2014年02月03日

近くの病院で入院してすぐに退院を要求された (それには国の診療報酬の仕組みのためだった)

 

近くの病院で入院してすぐに退院を要求された

(それには国の診療報酬の仕組みのためだった)


理由は個人の入院期間が短期なほど「基本入院量」が高いのです
 そして入院患者全体の「平均在院日数」が短い病院ほど
「基本入院量」が高いのです

平均在院日数を10日以内の病院と30〜40日の病院では
1人1日当たりの入院基本料は大変な差が出ます
入院患者は誰でも出来るだけ早く退院させた方が
高額の入院基本料が稼げる仕組みになっています


入院基本料は看護師の配置人数によって異なり、1人の看護師が受け持つ入院患者が7人だと一番高くなります。
そして、患者が10人、13人、15人と増えるごとに、基本料金は安くなっていきます。
看護師の配置が7対1の施設基準を届け出るには、入院患者の平均在院日数が18日以内で、
入院患者のうち重症患者が15%以上という条件もあります

http://yukan-news.ameba.jp/20131112-115/


治療不要な(=入院の必要性が無い)患者を預かっていても、病院側は利益が殆ど無いどころか
その患者が転倒してケガをする、食事を詰まらせる、無断外出する等々のリスクだけは
しっかり背負わされ、病院側は大変な負担です。
更なる退院の引き延ばしには一切応じない姿勢で臨むのは、必然なのです。

病院でのケアは家庭のようにいかないので、痰にしてもすぐ取ってもらえるわけでもなく、
家にいるときより悪化してしまい、あっという間に終末期になってしまう人もたくさんいます。
連れ帰って、元気になってるかたもたくさんいます。


岩手県議・小泉光男氏が、
 病院で名前ではなく番号で呼ばれたことで
「ここは刑務所か?!」と怒りをブログに掲載して話題になってますね



鹿島の厚生病院はは忙しい、看護師もあわただしく動いている。そして患者を良くみていない。
母はポータブルトイルになんとか自力で行けるからオムツが必要でなかった。
でもオムツとか他にも必要ないものを買わされた。それですぐにそれはいりません、
リハビリパパンツ買ってくださいとなった。それでまた出費がふえた。
おむつば6000円くらいかかった。

そして今日はもう先生が退院を決めたので退院する準備をしてくださいといわれた。
三日しかたっていないのにもう退院しなければならないのかとあせった。
一週間くらい伸ばしてくれと言ったがもう先生が決めたのでだめです
ケアマネジャーと相談してください

それでしかたなくケアマネジャーのところで相談したら自分には何の権限もないです
医者と看護師さんが決めることですと言われた

入ったばかりで出されるのは困るのです、まだふらふらしていますし無理です
はい、わかりました、明日先生に診断してもらい決めます
一週間くらいなら延長可能でしょうと言われた


それにしてもその看護師の態度が性急すぎる、
入院したら退院してくださいと頭の中にすりこまれている
数をこなさなければならない、次々に患者がきて入れ換えしなければならない
そういうことに毎日に追われているから
「入院したら退院して下さい」
という感覚が身についてしまっているのである。
もう相手の状態さえゆっくりみていられないのである。

もちろん病院はどこでもそんなところだということもある。
患者が番号で呼ばれて議員が怒ったというのもわかる
それは病院は次々に患者をいれかえないと収入にならないということがあり
もうそういうことが医者でも看護師でも頭にすりこまれているから
そんな言葉がぽんぽんと遠慮なくでてきていたのである。


病院と死んでもとむらうことなど医者も看護師しもない邪魔になるから早くかたづけてくださいづ、次がひかえていますからとなる。
人の死は見慣れているし何の感懐もないのかもしれない、人間はモノ化しているのかもしれない、番号となれば数字にもなる。
それはここの病院とは限らないだろう。
一丁あがりとかの感覚なのかもしれない、そんなふうに病院では死ぬのも当たり前だからである。

ただこの辺は原発事故などで特殊な事情があり他の病院よりそんな性急な態度になっているのかもしれない、だから医者と看護師がいるだけでいいということであまり不満はいえないのである。
ただ今回はあまりにも性急すぎてこっちも大迷惑したので文句を言ったのである。
文句を言っても謝りもしないしかえってめんどうなやつだとかなくだけである。

今や病院でも施設でも建物は新しく建ってもこの辺では中で働く人を看護師でも介護士でもいないから
百人収容する施設が病院に隣り合ってできても一部しか入れないのである。
この辺は特殊な事情があるにしろこれから高齢化社会ますますこういう状態が極端になってくるかもしれない、
国ではもう老人をめんどうみる予算もないから早く死んでください、
治療はそんなにできません、病院は早くでてください、では施設に入れるかというと入れないのである。
百人入れる施設でもこの辺は特に若い人が流出しているから働き手がないから
立派な施設を作っても宝の持ち腐れになるという危機がある。

