2014年02月19日

萌える春(抽象画)


萌える春(抽象画)

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萌える春

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緑のさざなみ

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近江の春の俳句十句 (近江は自然景観と歴史がマッチしているから魅力がある)

 

近江の春の俳句十句

(近江は自然景観と歴史がマッチしているから魅力がある)

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関が原伊吹山聳え残る雪

関が原越えて近江谷春の山
車窓より蓮華畑や近江富士
春光や近江平野を走るかな
雲にじむ大津の街や春の月
義仲寺を訪ねてあわれ柳かな
春なれど朝日将軍あわれかな
春なれや芭蕉の眠る近江かな
さざ波の都の跡や春は逝く
信長の楽市楽座栄ゆ春
京に行く春の夕暮瀬田の橋
古都なれや桜の並木慶州かな


近江には4回くらい行っている。それでも近江全部を実際に回っていない、近江の魅力は自然が残っていて自然の中に歴史が織りなされていることである。近江八景とかありそれは変わっていない。これが都市化したら変わっている。意外と農村的風景が残っているから自然が残っているから歴史でも偲ばれるのである。京都はそうした自然的風景が失われているから歴史があっても魅力が失われている。ただ庭や寺だけを見るという感じになる。

近江はまた地理的に東西を分ける地域にあることで魅力がある。関が原は東西の分かれ目であり何か景色も変わってくる。伊吹山がありここでヤマトタケルが死んだというのも何かの謂われがある。歴史も地理によって織りなされているからである。
春でも関が原辺りは寒く雪が残っている。
関が原を越えると近江平野でありそこに優美な三上山の近江富士が聳える。この山は400メートルくらいとすると低い山である。でも形がいいから目立っていて象徴的な山となっている。


春には蓮華畑が広がりその近江富士が望まれる。これも極めて近江の風景にマッチしている。電車で走ってもきれいに見える。思い出としては青春10切符で春に下関まで行き船で韓国の慶州まで行ったのは夢のようであった。近江は百済寺などがあり渡来人の国でもあった。だから韓国はより身近でありその古都にも桜並木がありわずかに咲いていたが散っていた。まさに韓国まで近江はつたながっているという気分になった。


春はやはり西の方が一段と歴史もあって春らしくなる。ただ京都でも大阪でも自然景観が都会化で損なわれているから幻滅する。つまり自然景観が昔のようにありそれと歴史がマッチしたとき魅力あるものとなる。それが近江にはある。信長の時代もありその魅力を語れば語りきれないだろう。近江は春は穏やかなのだろう。


晩年の2年近くを大津に過ごした芭蕉はその時期に、藩士、医者、町人、豪商、住職、能役者など多様な人達との交流を楽しんだ。実際、芭蕉は大津湖南地方を訪れること8回におよび、近江の風景や人間に深い愛着を抱いていたように思われる。

「死後もここで過ごしたい」
芭蕉はそのことを遺言した。

芭蕉の生涯の作品は980句確認されているらしいが、そのうち1割近くの89句が大津湖南地方で詠まれているという。奥の細道の52句に比しても、近江の密度の高さがわかる。36俳仙とよばれる弟子の国別分布をみても、近江12、江戸5、美濃・尾張各4、伊賀3、等で近江が群を抜いている。

芭蕉の近江好きは「行く春を 近江の人と 惜しみける」という句に代表される
http://www.geocities.jp/ikoi98/bashou/bashou.html

木曽義仲が眠る義仲寺に芭蕉もともに眠っている。近江が気に行ったということはやはり景色が穏やかで温暖だからだろう。荒寥とした陸奥の旅を終えて安らぎがあった。
人間的にも文化人なども多いし近江商人の出たところであり京都も近いから人の交わりも盛んな所である。実際に韓国で近江商人の末裔のうよな人に出会った。
その人から年賀状が10回も来ているが返事を出していない、いろいろあって何か余裕がないからだ。

ただ近江という時、福島県に意外と歴史的に交わりが深い。会津の蒲生氏郷は有名であり近江の日野の出身である。石田三成も現実に相馬藩に来ていて自分の住んでいる近くの田中城を訪ねていて相馬野馬追いの旗に三成の旗印が残っていた。三成は近江の出身であった。それから葛尾村(かつろう)村の葛尾村大尽という製鉄で栄えた跡には近江八景を模した庭が残っている。それは近江のヨネという女性を嫁にしたからである。
そんなところにも近江との関係がある。他にも近江商人の足跡はみちのくに残されている。それだけ近江は歴史的に広がりがあるのも魅力である。琵琶湖があり風光明媚なのことと歴史があることで語り尽くせない魅力がある。

近江では秀吉の長浜の城などは訪ねていない、近江全体を見るとなるとこれも相当な時間がかかる。なぜか自分は30年くらい旅をしていて全国を遊行していたのである。
それは今になると相当恵まれていた。高度成長時代はほとんどが企業戦士となり猛烈に働いていた時だったからである。こんなふうにして遊んでいた人はまれであった。今のニートのようなものは皆無だったからである。
こうしして今になり旅を思い出すと不思議である。旅でも印象に残る場所と残らない場所がある。近江は印象に残った場所だっから思い出して俳句や短歌を作れる。
思い出さないと作れないのである。
4回も行ったとなると近江はみちのくにいても身近なのかもしれない、心象に残っていて近江は心を豊かにする。京都は家が多く寺の街であり自然景観が近江のようにないので印象に残るのが少ない、やはり自然が映えないと歴史も建築物も映えないのである。


「行く春を 近江の人と 惜しみける」やはりこの句が近江を象徴しているのだろう。
春にふさわてい場所が近江でもあるからだ。そこにはまた人がいて近江商人のように人の活動があり自然景観だけではない、人の活動文化もあるという人なのである。

ただ戦国時代は何か芭蕉の句になっていない、信長なども句にしていないし秀吉も語られていない、芭蕉の句に城の句がない、蕪村にはあるのになぜなのだろうとなる。
何かそこには芭蕉に隠されたものがあるのかと謎になる。
なぜなら城は要でありその城を無視していることが謎になるからだ。
城をさけていたとしか思えないからである。

次は秋の部としての近江の俳句十句をだす、俳句も短歌も連作となったとき一つのものとして鑑賞できる。だから俳句短歌十句十首を出しているのである。