2014年02月20日

在宅介護を強いられて共倒れになる (津波、原発避難者優先で施設にはこの辺は入れない)

 

在宅介護を強いられて共倒れになる

(津波、原発避難者優先で施設にはこの辺は入れない)

なぜ原発被災地域で老人ホームなどに入りにくいかとかいとう津波、原発避難者が優先されるからである。
在宅でできないからどうにもらないなと優先される。
そもそも津波被害者は家がなくなっているのだからもう在宅ではできない、
そうすると相当数の人が被害にあって仮設に入っているのだから余計にこの辺では入れない、
これは津波の被害にあった地域では共通している

ただこの辺では原発避難者がそれより多い。

特に南相馬市の問題は小高区の人たちが大勢避難していることである。
原発避難者は優遇されている時、それはイワキの方で良く言われて
双葉や大熊の人たちの車が傷つけられたりした
南相馬市では起きていないがこれから不満が大きくなって同じようなことが起きるかもしれない

一年二年は大目にみていたが三年目になると回りの人の目が一段と厳しくなる

現実に
津波被害者と原発避難者が優先して老人ホームに入れるので入れない人がいる


二人も介護していて施設に入れない人がいるのもそのためである。
それはこうした事情があったからである。
つまり南相馬市では小高区の人たちが優先的に施設に入れるが他は入れない
そのこともやむをえないとしても他では不満になる
そして小高区の人たちは補償金をたんまりもらってパチンコなどだと遊んでいる
南相馬市のために何かするわけでもない
金があるから遊んでいればいいのだとなる
そうなると小高区の人たちへ憎しみさえ生れてくるだろう


そして100人収容の新しい老人ホームでも10人介護士を募集しても来ない
建物ができても中で働く人もいない
だから民主党の「コンクリートから人へ」という政策は実際はまちがっていなかった
コンクリートという建物より働く人の方が大事なのである。
コンクリートの建物がなくても働く人がいれば介護などはできるのである
最初に人を集め次に建物を作れば良かったのである。
それが今やどこでもできないのである


全国的にも在宅介護を強いられて共倒れになる恐怖


ここだけではなく全国的に介護は在宅が強いられて老人ホームには建物が建っても人手がたりないとか入れない、
政府では在宅を奨励しているがこれも在宅でも核家族化などで
人手がない、一人暮らしも多い。つまり在宅で介護できる人は金銭的な面だけでなく人手の面でも余裕ある家なのである。
これはここだけの問題ではないすでに深刻な問題となっている
だから介護殺人も日常的に起きてくる時代になる
いづれにしろ小高区の人たちはもう小高に帰るべきである

放射線量も低いのだから放射能の問題はない
帰って自宅に住むと補償金がもらえないから仮設に住んでいるとか働かないというのは許されなくなっている


要するに南相馬市の負担を減らすには小高区の人たちは小高に帰れ!


つまり原発避難者は特に帰れとなる。復興住宅に入れるのは津波被害者であり原発避難者ではない、
原発避難者は早く小高に帰れとなる。
なぜなら土地を取得するのも大変だし南相馬市で小高区の負担を全部を背負うことはできない、
国で援助するといっても負担は地元にかかってくる。
土地の問題でも小高には土地はあるし家もある人が多いのだから小高に帰るべきである


小高区の人たちはもう小高に帰れ!

帰らないならなんらか自立する方法を考えよ、補償金頼りで遊んでいる人は帰れ!

 

日永の変わらぬ松二本 (災害や認知症なども近代化の弊害が社会で現象化した

 

日永の変わらぬ松二本

(災害や認知症なども近代化の弊害が社会で現象化した



風唸り梢鋭く冬銀河


常磐木の松に春めく光かな東風にゆれつつ春そ近しも

松二本ここにしあれな変わらずに日永となりぬ道を帰りぬ


暦的には春になっても今年は寒い、確かに日は長くなっている。雪は丘の上の森の道は厚く積もっている。

今日は東風は吹かないがこの頃になると吹く時がある。
その風が一番春を浜通りでは感じる。これは山国でも同じである。東風(こち)吹けば思い起こせよう梅の花・・・その東風である。
この東風が飯館から福島市まで吹いて放射能汚染が拡大したのである。
運が悪かったといえば悪かった。北風の季節だったら海の方に流れていたのである。

六号線の原町に行く脇の道にも家が建つらしい。一軒明らかに整地した。
この辺では住宅を建てる土地を確保するのに苦労している。
田んぼがいくらでもあるじゃないかといっても簡単には住宅地には今もできない。
だからあんな狭いところでも住宅地にしようとしている。
900カ所の復興住宅地の土地が必要になっているのだからどれだけ土地が必要かわかる。
それをまとめて提供するのではなく空いている土地を先に住宅地にするからあんな狭い所も住宅地になる。


あそこには松が一本ありいつも通っているからなじみだったがあそこに家が建つとまた変わってくる。
この辺は津波でもそうだがいろんな所が変わりすぎるのである。
松二本が変わらずにここにあってほしいというとき、それはもう変わらないでほしいということがある。
次々に変わっゆくと心の平静が乱される、そもそも平成という年号が全く違ったものとなった。
動乱の時代になった。だから平成という年号は全くあっていなかったのである。
平成を願うのがふさわしいとなった。
平成という年号になったのは時代的何か平和であったからそうなった。でも実際はその逆になってしまったのである。

震災や津波や原発はいろいろなことを見直すことになった。

現代の生活は人間関係でもまず見知らぬ人と交わることが実に多い
それが悪いものではないにしろそこにまた一つの弊害が生れていた。
つまり濃密な人間関係が作れない、それは家族でも親子でもそうである。

同じ病室に認知症になった親をもっている人がいたがその親はすでに息子のことを知らないという、
自分の場合は最後まで自分のことをわかっていた。
それがなぜだろうと思ったとき、その人は親とは大人になってから離れて暮らしていたのである。

