2014年02月16日

介護もカルマだった (親の介護は個々人によって対処が違う)


介護もカルマだった

(親の介護は個々人によって対処が違う)

私ならば、母さんに面倒を見てもらった年数を数えて、その年数お母さんの面倒をみて、「借りは返しました。出て行ってください。」と言います。トピ主さんがまず自分を大切にしないと、他人を大切にする事は不可能です。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2004/0723/008828.htm?o=0


インターネットには様々な意見や体験が述べられている。
探すのがめんどうだけど確かに参考になる

介護は兄弟がいればかわいがられた方が親の介護しろとかなり
自分はかわいがられなかったからお前しろとかなる
つまり親と子供のかかわり方によって変わってくる
親を嫌っている子供も普通にいるからそうなる
つまり介護はそうした親子の関係が現れやすいともなる
だから義理の母とか父になると介護したくないというのもわかる
何ら世話されたこともないからである

つまり介護になるとそうしたカルマが如実に否応なく現れる
そしていくら介護を強いられてもしたくないという人はしたくない
それはカルマが関係していた

母さんに面倒を見てもらった年数を数えて、その年数お母さんの面倒をみて、「借りは返しました。出て行ってください。」

ここまでカルマを数字でさえ計るのは借金を返すカルマとにている。
カルマはこれほどまでにきちんと計られ受けたらその分と同じものを返すことを要求される。
カルマは借金のとき一番わかりやすいのである。
10万借りたら10万のカルマが生じて百万借りたら百万のカルマが生じ千万借りても同じである。
おそらく10万盗んだら10万のカルマが生じ・・・となっているかもしれない
そういうふうにカルマの掟は厳しいものがある
一方的に過剰に要求したりまた返さないこともカルマをさらに負うことになる

奇妙な話だけどある雇い主が従業員に給料を払わなかった、その分をある家で世話になり何故か無料で援助してくれた。その人は何度も雇い主が払わないことを抗議していたのである。それは正当な抗議であり労働基準局に訴えるとまで言っていたしそういう権利もあった。それは半年以上給料をもらわずに働いていたから怒りがおさまらなかったのである。ただ雇い主は払う気がないし今ではその店は客もめっきり減ったので払えないという状態にある。繁盛していた時は給料は払っていたのである。
ただ払わないという時そこに何かは従業員に対して申し訳ないとかこれは少しだけどもらってくださいとかという心使いがなかったことも怒らせる原因になっていた。

でも不思議なのはその人に対して援助する人があり多少の金は払われたのである。
するとカルマの関係は複雑となる。

三者の中にカルマの因果関係ができていたのである。

karumamamam11.jpg


この図のようにカルマを負ったのは店の雇い主である。
それは客であった第三者が雇い主がはらむなかった給料の一部を払ったのだから
実は客である人に店の雇い主はカルマを負っているのだ。ただ雇い主はこのことに全く気付いていないのである。
またそれを知らないからそうなる。
つまり従業員にもカルマを背負ったし援助した客にもカルマを背負うようにっていたかのである。
こんなことを何も思わないし何も考えないだろう。
今でも別にその援助した客は店を気に入って行っているしその客自体も雇い主にカルマがある、
借りがあるとも思わないしまた雇い主もこの人はただの関係ない客の一人だと思っているのだ。

カルマは実際は複雑な社会で人間関係でどこに発生しているかわからないし気付かないのである。
でも気付かなくてもいつか気付かされきっちりと払わされることが怖いのである。

介護に関しても自分が家族を介護したのは複雑な事情があった。
60近くまで食事でも何でも世話してくれた。
それが当たり前だと思っていたのである。
しかしそのことは他の人より大きなカルマを知らずに背負っていたのである。
つまり介護はそれだけ世話になったとなるとせざるをえないし文句もなかなか言えない
そういうカルマがありそれを今自覚させられたのである。
カルマは本人が気付かないことが多いがいづれ気付かされそのカルマを借りを返すことを要求されるのである。
もちろん返さなくてもいいがするとさらなるカルマを負いいつかまた何倍にもなってカルマの借りの返還を要求させられる



もしカルマを借りを返せないとどうなるのか?


