2014年02月27日

浪江町の廃炉事業のためのコンパクトシティ化構想 (小高もにた状況があるー津波でも中心部に人が集まる)


浪江町の廃炉事業のためのコンパクトシティ化構想

(小高もにた状況があるー津波でも中心部に人が集まる)


                     H24.8       H25.9
戻る・戻りたい  :  43%       29.3%  - 13.7%
 戻らない      :  21%       26.1%  + 5.1%
 判断つかず    :  34%       44.0% +10.0%



NHKのクローズアップ現代で浪江町が役所のある所を中心に廃炉事業のためのに
コンパクトシティ化構想を出してきた。放射線量の低い場所を中心に
狭い範囲で街を作りそこだけに人を集めて住む構想である。
広野町ではすでに廃炉や除染のための労働者を宿泊するホテルができてているという。
この辺で原発事故後に一番増えたのがホテルなのである。
南相馬市の鹿島区の山側の小池に最新式の通信設備をもったホテルかできた。
なんであんな離れた所に作ったのか?
駅前にでも作ればいいと思うが土地が手に入れやすいのであんな山側に作った。
ホテルは街から離れた不便な所に結構新しく建っている。


南相馬市でも津波の被害で人々が仮設に住むから人口が中心部に集まった。
復興住宅も中心部から作られている。
ただ街内には土地がないので作りにくい
でも自分の墓地の脇に三階建てくらいの復興団地が建設されているのは目立つ
明らかに街の中心部がコンパクトシティ化してきた
新しい家も中心部に多く建っている

烏崎村とか海老村か壊滅したのだから相当数の人が移動した。
中心部から4キロくらい離れていた。
その人たちもそうだが他に原町区の海岸側からの人も移動している。
小高区でも津波に襲われた地域からも移動して仮設に住んでいる。
そういう人たちここで復興住宅に入るのかどうかわからない
津波の被害者は家がないのだからなかなか小高区へは帰りたくないだろう。
かといって土地を今求めることはむずかしい。


前々から少子高齢化で限界集落などは税金の無駄使いだと言われてきた。
実際にそうした市の中心部から離れたむらが現代的生活をするための
インフラを整備するには180倍のコストがかかるというから驚く。
それだけ現代は便利な社会を維持しようとすると金がかかる
その税金はべつに全部が自治体でまかなうわけではなく国でまかなうから批判される
自治体が自ら治めると言っても地方交付税で半分が成り立っているというのが
現代である生活保護にしても4分の一は自治体だかあとは国で払っている。
それで釧路市は生活保護者は市民として不可欠だとしている。
それは生活保護者にはそれだけ金が入ってくるから財源になっているからである。

北海道は過疎化か多く生活保護者も多い
ただ釧路市は大きいからそうてはないと思っていた。
北海道は一番生活保護が多いのは基幹産業の衰退だった。
北海道はまた本州より広いからインフラ整備でも金がかかる。
高速道路を作りそこを通っていたのは熊だけだったという批判もあった

つまり北海道はコンパクトシティ化しにくい広さがあり
それが魅力なのだが現代的便利な生活をするには向いていなくなった

コンパクトシティにするとまず様々なコストが少なくてすむ。
人がまとまって住むから都市機能が中心部にあり機能しやすい
介護でも街内を回ると手間がかなりはぶける。
田舎は街内だけではない広い範囲になると車で一軒一軒回るのが手間になる
そういう福祉サービスを受けるのにも人がまとまって住むといいのである
だから従来の分散型の人口分布は便利な生活には向いていない

それは昔から田んぼを畑を作るのには土地が必要だから土地を求めて分散化した
土地が生活の基盤だからそうなった

しかし単に廃炉事業だけの街となると農業はしていのだから
コンパクトシティ化するのは楽だし効果的なのである。
街から離れた村まで下水道の設備を整えるとするとコストが何倍もかかる
ところが街内に人口が家が集中するとコストがかからない
団地がいくつも建つが団地だけで水道とかその他の設備を
共同で管理するとコストがかからないと同じである。
テレビを見るにしてもアンテナは一つ建てればいいから効率的なのである。


