2014年02月24日

看護、介護がなぜ在宅がいいのか (病院や施設で人間を数として見ている)

 

看護、介護がなぜ在宅がいいのか

(病院や施設で人間を数として見ている)

家で介護している限りはその人は家の価値観の中でその人をみている。
家族でも千差万別だからその人が家族でどういう立場にあったの人なのかわかりにくい、
最近つきあった人も本当にわかりにくい、前の夫とともつきあっているし
障害者の息子ももっているしなんかわけわからなくなる
家族関係は本当はその家族しかわからない人間関係をもっているのかもしれない
だからその人が家族でどういう立場になったのかはその家族でないとわからない

自分の家族も外から見たらどんなことしても理解できない家族だった
そんな家族関係があるのかと不思議に思ってしまうだろう。
でもそういう家族の中で自分は育ったし最後も看取ったのである。

介護の時はその人の価値づけは家族の中で行われるのである。
家族の中でどういう働きをしたか立場にあったか、
家族にどいうふうに尽くしたかとがが問われる。

だから実際の親子関係でも全く親の働きをしなかった人もいるから
介護の時は粗末に扱われることは普通にある。
ただ害を残しただけだとそうなってしまう。
介護で自分が世話になった分しか介護しないというのもそのためである。
だから兄弟でも姉妹でも一番かわいがられたものが介護しないとかなる
親でも価値づけが兄弟姉妹で変わってくるからである。


この家族から一旦外に介護になるとまた違ってくる
ただそこではそうした複雑な家族の関係や価値づけとは違ってくる。
家族という価値づけの世界から社会的公平な価値づけが働く
それは個々の複雑な家族の価値づけではなく平等の原理が働く
その人が家族の中でどういう立場にあったのかなど関係なくなる
一人の介護者でありそれは誰々の家族というものではない
一人の病人であり介護者である

それはただその病人の様態で介護度で決められる
少しでも歩ければ早めに退院してくださいとなり
まだ重傷で歩くこともできなければ長くなる
その人がどういう家族の中で生きて来たかなどは関係ない
だから今では特養でも介護度が優先順位になる
前は身寄りがない人が優先的に入れた
今は介護度で決まりやすい
その他いろいろなことを考えても他人にはわからないからである。


結局病院や老人ホームでもそれは頭数で考える
病院では収入を増やすために一人一人の事情など考慮することはできない
10日入院だと収入が多くなるから少しでも歩けるようになったら出てくださいとなる
そして新しい人を入れることに力をそそぐのである
一人何日入院していくらだと絶えず頭で計算して対処しているだけなのである。
それは老人ホームでも同じである。


例えば経済活動でもレストランでも頭数をふやさないと利益があがらないから
一人は単に定価分を払う数にすぎない、それが経済活動である
同じ金額を払うのだからその人が特別な人とはどこにもならないのである。
数をふやせば利益もあがる。それが日常の経済活動なのである。
これは政治活動でも同じである。
一票は頭数であり数を集めない限り選挙には勝てない、
だからどんなに社会に貢献している人でも生活保護の人でも何でも一人一票なのと同じである。
カルト宗教団体でもこれは同じ考え方で人集めをする
頭数が集まればそれが数として社会へ反映させられる
それも経済活動の一環と同じなのである。
社会活動や経済活動ではその人が特別だということにはならないのである


だからそんなふうにただ頭数として計算され処理されることはわびしいとなる。
病院では死んでもそうなる。すぐにかたづけてください、葬儀屋は呼んでありますとか
ただ金として頭数で計算されて火葬場に送られる
その人をいたむ心はないのである。
でも現実に家族でもないとしたら看護するにしろ介護するにしろ
家族のようなまた何かその人への思い入れをもつことはできない
だから介護度で判定してあとは数で処理するのである。

だから議員ですら番号で呼ばれたとうことがあって怒った。
つまり病院や施設では本当に番号として処理されても不思議ではないのだ。
その個別の人間として扱う余裕もないし患者も介護者も番号として処理される

医者でも看護師でも介護士でもその人に特別思い入れをもつことはなかなかできないだろう。
次々に患者は苦し病人も苦し介護者も来るからである。
だから病院では金の計算が先になる。
早く退院させて回転率を良くしてゆくと金は効率的に入ってくるからである


ただ人間にはそれぞれの人生が個別的人生がありそこに価値がある。
それを病院や施設では考慮できない、病院では病人でありその病気をみる、
施設では介護者としてみるだけである。
家族でみるときは複雑にしろ家族的価値観でみている。