それは来世で返すことを要求される
生まれ代わり返すことが要求される



つまり今の不孝な状態はカルマを返していないとまでなるのだ
こうなったらカルマも何代もつづくとなると怖いことになる。
前世の因果でカルマでお前はそうなったとなることが言われると同じである。

おそらく客がその雇い主の店を気にいってまだ行っているというのはそのカルマと借りと関係しているかもしれない、
カルマを返してもらいたくて行っているのかもしれないということである。


カルマの法則
●この世ではカルマ(借り)を返さない人が実に多い
●カルマは気づきにくいため
●でもカルマは確実に返すことを実際の生活で要求される

●できない場合は来世へまたは次の代へとカルマは(借り)は引き継がれる

家系の因縁とか興味ある人が多いし調べている。それはなぜか?
人間の出会いとか親戚関係とかいろいろなことが謎が多いからそうなるのだ
それを解きあかそうとしても不可解なものが多すぎる
だからどうしてとなるのだ?
その一つに確かにカルマの法則がありうる
すべてではないにしろそういう法則が人間に働いていることは確かである

人間は必ずどこかでカルマを作っているしそれが気付かなくても
実際の生活で自覚させられる
なぜこんな苦労するのだというとき
それはカルマが関係していることがある
ただそれを解きあかすことが数学でないのだから複雑すぎるから気付かないのである



 


なぜ被災者は働かないのか (原発避難者の風当たりが強くなってくる)



なぜ被災者は働かないのか

(原発避難者の風当たりが強くなってくる)

つぶやきかさこ
http://kasakoblog.exblog.jp/17228759/

このサイトに要点がわかりやすく書いてある。やることないから東京でキャバクラに行った、
あとは毎日パチンコだ、汚い仕事はボランティアがやればいい、こっちはかわいそうな被災者なのだ、
補償金や義援金ももらえるし働くと失業保険の金がもらえねえしな、馬鹿らしいんだよ・・・・

こういうことも一時期はしかたなかったろう。どうしていいかもわからなかった。

でも三年目になるとそうはいかない、回りの目も相当に違ってくる。
このプログでは一年目でそう書いていたのである。
一年目ではまだまだ被災者を責めることはできなかったのである。
回りではおかしいなと見ていても見逃していた。
でも三年目になったら回りの目は厳しくなる

原発被災地でも南相馬市でも補償金で小高区と原町区と鹿島区はそれぞれ額が違っている。
一番多いのは警戒区域になった小高区である。ここは一人十万でありその他にもいろいろもらっている。
だから一家で百万もらっているというのもいる。
それでボランティアが働かないと喧嘩になった。
そのことは一年目とか二年目であった。今ではボランティアの数は相当減っている。
事情は常に時間とともに変化している
地域ごとにも変化している。

福島県内でも中通りは郡山市でも二本松市でも福島市でも放射線量が南相馬市とかより高い地域がある。
でも何ら補償金はもらっていない不満がある。
それで南相馬市の人の車が福島市で傷つけられたというのはそういう不満があるからだろうか?
その真偽はわからないにしても福島県内でも対立があるのだ。
こういうことは宮城県や岩手県ではそんなにないと思う。
そもそも原発の補償金など関係ないからである。


ただ日頃でもスーバーで何を買っているかなど主婦でも女性は見ている。
自分も今回小高の知っている人がニートでありその人がエチゴを買っていた。
こいついいもの食べているなと思った。
前には電動自転車のいいのを買っていたのもそうである。
ニートだからもともとはぎりぎりの生活でそれは贅沢の部類に入っていたことは確かである。
そんなもの贅沢ではないというのも今は言えるがその人にとって明らかに贅沢になっていたのである。
東京で遊び歩いている老人もそうだった。日頃の生活だったらんなことできなかっただろう。
だから原発事故で得したという人も結構いるのである。


ただ今までも相馬市の人はスーパーで避難者が高い買い物をしていることを何回も言っていた。
そして批判していた。働いてほしいほしいと何回も言っていたのである。
だから相馬市でも飯館村とかはあまり責められないにしても補償金がかなりもらえから
そこで回りの人はぎりぎりで生活している人もいるから嫌われる。
それで飯館村の人をトマト農家では雇わず津波の被害者を雇ったというのは別に冷たいことでも何でもなかったのである。十分に補償金で暮らせるからである。