これからこの辺はどうなるのか?老人は病気になったら治療も満足に受けられず早く死んでくださいとなるかもしれない、
そういう政策を国では現実にとりはじめているから病院でもこんな対応になっているのである。


つまりもう病気になったら早めに死んでください、元気ならいいです、
介護状態なったら手のかからないうちに早めにしんでください、
・・・・そんな対応になってくるのだろう高齢化社会に国でも対応仕切れなくなっているのだ。

そして最後は中世のように鎌倉時代のように野垂れ死にがふえるかもしれない、
うば捨て山がふえるかもしれない、前にも書いたけどそういう覚悟も高齢化社会では必要になる時代の到来なのか、

一方で102歳の自転車乗りがフランスにいたことには驚きである。
自分もあんなふうにして走り続けられれば最高だなと思った。
あういう人なら別に社会の負担とはならないからである。
ともかく超高齢化社会はすでに否応なく突入しているのだ。
それで様々な問題が現象化しているのである。


痰をつまらせて南相馬市立病院ではそれをとるのに悶絶して大声をあげて苦しんでいる90歳くらいの老人がいた。
隣だったから眠れなかった。
家でした方がいいというのは意外だった。それも家族の負担が大きい。
看護師はその痰をとることで苦しんでいる老人をみて笑っていたから悪魔でもあった。
その人は身寄りのない隣の老人ホームにいる人だったのである。
身寄りのないということはこういうことなど悲惨なことになるのだ。
それは自分も経験しているからわかる。
患者でも家族でもみていないとそうなるのである。
実験材料にもされるし看護師にぞんざいにモノのように扱われるのはどこでもある。
病院でも老人ホームでもある。それが高齢化社会の現実なのである。


もう野垂れ死にを覚悟せよ!


病院の方/か残酷だということもあるからだ。
そういう覚悟をしていればその方が楽だともなるそういう死に方さえ要求されている時代になっている。
延命治療とか介護でも今はぜいたくすぎるのだろう。
昔はみんな悲惨に死んだのである。
オムツがなくて藁だったという話しも聞いた。

病院には病気はみても人間はみないところと知るべき
病院には医者でも看護師でも病気はみているが情はない
だから死ぬなら情のある家族にみとられるのが幸福だとなる
延命治療なんかしない方がいい
ただ苦しめられて情のない医者と看護師が冷たくみているたげだからである


それなら野垂れ死にの方がましだとなる


病院はただ死体をかたづけるだけの場所であるとしたら何ら変わりないからである。
そういうことでこれからはなんらか老人は死を迎えるのに覚悟が要求されている。
もちろんみんながそうではない、102歳まで自転車に乗れる人もいるからだ。
ともかく病院がどういうところかは知っておくべきである。

 

桜井市長はやっぱり北海道に逃げたのか? (デマの真偽をどうして知るのかーまずはソースを知るべき)


桜井市長はやっぱり北海道に逃げたのか?

(デマの真偽をどうして知るのかーまずはソースを知るべき)


 災害時は、不確実な話も飛び交う。デマや流言も広がりやすい。名古屋大の唐沢穣教授(社会心理学)は「大惨事が起きて日常が崩れると、普段の生活で持っていた公正さや判断基準が変わります。根拠の無い話を簡単に信じてしまう恐れがある」という。
 1923年の関東大震災では、外国人が暴徒化したとのデマで虐殺が行われたが、東日本大震災でも「外国人窃盗団がいる」といったうわさが流れた
http://wind.ap.teacup.com/stillwaters/1131.html


今回原発事故で桜井市長が北海道に逃げたというのを聞いたソースは二人だった



 (一人目ー組の人)⇒桜井市長が北海道に逃げたというのは嘘だった、それで評価が上がり票が入ったという・・・・


(二人目ー近くの地元の情報通の人)⇒桜井市長は逃げたんだよ、娘が北海道にいる、横山市議会長と一緒に逃げたんだよ・・・・



では組の人はそのことを誰から聞いたのか?
このソースはわからないのである
ただ組の人が直接面と向かって言ったので信じたのである。

二人目の逃げたという説はそれも何がソースかわからない、
火のないところに煙がたたないとなれば娘が北海道にいるということはそうなのかという一つの火種にはなる。
でもこれも確かめる方法がないのだ。

ただ一時市長がいなくなればわかるのだからそういうことが一時あってそのことを言われているのかもしれない、
だからそうした事実を積み上げていけば真偽がわかる。

歴史でも事実も証明するには地道な歴史的事実をつみあげてゆくことである。

例えば相馬藩で津浪で700溺死したという記録はあるから真実である。
ただそれ以上のことは不明である。
だから今の公共事業のようにボランティアのようなことはないのだ