つくづく自分の家の問題は一人暮らしの問題は一人でも二人でもコストが同じようにかかることなだ。
大きな家をもつことはその保全に金がかかる。
だから資産がないとできないのである。
それは昔も同じであり茅葺きの大きな家の萱の葺き替えとかは大仕事だった
だから自分でも大きな家を維持して一人暮らしをするのが嫌である
たた共同生活は人間関係なとこれも問題が多すぎる
たた共同生活の方が安心であり金も節約できるし楽になる

それとコンパクトシティもにていたのである。

コンパクトシティの最大の障害が田畑を持つ農業にあった
土地がなくては農業はできないのだからそうなる。
でも工場なら工業団地があるように人を集中できるのである。
たからこそ東京でも他でも巨大都市に人が集まるようになった
そこでいろいろな現代的サービスが提供されるのである。

浪江町のコンパクトシティ化構想はまさに農業が壊滅したからかえって人だけを
中心部に集め廃炉事業に特化した街作りがしやすくなったのである。

そもそも田舎全体の市町村の政策は土地を中心になされてきた。
それは農業中心の生活形態が必然的に土地を必要としたからである。
なぜ海岸側に人が密集して住んで津波の甚大な被害にあったかというと
田畑が生活の糧だからその田畑の中には家を建てず
海岸側の狭い土地に家が集中した。
田畑の中に離れて家があるということもあるが少ない
アメリカのような広大な土地のしるところでは一軒一軒が分離して土地を所有するように農家が建っている。
日本ては特に海側は田畑の中に家が建つことが少ない
そこは米をとるところであり家を建てる所ではないようになっていた。
日本は狭い土地に制約されて村や町が作られたのである
農業が主要産業でなくなってもそうなっていたのである。


何か変なのだけど今回の津波は人工地震で起こされたものでありそのねらいは
日本の農業を衰退させてアメリカなどが農産物を日本に売りつけるために
TPPを受け入れさせるためにしたという言う人もいた。
それと不思議に符号しているのが原発事故周辺なのである。
農業が津波や放射能汚染が壊滅してコンパクトシティ化してそこでは
土地と切り離された農業ではないもので生活する他なくなっているのだ。
農産物は農家でも作らずに外から買う他ないしTPPをアメリカが通すために人工地震起こしてそうさせたとまでなる。


小高区でも帰りたくない人が増えている、それは小高区でも農業の担い手が
高齢化していて跡継ぎがいないとか問題になっていた。
これは三陸などの津波で壊滅した港もそんなところは
老人しか住んでいず金をつぎこむのは無駄だという官僚の発言もあった。
金をつぎこむとしたらバイオ関係で再生医療分野の研究に注いだ方がいいとなる

いつれにしろ小高区も浪江町と同じく中心部たけに人を集めてコンパクトシティ化する方向にもってゆくのか
帰らない人が多くなるとそういう政策もとらざるをえないだろう。

自分は前にも書いたけど田舎は田んぼがなくなったら田舎なのかということである。
山から水が流れ田んぼう潤し米ができる。
それで山は神となり平地と結びついていたというのは日本人の原風景なのでてある。
だから田んぼがない田舎が考えられないのである。
廃炉事業だけにある街というのはすでに田舎とは言えないのかもしれない
何か映画のようであり特殊な街となりそこは何なのかとなる

 
 
posted by 老鶯 at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

水道を使い井戸のことは忘れられた (農家でも井戸があっても水を運んだ苦労があった)


水道を使い井戸のことは忘れられた

(農家でも井戸があっても水を運んだ苦労があった)


男鹿赤神山五社堂の下に、姿見の井戸とよばれた古井戸が残っている。お山がけ詣りの人たちが、必ず我が身を写して試したといわれる。はっきり写れば今年の生命が保証される。写りのはっきりしないものは、災難不幸にあう。まったく写らないものは、その年のうちに死ぬこともある。などと信じられていたという。
http://namahage.is.akita-u.ac.jp/monogatari/show_detail.php?serial_no=2390


井戸にまつわる伝説は無数にあるだろう。飯館村の作見の井戸などもそうである。
今年の米の収穫がどうなるのかを井戸を見て判断する。
地下に流れる水は見えないし稲作と水は深い関係がある。
井戸の伝説が多いのは地下水が見えないからである。
百年前に降った雨が地下水となってたまっているというのも不思議である。
放射能汚染され水は地下水となり百年後にもたまり放射性物質かあったとなり
事故のことがふりかえられたりするのだろうか?
百年過ぎれば伝説化しやすいからである。


