2014年02月20日

日永の変わらぬ松二本 (災害や認知症なども近代化の弊害が社会で現象化した


日永の変わらぬ松二本

(災害や認知症なども近代化の弊害が社会で現象化した



風唸り梢鋭く冬銀河


常磐木の松に春めく光かな東風にゆれつつ春そ近しも

松二本ここにしあれな変わらずに日永となりぬ道を帰りぬ


暦的には春になっても今年は寒い、確かに日は長くなっている。雪は丘の上の森の道は厚く積もっている。

今日は東風は吹かないがこの頃になると吹く時がある。
その風が一番春を浜通りでは感じる。これは山国でも同じである。東風(こち)吹けば思い起こせよう梅の花・・・その東風である。
この東風が飯館から福島市まで吹いて放射能汚染が拡大したのである。
運が悪かったといえば悪かった。北風の季節だったら海の方に流れていたのである。

六号線の原町に行く脇の道にも家が建つらしい。一軒明らかに整地した。
この辺では住宅を建てる土地を確保するのに苦労している。
田んぼがいくらでもあるじゃないかといっても簡単には住宅地には今もできない。
だからあんな狭いところでも住宅地にしようとしている。
900カ所の復興住宅地の土地が必要になっているのだからどれだけ土地が必要かわかる。
それをまとめて提供するのではなく空いている土地を先に住宅地にするからあんな狭い所も住宅地になる。


あそこには松が一本ありいつも通っているからなじみだったがあそこに家が建つとまた変わってくる。
この辺は津波でもそうだがいろんな所が変わりすぎるのである。
松二本が変わらずにここにあってほしいというとき、それはもう変わらないでほしいということがある。
次々に変わっゆくと心の平静が乱される、そもそも平成という年号が全く違ったものとなった。
動乱の時代になった。だから平成という年号は全くあっていなかったのである。
平成を願うのがふさわしいとなった。
平成という年号になったのは時代的何か平和であったからそうなった。でも実際はその逆になってしまったのである。

震災や津波や原発はいろいろなことを見直すことになった。

現代の生活は人間関係でもまず見知らぬ人と交わることが実に多い
それが悪いものではないにしろそこにまた一つの弊害が生れていた。
つまり濃密な人間関係が作れない、それは家族でも親子でもそうである。

同じ病室に認知症になった親をもっている人がいたがその親はすでに息子のことを知らないという、
自分の場合は最後まで自分のことをわかっていた。
それがなぜだろうと思ったとき、その人は親とは大人になってから離れて暮らしていたのである。

現代ではそういう人がかなりいる。広域社会だからそうなりやすい、
北海道だ鳥取だ沖縄だ、五島列島だとか外国まで嫁に行く時代である。
だから親とも離れてしまい離れてしまうと親子でも疎遠になってゆくのである。
そのことで認知症になり息子のことを忘れてしまったのかもしれない
ずっーと一緒に生活していればそういうことは認知症だからといってなりにくい。
近くでもあっていればそんなふうにならないと思う。

つまり現代とは離ればなれで広い地域で暮らすから親密さが作れないのである。
そんな生活は昔の江戸時代であり閉塞されていやだというのもわかる。
自分も若い時はそういう田舎をずっーと嫌だった。
だから実際に自分は田舎の人とはかかわって生活していないし旅ばかりしていたとなる
ただ年取ってくるとそういうめまぐるしく変わる生活に適応できなくなる
まず新しく交わる人の名前がわからなくなる。覚えられないのである。
すると前からなじみの人がいいとなる。
人だけでなく風景でも回りの環境でも変わらないものがいいともなる
どうしても保守的になるのだ。


つまり現代人の生活の弊害が便利なものに頼る生活、広域的に拡散する人間関係、
グローバル経済の弊害とか・・・そういう外へ外へと拡散する生活が果たして人間にとってみんないいものかという疑問が生れたのである。

家族さえ親密な関係がもてず相互不信の時代となりただ金だけが頼りとなり
家族も核家族から独居老人となり介護するにも一人しかいないとか一人で二人を介護させるとか国でも老人に金かかるからそうさせる。
大家族時代だったら可能でも在宅にしても家には介護する人は一人しかいないのである。
何かこれは家族でもそうだがこれらも近代的家族形態とか近代的とされたものが実は何か大きな変換を求められている現象である。
昔には帰れないにしろ昔の良さを見直して未来を考えるということにはつながる。