現代ではそういう人がかなりいる。広域社会だからそうなりやすい、
北海道だ鳥取だ沖縄だ、五島列島だとか外国まで嫁に行く時代である。
だから親とも離れてしまい離れてしまうと親子でも疎遠になってゆくのである。
そのことで認知症になり息子のことを忘れてしまったのかもしれない
ずっーと一緒に生活していればそういうことは認知症だからといってなりにくい。
近くでもあっていればそんなふうにならないと思う。

つまり現代とは離ればなれで広い地域で暮らすから親密さが作れないのである。
そんな生活は昔の江戸時代であり閉塞されていやだというのもわかる。
自分も若い時はそういう田舎をずっーと嫌だった。
だから実際に自分は田舎の人とはかかわって生活していないし旅ばかりしていたとなる
ただ年取ってくるとそういうめまぐるしく変わる生活に適応できなくなる
まず新しく交わる人の名前がわからなくなる。覚えられないのである。
すると前からなじみの人がいいとなる。
人だけでなく風景でも回りの環境でも変わらないものがいいともなる
どうしても保守的になるのだ。


つまり現代人の生活の弊害が便利なものに頼る生活、広域的に拡散する人間関係、
グローバル経済の弊害とか・・・そういう外へ外へと拡散する生活が果たして人間にとってみんないいものかという疑問が生れたのである。

家族さえ親密な関係がもてず相互不信の時代となりただ金だけが頼りとなり
家族も核家族から独居老人となり介護するにも一人しかいないとか一人で二人を介護させるとか国でも老人に金かかるからそうさせる。
大家族時代だったら可能でも在宅にしても家には介護する人は一人しかいないのである。
何かこれは家族でもそうだがこれらも近代的家族形態とか近代的とされたものが実は何か大きな変換を求められている現象である。
昔には帰れないにしろ昔の良さを見直して未来を考えるということにはつながる。

近代的ということがすべていいことではなかったのである。
その悪い側面が災害とか原発事故とか様々な分野で現象化してきているのである。
一番身近な家族関係でもそうなっているのだ。
それは認知症という病気が謎にしてもその病気の特徴が不思議に現代生活と関係していた。
つまりなじみある人となじみある場所では認知症の人の症状は安定する。
変わりすぎること場所でも人でも変わると安定しない
人でもずっーと一緒に暮らしていた人のことはわかるけど息子娘でも離れて暮らしている人のことはわからなくなる。
認知症の人にとって現代社会はその症状を悪化させるものばかりなのである。
だからこれも現代的近代化の一つの現象化した病気なのかともさえ思う。
もし認知症になっても江戸時代のような暮らしだったらわからずにボケたよというくらいで終わっていたかもしれない、
長生きしたことと関係していても何かそういう現代社会現象としての病気かもしれないのである。


変わらぬ松二本というとき、これは現実にあるものというより人間の心にある願いとしての松二本なのである。
それは二人の人間のことでもあるからそうなる。
津波の被害でもあまりにも変わりすぎたことなのである

 
 

日永の変わらぬ松二本 (災害や認知症なども近代化の弊害が社会で現象化した


日永の変わらぬ松二本

(災害や認知症なども近代化の弊害が社会で現象化した



風唸り梢鋭く冬銀河


常磐木の松に春めく光かな東風にゆれつつ春そ近しも

松二本ここにしあれな変わらずに日永となりぬ道を帰りぬ


暦的には春になっても今年は寒い、確かに日は長くなっている。雪は丘の上の森の道は厚く積もっている。

今日は東風は吹かないがこの頃になると吹く時がある。
その風が一番春を浜通りでは感じる。これは山国でも同じである。東風(こち)吹けば思い起こせよう梅の花・・・その東風である。
この東風が飯館から福島市まで吹いて放射能汚染が拡大したのである。
運が悪かったといえば悪かった。北風の季節だったら海の方に流れていたのである。

六号線の原町に行く脇の道にも家が建つらしい。一軒明らかに整地した。
この辺では住宅を建てる土地を確保するのに苦労している。
田んぼがいくらでもあるじゃないかといっても簡単には住宅地には今もできない。
だからあんな狭いところでも住宅地にしようとしている。
900カ所の復興住宅地の土地が必要になっているのだからどれだけ土地が必要かわかる。
それをまとめて提供するのではなく空いている土地を先に住宅地にするからあんな狭い所も住宅地になる。


あそこには松が一本ありいつも通っているからなじみだったがあそこに家が建つとまた変わってくる。
この辺は津波でもそうだがいろんな所が変わりすぎるのである。
松二本が変わらずにここにあってほしいというとき、それはもう変わらないでほしいということがある。
次々に変わっゆくと心の平静が乱される、そもそも平成という年号が全く違ったものとなった。
動乱の時代になった。だから平成という年号は全くあっていなかったのである。
平成を願うのがふさわしいとなった。
平成という年号になったのは時代的何か平和であったからそうなった。でも実際はその逆になってしまったのである。

震災や津波や原発はいろいろなことを見直すことになった。

現代の生活は人間関係でもまず見知らぬ人と交わることが実に多い
それが悪いものではないにしろそこにまた一つの弊害が生れていた。
つまり濃密な人間関係が作れない、それは家族でも親子でもそうである。

同じ病室に認知症になった親をもっている人がいたがその親はすでに息子のことを知らないという、
自分の場合は最後まで自分のことをわかっていた。
それがなぜだろうと思ったとき、その人は親とは大人になってから離れて暮らしていたのである。

現代ではそういう人がかなりいる。広域社会だからそうなりやすい、
北海道だ鳥取だ沖縄だ、五島列島だとか外国まで嫁に行く時代である。
だから親とも離れてしまい離れてしまうと親子でも疎遠になってゆくのである。
そのことで認知症になり息子のことを忘れてしまったのかもしれない
ずっーと一緒に生活していればそういうことは認知症だからといってなりにくい。
近くでもあっていればそんなふうにならないと思う。

