2014年02月15日

仙台に約一年ぶりに来る (浮世絵展を見てバスで帰る-阿武隈川の短歌)


仙台に約一年ぶりに来る

(浮世絵展を見てバスで帰る-阿武隈川の短歌)

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津波跡駅舎もなしや冬の海
阿武隈の川面に写る冬の雲
冬の雲津波の爪痕消えぬかも


冬の浪荒く打ちつけ津波跡駅舎いくつか消えてなしかも

阿武隈の川面に写る冬の雲なかなか消えじ春はまだしも
街の灯の連なりともり仙台に久しく来じも今日我が歩みぬ

仙台の街の灯ともりなお冬やコートを着つつ歩む人かな

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これは縮小したものです

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これを拡大して見てください

やはり大きい写真でないと見栄えしないものがあります


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直通のバスで仙台に行く、途中新地とかは駅舎が津波で消えて荒い浪かしぶきをあげて打ちつけている。東部高速道路に出ると高いので眺めがいい、必ず阿武隈川などが見える。河口になるので広くゆったりと流れているのは外国の川を見るようである。
こういうふうに大きな川を見れないのが日本である。

阿武隈川というときそこには歌枕となった川でもあり阿武隈川についての古歌を知ると
また見方が違ってくるだろう。


 阿武隈に霧立ちくもり明けぬとも君をばやらじ待てばすべなし(「古今集」)
 よとともに阿武隈川の遠ければ底なる影を見ぬぞわびしき(「後撰集」)
 行末に阿武隈川のなかりせばいかにかせまし今日の別れを(高階経重「新古今集」)
 秋の夜の月はのどかに宿るとも阿武隈川に心とまるな(藤原実清)
 思ひかねつまどふ千鳥風さむみ阿武隈川の名をやたづぬる(定家)


阿武隈川せやはり地理的に一つの境である。川は境にもなる。だから阿武隈川はみちのくの一つの境になる。特に亘理から岩沼にわたるところは境である。
底なる影とはなにか?確かに河口の方になると広いからそうした影が写しやすい、
冬の雲が今回は写っていた。つまり阿武隈川は大きいし底が深いということで影も写りやすいからこれはもしかしたら想像でもないかもしれな、ただ京都の人が歌ったのは実際に訪れたより想像で歌ったのが多いからわからない。
ただこれは想像にしても阿武隈川の特徴をとらえているのだ。

古歌を鑑賞するには相当な歴史的背景がありまた深いものがあるからなかなか鑑賞するのがねずかしい。
ただ阿武隈川にしても長い川だからどの辺を歌ったのかもわかりにくい。
みちのくに住んでいるものとしては相馬からだと必ず亘理で阿武隈川を渡るから一つの境意識がつちかわれる。


現在の「あぶくま」の地名は、平安時代の文献に「あふくま」と呼ばれていました。『三代実録』貞観5年(865年)の項で「阿福麻水神(あふくまかわのかみ)」が出てきます。この神は『延喜式』(912年)の陸奥国亘理(わたり)郡に出てくる、あぶくま川河口の「安福河伯(あふくかはく)」神社と考えられています。『延喜式』の「安福(あふく)」は、本来は「安福麻(あふくま)」であったろうと『大日本地名辞典』を編集した吉田東伍は言います。また「河伯」は『和名抄』に「かわのかみ」と記されいます。したがって「安福麻河伯」神社は9世紀には「あふくまかわのかみ」と呼ばれたと考えられます。仙台藩の『封内風土記』によれば地方民がこの神を「阿武隈河大明神」と呼び、昔は「阿武隈川神社」と呼んだと記しています。

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逢隈(あふくま→おおくま)となっていて駅もできた。そこに実際に逢隈という地名が残っている。やはりここが名前の発祥地だとすると川を渡る場所としての名だったのか?
大きい川はわたるのに難儀したから逢うと別れるとかがテーマになりやすいのだ。


仙台で浮世絵展をやっていた。北斎の浮世絵を現代的手法でよりきれいしにした。
赤富士が暁に染まるのがリアルな絵があった。普通は何かくすんでいるのだ。
ただ富士の迫力は自分の眼で実際に見ない限り感動しない。

ソニーのRX200は夕方とか夜景がきれいにとれる。写真の魅力がこれでました。
こんなふうにきれいにプロ級にとれていることに感動した。

仙台にはやはり一カ月一回くらいは来る必要がある。
やはり展覧会でも文化であり得るものがある。
インターネットやテレビの画面だけからは得られないものがあるのだ。
音楽でも生演奏を聞かないと音楽はわからないというのは確かである。
ただ最近7年間は介護に追われそうした時間の余裕がなくなっていたのである。
現実に水道管が壊れ大量の水漏れがしていたと連絡があった。
子供を家に置いて火事になったとかハチンコして遊んでいて車の中で子供が死んだとか
何か家族でも家を留守にして留守番がいないと問題が起きる。
そういうことかつづいたのがこの7年間でありまたつづいているのである。

 

2014年02月16日

大雪ー冬芒 (介護を在宅にするには病院や老人ホームの中間施設が必要)


大雪ー冬芒

(介護を在宅にするには病院や老人ホームの中間施設が必要)

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99歳リハビリするや冬芒

99歳生き抜く母や冬芒
雪埋もる石に葉牡丹風唸る

大雪や山鳩の群れ平地かな

原釜に妻を亡くすと仮設にて酒飲み帰る冷える夜かな

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山鳩の群れが20匹くらいここに集まっていた

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介護でわかったことは自力でトイレに行けなくなる時、一段階も二段階も介護度があがる。
オムツになると嫌がるしいいものではない、不快度が急速にあがる。
だからなんとか自力でポータブルトイレに行こうとするが苦しい。
世話する人も負担が二段階くらい大きくなる。

しかし病院は入ってすぐに隊員許可がでたら出てくださいと言われた。
それほど看護師が仕事に追われているということもある。
次から次と入れて診療費を稼ぐということもある。
両方があって入ったら出てくださいとなったのである。
でも一時怒ったがそれもできないような状態である。
特にこの辺は看護師不足が切実なのである。
ただ介護など看護師でなくても点滴などしないでやれるものが多いのである。


入院して在宅してとかして在宅介護を政府では進めているがそのための備えはない、
施設は満員で入れない,特養でも10人待ちでも一人死なない限り空きができないとしたらなかなか入れないだろう。
病院だったらいつでも入れるがすぐに出される。
また施設のディーサービスなどはせいぜい二日間とかまた利用するのもめんどうなのである。

在宅で介護するのには家で介護する人の負担を減らすことなのだがそれができていない
それで家で介護する人の負担だけが増えてくる。
自分のような男一人だと余計にそうである。
自分より辛い介護している人も多い。
それでも施設には入れない、金もかかることやいろいろ負担がある