相馬市と原発避難者の対立は南相馬市よりひどいかもしれない、
南相馬市でも鹿島区に住んでいる小高区との対立は深くなっている。
あいつらはたんまり補償金をもらっている。こっちはもらっていない、
そしてなんであの人たちは遊び暮らしているのか、そういう不満が大きくなっている。
ただ鹿島区の人も今は働いていない人が多いが小高区の人より働いている人も多いだろう。


そもそも復興というとき外部から来た人たちの力に頼っているのが現状である。
復興住宅やその他の復興事業もほとんど外部の力に頼っていたのである。
だから復興というとき、何か地元の人がみんなで協力して一つの建築物でも建てたとき
何か復興したという満足感が得られる。そういうことが今回の被災地にばないのである。
そんなことできとないということもあるがやはりみんなで何かしら
復興に尽くしたということがないのなら復興の業績はただ外部のものだけにあったとなる。
そうなると復興したのは外部の人たちであり地元の人はその時遊んでいたんだよとなり
子孫にそのことを語ることもできないだろう。
津波原発被害では地元の人はただ遊んでいただけだよ、何の苦労もしていない、
感謝するのは外部から来た人たちでありおじぃちゃんやおばあちゃんでもなかったんだよ
そんなことを子孫に言われることになるかもしれない・・・・


相馬藩の飢饉の時は越中などの人が移民して救われた。
それは歴史的に評価されているし語り継がれている。
それも外部の人たちだったとなるがでも地元に根付いて地元の人となったのだからまた違っている。
その時は残った地元の人たちも苦労したのである。

いづれにしろ原発避難者はこれからはさらに外部であれ内部であれ風当たりが強くなる。
今までのようなかわいそうな人たちとも見られるなくなるかもしれない、
何で遊んでばかりいるんだとか批判が強くなる。

それは今までは表だってはあまり言えなかったが抑えられていた感情が露にでてくるかもしれない、
そうなりつつあるからやはり今までのようなかわいそうな人たちという感覚ではこれからやっていけなくなるかもしれない、
それは南相馬市でも相馬市でも内部でもそうなってゆく。


原発避難地域の現状の矛盾

(補償金で働かない地元の人と外部の人が喧嘩!)
http://musubu2.sblo.jp/article/61677034.html

これを書いたのは2013年1月だった。それから一年またすぎた。
そしてまた状況が変わってゆく、あのころあそこの仮設の食堂は客でこんでいた。
今はめっきり減っている。それが一年前だとは思わなかった。
あのころはまだ外部から入ってくる人が多かったのだろう。
3年目になり外部からくる人は激減しているかもしれない
ただ復興住宅など10年もかかる仕事かもしれない
それだけ復興は長くかかる。
だから外部の力は以前として必要である。
しかしそれもどんどん減ってゆくことは確かなのである。

posted by 老鶯 at 19:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

なぜ被災者は働かないのか (原発避難者の風当たりが強くなってくる)

 


なぜ被災者は働かないのか

(原発避難者の風当たりが強くなってくる)

つぶやきかさこ
http://kasakoblog.exblog.jp/17228759/

このサイトに要点がわかりやすく書いてある。やることないから東京でキャバクラに行った、
あとは毎日パチンコだ、汚い仕事はボランティアがやればいい、こっちはかわいそうな被災者なのだ、
補償金や義援金ももらえるし働くと失業保険の金がもらえねえしな、馬鹿らしいんだよ・・・・

こういうことも一時期はしかたなかったろう。どうしていいかもわからなかった。

でも三年目になるとそうはいかない、回りの目も相当に違ってくる。
このプログでは一年目でそう書いていたのである。
一年目ではまだまだ被災者を責めることはできなかったのである。
回りではおかしいなと見ていても見逃していた。
でも三年目になったら回りの目は厳しくなる

原発被災地でも南相馬市でも補償金で小高区と原町区と鹿島区はそれぞれ額が違っている。
一番多いのは警戒区域になった小高区である。ここは一人十万でありその他にもいろいろもらっている。
だから一家で百万もらっているというのもいる。
それでボランティアが働かないと喧嘩になった。
そのことは一年目とか二年目であった。今ではボランティアの数は相当減っている。
事情は常に時間とともに変化している
地域ごとにも変化している。