相馬藩の殿様であれ誰も津波の復興のために尽力したなど記していないのである。
跡継ぎの問題などは事細かに記されているが津波のことは記されていないのだ。
だから何の事実もないのに今行われているような復興公共事業が
藩主導で行われたというのはないのである。
そもそもそうした事実が見いだされないからである。

インターネットの掲示板はまさに噂でありすぐには信じない
そういうのが普通はインターネットである。
それでもデマを信じて広がるということは人間の心理的なものなのだろう。
緊急時は何を信じていいかわからなくなるからだ

意外とデモの真偽を知ることはむずかしいのだ。歴史上のことでもむずかしいし今起きていることでもむずかしい。
マスコミですら真実を報道することはむずかしい。
だからヤラセ報道があった。マスコミはともかく大衆の目をひくものを放送して視聴率をとらねばならない、
それが第一だから過激な報道になりやすいのである。

ただ現代というのは報道することは誰でもできる時代になった。インターネットでそうなった。
マスコミのような力はないにしても報道することは明らかに一つの権力をもつことである。
報道できたものは今までは権力あるものだったから
マスコミや官僚やカルト宗教団体でも東電のような大企業でも金によって情報を操作することができたのである。


ただ個人でも報道するにしても限度がある。内部の情報をとることはできない、
それでも病院に行けば医者や看護師の対応などを報道はできる。
しかしこれは個人ではかなり危険にもなってくる。
それでも個々人が報道すできることは何でも告発しやすい社会だということにもなる。
だから大きな権力をもっている所でもそうしてインターネットなどで告発されると怖いとなる。それなりの影響力があるからだ。

だから一時東芝を相手に戦った人がインターネットにいたのである。
病院などもそこは一方的な権力に従わさせられる場所だからそうなる。
病院でも施設でもどうしても弱者として従わざるを得ないからそういう場所には絶えず
虐待とか医療ミスの隠蔽とか起きているのだ。
今回は近くの病院でまたそういう仕打ちをされたからである。

そういうことをプログに書くというだけで病院側も怖がるということで患者に対して注意深くなるという人もあった。
そんなこともあるのかと思うが読む人が多くなればそうなるかもしれない、
あの病院でそんな対応しているのか、傲慢だとなり評判落とすこともありうる。ただここに本当にそうなのかという疑問もでてくる。
それを読者が判断することもむずかしいとなる。
ただ書かないより書いて訴える個々人で告発力をもつことは民主主義の発展にはいいことである。
でなければただだまっていて権力側のいいなりになるだけでありそして
それが原発事故や一党独裁の圧政や様々な弊害も生れてくるからである。

 
 
posted by 老鶯 at 19:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

南相馬市の桜井市長が原発事故で北海道に逃げたのはデマだったのか? (田舎は毎日噂や人の不孝を楽しむ怖さ)


南相馬市の桜井市長が原発事故で北海道に逃げたというのはデマだった のか?

デマガデマを呼ぶ-火の無い所に煙はたたないもまた真実

(田舎は毎日噂や人の不孝を楽しむ怖さ)


語源は「民衆 (δ?μο? / d?mos) を導く (?γειν / agein)」であり、本来は民衆指導者を指すが、アテナイではペリクレスの死後、クレオンを初めとする煽動的指導者が続き、衆愚政治へと堕落した。このことから「デマゴーグ」は煽動政治家のような悪い意味で使われるようになった。また、彼らの民衆煽動はデマゴギー(独: Demagogie)と呼ばれ、煽動的な嘘や噂を意味する「デマ」の語源となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%9E%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%B0

ネットでまたしても悪質なデマが広がっている。釣り雑誌に掲載されていた男性が福島県に住む祖父の田舎を釣りで応援すると言い、30キロ圏内で野宿し池や川で釣った魚を食べたことで急性リンパ白血病で亡くなったという話だ。この情報は瞬く間に大手掲示板やTwitterに拡散したが、本日釣り雑誌のライター小塚拓矢さんが『彼は福島原発の30キロ圏内で野宿をしていません』と否定した。
http://www.yukawanet.com/archives/4028726.html




別に田舎でなくてもギリシャの時代からデマはあったからこそデマゴーグという政治手法があり今でも何か全国レベルでデマが広がる。何を根拠としているのかわからないけどデマが広がる。インターネット時代でも発言するのが容易だから全国的にデマが拡散しやすいというのもデマは田舎のような偏狭な人間の集まりでなくても起こることがある。