正直自分は7年も介護しているからしたくない、介護の問題は一般的に長いことなのだ。
10年とかも普通にありそれで疲れてくる。そして介護をした人は介護にかかわりたくないとなる。
資格までとって長い間介護した人はしたくないと言っていた。
自分もしたくない、
「今度はあなたの番ですよ、もう私はしませんよ、こりごりです」
となるのである。
なぜなら在宅であれその苦労がなみたいていでないから経験した人はそうなる。
苦労するのあなたの番ですよとなり介護の手伝いもしない
なぜなら介護で手伝ってもらうこともなかなかできなかったからそうなる
私も在宅で苦労しましたからもう手伝いもしたくありませんとなる

つまり介護の問題は在宅でさせるにしても何か工夫が必要だし病院でもない、
施設でもない゛その中間の気軽に時々介護するものの在宅の負担を軽くするものが必要なのである。
入院してもすぐに出てくださいでは息抜きにもならない、介護には代わりがなければ息抜きもできないのである。

枯芒から冬芒となるがまさに今や冬芒まで生きているのが時代である。
一月になると冬芒である。

大雪はかなり溶けてきた、今日は風吹いて日差しがあたたかい、
それでもこの大雪で自然界にかなりの異変があった。
鶯が餌を求めて突然部屋に入ってきて猫にとらえられた。

今日は雪野に20羽くらいの山鳩を群れなして飛んできた。
こんなに山鳩を見たことがない
ということは山から群れなして餌を求めて平地におりてきたのだろう。
これだけの大雪はこの辺では珍しいから野鳥も餌に困ったのだろう。
ただ雪国では野鳥でもどうして餌を求めているのかわからない
虫が餌なら雪の森でもあるから生きていられるのだろう。
虫が餌でないとしたらどうなるのかわからない。


原釜の人で妻を亡くしたという人が仮設の飲み屋で酒を飲んで帰った。
原釜は被害が大きかった。
津波の後遺症はまだまだ消えるものではない

なぜ被災者は働かないのか (原発避難者の風当たりが強くなってくる)

 


なぜ被災者は働かないのか

(原発避難者の風当たりが強くなってくる)

つぶやきかさこ
http://kasakoblog.exblog.jp/17228759/

このサイトに要点がわかりやすく書いてある。やることないから東京でキャバクラに行った、
あとは毎日パチンコだ、汚い仕事はボランティアがやればいい、こっちはかわいそうな被災者なのだ、
補償金や義援金ももらえるし働くと失業保険の金がもらえねえしな、馬鹿らしいんだよ・・・・

こういうことも一時期はしかたなかったろう。どうしていいかもわからなかった。

でも三年目になるとそうはいかない、回りの目も相当に違ってくる。
このプログでは一年目でそう書いていたのである。
一年目ではまだまだ被災者を責めることはできなかったのである。
回りではおかしいなと見ていても見逃していた。
でも三年目になったら回りの目は厳しくなる

原発被災地でも南相馬市でも補償金で小高区と原町区と鹿島区はそれぞれ額が違っている。
一番多いのは警戒区域になった小高区である。ここは一人十万でありその他にもいろいろもらっている。
だから一家で百万もらっているというのもいる。
それでボランティアが働かないと喧嘩になった。
そのことは一年目とか二年目であった。今ではボランティアの数は相当減っている。
事情は常に時間とともに変化している
地域ごとにも変化している。

福島県内でも中通りは郡山市でも二本松市でも福島市でも放射線量が南相馬市とかより高い地域がある。
でも何ら補償金はもらっていない不満がある。
それで南相馬市の人の車が福島市で傷つけられたというのはそういう不満があるからだろうか?
その真偽はわからないにしても福島県内でも対立があるのだ。
こういうことは宮城県や岩手県ではそんなにないと思う。
そもそも原発の補償金など関係ないからである。


ただ日頃でもスーバーで何を買っているかなど主婦でも女性は見ている。
自分も今回小高の知っている人がニートでありその人がエチゴを買っていた。
こいついいもの食べているなと思った。
前には電動自転車のいいのを買っていたのもそうである。
ニートだからもともとはぎりぎりの生活でそれは贅沢の部類に入っていたことは確かである。
そんなもの贅沢ではないというのも今は言えるがその人にとって明らかに贅沢になっていたのである。
東京で遊び歩いている老人もそうだった。日頃の生活だったらんなことできなかっただろう。
だから原発事故で得したという人も結構いるのである。


ただ今までも相馬市の人はスーパーで避難者が高い買い物をしていることを何回も言っていた。
そして批判していた。働いてほしいほしいと何回も言っていたのである。
だから相馬市でも飯館村とかはあまり責められないにしても補償金がかなりもらえから
そこで回りの人はぎりぎりで生活している人もいるから嫌われる。
それで飯館村の人をトマト農家では雇わず津波の被害者を雇ったというのは別に冷たいことでも何でもなかったのである。十分に補償金で暮らせるからである。

相馬市と原発避難者の対立は南相馬市よりひどいかもしれない、
南相馬市でも鹿島区に住んでいる小高区との対立は深くなっている。
あいつらはたんまり補償金をもらっている。こっちはもらっていない、
そしてなんであの人たちは遊び暮らしているのか、そういう不満が大きくなっている。
ただ鹿島区の人も今は働いていない人が多いが小高区の人より働いている人も多いだろう。


そもそも復興というとき外部から来た人たちの力に頼っているのが現状である。
復興住宅やその他の復興事業もほとんど外部の力に頼っていたのである。
だから復興というとき、何か地元の人がみんなで協力して一つの建築物でも建てたとき
何か復興したという満足感が得られる。そういうことが今回の被災地にばないのである。
そんなことできとないということもあるがやはりみんなで何かしら
復興に尽くしたということがないのなら復興の業績はただ外部のものだけにあったとなる。
そうなると復興したのは外部の人たちであり地元の人はその時遊んでいたんだよとなり
子孫にそのことを語ることもできないだろう。
津波原発被害では地元の人はただ遊んでいただけだよ、何の苦労もしていない、
感謝するのは外部から来た人たちでありおじぃちゃんやおばあちゃんでもなかったんだよ
そんなことを子孫に言われることになるかもしれない・・・・


相馬藩の飢饉の時は越中などの人が移民して救われた。
それは歴史的に評価されているし語り継がれている。
それも外部の人たちだったとなるがでも地元に根付いて地元の人となったのだからまた違っている。
その時は残った地元の人たちも苦労したのである。

いづれにしろ原発避難者はこれからはさらに外部であれ内部であれ風当たりが強くなる。
今までのようなかわいそうな人たちとも見られるなくなるかもしれない、
何で遊んでばかりいるんだとか批判が強くなる。