また人間には個別的人生があり価値観がありそれが本来の人間を価値づけている。
そういう方面の価値は誰かみるのかとなる。
自分はその人の話しを聞いてそういう苦労をしたんですねとかあいづちをうったりして聞いたりしているとき
相手の人生に入りその価値を認めているのである。
認知症の人でも最後まで人間としてのプライドをもっている不思議がある。
だからあなたは戦争で苦しみいろいろと辛いことを経験して生きてきたのですねとか
話を聞いてやると満足するのである

こういうことは医者も看護師も介護士もしているのはごくごくまれである
そんな余裕がないのが現場だからである
そこで人間がモノのように処理される
だから病院とかで死ぬのは嫌だとなるが最後は病院で死ぬのが8割になる

かといって在宅介護は家族にとって重荷になりすぎている。
家族が少ないからできないのである。でも国では在宅介護がおしつけているのである。
本来はそうあるべきなのだがそうできない、そこがまた介護の大きな問題なのである。
いづれにしろまた退院したら前より介護は苦しくなる
介護とが増しているからそうなる。
ただ介護される方にとっては家がいいとなるのだろう。

食事の面では病院の方が良かった
食べやすいものが出されたからである。
家だと自分はそうしたものを作れないからである。
介護を家でするのには人手が必要なのである
人手はあまっているけど活用されていない
介護士とか専門の人だけに頼るの無理がある
隣近所で昔はしていたというのもわかる
介護はそんな専門家ばかりに頼っていたらめんどうになるだけだからである。


いづれにしろ現代社会はみんな経済的には頭数として計算され個別的なものとして価値を認める所はない、
江戸時代あたりの方が人間を個別的にそれぞれの立場を尊重してみていたかもしれない、
それは人間同士が濃密に交わる社会だからそうなった。
交わる場所も村とか狭い場所だからそうなった。
ただこれもいろいろ見方がありわからない
ただ江戸時代がすべて貧困などばかりでいいことはなかったなどとはみれない
江戸時代には江戸時代なりの人間の価値観がありそこではかえって現代のように
数としてだけ処理される経済活動だったとは言えないものもあった。
ただそれを言うとまたその見方も否定される
ただ時代をみるには江戸時代でも今を見るのに参考にはなるのである。

春寒し(顔にその土地の自然が反映している)

 

春寒し(顔にその土地の自然が反映している)

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冬日さし宝永の碑の残るかな


東風吹くやかなたを思いみちのくに


春寒し鴎の二羽の真野川に朝飛び来たり山の翳りぬ

山脈に残れる雪や雲影に翳り深めぬ春寒しかも

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昨日を撮った写真だった。昨日はまだ寒かった。今日は春らしく東風(こち)が吹いた。
明らかに東風(こち)が吹く時はこの辺は春らしくなる。
この東風は九州からさらに海を渡って吹いてくるものなのだろうか?
風は地球規模で吹くから風を感じることは地球の広さを感じることに通じている。
貿易風などもあり風は一地域に吹くものとは違う。

ただこの東風が原発事故では災いしたのである。
飯館村から福島市まで東風が吹いたから放射性物質も運ばれた不運があった。
北風だったら海に半分は流されていたのである。
浜通りは海に流されたのが多かった、南相馬市でもそうだったのである。


真野川に鴎が飛んでくるというとき海が近いからである。
鴎を見れば必ず海をイメージする。
ただなぜ琵琶湖に鴎が飛んでいるのか、あそこも海と通じているとなるのか?
川をさかのぼり琵琶湖に飛んでくるのか不思議である。


山脈(やまなみ)が翳るというとき、人間の顔にも反映される。
東北人が何か暗いというとき雪国の人が暗いというとき、それは自然が反映されているからである。
雪国だったら冬の間に閉ざされて暮らしたら誰でも暗くなる。
それが顔にも反映される。
実際に沖縄の人などはそうした顔に暗さがない明るさがある。
それは九州の人でも同じである。
だから沖縄に行ったとき、あんたは東北の人だと一目見て言われた。
やはりそういう特徴を東北人はもっているのだ。
その人とは一言も話さないがわかったのである。

人間の顔にはそうした自然が自ずと反映される。

ただ東京のような大都会となる自然の反映がなくなる
だから顔に深みがなくみんな数字のようなロボットのような顔になる
そんなことまで見ている人はいないしわからない
でも海辺に住む人と山に住む人も縄文時代あたりだったら
顔を見ただけで区別できたかもしれない
今でも山岳民族が生き残っているけどその顔はそういう自然の刻印が押された顔になる。

宝永四年の碑が鹿島区の神社の脇では目立つ、あそこは神宮寺だった。
もともと神社であり後に寺になった。それで寺子屋もあり
その記念の天保の碑があった。でも気付いたのは二人だけだった。

あそこに復興住宅団地がたつから墓地としては何かふさわしくなくなった。
この辺の変わりようはあまりにも大きかったのである。