2014年02月26日

大雪の後の春の訪れ (庭の花の木がかなり折れていた)


大雪の後の春のおとずれ

(庭の花の木がかなり折れていた)

chozuhachiiiii111.jpg


石一つ庭に動かず残る雪

イワヒバに残れる雪や石の庭
我が庭を他人の手入れし芽吹きかな
街角の花屋に春の色豊か


手水鉢雪の氷りて融けじかもさしおく梅のなお咲き開く

我が庭の花木の枝の雪に折る痛々しかも大雪の後
蠟梅の枝も折れにきなかなかに今年は咲かじ大雪の後
瑞々し我が手にふれぬ雪柳近くの花屋に我は買いにき
穏やかに夕べ霞みぬ山脈に燃えゆらぎつつ春の陽没りぬ
東風吹くも山脈霞むこの夕べ知られぬ山や春陽没りゆく

我が墓の前を通りて今日も行く宝永の碑あり冬深むかも

springsunsettt11.jpg

クリック拡大


今年の大雪はそのあとも影響していた。あれだけの雪だったから花の木などが結構折れていた。
雪の重みで折れていたのだ。こういう経験は雪国ではないからこの辺ではしていない。
ただ雪国ではこういうことが度々あるのだろう。そこに雪国の厳しさを感じるだろう。
つまり植物でも動物でも野鳥でも雪国に生きるのは厳しい感じがするのである。

大雪の影響は大きかった。かなりの庭の花の木などの枝が折れていた。
雪の重みの大きさをこれで感じた。植物でもあれだけの雪に耐えるのは容易でなかったのである。
なんか異常気象でこれまで経験し得ないこと経験する。
津波もありえないことでありその体験の重さはなかなか消えない
想像より現実が今まで見たことのないもの見る

雪にしてもこの雪は重く日陰ではまだ残っている。そうでなくてもところどころ残っている。
この辺では薄くしか雪は残らない、この雪は特別だったのである。

手水鉢に凍りついで残っている雪に正月に買った梅がなお咲いていたのも驚きである。
まずこんな光景をなかなか見れないだろう。
だから写生自体がありえないことを写しだしている。
写生が短歌でも基本にあることがこれでわかる。
津波でも大雪でもそれ自体を飾らずに写生しているだけでこんな風景があるのかという驚きなのである。


他人の手に手入れされた花木が芽吹いていた。手伝いさんというものでもないが手伝ってくれる女性がいる。
成り行きで来るようになった。この女性はいろいろ話すであるがそれが長いのである。
ただ同世代で同じ場所に住んでいるから話しがあう、茶飲み友達でありもう一人夫婦のようにしている男友達がいる。
それも津波の被害の時助けられたということでそうなった。

何にしろ自分の家であれ自分の庭であれ他人の手が入れば自分のものだけとはならない、
そもそも何であれ自分で独占ふることはできない、必ず他人の労働があって家でも庭でも何でもあるからだ。
家だって自分のものだけのようでも実際はそうではない、自分だけのものなどこの世にもていなのである。
だから自分の組で三軒も空家があるのは変なのである。
そうして使わない家や土地は何の意味もない、だから持つ権利すら本当はなくなってゆく
誰か有効に利用するものが権利を得るのである。
だから小作が戦後を土地を無料で取得したのはそのためである。
労働する方に権利がありただ土地だけをもっている人には権利が喪失してゆくのである。

だから何年間も空家にしておくことは市町村でも有効利用していないのだから何の役にもたたない、
みんな土地や家も求めている時そうした空家を持つことはかなりの迷惑になってしまう。
だから土地や家や庭でも自分のものではないその子孫のものでもない、何らかの共有財産となってゆく。


今日は霞だった。春らしい穏やかな一日だった。近くの花屋でまた花を買った。
花を飾るに花を見るのにふさわしい季節となった。


春なれや名もなき山の朝霞 松尾芭蕉


みちのくの山も春なれ夕霞


この辺もともと知られていない場所だった。飯館村などもほとんど知られていなかった。
それが原発事故で世界まで知られるようになったのである。
それはいいことではなかったのである。
今頃春田になっていたしそれもない、こんなに変わること自体あまりにも無常だった。

自分の街中の墓地は毎日通っている。
だからその度に死者を意識するということはある。
あそこの墓地は意外と古い場所だった。
ただそのすぐ側に何軒も復興住宅の団地が建つ、これもあまりの変化だったのてある。
墓地は淋しい方がいいけどまるで都会化してきたのである。
これもいいものじゃいがどうにもならない、家不足はこれからもずっとつづく。