それは今までは表だってはあまり言えなかったが抑えられていた感情が露にでてくるかもしれない、
そうなりつつあるからやはり今までのようなかわいそうな人たちという感覚ではこれからやっていけなくなるかもしれない、
それは南相馬市でも相馬市でも内部でもそうなってゆく。


原発避難地域の現状の矛盾

(補償金で働かない地元の人と外部の人が喧嘩!)
http://musubu2.sblo.jp/article/61677034.html

これを書いたのは2013年1月だった。それから一年またすぎた。
そしてまた状況が変わってゆく、あのころあそこの仮設の食堂は客でこんでいた。
今はめっきり減っている。それが一年前だとは思わなかった。
あのころはまだ外部から入ってくる人が多かったのだろう。
3年目になり外部からくる人は激減しているかもしれない
ただ復興住宅など10年もかかる仕事かもしれない
それだけ復興は長くかかる。
だから外部の力は以前として必要である。
しかしそれもどんどん減ってゆくことは確かなのである。

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なぜ被災者は働かないのか (原発避難者の風当たりが強くなってくる)



なぜ被災者は働かないのか

(原発避難者の風当たりが強くなってくる)

つぶやきかさこ
http://kasakoblog.exblog.jp/17228759/

このサイトに要点がわかりやすく書いてある。やることないから東京でキャバクラに行った、
あとは毎日パチンコだ、汚い仕事はボランティアがやればいい、こっちはかわいそうな被災者なのだ、
補償金や義援金ももらえるし働くと失業保険の金がもらえねえしな、馬鹿らしいんだよ・・・・

こういうことも一時期はしかたなかったろう。どうしていいかもわからなかった。

でも三年目になるとそうはいかない、回りの目も相当に違ってくる。
このプログでは一年目でそう書いていたのである。
一年目ではまだまだ被災者を責めることはできなかったのである。
回りではおかしいなと見ていても見逃していた。
でも三年目になったら回りの目は厳しくなる

原発被災地でも南相馬市でも補償金で小高区と原町区と鹿島区はそれぞれ額が違っている。
一番多いのは警戒区域になった小高区である。ここは一人十万でありその他にもいろいろもらっている。
だから一家で百万もらっているというのもいる。
それでボランティアが働かないと喧嘩になった。
そのことは一年目とか二年目であった。今ではボランティアの数は相当減っている。
事情は常に時間とともに変化している
地域ごとにも変化している。

福島県内でも中通りは郡山市でも二本松市でも福島市でも放射線量が南相馬市とかより高い地域がある。
でも何ら補償金はもらっていない不満がある。
それで南相馬市の人の車が福島市で傷つけられたというのはそういう不満があるからだろうか?
その真偽はわからないにしても福島県内でも対立があるのだ。
こういうことは宮城県や岩手県ではそんなにないと思う。
そもそも原発の補償金など関係ないからである。


ただ日頃でもスーバーで何を買っているかなど主婦でも女性は見ている。
自分も今回小高の知っている人がニートでありその人がエチゴを買っていた。
こいついいもの食べているなと思った。
前には電動自転車のいいのを買っていたのもそうである。
ニートだからもともとはぎりぎりの生活でそれは贅沢の部類に入っていたことは確かである。
そんなもの贅沢ではないというのも今は言えるがその人にとって明らかに贅沢になっていたのである。
東京で遊び歩いている老人もそうだった。日頃の生活だったらんなことできなかっただろう。
だから原発事故で得したという人も結構いるのである。


ただ今までも相馬市の人はスーパーで避難者が高い買い物をしていることを何回も言っていた。
そして批判していた。働いてほしいほしいと何回も言っていたのである。
だから相馬市でも飯館村とかはあまり責められないにしても補償金がかなりもらえから
そこで回りの人はぎりぎりで生活している人もいるから嫌われる。
それで飯館村の人をトマト農家では雇わず津波の被害者を雇ったというのは別に冷たいことでも何でもなかったのである。十分に補償金で暮らせるからである。

相馬市と原発避難者の対立は南相馬市よりひどいかもしれない、
南相馬市でも鹿島区に住んでいる小高区との対立は深くなっている。
あいつらはたんまり補償金をもらっている。こっちはもらっていない、
そしてなんであの人たちは遊び暮らしているのか、そういう不満が大きくなっている。
ただ鹿島区の人も今は働いていない人が多いが小高区の人より働いている人も多いだろう。


そもそも復興というとき外部から来た人たちの力に頼っているのが現状である。
復興住宅やその他の復興事業もほとんど外部の力に頼っていたのである。
だから復興というとき、何か地元の人がみんなで協力して一つの建築物でも建てたとき
何か復興したという満足感が得られる。そういうことが今回の被災地にばないのである。
そんなことできとないということもあるがやはりみんなで何かしら
復興に尽くしたということがないのなら復興の業績はただ外部のものだけにあったとなる。
そうなると復興したのは外部の人たちであり地元の人はその時遊んでいたんだよとなり
子孫にそのことを語ることもできないだろう。
津波原発被害では地元の人はただ遊んでいただけだよ、何の苦労もしていない、
感謝するのは外部から来た人たちでありおじぃちゃんやおばあちゃんでもなかったんだよ
そんなことを子孫に言われることになるかもしれない・・・・


相馬藩の飢饉の時は越中などの人が移民して救われた。
それは歴史的に評価されているし語り継がれている。
それも外部の人たちだったとなるがでも地元に根付いて地元の人となったのだからまた違っている。
その時は残った地元の人たちも苦労したのである。

いづれにしろ原発避難者はこれからはさらに外部であれ内部であれ風当たりが強くなる。
今までのようなかわいそうな人たちとも見られるなくなるかもしれない、
何で遊んでばかりいるんだとか批判が強くなる。

それは今までは表だってはあまり言えなかったが抑えられていた感情が露にでてくるかもしれない、
そうなりつつあるからやはり今までのようなかわいそうな人たちという感覚ではこれからやっていけなくなるかもしれない、
それは南相馬市でも相馬市でも内部でもそうなってゆく。


原発避難地域の現状の矛盾

(補償金で働かない地元の人と外部の人が喧嘩!)
http://musubu2.sblo.jp/article/61677034.html

これを書いたのは2013年1月だった。それから一年またすぎた。
そしてまた状況が変わってゆく、あのころあそこの仮設の食堂は客でこんでいた。
今はめっきり減っている。それが一年前だとは思わなかった。
あのころはまだ外部から入ってくる人が多かったのだろう。
3年目になり外部からくる人は激減しているかもしれない
ただ復興住宅など10年もかかる仕事かもしれない
それだけ復興は長くかかる。
だから外部の力は以前として必要である。
しかしそれもどんどん減ってゆくことは確かなのである。