つまり現代とは離ればなれで広い地域で暮らすから親密さが作れないのである。
そんな生活は昔の江戸時代であり閉塞されていやだというのもわかる。
自分も若い時はそういう田舎をずっーと嫌だった。
だから実際に自分は田舎の人とはかかわって生活していないし旅ばかりしていたとなる
ただ年取ってくるとそういうめまぐるしく変わる生活に適応できなくなる
まず新しく交わる人の名前がわからなくなる。覚えられないのである。
すると前からなじみの人がいいとなる。
人だけでなく風景でも回りの環境でも変わらないものがいいともなる
どうしても保守的になるのだ。


つまり現代人の生活の弊害が便利なものに頼る生活、広域的に拡散する人間関係、
グローバル経済の弊害とか・・・そういう外へ外へと拡散する生活が果たして人間にとってみんないいものかという疑問が生れたのである。

家族さえ親密な関係がもてず相互不信の時代となりただ金だけが頼りとなり
家族も核家族から独居老人となり介護するにも一人しかいないとか一人で二人を介護させるとか国でも老人に金かかるからそうさせる。
大家族時代だったら可能でも在宅にしても家には介護する人は一人しかいないのである。
何かこれは家族でもそうだがこれらも近代的家族形態とか近代的とされたものが実は何か大きな変換を求められている現象である。
昔には帰れないにしろ昔の良さを見直して未来を考えるということにはつながる。

近代的ということがすべていいことではなかったのである。
その悪い側面が災害とか原発事故とか様々な分野で現象化してきているのである。
一番身近な家族関係でもそうなっているのだ。
それは認知症という病気が謎にしてもその病気の特徴が不思議に現代生活と関係していた。
つまりなじみある人となじみある場所では認知症の人の症状は安定する。
変わりすぎること場所でも人でも変わると安定しない
人でもずっーと一緒に暮らしていた人のことはわかるけど息子娘でも離れて暮らしている人のことはわからなくなる。
認知症の人にとって現代社会はその症状を悪化させるものばかりなのである。
だからこれも現代的近代化の一つの現象化した病気なのかともさえ思う。
もし認知症になっても江戸時代のような暮らしだったらわからずにボケたよというくらいで終わっていたかもしれない、
長生きしたことと関係していても何かそういう現代社会現象としての病気かもしれないのである。


変わらぬ松二本というとき、これは現実にあるものというより人間の心にある願いとしての松二本なのである。
それは二人の人間のことでもあるからそうなる。
津波の被害でもあまりにも変わりすぎたことなのである

2014年02月21日

根を強く張る冬芒 (土着的なものはその土地に根をはる農家の人にあった)


根を強く張る冬芒

(土着的なものはその土地に根をはる農家の人にあった)


しぶとくも根を張り強き冬芒

萱(かや)は根が強く、簡単には取り除くことができません。
除草剤を使用すると作物に悪い影響を与えます。
このため、畑の中の萱(かや)は、周囲の土を掘り起こし萱の根を見落とさないように全て取り除くのがベストでしょう。
http://sendai-rtoj.seesaa.net/article/220989180.html


新さんさ時雨 宮城県民謡

萱の根方に そと降る雨は
萩の根方に 鈴振る虫は
白河市萱根地区


風流という時、俳句だと萱になれば秋は芒であり枯芒となる。枯芒から今度は一月になると冬芒になる。
でもそもそも萱がどういうものなのか実生活からわかるのは実際に畑を耕して野菜などを作っている人である。
この歌で萱の根方にとか萩の根方にというのに注目する。普通そういう発想はない。
農民が作った民謡にはそういう発想があったとなる。

畑で野菜を作る時、萱があると困る。根が強く張るからやっかいであり土ごと全部とらないととれない、
こうした作業を通じて萱の性質を具体的に農家の人はしる。
風流的になるとただその表面を見ているだけなのである。
農作業でまさに農民は自然と日々接して格闘しているところがある。
それは風流としてながめるのとは違っている。
だからこそ萱は根が強くやっかいなものだとして萱根という地名が生れたのである。


農家出身の女性と接してわかったことは土着的女性だということをつくづく感じた。
その女性は見た感じでは体も頑丈であり農業できる体をもっていると見える。
ただ実際は頑丈そうに見えても弱い部分がかなりある。
でも農業というとき体が丈夫でないとできないと外からは見る。
外で働くから寒さ暑さをじかに感じるし体が強くないとできないと思う。
だから華奢なきれいな女性では勤まらないから嫁として受け入れられない時代があったかもしれない、
米俵を担ぐ力持ちの女性がかえって注目されたり価値があったのは
機械もない時代は力あるものが価値があった。それは男女でも同じだったのである。
ただ遊女になるにはそれなりの美人が要求されたが農家ではそうではなかった。


そもそも農家に嫁ぐの嫌う女性がいた。それは農作業が辛いからである。
今はそういうことが軽減されたから別にそんなに体が丈夫でなくても勤まるようになったのだろう。
それより専業農家は田舎でも一割とか極めて少ないのでありあとは
兼業農家であり兼業農家はサラリーマンになっていて田んぼもまかせているから
全く農業しない人も多いからそこが農家と言えるのかとなる。
実際農家でも昔の農家とは違い農家的なものは失われているし農村的なものも田舎から失われている。
根を張るというとき農家はまさにその土地に根を張る存在であり樹や萱などの植物と同じだったのである。
そういう自給自足の生活は江戸時代から戦後十年まではつづいた。
それが高度成長時代となり急速に変貌してしまった。


現代はその土地に根付いて生活する土着的な志向は消えて会社に就職することが人生を決める。
社会は会社社会になったのでありその土地に根付く根を張る社を中心とした村社会は消えた。
でも人間は根源的には生物だから土地との一体感を求めることは変わりない。
それがむしろ自然であり自然から遊離しすぎた文明の中で自然のことがわからなくなった。
原発は全く自然から遊離したものであり土地とは何の関係もない、
「原発は何か」と問うてみても知識的にもわからないし具体的日々の生活でも理解できないものだった。
炭を燃料にしていればそれは山の木から作るから説明するまでもなく生活の中でその意味を自ずと知る。
原発はわからないからそれを制御したりすることもできない、ただ暴発して事故になりあとで苦しむだけだった。

