2014年02月13日

貧乏はモラルを養成して過度な富はモラルを荒廃させる (原発事故周辺地域はやはりその罰を受けたーそれは世界的にもそうである)

 

 貧乏はモラルを養成して過度な富はモラルを荒廃させる

(原発事故周辺地域はやはりその罰を受けたーそれは世界的にもそうである)

箴言

少しの物を所有して主を恐れるのは、
多くの宝をもって苦労するのにまさる。
(15:16)

野菜を食べて互に愛するのは、
肥えた牛を食べて互に憎むのにまさる
(15:17)

貧乏などいいことはない、あなたは貧乏の苦しみを知らないとかいうのも本当である。
貧乏がモラルを荒廃させるというのも普通にある。
一方で確かに過度な富がモラルを荒廃させるというのもある。
そき富の度合いも問題になる。
現代は個々人で見るのではなく全体で見れば過度な富がモラルを荒廃させて堕落させている状態に見える
格差社会で貧乏時代にもなっいるというのもある。
ただ歴史的に見れば今ほど全体で贅沢している時代はないだろう。
実際生活保護であろうが貧乏を絵にかいたような人でも現代の富を享受している
食べるものでも何でも現代の平均的な富を享受しているのである。


過度な富というとき、「もったいない」ということが現代ではなくなり膨大なゴミを生み捨てている。
そういう社会はどんなことてたってもったいないという思想は生れない
江戸時代はどんなものも捨てない、あらゆるものを資源として活かしていたからもったいないということで日々生きていた。
モノを大事にしていた。
限りある資源で生きていかねばならないからモノを大事にしたしモノに感謝していたし
自然から与えられるものに感謝していたのである。
戦前の生まれの人はもったいないということが生活の中で身についていた
だから極力無駄をするのをさけた。


現代は消費社会となり新しいものを次々に買い古いものは捨てるという生活になった。
そこにはもったいないという思想は育まれない、モノを粗末にするし与えられるものに感謝もしない、
過度な富の時代になるともったいないというモラルは喪失する
ロウソクがどれだけ江戸時代でも貴重だったか溶けた蠟を集めて再生したりと徹底して
資源を無駄にしないのである。


江戸のリサイクル職業
http://www.gakken.co.jp/kagakusouken/spread/oedo/02/kaisetsu3.html


そもそも江戸時代のモラルはどうして形成されたのか?
それは基本的にはベースとなったのは小さな自給自足体制の村だったのである。
農家自体が一つの自給自足体制の根城だった。
だから納豆まで自家生産であり自給自足ができていたのである。
戦後十年は江戸時代のつづきであり炭が燃料だったり暖房に使っていたから農家の方が豊かだった。
卵なども農家では鶏を飼っているのだから食べられたが街では病人しか食べられない贅沢なものだったのである。


例えば産地直送で村おこし町起こしをしている農家がある。アスバラガスが転向の異変でとれなくなる。
そのとき消費者に天候の異変があり雹などふり提供できないとなった。
一週間ほど遅れると直接生産者から消費者にその旨を連絡した。
(一週間遅れますががまんしてください)ということになる。
でも現代では日本全国から世界から食料が入ってきているとき一週間がまんする必要などない、
いくらでもモノはあふれている、世界中から入ってくるとなると金さえあれば一週間待つ必要などないのである。

実際にアスバラガスはメキシコ産になると200円だったのが100円になっていてそれも太いから買い得になる。
だから地元で日本で生産しても対抗できなくなる。
しかしそのことがモラルを荒廃させる。

自給自足の体制だったら村のものは外からモノが簡単に入ってこないから
みんなで辛抱するほかないし少ないものでも分かち合い助け合う他ないのである。
そこには忍耐心という徳が養成されるのである。
確かに作る人も消費する人も一週間待つことで忍耐心の養成を共有する。
いつもそんなにモノは手に入らないものだ、農家の人は天候の異変に弱い、
それを食べる人も考慮すべきだとなり農家の人と心情的に共有する心を養成されるのである。


グローバル化した経済ではそういうことはない、モノは世界中から入ってくるから金さえあれば手に入るとなっている。
そのモノがどうして作られて世界から提供されているかもわからないのである。
後進国の人が過酷な労働で提供していることもわからないのである。
だから徳をモラルを心を共有することができない、グローバル化の問題がそこにあったのである。

ともしさに耐え
少なきを分かち合い
同じ場所に
生をともにして
人はともに眠りぬ
・・・・・
より多くを求め
多くを分かち合い様々な場所に
生を別にして
人は別々に眠りめ
人の心は通わず
人はただモノと金のみを求める

結局原発事故がなぜ起きたのか?
それを深く問うてゆくと過度な富を求めた結果であった。
過度な富を求めた結果として危険な原発に手を出して今日の状態をもたらしている。
双相(双葉相馬)地域は福島県で一人辺りの収入か一番多かったのである。
それでもみんな過度な富を求めていたのである。
みんなたりないたりないということしかなかった。


その結果として何がもたらされたのか?
同じ場所に住めず人はばらばらになり心も通わないものとなった。
その後も補償金問題で以前として金を求め心は通わずバラバラになっている。
それは結局過度な富を求めた結果なのである。
これは原発事故周辺だけではない、日本全体に言えることである。

今や富は本当は十分ではないのか?
ただ配分とかその他の格差問題がありそれが貧乏だと自覚させられる。
でも全体的な富の配分を有効に行いば今は十分な富がある時代である。
過度な富を求めた結果としてモラルの荒廃が起こりその罰を受けたのが原発事故周辺地域だったのである。
それはここだけではなく世界的な問題としてある。
実際にみんなばらばらに住まざるをえなくなり心も通わなくなっているのも原発事故周辺なのである。

 
posted by 老鶯 at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

大雪の異変(雪野の写真)


大雪の異変(雪野の写真)

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寒暁に一本松や凍みる雪

山鳩の雪野に目覚め飛び立ちぬ
大雪や飛び入る鶯猫捕う

雪野原夕雲紅く月光る

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猫に捕らえられた鶯

大雪は異変であり鳥が餌がなく街まで探しにきたのだろう。
ばたばたと家に入ってきたかと思ったら偶然飛び込んだ狭い部屋に
野良猫がいてその鶯をつかまえてしまった。
その鶯をたすけてやろうとしたからがっかりした
でもこの猫は最近ずっと餌をやっているから家に住み着いている
そしてその猫はその鶯を一旦もちさりまたもってきて自分に見せた
なにか誇らしいようにしてもってきて見せたのである

猫はネズミをとるともってきて見せるということと同じだった

「俺はとったぜ」とほめてくれというふうに獲物を見せるのである。
こんなことをしたから憎いとか残酷だと思ったがこれも全く本能で反応したのである。
雀くらいならいいが鶯は貴重でありがっかりした
動物はみんな本能で生きているのをまざまざと見たのである。

今朝は太陽があの一本松に映えて昇る、
鹿島の右田の一本松として宣伝しているのは高い松である。
あれよりこれが松らしい。でもこれもいつか枯れるのだろう。
右田の松原は二本しか残っていない


雪野はこの辺ではなかなか見れない、この雪は凍みてなかなか消えないだろう。
根雪となってゆく雪だから雪国の風景である。


水道管が壊れたのは家の外だった。それも直してもらった。
他でもかなりの数の水道管の凍結があった。
一度に災害の時起こるから困る。
風が冷たいと凍結しやすいから風を防ぐ工夫が必要だった。


雪景色の写真はきれいにとれる。こういう写真はここではなかなかとれないから貴重である。