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介護もカルマだった (親の介護は個々人によって対処が違う)


介護もカルマだった

(親の介護は個々人によって対処が違う)

私ならば、母さんに面倒を見てもらった年数を数えて、その年数お母さんの面倒をみて、「借りは返しました。出て行ってください。」と言います。トピ主さんがまず自分を大切にしないと、他人を大切にする事は不可能です。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2004/0723/008828.htm?o=0


インターネットには様々な意見や体験が述べられている。
探すのがめんどうだけど確かに参考になる

介護は兄弟がいればかわいがられた方が親の介護しろとかなり
自分はかわいがられなかったからお前しろとかなる
つまり親と子供のかかわり方によって変わってくる
親を嫌っている子供も普通にいるからそうなる
つまり介護はそうした親子の関係が現れやすいともなる
だから義理の母とか父になると介護したくないというのもわかる
何ら世話されたこともないからである

つまり介護になるとそうしたカルマが如実に否応なく現れる
そしていくら介護を強いられてもしたくないという人はしたくない
それはカルマが関係していた

母さんに面倒を見てもらった年数を数えて、その年数お母さんの面倒をみて、「借りは返しました。出て行ってください。」

ここまでカルマを数字でさえ計るのは借金を返すカルマとにている。
カルマはこれほどまでにきちんと計られ受けたらその分と同じものを返すことを要求される。
カルマは借金のとき一番わかりやすいのである。
10万借りたら10万のカルマが生じて百万借りたら百万のカルマが生じ千万借りても同じである。
おそらく10万盗んだら10万のカルマが生じ・・・となっているかもしれない
そういうふうにカルマの掟は厳しいものがある
一方的に過剰に要求したりまた返さないこともカルマをさらに負うことになる

奇妙な話だけどある雇い主が従業員に給料を払わなかった、その分をある家で世話になり何故か無料で援助してくれた。その人は何度も雇い主が払わないことを抗議していたのである。それは正当な抗議であり労働基準局に訴えるとまで言っていたしそういう権利もあった。それは半年以上給料をもらわずに働いていたから怒りがおさまらなかったのである。ただ雇い主は払う気がないし今ではその店は客もめっきり減ったので払えないという状態にある。繁盛していた時は給料は払っていたのである。
ただ払わないという時そこに何かは従業員に対して申し訳ないとかこれは少しだけどもらってくださいとかという心使いがなかったことも怒らせる原因になっていた。

でも不思議なのはその人に対して援助する人があり多少の金は払われたのである。
するとカルマの関係は複雑となる。

三者の中にカルマの因果関係ができていたのである。

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この図のようにカルマを負ったのは店の雇い主である。
それは客であった第三者が雇い主がはらむなかった給料の一部を払ったのだから
実は客である人に店の雇い主はカルマを負っているのだ。ただ雇い主はこのことに全く気付いていないのである。
またそれを知らないからそうなる。
つまり従業員にもカルマを背負ったし援助した客にもカルマを背負うようにっていたかのである。
こんなことを何も思わないし何も考えないだろう。
今でも別にその援助した客は店を気に入って行っているしその客自体も雇い主にカルマがある、
借りがあるとも思わないしまた雇い主もこの人はただの関係ない客の一人だと思っているのだ。

カルマは実際は複雑な社会で人間関係でどこに発生しているかわからないし気付かないのである。
でも気付かなくてもいつか気付かされきっちりと払わされることが怖いのである。

介護に関しても自分が家族を介護したのは複雑な事情があった。
60近くまで食事でも何でも世話してくれた。
それが当たり前だと思っていたのである。
しかしそのことは他の人より大きなカルマを知らずに背負っていたのである。
つまり介護はそれだけ世話になったとなるとせざるをえないし文句もなかなか言えない
そういうカルマがありそれを今自覚させられたのである。
カルマは本人が気付かないことが多いがいづれ気付かされそのカルマを借りを返すことを要求されるのである。
もちろん返さなくてもいいがするとさらなるカルマを負いいつかまた何倍にもなってカルマの借りの返還を要求させられる



もしカルマを借りを返せないとどうなるのか?


それは来世で返すことを要求される
生まれ代わり返すことが要求される



つまり今の不孝な状態はカルマを返していないとまでなるのだ
こうなったらカルマも何代もつづくとなると怖いことになる。
前世の因果でカルマでお前はそうなったとなることが言われると同じである。

おそらく客がその雇い主の店を気にいってまだ行っているというのはそのカルマと借りと関係しているかもしれない、
カルマを返してもらいたくて行っているのかもしれないということである。


カルマの法則
●この世ではカルマ(借り)を返さない人が実に多い
●カルマは気づきにくいため
●でもカルマは確実に返すことを実際の生活で要求される

●できない場合は来世へまたは次の代へとカルマは(借り)は引き継がれる

家系の因縁とか興味ある人が多いし調べている。それはなぜか?
人間の出会いとか親戚関係とかいろいろなことが謎が多いからそうなるのだ
それを解きあかそうとしても不可解なものが多すぎる
だからどうしてとなるのだ?
その一つに確かにカルマの法則がありうる
すべてではないにしろそういう法則が人間に働いていることは確かである

人間は必ずどこかでカルマを作っているしそれが気付かなくても
実際の生活で自覚させられる
なぜこんな苦労するのだというとき
それはカルマが関係していることがある
ただそれを解きあかすことが数学でないのだから複雑すぎるから気付かないのである



 


2014年02月17日

カルマについつての考察 (個々人の人生の謎がカルマで解けるから?)


カルマについつての考察

(個々人の人生の謎がカルマで解けるから?)


●なぜカルマの思想が生れたのか?


