと無駄なく生きるタイプであり
それが性格的な長生きなのか遺伝子なのか
兄弟でも姉は89才とか弟も89才とか生きた
でも一人は60才でガンで死んだ
だから遺伝子が影響しいるのかどうかはわからない
人間はみんな遺伝子では決められないからである。

いづれにしろ母はこの調子だと百才は生きるのだろう。

ただ元気でも次の日死んでいたという人もありこの年になるとわからない
トイレまで歩いたことや多少回復したことを見ているとそう思う
でもほとんど食事は朝はモチを切ったもの一つとか
ご飯にゆで卵一つとかあとはわずかの菓子くらいしか食べない
そんなで栄養がとれるのかとなる
栄養をとらないと弱ってくる
病院では点滴して栄養がとれて回復したことでもわかる


ただ人間は百才まで生きるとどんな感じになるのだろうということはある
自分にしてもこれから30年生きるということが考えられないだろう。
その時頭が正常でいられるのか、どうなふうな考えになるのかとか不思議である
30年は相当に長いからである
ただ百才の人はこれからも相当増えてゆく
一方で団塊の世代は栄養のとりすぎで糖尿病などがふえ早死にだという人もいる
これは結果を見ないとわからない

百才は一世紀だからこれだけ生きれば十分だとは言える
でも母は人生を生きたとは言えない
働きづめで花にも興味あるものが何もない
殺風景な索漠とした風景である
何かに感動することもない
ただ長生きしたということだけなのである

そういう人が人生を生きたとなるのだろうか?
それはその生い立ちが不孝だったからそうなったのである。

まあ、自分の家では百才まで生きたということは家では勝者になった
一人は若くて早く死んで敗者になったとは言える
大正生まれが百才だということはその前に明治が30年くらいあるから
それだけの月日がすぎたということなのだ

ただ津波や原発事故が起きたことを教えても何にもわからない
だから認知症になってからは世間のことはわからないのだから
生きたとはならないかもしれない
何か世間のことでも理解していればまだ生きている
認知症になると世間のこともわからなくなるから
生きているとも言えなくなる
百才まで生きてなお世間のことも自分のこともわかっていれば生きている
そういう人はやはり本当に百才を生きたとなるだろう
そういう人はいるから百才の時代とは言える