ただ田舎のデマとか噂はそうしたデマとも違っている。それが狭い人間関係の中で日常的に起きているのである。絶えず隣はどうだ、誰かさんとうだとか中傷が毎日のように口づたいで行われている。面と向かい生活しているからインターネットの空間のデマとは違っている。それが直接的にひびいてくる、だからインターネットの空間より害が大きいし
怖い側面がある。一旦噂になればそれもなかなか同じ場所に住んでいるのだから消えないのである。


だから田舎では犯罪は犯しにくいと思っていたがそれも今は変わってきた。自分が被害者になったからそんなこともなくなったのかと思った。でも実際はそうでもない、一旦悪い噂が立てば田舎では影響が大きい。常に回りから噂だけでも白い目で見られるようになる。別に泥棒でも外から来て逃げてしまいば忘れられる。現実に住み続けていれば白い目で噂だけでも見られつづけるのである。

そして今の住んでいる人でも必ず親のことや祖父母はどうだったとかまで仕事上でもなるからなかなか悪いことはできないということもあった。

だから噂だけでも田舎では怖いとなる。そのこと今回の南相馬市長選挙で起きた。


桜井市長が原発事故で北海道に逃げたというのはデマだった?


市議会長は北海道に逃げたらしいが桜井市長は逃げていないことがわかった。それで今回評価が上がり当選したのだという、とにかく桜井市長の批判は誰でもしていたから当選するとは思っていなかった。これも本当かどうかわからなかった。組の人が回ってきて言っていたので本当だと思った。実際はやはり北海道に桜井市長は娘がてて市議長と一緒に逃げたというのが本当かもしれない。
なぜならそのことが辻褄があうのである。二人一緒に北海道に行く辻褄が合うからだ。
ともかくデマがデマ呼ぶ、自分もデマに踊らされデマをプログでふりまいたとなる。

ともかく田舎ではデマは日常的だからこういうことは起こっても不思議ではない、でも
そのデマに左右されていたら選挙でもまちがった判断になる。今回はかえってデマであることがわかり桜井市長が当選したというのも皮肉である。


放射能でもこれも目に見えるものではないしデマが出やすい、何が本当なのか嘘なのかも判断できない、学者のいうこともまちまちであり科学に弱いものは余計に判断できない。だからデマがとびかう、別に放射能が原因で死んだわけでもないのに死んだとされた。
30キロ圏内で釣りをしていなかったのである。
なぜこんなデマが信じられたのかというと放射能は危険だと特にしたい人がデマをふりまく。何かしら意図があってそうなる。


いづれにしろ田舎ではある人は町内ではなく一キロくらい離れているところに住んでいてそこは回りは親戚が多いので見張られているという。だから女性が入るとうるさいから来るなと言っている。田舎では見ていないようで見ている。穴からでも覗いているのが田舎である。それは特別ではなく何か外を見ているとそうなるのである。
自然と見る範囲がそうなってしまう。都会だったら人が多い建物が多いからそんなことができない、出入りも激しいからだ。田舎では道を通るにしても歩いていると余計に目立つ。誰だろうと特別関心がなくても見ているのである。車だと中の人はわかりにくいのである。自転車でも歩くのと同じく見られやすいのである。


田舎では以前として人間が監視カメラなのである。与那国島に行った時はただ木陰に休んでいるだけで怪しいとされ警察が職務質問に来たのには驚いた。見ていた人が通報したのである。まるで江戸時代だった。与那国島などは本当に狭い島だから一人一人が監視状態になりとじこめられているのだ。今でもそういうことが田舎にはある。
だから都会から田舎で暮らそうとすることは人間関係が嫌になり挫折するのが多い。
田舎の人間は情に深いわけではない、むしろ近くの不孝を楽しむ残酷さがある。
自分もそういう目にあった。助けたりしない、その不孝をじっくりとドラマのように鑑賞して噂にするだげである。それはテレビでも同じだが田舎の方がより直接的なので残酷である。ここが田舎の一番の問題だったのである。

自然は美しくても人間はせこいし狭隘である。農家の人が情があるというものでもない、支援物資でももらうとき汚いとか常に言われている。
田舎でもいろいろな人がいるからいちがいには言えないが総じてそうなるのである。

ともかく田舎では負の力が人間に対して働きやすい、人間をおとしめて喜ぶ傾向が大きい。みんなが低劣化されるのである。誰かをほめるということはない、低劣化されてくる。こういうところでは良いものを作り出しても素直にほめられたり勧められたりはしない、むしろ否定的なものとして何でもいいものに対して働くのである。

常に話題になるのは一番低劣な人でありその低劣なものを中心にして田舎がある。
そんな人に近寄らねばいいのだがそれでもそういう人とかかわっているのである。
だから選挙でも公平な判断はできなくなる。これは田舎だけではないにしろ田舎では極端化するのである。

posted by 老鶯 at 15:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層