人間が輪廻のサイクルにあることを“苦”と考え、そこからの“解脱”を宗教による救いの最終目的と考えています。インド人にとって救いとは、苦しみの輪廻から逃れることに他なりません。

輪廻は「カルマ(業)」によって引き起こされるとされます。カルマとは、前世の行為が目に見えない潜在力となったものです
http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/about_sp/sp-thought1/sp-thought1-7/sp-thought1-7-01.htm


仏教では、生前での生き方、為してきたことの結果によって生まれ変わる世界が決まると説いています。それは「自分の為したことが返る」というカルマの法則に基づいています。

カルマというとき宿命とかもなりいろいろな解釈がある。ただなぜインドでこういう思想が生れたのかということである。それは百年とかの単位で生れたものではない、仏教の思想はヒンズー教に由来している。キリスト教は旧約聖書に由来している。
その歴史は人類かはじまりから生れた思想である。
だから仏教でもヒンズー教に由来しているという時、ヒンズー教を知らないと本当は深く知ることはできない、キリスト教でも同じである。
そして何の宗教であれ思想であれ慣習のようなトーテムの原始宗教であれいちがいにそれらを古いとして近代的な思想で批判はてきない、奇妙なことは現代思想こそ実際は百年単位とかで生れたもので人類史をさかのぼれば一時期の異様化したものとして後世にふりかえられる。

カースト制が古いし差別だという時もそうである。それが成り立つ伝統社会があって生れた。だからそれはそれなりに合理性があり社会を形成する。差別だという時それは現代からみてそうなのであり当時は別に当然であり社会的合理性があったともなる。

奴隷すら人類史では進歩したものだったという。なぜなら戦争で負けたら皆殺しにされたけと奴隷として生かすことは進歩だったとなる。だからカースト制にもそれがなりたつ歴史があり否定するにも簡単に一言ではできないものをもっている。

江戸時代の士農工商も差別だとなるがこれも江戸時代の社会ではその社会を成り立たせる基盤でありこれを否定したら社会は成り立たない、侍は別に支配階級でぜいたくしていたとはいえない、ヨーロッパの貴族でもそれなりの役割があり社会を維持していた。
だからマルクス的階級論は歴史的現実社会に適用されないで失敗したのである。


●カルマの思想で解ける人生の謎


カルマというのにキーワードでも関心をもつのは人間というものがその人間関係でも家族でも結婚因縁でもそうした諸々の人間の事象が不可解だからカルマとは何なのかと関心をもつ、それぞれの人生でなぜある人はある人と結婚する。それは好きだと嫌いだとかあるにしてもただそれだけではない、何か前世からでも結婚する因縁があったのではないかとまでなる。結婚は好きだから結婚しても三分の一は離婚している。別に見合い結婚でもうまくいっている。それはなぜなのか?見合い結婚は家と家同士の結婚だから意外とうまくいっている場合が多いかもしれない、かえって恋愛結婚は離婚している割合が多いかもしれない、そこに家系とか家がもっているカルマなども関係してそうなっているのかもしれない。家系がもっているカルマなど恋愛結婚ではわかりえようがないからだ。

そのカルマがわかるのは何十年もたってとか人生の終わりに自覚したとまでなるからむずかしいのである。結婚などはただ相手の姿形だけを見ているから失敗するのかもしれない。それ以上に家系やその人がもっているカルマなど見ないからそうなっているのかもしれない。それはまた見ることも簡単にできないから結婚して失敗したとなる人が多いともいえる。


そもそもこの世に生を得たということはすでに業(カルマ)があって生を受けた。何らかのカルマがあったから今の生がある。だからそのカルマを解消しないとまた生まれ代わりカルマを解消しなければならないとなる。人類全体でもそうではとないか、その個々の人生でもそうである。同じカルマを延々と繰り返し活きている。人類でも同じカルマを繰り返す、戦争でもそうだし今回の原発事故でもやはり一つのカルマであり火を盗んだプロメティウスの過酷な罰を受けた神話的場にすらなってしまった。神話が現実化して個々人がその刑罰を担うことになったのである。人類的歴史的カルマが現実化した驚愕があったのである。

具体的には個々人では常に訴える人がいる

「なぜ自分はこんなに苦しまねばならないのか」
「なぜ自分はこんなに貧乏なのか」
・・・・・・・・・・・・・・


それは障害者をもった人なども言うしなぜ自分は自分の子供でこんなに苦労しなければならないのかとか訴える。
ある人は結婚した相手が20代で大病にかかり一生世話させられる羽目に陥りそのことを延々と嘆いてきた。
確かにそれは同情すべきことであった。
でもそれがなせなのか?というとき不可解になる。
なぜその人だけがそんな苦しみを受けねばならないのかとなるからである。
それはなぜなのかと問うとき謎になる。

よりもよってなぜ自分だけが若い時から身体障害者や知的障害者など世話しなければならないのか?

そういうことも謎であり納得する人はいないから他者にその不満を訴える。
そうするとそれがなぜなのだろうとなりカルマだったということが一つの解答になる。
つまり前世に由来していてあなたはそうした病人や身体障害者や知的障害者を世話しなければならない因果をもったのだとなる。


●カルマは社会やた他人の生ではない前世のカルマ(行為)に由来している


それも何か合理的に最近納得した。そういう不幸な人は不幸になる因縁があったと思うようにもなった。なぜならその人と深くつきあってわかった。
その人は他者を弱者を虐待するような人だったのである。
だから自分が病気の時、弱った時いろいろ責めてきたことでわかった。
その人は前世は弱者などを虐待したことがありそれで今世でそうした弱者を身体障害者世話し続けねばならない運命に陥った。
だから前世の悪行で今世になり報いのためにそうなった。
どうしてそうなったのか他に説明つかないから前世の因縁だとなってしまうのである。
親もそうならその妻となった人も夫で苦労する運命にあった。
もちろんそれは最近わかったことでありすでに還暦など過ぎてわかることがある。

ともかく親と同じように夫で苦労する運命にあった。しかし今まで表面化していないから隠されていただけである。

前世の行為が目に見えない潜在力となったものです。

潜在力として長くひそんで現れなくてもいつか必ずその行為(カルマ)は現れるのである。
例えば団体とか組織の罪は権力で隠されやすいし闇に葬られやすい。
でもいつかは必ずその団体や組織のカルマも表面に現れて隠すことができない。
それはカルト宗教団体のようなものでもそうでありいづれはその悪が否応なく現れてくる。
原発事故も東電の組織的犯罪とまで言えるものだったが政府までとりこむほどの
巨大な権力だったから隠されていたにすぎなかったのである。
それが津波によって暴露されたのである。


なぜ自分は不幸なのだろう
なぜ自分は貧乏なのだろう


そういう問いは常にある。それを社会の不公正として糾弾する。それが一般的でありそれが団体化組織化すると様々な団体組織党派となる。カルト宗教団体でもそうである。
仏教系統の宗教団体でもそれは前世の宿縁でかたづけられない。
「あなたは不孝になることはない、貧乏になることはない、それは社会のせいである」と団体で運動することになる。
ところが社会のせいだというとき、それは結局他人のせいだということになるのである。
前世の宿縁だとしたら自分の悪行,業(カルマ、行為)によって現在があるとしたらそれは社会のせいではない、
そんなことを考えたくない、自分には何の責任もない、社会のせいであり他人のせいだとする方が楽であるからだ。