サラリーマン的な人生には人間には生の重みが伝わってこない、退職すると同時に用なきものとなる悲哀がある。
農家の人にはそもそも退職がない、生涯体が動く限り現役になる。80才でも畑を耕している人は普通にいるからである。
不思議なのは東京辺りではもうそうした農家の人を知ることができない、
どうして米が野菜ができるのかもわからない、回りが全部サラリーマンであるとすると農家の人とじかに接することはないからだ。
そういう世界はやはり自然と遊離した異常な空間でありそれがいつか災害やら電気がとまったとかで突然崩壊するという恐怖を覚える。
そのよってたつ基盤が自然ではなく人工的なものだからである。
人工的なもの原発でもそういうものは今回のようにいつ事故が起きる破壊されるからわからないからである。

 
 

津波原発事故での混乱状態は三年目でも変わっていない (それは現代社会を問うもので機能不全化している)

 

津波原発事故での混乱状態は三年目でも変わっていない


(それは現代社会を問うもので機能不全化している)


●まるで映画のような混乱状態が未だにつづいている

津波原発事故から三年目になってもこの辺の混乱状態は何も変わっていない、小高区の仮設なども以前として変化はない、復興住宅がその土地だけでも900区画必要でありそんな土地があるのかとなるから六号線の金沢の坂を上る狭い土地が住宅地にもなる。
津波で失われた土地の面積も広い、そこが使えないということも痛い
もちろん小高区全体が未だに人が住むように回復していないことは一番痛い。
なぜなら復興住宅を建てるとしたら小高区に土地があるのだからそこにも建てれば
土地を利用すればかなりの土地不足が回復する。
一部建てるにしても小高には住みたくないという人が多いからその土地は有効利用されない。

有効利用されないという時、何かこの辺ではあらゆるものが有効利用されない混乱状態が以前として継続されている。
未だに未来の姿など見えないし何をどうするのかも見えていない,それほど被害が大きすぎたから有効な手を打てない
この状態は何なのだろうというとき、まるで以前として映画のようにも思うだろう。
映画のセットのようになっている。
実際あの住宅地になる六号線の金沢の辺りにイノシシが二匹夕方に出てきたのをみた。
あそこは工事しているからあんなところに出てくるとは思わなかった。
ただ前には野うさぎが出てきたのは見ている。
野うさぎでもイノシシでも行動範囲は広いから街近くまででてくる。
ただイノシシをあんなところに見かけたのははじめてである。
イノシシは街内に住んでいるとなかなか見れないだろう。


この辺の状態は何か猿の惑星の映画のようだというとき現実がそれとにかよっているからそうなる。
浪江から南は警戒区域で人は住んでいない、住民がいなくなったこと自体
まるで映画のうよであり現実とも思えない、飯館村でもそうである。
そして避難した人は各地で仮設に住んでいる。そのことも変わっていない
それでどこでも避難した人たち地元の人たちに批判されている。
働かないで昼間から酒を飲みパチンコ屋などに行き遊んでいるだけだ。

それがイワキでは具体的に嫌がらせがあったのは現実にイワキに住んでいた人たちが
アパートでも病院でも何でも原発避難者が優先にされたことでから起きた。
病院も混んで避難者は無料であり地元に住んでいる人はあとまわしにされる。
何かそうした具体的に原発避難者のたに損したとかがありそれで避難者を攻撃するようになった。
あまりにも原発避難者は国からでもいろいろと優遇されたからそうなった。
鹿島でも小高区の人たちは仮設に住んで補償金もらって遊んでいるだけだとかなる。
イワキと似たような状態が作り出された。


●原発避難者だけが優遇される不満がここでも起きている


南相馬市でも原発避難者津波被害者は仮設に住んでいるから介護できないとなり
病院でも施設でも優先的に入れてその他の人たちはもともと少ないから入れないとなり
具体的にそうしたことでも不満がでてくる。自分も何か理由はわかるにしても迷惑だと思った。
ただもし小高区の人たちもただ毎日酒飲んでパチンコして遊んでいることで批判される。
何か懸命に南相馬市のために働こうとか何かそうした意識でもあればそうはならない、
ナーニ、補償金で暮らせばいいしあとは生活保護で暮らせばいい、
こんなことにされた俺たちは被害者でありかわいそうな人たちでありそれを主張できる。

でもそうした意識でいると回りからの目がこれからはさらに厳しくなってくる。

どこも人手がたりないのに病院でも老人ホームでもスーパーでもレストランでも建築現場でもどこも人手がたりない、
そんなことかまわないで金があるから誰も働こうとしない、働いているのは主に外部の人でありまだボランティアも来ている。
おそらく原発避難者でも地元の人のために何かなろうとか意識でもあればそうはなっていない。
俺たちは金があるのだからそんなことする必要はない、毎日マグロのサシミで晩酌だとなる。
そういう人たちを見ていて回りの人のこれからは厳しくなる。


なぜ原発避難者だけが優遇されるのだ・・・


これがイワキの人たちの怒りになったことは自分もわかった。
それはもともと住んでいた人たちが被害にあったからそうなったのである。
それはイワキだけではないどこでも原発避難者を受け入れているところでは起きている。
なぜ避難者は毎日遊んで暮らしているのか

なぜ自分たちはあの人たちのために働かねばならないのか尽くさねばならないのかということがある。
ただ南相馬市の場合はさにに複雑であり小高、原町、鹿島で補償金で内部対立がある。

それで一眼となって復興する意欲がそがれている。心がばらばらにされているからである。
実際考えてみると小高区の人たちが鹿島区に仮設を建てた時、一時的に市の調整金から支出して一所帯百万もらった。
それを原町の人でかなり批判した人がいた。
でも原町の人たちは二年分くらい一人一カ月七万の補償金をもらっているとかなっていた。
その差も大きいから鹿島区の人たちは不満が未だに大きい。
だから小高区の人たちが補償金の一部を鹿島区の人たちに分けるべきだったという人もいる。
こういうことは自分だけが特別思っていることではない、鹿島区の人たちの世論なのである。
表立って口に出さなくてもそういう気持が共通しているのである。