福島県内でも中通りは郡山市でも二本松市でも福島市でも放射線量が南相馬市とかより高い地域がある。
でも何ら補償金はもらっていない不満がある。
それで南相馬市の人の車が福島市で傷つけられたというのはそういう不満があるからだろうか?
その真偽はわからないにしても福島県内でも対立があるのだ。
こういうことは宮城県や岩手県ではそんなにないと思う。
そもそも原発の補償金など関係ないからである。


ただ日頃でもスーバーで何を買っているかなど主婦でも女性は見ている。
自分も今回小高の知っている人がニートでありその人がエチゴを買っていた。
こいついいもの食べているなと思った。
前には電動自転車のいいのを買っていたのもそうである。
ニートだからもともとはぎりぎりの生活でそれは贅沢の部類に入っていたことは確かである。
そんなもの贅沢ではないというのも今は言えるがその人にとって明らかに贅沢になっていたのである。
東京で遊び歩いている老人もそうだった。日頃の生活だったらんなことできなかっただろう。
だから原発事故で得したという人も結構いるのである。


ただ今までも相馬市の人はスーパーで避難者が高い買い物をしていることを何回も言っていた。
そして批判していた。働いてほしいほしいと何回も言っていたのである。
だから相馬市でも飯館村とかはあまり責められないにしても補償金がかなりもらえから
そこで回りの人はぎりぎりで生活している人もいるから嫌われる。
それで飯館村の人をトマト農家では雇わず津波の被害者を雇ったというのは別に冷たいことでも何でもなかったのである。十分に補償金で暮らせるからである。

相馬市と原発避難者の対立は南相馬市よりひどいかもしれない、
南相馬市でも鹿島区に住んでいる小高区との対立は深くなっている。
あいつらはたんまり補償金をもらっている。こっちはもらっていない、
そしてなんであの人たちは遊び暮らしているのか、そういう不満が大きくなっている。
ただ鹿島区の人も今は働いていない人が多いが小高区の人より働いている人も多いだろう。


そもそも復興というとき外部から来た人たちの力に頼っているのが現状である。
復興住宅やその他の復興事業もほとんど外部の力に頼っていたのである。
だから復興というとき、何か地元の人がみんなで協力して一つの建築物でも建てたとき
何か復興したという満足感が得られる。そういうことが今回の被災地にばないのである。
そんなことできとないということもあるがやはりみんなで何かしら
復興に尽くしたということがないのなら復興の業績はただ外部のものだけにあったとなる。
そうなると復興したのは外部の人たちであり地元の人はその時遊んでいたんだよとなり
子孫にそのことを語ることもできないだろう。
津波原発被害では地元の人はただ遊んでいただけだよ、何の苦労もしていない、
感謝するのは外部から来た人たちでありおじぃちゃんやおばあちゃんでもなかったんだよ
そんなことを子孫に言われることになるかもしれない・・・・


相馬藩の飢饉の時は越中などの人が移民して救われた。
それは歴史的に評価されているし語り継がれている。
それも外部の人たちだったとなるがでも地元に根付いて地元の人となったのだからまた違っている。
その時は残った地元の人たちも苦労したのである。

いづれにしろ原発避難者はこれからはさらに外部であれ内部であれ風当たりが強くなる。
今までのようなかわいそうな人たちとも見られるなくなるかもしれない、
何で遊んでばかりいるんだとか批判が強くなる。

それは今までは表だってはあまり言えなかったが抑えられていた感情が露にでてくるかもしれない、
そうなりつつあるからやはり今までのようなかわいそうな人たちという感覚ではこれからやっていけなくなるかもしれない、
それは南相馬市でも相馬市でも内部でもそうなってゆく。