そうにしたって結局なぜ自分だけが苦しむのか貧乏なのかとか問うと解答にはならない。
自分の中にあるのではなく社会に他者にあるとすれば楽なのである。

借金する人も明らかに自分に責任がある。普通借金はいろいろ事情あっても簡単にはしない。
でも借金する人は簡単に借金している。それはやはりカルマを作っているのである。
そのカルマの故に家族が一家離散したり具体的に悪い結果が現れるのは因果の法則でありわかりすい。
そして金を借りにくるのは他者に責任をおしつけることになる。
借金する人はそういうふうに他者に責任をおしつけるのである。
自分が病気の時もそうして借金している人に苦しめられたからそのカルマはさらに大きなものとなりその本人にのしかかってくる。
でも以前として他者まで苦しめたことをきづいていないのである。


カルマは気付かないことが多いのである。
他人を傷つけたり虐待したり苦しめた人は意外とそのことに気付いていない、
一体私は何をしましたかむしろ助けていたんですよとかさえなっているのだ。
それほどに他者に対した悪行でも気付かない、気付かないからカルマを受けて苦しむことになってもどうしてなのだろうとなってしまうのである。
でも潜在力となってその人に絶えず働いているのだ
個々人の人生でも人間関係でもあまりにも不可解だからカルマの思想が生れた。
それが何か一番納得がいくから生れた。
その他にそうした人生の不可解を合理的に解けるものがないから生れた思想なのである。

2014年02月18日

病院は看護師不足、老人ホームは介護士不足で入れない (南相馬市の病院、介護の危機的状態)

 

 病院は看護師不足、老人ホームは介護士不足で入れない

(南相馬市の病院、介護の危機的状態)

震災前は入院してすぐに退院してくださいとかならない、まだ余裕があったのだろう。
今日入院した近くの知っている同級の人は兄が心不全となり入院したが土曜日に退院しろと言われてそうなる。
自分は25日でありそれでも退院許可が出たのですぐに退院してくださいという時は驚いた。
退院支援援助で一週間伸ばすことができて余裕ができた。
男のベッドは空いていないとか男より女性か優先されているのかもしれない。
近くだから悪くなったらまた入院してもいいとは言っていた。

その同級の人がなぜ老人ホームに入れないのかもわからない、
最初は兄と二人で障害者一級の人と92歳の母を介護していた。
その後一人になり兄が病気になり今や三人も介護している。
これでも老人ホームに入れない、7年前から申し込んでいるとかこんなひどい人が
特養でも入れないとしたら自分などここでは絶対に入れないと思った。
南相馬市では特養など老人ホームに入るのは絶望的だとなる。
老人ホームの問題は空きができるのは死ぬときしかないとしたらなかなか空きが出ない

確かに100人収容の施設が鹿島厚生病院に連結してできた。
それもすでに入っているという、でもそこで働く人がいないのだから収容できない。
看護師不足で看護助士というのが何人か働いていた。
おそらく介護士募集しても来ない、するといつまでたっても施設には入れない
建物ができても何の役にもたたないとなる。
建物がなくても人がいれば介護などはやれのである。

兄二人その一人が障害者一級で92歳の母の三人を介護できるのか?
これだけの人が施設に入れないということは相当な危機的状態にある。
本当に見捨てられて野垂れ死にか共倒れになる。

この辺では津波や原発事故で若い人の流出や看護師不足で介護士不足で危機的状態にある。

こういうとき原発避難者が毎日パチンコでパチンコ屋で働く人がいなてくて困っているなどといっていることが腹ただしくなる。
補償金をたんまりもらっているから遊んでいればいいんだいう時は三年目で終わっている。
もうかわいそうな人たちではない、かわいそうな危機的状態の人は他にいる。
だからもうそういう人たちに同情する必要はもうない。
なんとか自分たちでするべきでありボランティアに頼る時も終わっているのだ。
復興にしても外部の人頼りで自分たちただ補償金をもらって遊んでいればいいとなっているの異常である。
そんな人たちを外部の人でも助けたくなるだろうか?
二年目くらいまではしかたないという面はあり一年目とかでそういうことは酷だった。

三年目からそうはいかない。もうかわいそうだという同情の時は終わったのである。

いづれにしろ介護は全国でも危機的状態になってくる。国で在宅でしろといっても人手がない家族が多い。
そうなるともう野垂れ死にとか共倒れとかそういう悲惨なことが現実になってくる。
それはもう身寄りがないということだけではない、もうそれだけの老人を世話することができなくなっている。
そうなるとめんどうだから早く死んでくださいということが現実化してくる。
安楽死だって容認されるし医者も看護師も見放してしまう。
それが非情でもめんどうみきれなくなっているのだ。

それだけ追われると医者でも看護師もそういう目で見ている。
一人へれば死ねば病院も空いて楽になる。
同情する余裕もないわ、次から次と老人が入ってくるんだから
そういう病院に入院してももう早く死んでくださいとなれば
病院に入る前に死んだ方がいいともなる
そういう時代に突入している
もう増えすぎる老人のめんどうは見切れない時代に現実になっている

大雪などでも災害に弱い便利な現代社会 (人手不足で社会自体が衰退する危機)


大雪などでも災害に弱い便利な現代社会

(人手不足で社会自体が衰退する危機)


●災害に弱い現代社会

津波でも大雪でも現代社会派は意外と災害に弱い体質をもっている。今回の大雪でもそうだった。車社会だから車が通れなくなると危機になる。モノは入らないし病院にゆくこともできないし、薬も入って来なくなると危機になる。それは原発事故でもこの辺で起きた。ガソリンが入らずに車が使えなくなり一カ月以上ガソリンを得るために長蛇の列となった。つまり車が現代の足だとするときその足を奪われたら何もできなくなる。
車に頼っていれば車なしの生活は崩壊する。

一方に皮肉なことに歩くことに頼る生活だったら別に車がなくても生活できる。
そういうふうに生活しているから困ることはない。
車という便利な機械道具に頼る生活をしているときもし車が使えなくなったら致命的になる。

戦後10年くらいは農家は自給自足だから水でも燃料でも薪だとか炭であり
味噌から納豆まで自家生産していたし米の貯えもあったから困ることがない、
つまり危機には自給自足なら強い、頼っているのは自分の狭い生活する場であり家になるからだ。
外から物資が入らなくても困らない、もともと外から入る物資に頼っていないからである。

例えば大雪で孤立した村があったけどそこだって昔なら雪のなかでも生活する自給自足する工夫かあり生活できた。
そうでなければそんな村が生き残れるわけがないのである。
何かしら雪のなかでも生き抜く知恵があり伝えられて生き延びてきた。
だから現代の便利な生活が山の奥まで浸透するときこうした大雪とかで交通が遮断されるとお手上げになる。

もちろん電気や水道やガスやインフラも途絶えるとたちまちパニック状態になる。
牡鹿半島や三陸では裏山の清水をくんで運び薪で煮炊きをしたように自給自足の昔にもどっていた。
現代の矛盾はその場にある富が最も無視されている。
遠くの富にすべて頼っていることが危険なのである。石油だって遠い中東だとかガスだってそうである。
そういうものが入ってこなくなったら現代社会は崩壊する。