●金だけでは解決しない問題


いづれにしろこの辺の状態を住んでいても理解することが未だにむずかしい。
これは一体なんなのだろう?これからどうすればいいのだろう。
意外と補償金で金には恵まれている。ただ変なのは銀行には金がたまっても借りる人がいなくて困っているという、
銀行は借りてくれる人がいないと成り立たないのである。
金があってもうまくいかない、金だけでは解決しない問題が生れている。
自給1200円でも人手は集まらない、この人手集まらないということが実際はこの辺では致命的になりうる。
新しい百人収容の施設も建てたが10人募集しても介護士など来ない、他にも施設は建てたが介護士などこない、
下の世話をする介護士など誰もやりたくないしみんなやめてゆくと行っていた。
看護師不足も深刻である。それは金では解決しない。

何かこの辺では金だけでは解決しえない問題がかなり生れている。

みんな土地をほしがっているが土地を買うことができず家を建てられない人たちも多い。金でなんても買えてまかなえるということができなくなっている。
それは何なのか、社会を見直すきっかけにもなる。
金をもっていたからとすべていいとはならない社会である。
金が今までのように機能しなくなっている社会である。


それから人手不足というのはなぜそうなるのかというと看護師でも介護士でも
あらゆるものが専門化していて資格が必要だとか簡単になれないからである。
また相手を信用できないから保証人が必ず必要でありそれでみんな困っている。
つまり人手を補うにしても働くが端を楽にするという狭い範囲での労働とは違っているから人を使えないし補えない、
それも現代社会の仕組みそのものが機能不全に陥っているためかもしれない、
村のような大家族のような狭い社会だったら人手は金ではなくても補えたろう。

介護などはみんな在宅でしているのだから施設を作って専門家の介護士だけしかできないというこはできない、
手の余っているの者がきてやればいいとなる。
でもそんなことはいろいろな条件が国から課せられていて金も国から出るとなるとできない、
そこで専門家でなければ資格がなければやれない、
また保証人がなければ信用できないとかいろいろな障壁がない社会だったろう。
その見方がいろいろあるにしても何かこの辺の状態はそうした社会の機能不全状態に陥っている。
だからこそ何でも有効な手段がとれない、ただ映画のような混乱状態がつづいているのだ。

金によって人の心も分断されているのも現代を象徴している。あいつは多くもらっている。
格差社会ではそうなる。
なんか未だにこの辺は何なのか?
要するに現代社会の矛盾が極端化して現れている場所なのである。
現代社会が機能不全に陥るとこんな状態になり解決の道が見いだせなくなる
だから簡単に復興な外からでも叫んでもできない
それは何か現代社会の崩壊現象がこの辺で起きているからきようにも見えるのである。

 
posted by 老鶯 at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年02月22日

東日本大震災から2年 追い詰められる介護現場 ―福島県南相馬市からの報告―

 

東日本大震災から2年 追い詰められる介護現場

―福島県南相馬市からの報告―


南相馬市の北部にある介護老人保健施設「厚寿苑(こうじゅえん)」です。震災直後、一時は休止に追い込まれましたが、
市内でもいち早く活動を再開しました。

現在、およそ20人の介護職員で、50人を超える入所者のケアに当たっています。

この地域は、以前から介護の人手不足に悩まされてきました。震災以降介護を必要とするお年寄りが急増し、
今まで以上に厳しい運営を強いられています。58床あるベッドは、ほぼ満床状態が続き、260人を超える人が空きを待っています


100床ということで、12月に新しい施設が開設予定なのですが、未だ働く人が集まってきていません。先ほども話したように、30分でも、1時間でもいいんです。利用者さんとゆっくりお話していただけるような、ボランティアの方でも良いので、この地域で今困っている人のために、一人でも多く働きに来てくれる仲間を期待して待っております。よろしくお願いします。
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/summary/2013-03/11.html

今問題となっている療養型病床である。療養型がなくなると「介護難民が出る」という言い方は間違いである。いわゆる老人病院から療養型を整備する時に、収容するための箱をつくりすぎたのである。



震災以後この辺の病院介護は危機的状態になった。介護する人も増えた。避難中に認知症を発病した人もいた。もちろん病気になり介護状態になった人もいた。
そういう状態の時、若い看護師介護士が南相馬市から流出した。
それも大きな痛手となった。その後も看護師と介護士は集まっていない
それで新しく建てた老人の施設も人手不足で100人収容でも機能していない

それはこれまでもここだけの問題ではなかった。老人施設はどこも人手不足に悩んでいた
箱ものは作ってもそこで働く人がいないのである。
病院とか介護では建物より人の方がより大事になる。
人手が多ければ多いほどいいのである。
介護する方も介護される方も楽になる。


在宅で苦しいのは今や家でも人手がない
一人で介護している人も多い
一人で二人を介護している人も多い
この辺では別に人手がないというわけではない
現実に3000人くらいの人が仮設に入っているけど
この人たちはほとんど働いていないからである。
毎日昼間から酒飲んでパチンコして遊んでいるのが多い
東京の方まで遊びにでかけている老人もいる

こういう危機的な状態の時
バチンコ屋で人がたりないとか言っている人がいた
これも馬鹿らしいのだけどそういう現実もあった
自分は介護していてもそんなこと見てみぬふりである
これは個人的でも今は南相馬市全体に起きていることなのだ


ボランティアの方でも良いので、この地域で今困っている人のために、一人でも多く働きに来てくれる仲間を期待して待っております


こういう危機的場があるのに遊び暮らしている。
補償金で遊んでいればいいという意識がある
こういうところに復興などあるのかと思う

遊んでいる人は南相馬市から出ていってくれ

これは自分にも問われているがここはそういう余裕のない場所になっている
遊ぶといっても数が多いのだからどうなっているのかと思う
要するに生活保護特区のようになってしまったということである。