近代的ということがすべていいことではなかったのである。
その悪い側面が災害とか原発事故とか様々な分野で現象化してきているのである。
一番身近な家族関係でもそうなっているのだ。
それは認知症という病気が謎にしてもその病気の特徴が不思議に現代生活と関係していた。
つまりなじみある人となじみある場所では認知症の人の症状は安定する。
変わりすぎること場所でも人でも変わると安定しない
人でもずっーと一緒に暮らしていた人のことはわかるけど息子娘でも離れて暮らしている人のことはわからなくなる。
認知症の人にとって現代社会はその症状を悪化させるものばかりなのである。
だからこれも現代的近代化の一つの現象化した病気なのかともさえ思う。
もし認知症になっても江戸時代のような暮らしだったらわからずにボケたよというくらいで終わっていたかもしれない、
長生きしたことと関係していても何かそういう現代社会現象としての病気かもしれないのである。


変わらぬ松二本というとき、これは現実にあるものというより人間の心にある願いとしての松二本なのである。
それは二人の人間のことでもあるからそうなる。
津波の被害でもあまりにも変わりすぎたことなのである

日永の変わらぬ松二本 (災害や認知症なども近代化の弊害が社会で現象化した

 

日永の変わらぬ松二本

(災害や認知症なども近代化の弊害が社会で現象化した



風唸り梢鋭く冬銀河


常磐木の松に春めく光かな東風にゆれつつ春そ近しも

松二本ここにしあれな変わらずに日永となりぬ道を帰りぬ


暦的には春になっても今年は寒い、確かに日は長くなっている。雪は丘の上の森の道は厚く積もっている。

今日は東風は吹かないがこの頃になると吹く時がある。
その風が一番春を浜通りでは感じる。これは山国でも同じである。東風(こち)吹けば思い起こせよう梅の花・・・その東風である。
この東風が飯館から福島市まで吹いて放射能汚染が拡大したのである。
運が悪かったといえば悪かった。北風の季節だったら海の方に流れていたのである。

六号線の原町に行く脇の道にも家が建つらしい。一軒明らかに整地した。
この辺では住宅を建てる土地を確保するのに苦労している。
田んぼがいくらでもあるじゃないかといっても簡単には住宅地には今もできない。
だからあんな狭いところでも住宅地にしようとしている。
900カ所の復興住宅地の土地が必要になっているのだからどれだけ土地が必要かわかる。
それをまとめて提供するのではなく空いている土地を先に住宅地にするからあんな狭い所も住宅地になる。


あそこには松が一本ありいつも通っているからなじみだったがあそこに家が建つとまた変わってくる。
この辺は津波でもそうだがいろんな所が変わりすぎるのである。
松二本が変わらずにここにあってほしいというとき、それはもう変わらないでほしいということがある。
次々に変わっゆくと心の平静が乱される、そもそも平成という年号が全く違ったものとなった。
動乱の時代になった。だから平成という年号は全くあっていなかったのである。
平成を願うのがふさわしいとなった。
平成という年号になったのは時代的何か平和であったからそうなった。でも実際はその逆になってしまったのである。

震災や津波や原発はいろいろなことを見直すことになった。

現代の生活は人間関係でもまず見知らぬ人と交わることが実に多い
それが悪いものではないにしろそこにまた一つの弊害が生れていた。
つまり濃密な人間関係が作れない、それは家族でも親子でもそうである。

同じ病室に認知症になった親をもっている人がいたがその親はすでに息子のことを知らないという、
自分の場合は最後まで自分のことをわかっていた。
それがなぜだろうと思ったとき、その人は親とは大人になってから離れて暮らしていたのである。

現代ではそういう人がかなりいる。広域社会だからそうなりやすい、
北海道だ鳥取だ沖縄だ、五島列島だとか外国まで嫁に行く時代である。
だから親とも離れてしまい離れてしまうと親子でも疎遠になってゆくのである。
そのことで認知症になり息子のことを忘れてしまったのかもしれない
ずっーと一緒に生活していればそういうことは認知症だからといってなりにくい。
近くでもあっていればそんなふうにならないと思う。

つまり現代とは離ればなれで広い地域で暮らすから親密さが作れないのである。
そんな生活は昔の江戸時代であり閉塞されていやだというのもわかる。
自分も若い時はそういう田舎をずっーと嫌だった。
だから実際に自分は田舎の人とはかかわって生活していないし旅ばかりしていたとなる
ただ年取ってくるとそういうめまぐるしく変わる生活に適応できなくなる
まず新しく交わる人の名前がわからなくなる。覚えられないのである。
すると前からなじみの人がいいとなる。
人だけでなく風景でも回りの環境でも変わらないものがいいともなる
どうしても保守的になるのだ。


つまり現代人の生活の弊害が便利なものに頼る生活、広域的に拡散する人間関係、
グローバル経済の弊害とか・・・そういう外へ外へと拡散する生活が果たして人間にとってみんないいものかという疑問が生れたのである。