原発事故周辺はそういう便利なものに頼る生活の崩壊現象が起きたのである。
だから自国で食料すら生産出来なくなるTPPは便利でもこうした危機がくるとモノが入らなくなりパニックになり社会の崩壊現象が起きる。
なにか津波でも原発事故でも大雪でもそうした自然災害が現代の文明に警告を発している。
もっと重大な事故が災害が起きる用意をしておけということを警告している。
東京など災害に弱いからその被害は甚大なものとなる。

現実に牡鹿半島や三陸のように裏山の清水もないし薪にする木も燃料もなくなったらどうするのか?
米があったとしてもどうにもならない、パンもすぐなくなる。
そういう状態をリアルにイメージしたら相当に恐怖になる。
そういう地獄が迫っているかもしれない、気候の大変動期にも入っているから危険なのである。


●人手不足で社会が崩壊する

人手不足のことは今や深刻である。建築現場でも顕著だが福祉関係、病院や老人ホームなどでもそこで働く人が確保できない、
人手不足社会になっている。
人など時間給でいくらでも雇えるではないか、そんな時代は終わりつつある。
現実にこの辺ではレストランでも自給1200円でも人が集まらない、
仮設で補償金をたんまりもらって働かない事情はあるにしろ働ける人がいて働かないという事情があっても
全国的に人手はあらゆる所で不足する時代になっている。

もう建築現場では建築家会社の株は仕事があっても人手不足で仕事ができず下がっている。
仕事があれば好景気じゃないかとなるがそうじゃない,人がたりず会社経営すらできなくなっている。

高度経済成長のときは金の卵とか若年労働者が人手不足を補った。
現代は少子高齢化でありそうして補うことができないことが致命的になっいる。
一見機械がやればいいロボットを開発して補うことができるとかなるがそうはならない。
機械を操作するにも高度の能力が必要でありあらゆるところで仕事が高度化すると
それに見合った人手でがどこでも不足しているのだ。

現代社会は高度な知的社会ともなっているからそれだけどこでも人材が不足する。
それを建築現場ですら簡単に補いないのである。


この業界に20年いるけどさ。
一人前になるのに型枠工で3年。
鉄筋工で5年。
土工で1年。
バックホウオペで2年。
施工管理で5年。

マジで人手不足。
鉄筋、型枠なんて1.7倍くらいの値段払っても来てくれない。
東北の現場だけどさ、誰か助けてwww


人手不足っつーても
そもそも若年労働者数自体激減し続けてる
1994年の新成人数 207万人←ここをピークに激減の一途
2014年の新成人数 121万人←過去最低更新中(何と20年前の40%減)
つまり20年前と同じ感覚で公共事業なんてやってたら労働力不足になるのは当たり前だし
そもそも出生数でさえ近々100万人割れ、人口は減少の一途、過疎地域続出、待った無しの
超高齢化少子化、公共事業なんかの為に莫大な借金してる場合じゃねーよ

つまり簡単に人手は得られないのが現代なのである。


アルバイトを雇ったりして除雪作業で高校生が除雪車に手首を切られた。
アルバイトで雇うのは危険である。アルバイトでテレビのアンテナを屋根に設置していた60代の男性が屋根から落ちて死んだ。
自分も軽い気持でアンテナの線を切った時、アンテナが倒れてもし自分側に倒れたら大怪我をするところだった。
こういうことは建築現場では常に起きている。
そういう場所は訓練している人しかなかなかできないのである。
アルバイトでやらせられるのは本当に危険である。
そういう危険な仕事をさせること自体、雇い主が無頓着だから事故が起きる。
危険なことを平気でやらせるということである。
今はそういうことはできない、中国人でもできない、だから余計にそうした底辺の仕事にも人が集まらないのである。


●今は人を働かせることが簡単にできない

労災起こるたびに安衛法厳しくして現場の手間を増やし、
逃亡中の犯罪者が一時日雇いで現場にいたら事業者責任を厳しく追求し、
資格試験を増やしすぎて、低学歴人夫の賃金や職能の延び代が減り、
建設機械の環境対応厳しくしたせいでリースが増え、結果業者の所有重機が減り、
時の政権の意向で仕事が増えたり減ったりするから将来の展望が描けなかったり、
公共事業費の削減で点検や修繕を減らしたあげく事故や災害が起こっても業界の責任にされたり、


建築現場には犯罪者などが入り込みやすい、身元を問わないからである。
それでそれなりにそういう場所で生きられるという社会もまた悪いとは言えない。
それは社会の役にたっているからである。
今は働くことが誰かのコネで働かせることもできない
履歴書が必要であり視覚か必要であり保証人が必要であり・・・・
その敷居が高すぎるのである。
就職するのに保証人が必要でありそれで就職すらできないという人たちも多い。
自分などもどこにも就職などできない、就職する要件が何もないからである。


それはなぜなのか?
極端な人権主義もある。へたに人を雇えないという労働環境もある。
なぜ保証人にうるさいかというと広域社会になると何を信用の基準にしていいかわからない。
見知らぬ人でありこの人はどうしたら信用できるのか、雇う方にしてもこまるわけである。
その人について昔の村のように人柄などしりえようがないからだ。
だから保証人がいないと雇いないというのも雇う方になるとまた雇いにくくなる。
現実に自分も気軽に近くの人だと雇って財産をもっていかれるような犯罪にあっている。
つまり人は今やどうして信用できるのかとなる。
それであらゆるところで信用問題が起きて保証人が必要となる。

病院でも老人ホームでも保証人が必要であり施設のショートスティでも二人も保証人が必要になりできなかった。
これも現代社会が何をもって人を信用していいかわからなくなっているからである。
だから人を雇うこともめんどうだし簡単に雇えないから人手不足になる。
第一ニートみたいな一度社会からはずれたらまともにみられず就職はできなくなる。

そして介護士でも意外と一番問題なのは信用問題である。
施設でも老人は貯金でも多額の財産をもっている人がいるからそういうもの目をつけられて奪われやすいからである。
だから簡単に介護士でも雇えないのである。

それはどこても同じである。人は簡単に雇えないし人権がうるさく信用問題になる。

また病院でも老人ホームでもちょっとしたことで老人は怪我しやすい、
すると責任を問われ賠償を要求されるからそれも怖いので患者でも老人でも人を相手の仕事をいやがることもある。