そこではこれからも精神的荒廃がひどくなる
働くことがすべて価値あるものではないにしろ
南相馬市民の半分くらいが働かない人となるとどうなるのかということである

病院では入院したらすぐ退院してくださいというのには驚いた。
近くの人は本当に入院して三日くらいで抗議しないから退院させられた
何か看護師に愛想もなにもない、ぴりぴりして早く出したいというだけなのである。
それだけ他とは違い余裕がなく逼迫していたのである。


川内村に移住した外部の人は補償金で郡山市などで贅沢している村民を見てこんなところでは住めないと出て行った。
そういう生活はいいように見えても精神的に荒廃してくる
だから川内村のいい所があって田舎のいい所があって移住した人も出て行った。
何か前は貧しくてもいいものがあったがそれも失われた。
そういう荒廃が起きて経済的なものだけではなく精神的にもこの辺は荒廃して衰退してゆく


ナーニ、補償金で暮らせばいいんだ、何か努力しようにもできないよ
もう年だからあきらめるたよ

こんな精神状態が子供に影響してくる
そういう雰囲気は街自体にも影響してくる
そしてこういう場所は外部からのものにも嫌われてやがて来る人もいなくなる
震災から三年後の状況はもうかわいそうだだけでは解決しない
そういういつまでもかわいそうだかわいそうだというときそれに甘えてしまい何も解決しない
そういう甘えから脱することが復興へつながる。
でも現実は悪い状態に向かっている

 
 

2014年02月24日

春寒し(顔にその土地の自然が反映している)

 

春寒し(顔にその土地の自然が反映している)

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冬日さし宝永の碑の残るかな


東風吹くやかなたを思いみちのくに


春寒し鴎の二羽の真野川に朝飛び来たり山の翳りぬ

山脈に残れる雪や雲影に翳り深めぬ春寒しかも

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昨日を撮った写真だった。昨日はまだ寒かった。今日は春らしく東風(こち)が吹いた。
明らかに東風(こち)が吹く時はこの辺は春らしくなる。
この東風は九州からさらに海を渡って吹いてくるものなのだろうか?
風は地球規模で吹くから風を感じることは地球の広さを感じることに通じている。
貿易風などもあり風は一地域に吹くものとは違う。

ただこの東風が原発事故では災いしたのである。
飯館村から福島市まで東風が吹いたから放射性物質も運ばれた不運があった。
北風だったら海に半分は流されていたのである。
浜通りは海に流されたのが多かった、南相馬市でもそうだったのである。


真野川に鴎が飛んでくるというとき海が近いからである。
鴎を見れば必ず海をイメージする。
ただなぜ琵琶湖に鴎が飛んでいるのか、あそこも海と通じているとなるのか?
川をさかのぼり琵琶湖に飛んでくるのか不思議である。


山脈(やまなみ)が翳るというとき、人間の顔にも反映される。
東北人が何か暗いというとき雪国の人が暗いというとき、それは自然が反映されているからである。
雪国だったら冬の間に閉ざされて暮らしたら誰でも暗くなる。
それが顔にも反映される。
実際に沖縄の人などはそうした顔に暗さがない明るさがある。
それは九州の人でも同じである。
だから沖縄に行ったとき、あんたは東北の人だと一目見て言われた。
やはりそういう特徴を東北人はもっているのだ。
その人とは一言も話さないがわかったのである。

人間の顔にはそうした自然が自ずと反映される。

ただ東京のような大都会となる自然の反映がなくなる
だから顔に深みがなくみんな数字のようなロボットのような顔になる
そんなことまで見ている人はいないしわからない
でも海辺に住む人と山に住む人も縄文時代あたりだったら
顔を見ただけで区別できたかもしれない
今でも山岳民族が生き残っているけどその顔はそういう自然の刻印が押された顔になる。

宝永四年の碑が鹿島区の神社の脇では目立つ、あそこは神宮寺だった。
もともと神社であり後に寺になった。それで寺子屋もあり
その記念の天保の碑があった。でも気付いたのは二人だけだった。

あそこに復興住宅団地がたつから墓地としては何かふさわしくなくなった。
この辺の変わりようはあまりにも大きかったのである。

看護、介護がなぜ在宅がいいのか (病院や施設で人間を数として見ている)

 

看護、介護がなぜ在宅がいいのか

(病院や施設で人間を数として見ている)

家で介護している限りはその人は家の価値観の中でその人をみている。
家族でも千差万別だからその人が家族でどういう立場にあったの人なのかわかりにくい、
最近つきあった人も本当にわかりにくい、前の夫とともつきあっているし
障害者の息子ももっているしなんかわけわからなくなる
家族関係は本当はその家族しかわからない人間関係をもっているのかもしれない
だからその人が家族でどういう立場になったのかはその家族でないとわからない

自分の家族も外から見たらどんなことしても理解できない家族だった
そんな家族関係があるのかと不思議に思ってしまうだろう。
でもそういう家族の中で自分は育ったし最後も看取ったのである。

介護の時はその人の価値づけは家族の中で行われるのである。
家族の中でどういう働きをしたか立場にあったか、
家族にどいうふうに尽くしたかとがが問われる。

だから実際の親子関係でも全く親の働きをしなかった人もいるから
介護の時は粗末に扱われることは普通にある。
ただ害を残しただけだとそうなってしまう。
介護で自分が世話になった分しか介護しないというのもそのためである。
だから兄弟でも姉妹でも一番かわいがられたものが介護しないとかなる
親でも価値づけが兄弟姉妹で変わってくるからである。


この家族から一旦外に介護になるとまた違ってくる
ただそこではそうした複雑な家族の関係や価値づけとは違ってくる。
家族という価値づけの世界から社会的公平な価値づけが働く
それは個々の複雑な家族の価値づけではなく平等の原理が働く
その人が家族の中でどういう立場にあったのかなど関係なくなる
一人の介護者でありそれは誰々の家族というものではない
一人の病人であり介護者である