原発避難地域の現状の矛盾

(補償金で働かない地元の人と外部の人が喧嘩!)
http://musubu2.sblo.jp/article/61677034.html

これを書いたのは2013年1月だった。それから一年またすぎた。
そしてまた状況が変わってゆく、あのころあそこの仮設の食堂は客でこんでいた。
今はめっきり減っている。それが一年前だとは思わなかった。
あのころはまだ外部から入ってくる人が多かったのだろう。
3年目になり外部からくる人は激減しているかもしれない
ただ復興住宅など10年もかかる仕事かもしれない
それだけ復興は長くかかる。
だから外部の力は以前として必要である。
しかしそれもどんどん減ってゆくことは確かなのである。

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大雪ー冬芒 (介護を在宅にするには病院や老人ホームの中間施設が必要)


大雪ー冬芒

(介護を在宅にするには病院や老人ホームの中間施設が必要)

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99歳リハビリするや冬芒

99歳生き抜く母や冬芒
雪埋もる石に葉牡丹風唸る

大雪や山鳩の群れ平地かな

原釜に妻を亡くすと仮設にて酒飲み帰る冷える夜かな

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山鳩の群れが20匹くらいここに集まっていた

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介護でわかったことは自力でトイレに行けなくなる時、一段階も二段階も介護度があがる。
オムツになると嫌がるしいいものではない、不快度が急速にあがる。
だからなんとか自力でポータブルトイレに行こうとするが苦しい。
世話する人も負担が二段階くらい大きくなる。

しかし病院は入ってすぐに隊員許可がでたら出てくださいと言われた。
それほど看護師が仕事に追われているということもある。
次から次と入れて診療費を稼ぐということもある。
両方があって入ったら出てくださいとなったのである。
でも一時怒ったがそれもできないような状態である。
特にこの辺は看護師不足が切実なのである。
ただ介護など看護師でなくても点滴などしないでやれるものが多いのである。


入院して在宅してとかして在宅介護を政府では進めているがそのための備えはない、
施設は満員で入れない,特養でも10人待ちでも一人死なない限り空きができないとしたらなかなか入れないだろう。
病院だったらいつでも入れるがすぐに出される。
また施設のディーサービスなどはせいぜい二日間とかまた利用するのもめんどうなのである。

在宅で介護するのには家で介護する人の負担を減らすことなのだがそれができていない
それで家で介護する人の負担だけが増えてくる。
自分のような男一人だと余計にそうである。
自分より辛い介護している人も多い。
それでも施設には入れない、金もかかることやいろいろ負担がある

正直自分は7年も介護しているからしたくない、介護の問題は一般的に長いことなのだ。
10年とかも普通にありそれで疲れてくる。そして介護をした人は介護にかかわりたくないとなる。
資格までとって長い間介護した人はしたくないと言っていた。
自分もしたくない、
「今度はあなたの番ですよ、もう私はしませんよ、こりごりです」
となるのである。
なぜなら在宅であれその苦労がなみたいていでないから経験した人はそうなる。
苦労するのあなたの番ですよとなり介護の手伝いもしない
なぜなら介護で手伝ってもらうこともなかなかできなかったからそうなる
私も在宅で苦労しましたからもう手伝いもしたくありませんとなる

つまり介護の問題は在宅でさせるにしても何か工夫が必要だし病院でもない、
施設でもない゛その中間の気軽に時々介護するものの在宅の負担を軽くするものが必要なのである。
入院してもすぐに出てくださいでは息抜きにもならない、介護には代わりがなければ息抜きもできないのである。

枯芒から冬芒となるがまさに今や冬芒まで生きているのが時代である。
一月になると冬芒である。

大雪はかなり溶けてきた、今日は風吹いて日差しがあたたかい、
それでもこの大雪で自然界にかなりの異変があった。
鶯が餌を求めて突然部屋に入ってきて猫にとらえられた。

今日は雪野に20羽くらいの山鳩を群れなして飛んできた。
こんなに山鳩を見たことがない
ということは山から群れなして餌を求めて平地におりてきたのだろう。
これだけの大雪はこの辺では珍しいから野鳥も餌に困ったのだろう。
ただ雪国では野鳥でもどうして餌を求めているのかわからない
虫が餌なら雪の森でもあるから生きていられるのだろう。
虫が餌でないとしたらどうなるのかわからない。


原釜の人で妻を亡くしたという人が仮設の飲み屋で酒を飲んで帰った。
原釜は被害が大きかった。
津波の後遺症はまだまだ消えるものではない