介護なんか別に家族が家でやっているのだからそんな専門知識や技術もいらない、
でもこうした諸々の事情で現代は簡単に人手を得られない、
そして立派な老人施設が百人収容の施設ができても働く人を確保できず
前に述べた三人も一人で介護している人すら施設には入れず共倒れになる恐怖がある。
人手不足の原因はいろいろあり賃金をあげたから補えるというものでもない
高度成長時代と違ってるからだ。

ただ人手不足時代は日本の経済の致命傷になり日本自体が衰退する大きな要因となる。
人手不足の原因はもう簡単に解決するものではないからである。

posted by 老鶯 at 20:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2014年02月19日

近江の春の俳句十句 (近江は自然景観と歴史がマッチしているから魅力がある)

 

近江の春の俳句十句

(近江は自然景観と歴史がマッチしているから魅力がある)

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関が原伊吹山聳え残る雪

関が原越えて近江谷春の山
車窓より蓮華畑や近江富士
春光や近江平野を走るかな
雲にじむ大津の街や春の月
義仲寺を訪ねてあわれ柳かな
春なれど朝日将軍あわれかな
春なれや芭蕉の眠る近江かな
さざ波の都の跡や春は逝く
信長の楽市楽座栄ゆ春
京に行く春の夕暮瀬田の橋
古都なれや桜の並木慶州かな


近江には4回くらい行っている。それでも近江全部を実際に回っていない、近江の魅力は自然が残っていて自然の中に歴史が織りなされていることである。近江八景とかありそれは変わっていない。これが都市化したら変わっている。意外と農村的風景が残っているから自然が残っているから歴史でも偲ばれるのである。京都はそうした自然的風景が失われているから歴史があっても魅力が失われている。ただ庭や寺だけを見るという感じになる。

近江はまた地理的に東西を分ける地域にあることで魅力がある。関が原は東西の分かれ目であり何か景色も変わってくる。伊吹山がありここでヤマトタケルが死んだというのも何かの謂われがある。歴史も地理によって織りなされているからである。
春でも関が原辺りは寒く雪が残っている。
関が原を越えると近江平野でありそこに優美な三上山の近江富士が聳える。この山は400メートルくらいとすると低い山である。でも形がいいから目立っていて象徴的な山となっている。


春には蓮華畑が広がりその近江富士が望まれる。これも極めて近江の風景にマッチしている。電車で走ってもきれいに見える。思い出としては青春10切符で春に下関まで行き船で韓国の慶州まで行ったのは夢のようであった。近江は百済寺などがあり渡来人の国でもあった。だから韓国はより身近でありその古都にも桜並木がありわずかに咲いていたが散っていた。まさに韓国まで近江はつたながっているという気分になった。


春はやはり西の方が一段と歴史もあって春らしくなる。ただ京都でも大阪でも自然景観が都会化で損なわれているから幻滅する。つまり自然景観が昔のようにありそれと歴史がマッチしたとき魅力あるものとなる。それが近江にはある。信長の時代もありその魅力を語れば語りきれないだろう。近江は春は穏やかなのだろう。


晩年の2年近くを大津に過ごした芭蕉はその時期に、藩士、医者、町人、豪商、住職、能役者など多様な人達との交流を楽しんだ。実際、芭蕉は大津湖南地方を訪れること8回におよび、近江の風景や人間に深い愛着を抱いていたように思われる。

「死後もここで過ごしたい」
芭蕉はそのことを遺言した。

芭蕉の生涯の作品は980句確認されているらしいが、そのうち1割近くの89句が大津湖南地方で詠まれているという。奥の細道の52句に比しても、近江の密度の高さがわかる。36俳仙とよばれる弟子の国別分布をみても、近江12、江戸5、美濃・尾張各4、伊賀3、等で近江が群を抜いている。

芭蕉の近江好きは「行く春を 近江の人と 惜しみける」という句に代表される
http://www.geocities.jp/ikoi98/bashou/bashou.html

木曽義仲が眠る義仲寺に芭蕉もともに眠っている。近江が気に行ったということはやはり景色が穏やかで温暖だからだろう。荒寥とした陸奥の旅を終えて安らぎがあった。
人間的にも文化人なども多いし近江商人の出たところであり京都も近いから人の交わりも盛んな所である。実際に韓国で近江商人の末裔のうよな人に出会った。
その人から年賀状が10回も来ているが返事を出していない、いろいろあって何か余裕がないからだ。

ただ近江という時、福島県に意外と歴史的に交わりが深い。会津の蒲生氏郷は有名であり近江の日野の出身である。石田三成も現実に相馬藩に来ていて自分の住んでいる近くの田中城を訪ねていて相馬野馬追いの旗に三成の旗印が残っていた。三成は近江の出身であった。それから葛尾村(かつろう)村の葛尾村大尽という製鉄で栄えた跡には近江八景を模した庭が残っている。それは近江のヨネという女性を嫁にしたからである。
そんなところにも近江との関係がある。他にも近江商人の足跡はみちのくに残されている。それだけ近江は歴史的に広がりがあるのも魅力である。琵琶湖があり風光明媚なのことと歴史があることで語り尽くせない魅力がある。

近江では秀吉の長浜の城などは訪ねていない、近江全体を見るとなるとこれも相当な時間がかかる。なぜか自分は30年くらい旅をしていて全国を遊行していたのである。
それは今になると相当恵まれていた。高度成長時代はほとんどが企業戦士となり猛烈に働いていた時だったからである。こんなふうにして遊んでいた人はまれであった。今のニートのようなものは皆無だったからである。
こうしして今になり旅を思い出すと不思議である。旅でも印象に残る場所と残らない場所がある。近江は印象に残った場所だっから思い出して俳句や短歌を作れる。
思い出さないと作れないのである。
4回も行ったとなると近江はみちのくにいても身近なのかもしれない、心象に残っていて近江は心を豊かにする。京都は家が多く寺の街であり自然景観が近江のようにないので印象に残るのが少ない、やはり自然が映えないと歴史も建築物も映えないのである。


「行く春を 近江の人と 惜しみける」やはりこの句が近江を象徴しているのだろう。
春にふさわてい場所が近江でもあるからだ。そこにはまた人がいて近江商人のように人の活動があり自然景観だけではない、人の活動文化もあるという人なのである。

ただ戦国時代は何か芭蕉の句になっていない、信長なども句にしていないし秀吉も語られていない、芭蕉の句に城の句がない、蕪村にはあるのになぜなのだろうとなる。
何かそこには芭蕉に隠されたものがあるのかと謎になる。
なぜなら城は要でありその城を無視していることが謎になるからだ。
城をさけていたとしか思えないからである。

次は秋の部としての近江の俳句十句をだす、俳句も短歌も連作となったとき一つのものとして鑑賞できる。だから俳句短歌十句十首を出しているのである。
 
 

萌える春(抽象画)


萌える春(抽象画)

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萌える春

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緑のさざなみ

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