それはただその病人の様態で介護度で決められる
少しでも歩ければ早めに退院してくださいとなり
まだ重傷で歩くこともできなければ長くなる
その人がどういう家族の中で生きて来たかなどは関係ない
だから今では特養でも介護度が優先順位になる
前は身寄りがない人が優先的に入れた
今は介護度で決まりやすい
その他いろいろなことを考えても他人にはわからないからである。


結局病院や老人ホームでもそれは頭数で考える
病院では収入を増やすために一人一人の事情など考慮することはできない
10日入院だと収入が多くなるから少しでも歩けるようになったら出てくださいとなる
そして新しい人を入れることに力をそそぐのである
一人何日入院していくらだと絶えず頭で計算して対処しているだけなのである。
それは老人ホームでも同じである。


例えば経済活動でもレストランでも頭数をふやさないと利益があがらないから
一人は単に定価分を払う数にすぎない、それが経済活動である
同じ金額を払うのだからその人が特別な人とはどこにもならないのである。
数をふやせば利益もあがる。それが日常の経済活動なのである。
これは政治活動でも同じである。
一票は頭数であり数を集めない限り選挙には勝てない、
だからどんなに社会に貢献している人でも生活保護の人でも何でも一人一票なのと同じである。
カルト宗教団体でもこれは同じ考え方で人集めをする
頭数が集まればそれが数として社会へ反映させられる
それも経済活動の一環と同じなのである。
社会活動や経済活動ではその人が特別だということにはならないのである


だからそんなふうにただ頭数として計算され処理されることはわびしいとなる。
病院では死んでもそうなる。すぐにかたづけてください、葬儀屋は呼んでありますとか
ただ金として頭数で計算されて火葬場に送られる
その人をいたむ心はないのである。
でも現実に家族でもないとしたら看護するにしろ介護するにしろ
家族のようなまた何かその人への思い入れをもつことはできない
だから介護度で判定してあとは数で処理するのである。

だから議員ですら番号で呼ばれたとうことがあって怒った。
つまり病院や施設では本当に番号として処理されても不思議ではないのだ。
その個別の人間として扱う余裕もないし患者も介護者も番号として処理される

医者でも看護師でも介護士でもその人に特別思い入れをもつことはなかなかできないだろう。
次々に患者は苦し病人も苦し介護者も来るからである。
だから病院では金の計算が先になる。
早く退院させて回転率を良くしてゆくと金は効率的に入ってくるからである


ただ人間にはそれぞれの人生が個別的人生がありそこに価値がある。
それを病院や施設では考慮できない、病院では病人でありその病気をみる、
施設では介護者としてみるだけである。
家族でみるときは複雑にしろ家族的価値観でみている。

また人間には個別的人生があり価値観がありそれが本来の人間を価値づけている。
そういう方面の価値は誰かみるのかとなる。
自分はその人の話しを聞いてそういう苦労をしたんですねとかあいづちをうったりして聞いたりしているとき
相手の人生に入りその価値を認めているのである。
認知症の人でも最後まで人間としてのプライドをもっている不思議がある。
だからあなたは戦争で苦しみいろいろと辛いことを経験して生きてきたのですねとか
話を聞いてやると満足するのである

こういうことは医者も看護師も介護士もしているのはごくごくまれである
そんな余裕がないのが現場だからである
そこで人間がモノのように処理される
だから病院とかで死ぬのは嫌だとなるが最後は病院で死ぬのが8割になる

かといって在宅介護は家族にとって重荷になりすぎている。
家族が少ないからできないのである。でも国では在宅介護がおしつけているのである。
本来はそうあるべきなのだがそうできない、そこがまた介護の大きな問題なのである。
いづれにしろまた退院したら前より介護は苦しくなる
介護とが増しているからそうなる。
ただ介護される方にとっては家がいいとなるのだろう。

食事の面では病院の方が良かった
食べやすいものが出されたからである。
家だと自分はそうしたものを作れないからである。
介護を家でするのには人手が必要なのである
人手はあまっているけど活用されていない
介護士とか専門の人だけに頼るの無理がある
隣近所で昔はしていたというのもわかる
介護はそんな専門家ばかりに頼っていたらめんどうになるだけだからである。


いづれにしろ現代社会はみんな経済的には頭数として計算され個別的なものとして価値を認める所はない、
江戸時代あたりの方が人間を個別的にそれぞれの立場を尊重してみていたかもしれない、
それは人間同士が濃密に交わる社会だからそうなった。
交わる場所も村とか狭い場所だからそうなった。
ただこれもいろいろ見方がありわからない
ただ江戸時代がすべて貧困などばかりでいいことはなかったなどとはみれない
江戸時代には江戸時代なりの人間の価値観がありそこではかえって現代のように
数としてだけ処理される経済活動だったとは言えないものもあった。
ただそれを言うとまたその見方も否定される
ただ時代をみるには江戸時代でも今を見るのに参考にはなるのである。

2014年02月25日

放射線量が各地で雪で上昇 (南相馬市の浜側でも2倍に上昇)


放射線量が各地で雪で上昇

(南相馬市の浜側でも2倍に上昇)

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前は0.1・・・レベルだった

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2014-2-25の樋の下

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三年前の樋の下

2月15日頃から福島県を中心に、東日本各地で放射線量が上昇しています。政府の放射能モニタリングポストによると、福島県の南相馬市や富岡町、大熊町などで平時の平均よりも1.2倍ほど高い値を観測したとのことです。また、茨城県や栃木県でも、少しだけ線量が上昇しました。
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-1822.html


雪でも雨でもやはり放射性物質は付着して地上におりてくる。
不運だったのは原発が爆発した時に東風がふり飯館へ行く谷間で雪がふったのである。
それで異常に放射線量が高くなった。
雪がかなり影響したのである。