家族さえ親密な関係がもてず相互不信の時代となりただ金だけが頼りとなり
家族も核家族から独居老人となり介護するにも一人しかいないとか一人で二人を介護させるとか国でも老人に金かかるからそうさせる。
大家族時代だったら可能でも在宅にしても家には介護する人は一人しかいないのである。
何かこれは家族でもそうだがこれらも近代的家族形態とか近代的とされたものが実は何か大きな変換を求められている現象である。
昔には帰れないにしろ昔の良さを見直して未来を考えるということにはつながる。

近代的ということがすべていいことではなかったのである。
その悪い側面が災害とか原発事故とか様々な分野で現象化してきているのである。
一番身近な家族関係でもそうなっているのだ。
それは認知症という病気が謎にしてもその病気の特徴が不思議に現代生活と関係していた。
つまりなじみある人となじみある場所では認知症の人の症状は安定する。
変わりすぎること場所でも人でも変わると安定しない
人でもずっーと一緒に暮らしていた人のことはわかるけど息子娘でも離れて暮らしている人のことはわからなくなる。
認知症の人にとって現代社会はその症状を悪化させるものばかりなのである。
だからこれも現代的近代化の一つの現象化した病気なのかともさえ思う。
もし認知症になっても江戸時代のような暮らしだったらわからずにボケたよというくらいで終わっていたかもしれない、
長生きしたことと関係していても何かそういう現代社会現象としての病気かもしれないのである。


変わらぬ松二本というとき、これは現実にあるものというより人間の心にある願いとしての松二本なのである。
それは二人の人間のことでもあるからそうなる。
津波の被害でもあまりにも変わりすぎたことなのである

 
 

在宅介護を強いられて共倒れになる (津波、原発避難者優先で施設にはこの辺は入れない)

 

在宅介護を強いられて共倒れになる

(津波、原発避難者優先で施設にはこの辺は入れない)

なぜ原発被災地域で老人ホームなどに入りにくいかとかいとう津波、原発避難者が優先されるからである。
在宅でできないからどうにもらないなと優先される。
そもそも津波被害者は家がなくなっているのだからもう在宅ではできない、
そうすると相当数の人が被害にあって仮設に入っているのだから余計にこの辺では入れない、
これは津波の被害にあった地域では共通している

ただこの辺では原発避難者がそれより多い。

特に南相馬市の問題は小高区の人たちが大勢避難していることである。
原発避難者は優遇されている時、それはイワキの方で良く言われて
双葉や大熊の人たちの車が傷つけられたりした
南相馬市では起きていないがこれから不満が大きくなって同じようなことが起きるかもしれない

一年二年は大目にみていたが三年目になると回りの人の目が一段と厳しくなる

現実に
津波被害者と原発避難者が優先して老人ホームに入れるので入れない人がいる


二人も介護していて施設に入れない人がいるのもそのためである。
それはこうした事情があったからである。
つまり南相馬市では小高区の人たちが優先的に施設に入れるが他は入れない
そのこともやむをえないとしても他では不満になる
そして小高区の人たちは補償金をたんまりもらってパチンコなどだと遊んでいる
南相馬市のために何かするわけでもない
金があるから遊んでいればいいのだとなる
そうなると小高区の人たちへ憎しみさえ生れてくるだろう


そして100人収容の新しい老人ホームでも10人介護士を募集しても来ない
建物ができても中で働く人もいない
だから民主党の「コンクリートから人へ」という政策は実際はまちがっていなかった
コンクリートという建物より働く人の方が大事なのである。
コンクリートの建物がなくても働く人がいれば介護などはできるのである
最初に人を集め次に建物を作れば良かったのである。
それが今やどこでもできないのである


全国的にも在宅介護を強いられて共倒れになる恐怖


ここだけではなく全国的に介護は在宅が強いられて老人ホームには建物が建っても人手がたりないとか入れない、
政府では在宅を奨励しているがこれも在宅でも核家族化などで
人手がない、一人暮らしも多い。つまり在宅で介護できる人は金銭的な面だけでなく人手の面でも余裕ある家なのである。
これはここだけの問題ではないすでに深刻な問題となっている
だから介護殺人も日常的に起きてくる時代になる
いづれにしろ小高区の人たちはもう小高に帰るべきである

放射線量も低いのだから放射能の問題はない
帰って自宅に住むと補償金がもらえないから仮設に住んでいるとか働かないというのは許されなくなっている


要するに南相馬市の負担を減らすには小高区の人たちは小高に帰れ!


つまり原発避難者は特に帰れとなる。復興住宅に入れるのは津波被害者であり原発避難者ではない、
原発避難者は早く小高に帰れとなる。
なぜなら土地を取得するのも大変だし南相馬市で小高区の負担を全部を背負うことはできない、
国で援助するといっても負担は地元にかかってくる。
土地の問題でも小高には土地はあるし家もある人が多いのだから小高に帰るべきである


小高区の人たちはもう小高に帰れ!

帰らないならなんらか自立する方法を考えよ、補償金頼りで遊んでいる人は帰れ!