井戸については子供の時、近くの井戸から風呂の水にするためにもらってバケツで運んだ記憶がある。
街中では水を得ることすら難儀だった。
だから良く姉か大きな屋敷の家から水をもらっていた話をしていた。
「水ください・・」と頼んで井戸の水をもらっていたのである。
そこは大きな屋敷で入りづらかったのである。

街では農家での女性の同世代の人に聞くと街より恵まれていた。
井戸があるから水には不自由しない
でも井戸は今でも残っているか庭にあり家より離れている。
すると子供の時、水を運ばされたというのは同じだった。
その距離は違っていたがやはり運んでいたのである。

意外とこのことがわからなくなっていた。
昔が常にまちがってイメージしているのは戦後でも同じだった。
つまり農家では井戸があるのだから今の水道と同じように錯覚していたのである。
家の中に井戸があると思っていた。そういうのも一部はあった。
でもたいがい外にあったから水を運ぶのはそれなりに手間だった。
水を運ぶことは一つの仕事だったのである。


20リットルのバケツを毎日運ぶ女性たち

インド女性は、生活用水を手に入れる為に、一日の4分の1の時間をかけて、20リットルもの重さのバケツを運ばなければなりません。体に非常に負担がかかる為、時には大きな痛みがはしり、ひどい時には出産時に合併症を招いてしまうこともあるそうです
http://eedu.jp/blog/2013/05/24/wello-water-india/


頭に水瓶をのせて運ぶ
http://www.jaico.net/museum/5tips/4people/07headcarry.htm


今でも水を運ぶことが大仕事になっている所があるのだ。
すると水道というのはいかに便利かわかる。
家の中にあるから運ぶ手間が全くないかちいかに便利かわかる。
ただそれが当たり前になっとき、水道のもっている意味がわからなくなる。
すべて便利でも当たり前になると当然じゃないかとそのありがたさもうすれるのが普通である。

自分も農家では水を運んだりすると思っていなかった。
水は家にあるからそういうことを想像していなかった。
これだって戦後だから江戸時代とは違うのだからまちがってイメージしていた

だからいかに50年前でも間違って必ず過去をイメージしているのだ。
「遠くの親戚より近くの他人」というときそれも隣の村が遠くの親戚であった時代の諺なのである。
歩いてゆくとすると今のように広域社会ではないとすると
隣すら遠い村になっていたのである。
今は遠いというと300キロくらい離れていないと遠くはない
東京くらいだとここからは遠いとなるのだ


江戸には水道があったというとき、水道橋があるからあれは江戸が都会だった象徴だったのである。
古くはローマの水道橋がありあれもまさに先進文明の象徴だったのは
水がいかに暮らしの中で大事かを物語っていたのである。
ローマのような都会になるといかに水を確保するかか一番の問題になるからである。

過去をふりかえるとき、水を得ることの苦労は大きかった。
水道になると蛇口をひねるだけで水がでてくる。
ただそのことが水のありがたさを失わされているのだ。
水なんかいくらでもある、電気でもボタンを押せばいくらでもある
そうした感覚が人間が自然と離れてゆく原因だった
水だって自然のもの自然の恵みである
でも水道になると文明による恵みのようになる。
だから便利な文明化すると人は自然と離れ自然に感謝したりしないのである

ただ人間の宿命は何か便利になり楽だと思っても必ず苦しい面もでてくる。
便利になった、楽になったと思っていると別な重荷を背負うようになる
水道は井戸のように無料ではない、水を買うようになればその分
また苦労して金を得るために稼がなければならなくなった。
原発事故もそうした便利さを追求してきた結果起きた事故だった。
原発そのものか反自然だった。
なぜなら自然界にない物質、放射能という毒を生み出していたからである。
そこに大きな無理があり事故につながったのである。
ただ誰でも昔の水汲みや水を運ぶ苦労から解放されたいというのはわかる。
でも水道が当たり前で水道がない前に井戸があり
それで水を得ることがどれだけ難儀したかなどはイメージできなくなることが問題なのである

 
posted by 老鶯 at 14:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)