今回の大雪でも放射線量が各地で上昇した。
自分の家の回りでも倍に上昇した。

前は道路でも0・1・・・だったが0・28は結構高い、倍になっていた。
雪の上では0・22とかであった。
雪が一番ほ放射性物質が付着しやすい

ただ空気中にまだまだ放射性物質がふくんでいてそれが雪に付着しておりてくる。
空気中から消えない放射性物質がある。放射性物質はなかなか空気中でも消えないのである。
ただ見た限りでは空気は別に冬でも澄んでいる、見た目はわからないのである。


それでも放射性物質は相当に減った。半分にどこでも減っている。
樋の下は一番高く9マイクロシーベルトあったが今日計ったら4くらいだった
約半分に減っている。とこでも半分に減っている
でもストロンチウムとかの核種は計られていない、セシウムが主に計られている
セシウムは確実に減る、30年たたなくても半分に減っている
でも科学的判断は素人にはなかなかできない

政府でも放射線量が本当はどれくらい減っているのか?
そうした正確なことはやはり事故の後も伝えていない
帰還させることを奨励しているから放射線量を高く設定していない


計った限りでは0・1くらいから0・3とかになると高いと感じる
室内でも0・2あったのかとなる。
雪の関係でどこでも放射線量があがったのである
だかちら空中に放射性物質は相当にふくんでいて消えないから雪がふってそれを証明したのである。


この放射線量がどのくらい人体に影響するものなのか?
自然にも放射線がでている。それには人工的な核種はふくまれていないから安全だという
だから少量の放射線量はかえって健康にいいということをなぜ科学者が言ったのだろうか
人工のものは核種が違っているからそうはならないのである。
そんなこと科学者だったら簡単なことに思えるけどそれもわからないことだった。

 
posted by 老鶯 at 14:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年02月26日

大雪の後の春の訪れ (庭の花の木がかなり折れていた)


大雪の後の春のおとずれ

(庭の花の木がかなり折れていた)

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石一つ庭に動かず残る雪

イワヒバに残れる雪や石の庭
我が庭を他人の手入れし芽吹きかな
街角の花屋に春の色豊か


手水鉢雪の氷りて融けじかもさしおく梅のなお咲き開く

我が庭の花木の枝の雪に折る痛々しかも大雪の後
蠟梅の枝も折れにきなかなかに今年は咲かじ大雪の後
瑞々し我が手にふれぬ雪柳近くの花屋に我は買いにき
穏やかに夕べ霞みぬ山脈に燃えゆらぎつつ春の陽没りぬ
東風吹くも山脈霞むこの夕べ知られぬ山や春陽没りゆく

我が墓の前を通りて今日も行く宝永の碑あり冬深むかも

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今年の大雪はそのあとも影響していた。あれだけの雪だったから花の木などが結構折れていた。
雪の重みで折れていたのだ。こういう経験は雪国ではないからこの辺ではしていない。
ただ雪国ではこういうことが度々あるのだろう。そこに雪国の厳しさを感じるだろう。
つまり植物でも動物でも野鳥でも雪国に生きるのは厳しい感じがするのである。

大雪の影響は大きかった。かなりの庭の花の木などの枝が折れていた。
雪の重みの大きさをこれで感じた。植物でもあれだけの雪に耐えるのは容易でなかったのである。
なんか異常気象でこれまで経験し得ないこと経験する。
津波もありえないことでありその体験の重さはなかなか消えない
想像より現実が今まで見たことのないもの見る

雪にしてもこの雪は重く日陰ではまだ残っている。そうでなくてもところどころ残っている。
この辺では薄くしか雪は残らない、この雪は特別だったのである。

手水鉢に凍りついで残っている雪に正月に買った梅がなお咲いていたのも驚きである。
まずこんな光景をなかなか見れないだろう。
だから写生自体がありえないことを写しだしている。
写生が短歌でも基本にあることがこれでわかる。
津波でも大雪でもそれ自体を飾らずに写生しているだけでこんな風景があるのかという驚きなのである。


他人の手に手入れされた花木が芽吹いていた。手伝いさんというものでもないが手伝ってくれる女性がいる。
成り行きで来るようになった。この女性はいろいろ話すであるがそれが長いのである。
ただ同世代で同じ場所に住んでいるから話しがあう、茶飲み友達でありもう一人夫婦のようにしている男友達がいる。
それも津波の被害の時助けられたということでそうなった。

何にしろ自分の家であれ自分の庭であれ他人の手が入れば自分のものだけとはならない、
そもそも何であれ自分で独占ふることはできない、必ず他人の労働があって家でも庭でも何でもあるからだ。
家だって自分のものだけのようでも実際はそうではない、自分だけのものなどこの世にもていなのである。
だから自分の組で三軒も空家があるのは変なのである。
そうして使わない家や土地は何の意味もない、だから持つ権利すら本当はなくなってゆく
誰か有効に利用するものが権利を得るのである。
だから小作が戦後を土地を無料で取得したのはそのためである。
労働する方に権利がありただ土地だけをもっている人には権利が喪失してゆくのである。

だから何年間も空家にしておくことは市町村でも有効利用していないのだから何の役にもたたない、
みんな土地や家も求めている時そうした空家を持つことはかなりの迷惑になってしまう。
だから土地や家や庭でも自分のものではないその子孫のものでもない、何らかの共有財産となってゆく。


今日は霞だった。春らしい穏やかな一日だった。近くの花屋でまた花を買った。
花を飾るに花を見るのにふさわしい季節となった。


春なれや名もなき山の朝霞 松尾芭蕉


みちのくの山も春なれ夕霞


この辺もともと知られていない場所だった。飯館村などもほとんど知られていなかった。
それが原発事故で世界まで知られるようになったのである。
それはいいことではなかったのである。
今頃春田になっていたしそれもない、こんなに変わること自体あまりにも無常だった。

自分の街中の墓地は毎日通っている。
だからその度に死者を意識するということはある。
あそこの墓地は意外と古い場所だった。
ただそのすぐ側に何軒も復興住宅の団地が建つ、これもあまりの変化だったのてある。
墓地は淋しい方がいいけどまるで都会化してきたのである。
これもいいものじゃいがどうにもならない、家不足はこれからもずっとつづく。